第28話 信じること疑うこと

「俺は、俺は……だってあんな状態じゃ、残ったところで……!」


 堪え切れなくなったのか、加古川は顔を俯かせる。

 鼻を啜る音に合わせてシーツの上には、不自然な染みが幾つも生まれた。

 肩が震え、左手がアテもなく抱き締める先を探る中、伊織は少年の弱々しい様を見つめ続ける。普段の態度から乖離した弱気な姿と、彼が明かした過去に対してかける言葉が見当たらず、ただ桜の瞳を少年から離さないことが精一杯であった。

 左の裾で顔を拭うと、視線を上げて黒目が相対する。

 憔悴した表情は生気が駄々洩れであったが、なおも加古川は語り損ねた続きを紡ぐ。


「悪い……少し、乱れた。

 一応、ムーンライトは探索中行方不明MIDってことには、なってる……けど、今更生きてるとも思えねぇ……まさか、ずっとダンジョン内で過ごしてるって訳もねぇしな」

「……そ、それは」

「気休めはいい。あんな場所で生きれる訳がないのは、よく知ってるつもりだ」


 陽光の届かぬ薄暗い空間。視界全域を埋めるは頑強なる岩壁。そして人類に仇成す獰猛なる魔物の数々。

 人がマトモに生活するのに欠かせない万物が不足し、生命を脅かすものばかりが充実しているダンジョンという空間。異界の神が人類を滅ぼすために遣わせたという珍説すらも学会で審議される未知の領域は、人間が永続的に生活するにはあまりにも危険であった。

 そも、人類の生息圏として正立するのであれば、今頃ダンジョン由来の素材を用いた加工はダンジョン内で行われている。

 知らず、加古川はシーツを掴む手を強めた。


「だから、もう……誰かを見捨てるような真似は、したくないんだよ……」

「見捨てるくらいなら、いっそ積極的に絡むこともなく」

「そう、だな……元々お前とも、回復薬の代金さえ貰えりゃ、それで終わりのつもりだった」


 それがダラダラと続き、末に同じ病院でお世話になるまでになった。

 少年の言葉に慚愧の念こそあれども、どこか後悔の音色は薄く思える。だからこそか、伊織は口を差し込むことへの抵抗は然して浮かばなかった。


「一つ聞くですけど、加古川としてはムーンライトさんに生きていて欲しいんですよね?」

「そんなのは当然……!

 けど、それがあり得ないのは……」

「現実がどうとかは一度置いてですよ。今聞いてるのは、加古川個人がどう思ってるのかの話です」


 諭すような、問いかけるような。

 どちらとも取れる口調で奇妙なことを口走る。

 伊織としても、答えなど分かり切っている。敢えて問い質したのは、万が一億が一の間違いを避けるため。

 事実、加古川からの答えは言葉尻一つ違うことなく同一の内容。


「そんなの当然だろ……わざわざ聞かれるまでもねぇ」


 彼がムーンライトの生還を信じられないのは、ひとえにダンジョンの現実を知っているが故。

 如何に一級冒険者であろうとも、単独かつ負傷した状態で一年以上もダンジョンで生き続ける訳がなく。同時に生きていれば神宿区で噂の一つも流布されないことも同様に不可能。

 パーティー壊滅の憂き目にあった加古川には、直視した現実から楽観視することができない。

 だからこそ。


「だったら……僕が代わりにムーンライトさんの生還を信じるよ」


 ダンジョンの脅威を然して知らない自分が。

 徘徊する魔物の恐ろしさという点でしか知らない自分が。

 信じられない彼の代わりに、彼が信じたいものを信じよう。


「──」


 呆然とした表情を浮かべ、加古川は伊織を凝視する。

 否定の弁を述べるのは簡単である。

 伊織の主張は無知だからこその代物であり、少年が体験したことを伝えれば容易に翻意するだろう。たかだか数週間、二桁に届くかどうかもダンジョンに潜っていない存在の言葉など、彼の経験した六年を比較すれば厚みの次元が違う。

 だが、肝心の声は、空気を吐き出す音にも似て鼓膜を震わす。

 そこに意味はない。


「あら、やっぱり名案だったです?

 ハハハ、流石は僕ってところですかねー。ほら、意外とこれでも学校では頭もいい方だったんですよ。成績的にも、他の意味でも?」


 冗談めかして首を傾げてみせる伊織であったが、肝心の反応が一切見当たらないとなれば、流石に不安も胸中をもたげる。

 乾いた笑みを零すと不意に硬く、それでいて暖かい感触に包まれた。


「ハハハ……え?」


 何が起きたのか理解が及ばず、最初は呆然と直前までの行動を繰り返し。

 やがて視線の先を追うに従って、状況を理解して頬を引きつらせる。そして時間を経て顔を紅葉させていき、口が酸素を求める金魚よろしく開閉された。

 加古川に抱き締められた。

 それも、結構勢いよく。


「か、加古……へ? 加古川?」

「悪い……いや、ありがとう。少し、こうさせといてくれ」

「……ハー。別にいいですけど……

 せっかくですし、華のJKに抱きつくって美味しい思いを堪能してくださいですよ」

「そう、させてもらうわ」


 得意げに語る伊織に突っ込みの一つをつけることもなく、加古川は少女に身体を預けた。



 加古川が伊織を抱き締めて、どれだけの時間が経過しただろうか。

 一分か、十分か。一時間も経過はしていないはず。

 少年は顔を起こすと、包帯とガーゼに張りつけた少女と正面から顔を合わせる。


「改めて礼を言うわ。ありがとう、なんか胸のつっかえが取れた感じがする」

「ハハハ、それは良かった……ハァ。じゃ、加古川がスッキリしたなら、そろそろ僕は用事があるですから」


 嘆息を一つ、伊織は明確に表情を暗くする。

 彼女の脳裏を過ったのは、暴走してダンジョンへ潜った加古川を追って穴を通過する際に露店の主へ宣った言葉。

 当時は意識する余裕さえもなかったものの、今にして思えばもっと穏当な手段があったのではないかと疑念を抱かずにはいられない。


『そこを何とかッ。魔物の素材でも穴の補填でも、後でなんとかしますからッ。です!』

「なんでもじゃないですよ、本当に……」


 当時の自分へ悪態をついて扉を潜ると、一旦室内へ顔を向けた。

 最初よりは幾分かマシな顔色の加古川を眺め、再びの暴走を防止すべく、釘を刺す意味も込めて忠告を残す。


「あ、僕はこれから君が開けた穴の保修に行くけど、そっちはまだ安静ですからねー」


 さよならの合図として手を振ると、伊織は廊下へと視線を向けた。

 顔を逸らす直前、加古川の瞳に光が浮かんだことには気づかないまま。

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