第29話 ついて来れるなら

 神宿区都市部に位置する閑静な住宅街。

 悪い意味での喧騒に包まれた古都とは異なる、生活音が静かに鼓膜を震わす平穏な世界を異形の腕を抱えた少年が歩く。

 常人と同一規格の左手に握る地図には、素人が乱雑に書いた地図と目的地を示す赤点が記されていた。漆黒の眼光は訝しげに歪められ、口からは嘆息が零れる。


「ハァ……やっぱ地図アプリでもインストールしてた方が良かったか?」


 疑問の声を一つ、加古川誠は周囲への警戒を怠ることなく地図を睨む。

 全身を覆う包帯は動き辛いものを幾らか剥ぎはしたが、なおもピラミッドの深部で眠るミイラを彷彿とさせる容貌は変わらない。更に服装も病院着の上からコートを羽織り、右腕だけは袖を通さずにいる簡素な状況。

 一目で病院から脱走したと判断可能な姿に、根本的に加古川は外側冒険者。お天道様の下を歩けば通報されるのが本来の身分である。

 可能な限り迅速に目的地へ到達することが望ましい。

 が、それを妨げる要素の一つが、視線の先にある地図。


「うーん。ダメ元だから詳細を聞き損ねたんだよなぁ」


 加古川は首を傾げると、再び溜め息を零す。

 目的地への情報源は冒険者ギルド。

 外側としての加古川を象徴する義腕を取り外されていたのを好都合と、フードで表情さえ隠してみれば存外に話を聞くのは容易だった。プライバシーの観点から拒否される可能性もあったが、受付係は聞いた加古川自身でも拍子抜けするほど口が軽かった。

 むしろ一、二回は拒否される心持ちで質問したばかりにイマイチ理解し難い地図以上の道程を聞けなかったまである。


「えーと……ここを曲がれば、道場が見えるんだったか……?」


 独り言を呟きつつ、地図に従って道を曲がる。すると、視界が一気に晴れやかとなった。

 丁寧な手入れを施されていたのだろう。建てられた年月を感じつつも古臭さを一切感じさせない木造の門構えが、加古川を歓迎する。

 関心の吐息が自然と零れ、足取りを幾分か慎重にしつつ歩みを進めた。

 一応門構えを観察してみるが、インターフォンの類は見当たらない。

 恐る恐る門の内側を覗くと、等間隔に配置された足場と思しき石と間を敷き詰める砂が目を引く。視線を上げれば、武士の居住を連想させる木造建築の屋敷と奥に微かな存在感を放つ二つの道場らしき建造物。

 いずれもダンジョン発生に伴う混乱で失われたと思われた存在であり、加古川も驚愕を顔に現す。


「連絡手段もねぇし……入っていいんだよな?」


 お邪魔します。

 誰に対してか、小声で呟くと加古川は敷地内へと歩みを進めた。心中の幼心がさせたのか、道場へ足取りを変えるまで石の上を飛び移るように。

 最初に到達したのは、竹刀の軽快な音が木霊する道場。

 今回の情報が提供された理由として、彼の実家が道場を嗜んでおり宣伝となる分には好都合であったこと。そして彼自身が道場破りを期待していたらしいことを告げられている。


「失礼しまーす」


 僅かに扉をズラし、内部を覗く。

 途端に叩きつけられるは、空気の炸裂。

 竹刀の一振り。得物と得物、もしくは防具の衝突。獣の咆哮を彷彿とさせる叫び。

 互いに命を取り合うかの如き気迫が道場中に広がる。大気の震えが、ダンジョンで魔物と戦うのにも劣らぬ緊張感が加古川の肌をひりつかせた。

 ともすれば呼吸を忘れかねない真剣さに被りを振ると、改めて竹刀をぶつける面々を観察する。


「アレは……違うか。あっちは……違う。クソッ、防具のせいでよく分かんねぇ……!」


 試合の合間、休憩のため防具を脱ぐ度に歯噛みを繰り返す。面の奥に隠れた表情が、彼の探していた人物と大きく異なるが故に。

 捜索に躍起となったがため、加古川は自らへ近づく存在への警戒が薄まる。

 気づいた時には背後を取られ、肩に手を置かれてから振り向いても意味がない。


「えーと、体験入門の方ですか?」

「あ、え……そっちじゃなくて、アレですよアレ。月背勝児に用がありまして」

「あぁ、道場破りですか……彼でしたら、あっちの道場ですけど。今は、こう……」


 門下生であろうか。面を小脇に抱えた男性はどこか言い辛そうに言葉を濁し、加古川と正対していた視線を下ろす。

 その仕草を疑問に思い首を傾げていると、門下生は見せた方が早いと手招きを一つ。

 彼の導きに従い、敷地内に存在するもう一つの道場へと進む。

 近づくに連れ、もう一つの道場は最初のものと比較してこじんまりしている印象を受けた。敷地内にある屋敷や周囲の庭と比べ、おざなりな手入れに踏み散らかされた砂と乱雑な様子が目立つ。

 途中で門下生が振り返ると口元に人差し指を当て、沈黙のジェスチャー。

 首肯して応じると、回答に満足した門下生は歩みを再開。扉を僅かに開く。


「……」


 道場の中には一人。

 先の裂帛の気迫とは趣きを異とする、切り詰めたような息苦しさが重々しく内部を支配する。充満した殺気は空間に亀裂を走らせるのではないかと錯覚し、加古川は再び言葉を失う。

 中心に立つのは、一人の剣鬼。

 紫の刀身を持つ得物──哭鳴散華こくめいさんげを両手で握り、獅子の如く波打つ長髪は炸裂の瞬間を待ち侘びて静寂を是とする。風になびきやすい和服も刃を握る彼自身の姿勢も、微動だにせず同調。

 試し斬りのために設置された試斬台には畳表が巻かれ、ただ静かに佇む。

 はっきり言えば、加古川には理解し難い異質な様相を呈していた。

 たかが試斬台の一つ、畳表の一つ。魔物を切り裂く切れ味と技量があれば、乱雑に振るうだけで容易に両断が叶う。

 にも関わらず、男は両の目を閉じたまま静寂に包まれ、ひたすらに殺気だけを研ぎ澄ます。

 瞬間。


「ッ!」


 空間が、両断された。

 一瞬。極短時間に過ぎない。それも目の錯覚が成したものであり、実際には空間は連続して癒着したままである。

 だが、だがしかし。


「今、道場が……袈裟に……」


 呆然と加古川が呟くのに合わせ、畳表が袈裟掛けにズレ落ち、僅かな音を鳴らした。

 空間切断と見紛う一振りを見せた剣鬼──月背勝児は振り下ろした姿勢のまま残心を取ると、遅れて視線を扉の先へと向けた。


「む、疾風か。何用だ」

「……今はただの加古川だってんだよ。まぁ、用事があるのは事実だ。ちょっと入るぞ」


 礼儀に倣い、加古川は靴を脱いで道場へと踏み込む。

 内部の様相もまた、外の様子とは大きく離れていない。むしろ切り裂かれた畳表から零れたイグサの掃除がなされてない分、外の方が整ってさえいた。

 門下生が怯えた様子で扉を閉じ、少年は剣鬼の前で腰を下ろす。

 すると月背もまた腰を下ろし、手元に刀を置く。侍の礼儀だと何かで聞いた覚えがあったが、生憎と義腕はそう簡単に引き離すことが叶わない。


「ひとまず建前として聞こうか……その傷は大丈夫か?」

「一応動き回る分には、な。頭の分は一旦忘れろ」


 加古川が指差した先は、側頭部のやや赤く染まった包帯。

 冒険者ギルドへ月背の家を質問した後、虚之腕を回収すべくレネス修理店へ赴いた際についた──厳密にはつけられたものである。


『怪我しまくりの無能野郎がッ。なんだよこれ、熱でフレームが熔解するとか聞いたことねぇぞッ。修理っつうかもうこれ作り直しじゃねぇかボケがッ、一片死ね。一片蘇った上でもう一度死ねッ!』


 容赦なく振るわれたペンチの一撃を回避し切れず、明滅する視界と対価に回収した際の名誉の負傷とでもいうべきものだった。


「承った。一旦忘れよう、些事だ」


 ダンジョン内では恐ろしいまでに話を聞かない印象であったが、意外にも月背はすんなりと提案を受け入れた。尤も、どうでもいいから適当に受け流した可能性も否定し難いが。

 加古川はわざとらしく咳をすると、話を元の軌道へと戻す。


「今日はアンタに鍛えてもらおうと思ってな」

「鍛える? 我が、疾風を?」

「そうだ、俺が知ってる中で最強のお前が、この俺を鍛える。悪い話じゃないだろ」


 今のままではレッドフードと再戦した所で二の舞を演じることは明白。否、自殺を前提とした戦略を組めない以上、より凄惨な結末が訪れることなど目に見えている。

 だからこそ、現神宿区のギルドランキング一位の男に師事をこいねがったのだ。

 顎に手を当て思案に唸るも、月背の答えは殆んど決定していると加古川は睨んでいた。

 彼は元々少年と矛を交えることを希求していた。それは伊織の魔物を使役する魔法によって逃走する最中でも変わらず、油断すれば邪魔者を全滅させて追撃にかかるのではないかという危機感を抱かせるほどに。

 だかこそ、懸念事項は──


「二つ条件がある。これらが飲めるのであらば、吝かではない」

「……ほーん。存外、物分かりがいいじゃねぇか」


 条件を提示されこそすれど、素直に肯定されるとは思えず。加古川は一瞬反応が遅れた。

 眼前で正座の姿勢を堅持した男は、射殺さんばかりの眼力で少年を見つめる。


「一つは場所を移すこと。ここは無理を言って建設してもらった道場……流石に私闘で破壊するのは気が引ける」

「勝手に稽古を私闘にすることには気が引けねぇのか」

「微塵も」


 清々しいまでの即答に突っ込むのも馬鹿らしく感じてしまい、加古川は本日何度目とも言えぬ幸福を逃がす。

 一方で月背は確かな眼光を覗かせたまま、続く条件を口にした。


「もう一つは果たし合い……命の削り合いを以って、貴様に手解きを与えよう」

「話の前提が完全に崩壊したんだが?」


 稽古と書いて命の取り合いと解釈する者はいない。当然、加古川も稽古と聞けば、本命に向けた準備段階としてのものと解釈する。

 まかり間違っても、本命を前にして絶命の可能性が発生するなど以ての外。

 故に彼の口から抗議の弁が漏れ出るのも当たり前の話。


「なんでお前と命の取り合いをしなきゃなんねぇんだよ。俺の本命は──」

「月光の敵討ち、であろう」

「……」


 周知の事実とばかりに正鵠を射られ、加古川は続くべき言葉を失う。

 代わりに注ぐ視線が幾分か鋭利に研ぎ澄まされたものの、むしろ殺意を向けられた方が心地よいと称さん程に男は頬を上機嫌に吊り上げる。


「アレの首を取り損ねた事実は、我が人生にある数多の後悔の一つ……それも最上位に値する。ダンジョンに現れたヤツの首では代替とは呼べん。

 だが、その仲間……それも同等の一級冒険者であれば、多少は許容しよう」

「いやいやいや、一ミリたりとも答えになってねぇが……今の俺に当時程の実力はねぇし、そもそも地上での戦闘は許可されてねぇだろ」

「法など知らん。不満があるなら、自衛隊の大隊でも招集して我が首を討てばいい」


 あまりにも堂々とした態度に、もしや加古川の方が間違った認識を持っていたのではないかと一瞬疑義を持つ。

 脳裏に過った邪念に首を振ると、額に手を当てて溜め息を吐く。

 無数に乱舞する有形無形の刃をばら撒く幻風貪狼一刀流は、確かに大型の魔物や対複数戦で真価を発揮する。仮に日本で唯一銃火器によるダンジョン突入を許可されている自衛隊が相手でも、一方的な蹂躙劇とはならないだろう。


「いやいやいや、そっちじゃねぇよ。

 つうかお前が良くてもこっちはよくねぇって話だろが」

「貴様が抱く敵討ちの念は、たかだか一級冒険者と刃を交える必要が生じる如きで潰えるものか?」

「……は?」


 挑発だ。

 頭の中、理性の部分では眼前でほくそ笑む男の目的を理解している。

 が、本能の部分が奴の言葉を無視するな。否定して拒絶して、実力を以って認識を改めさせろと吠え立てる。

 知らず、前のめりの姿勢となった加古川に続く主張を受け流すことは叶わない。


「敵の首を恐れて、月光の仇が討てるものか。

 それとも……奴の首は二級相当の魔物に取られたと宣うか?」

「……上等だ。この際、テメェの首を掻っ切って証明してやんよ」

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