第5話 君が世界に存在している意味を

「へっへっへ、毎度あり」


 一六階層から地上に通じる穴の先、光明の果てで待機していたのは浮浪者然とした汚泥と解れに塗れた服装に身を包む男性。そして掘っ立て小屋とでも揶揄すべきベニヤ板と廃材で構築された、凡そ住居と呼ぶには不釣り合いな空間であった。

 地上より伸ばされたロープを頼りに歩いて三〇分は経過しただろうか。

 伊織が穴に落下した時には地上を照らしていた太陽も、気づけば燈の輝きを残滓とするばかり。天上では漆黒の帳が今か今かと幕が下りる時を心待ちにしていた。

 ボロ切れを服と言い張る浮浪者は、穴から出てきた二人へ品のない笑みを送ると加古川は不快気に奥歯を噛み締めた。


「はぁ……またお前を頼る羽目になるとはな。クソ爺が」

「今回は二人か。珍しいじゃないか、加古川。お前がパーティーを組むなんて」

「パーティーなんかじゃねぇ。コイツはどっかの馬鹿が掘った穴から落ちてきたんだよ、同業者ならソイツを締め上げといてくれ」

「それは依頼かい?」

「願望だよ、ボケが」


 二人は過去に顔を合わせたことがあるのか、と首を傾げる伊織。しかし冷静に考えれば、確かな足取りで穴を目指した以上は、過去に頼ったことがあるのは明白であった。

 合点がいき、両手を合わせる少女を他所に男二人は互いに話を進める。


「ま、ともかくだ。二人で出たならそれぞれがダンジョンで得た素材を二割貰おうか」

「それぞれだァ。こいつは落ちてきたって言ってんだろうがッ、そっちからも取る気か?!」

「当たり前だろ、お前の事情なんぞ知らんよ。こっちも商売なんだからな」

「クソがッ。そもそもこいつは何も取ってねぇんだよ」

「だったらお前が彼女の分も払うしかない、なぁ?」


 仲がいいとは口が裂けてもいえない剣呑とした様子だが、同時に二人が各々の得物をと出す様子も伺えない。加古川が義手で殴れば浮浪者が無事で済む保証はなく、そして浮浪者側も壁に立てかけた大剣を一瞥さえしない。

 渋々布袋からダンジョンで拾った素材を取り出す少年の姿も、違法にダンジョンを潜っている外側冒険者という第一印象からは乖離したものが受け取れた。

 だからなのか、伊織の口から場にそぐわない素直な謝意が零れたのは。


「ありがとうございますです。感謝ですお二人に」

「こんな奴に頭下げんな。下に見られる」

「へっへっへ、お嬢さんの方はよく分かってるじゃないか」


 支払いが終わったのか、加古川は扉を蹴り開けると浮浪者の住居を後にした。

 伊織がついて行く最中、毎度ありという彼の声に振り返る様子も見せず、少年は苛立ちを所作に現しながら先を進む。

 くり抜かれたベニヤ板から見える光景だけで相応の予想はついたものの、外の光景は伊織の脳裏に戦場の二文字を連想させた。

 半壊し、隣合う建造物に支えられた高層ビル。窓が砕かれ、無機質な風を受け入れるばかりの廃墟。政府の手が介在せず、割れたアスファルトからは無数の雑草が生い茂って我が春を満喫している。

 古都とは神宿区が新宿と呼ばれていた頃、ダンジョン発生に伴う混乱で秩序が崩壊し、政府が放棄した地域に与えられた名である。故に橋を挟んだ先にある都市部とは異なり、崩壊した建造物の多くが当時の姿のまま残されている。

 行き交い散見する人々は薄汚い服装と反比例して、皆一様に眼光をギラつかせていた。成り上がりを夢見るように、幻想に囚われ正しい判断がつかなくなったように。

 伊織が見慣れない様子で左右へ首を振る中、加古川は何度か拳を握り、そして開く義手から不自然な軋みが木霊させる。


「チッ。今回の分で修理費が溜まる算段だったってのに……」


 苛立ち混じりの眼光を義手へ注ぐ加古川。

 しかし湧き立つ感情を伊織へぶつけるつもりはないのか。もしくは興味自体を抱きたくないのか。

 すぐ側を歩く少女へ視線を向けず、ただ鋭利な視線を一点へと注ぎ続ける。

 尤も、声にして出力している以上は隣に立つ伊織の鼓膜を震わすのもまた自然。なまじ無意識に零した愚痴であったが故に、彼は横の少女が沈鬱な表情を浮かべていることに気づかない。

 まして、顔を上げた際に慌てて顔色を変えられてはヒントの一つも見当たらない。


「つうか、いつまでついて来るつもりだ。橋はあっちだぞ?」

「いや……こんな時間帯にJKを一人にするつもりですか。こんなどこに暴漢がいるか分かったもんじゃない場所で。もう遅いですし、せめて今日だけでも泊めて下さいです」


 少女の要求に不服そうな表情で返す加古川。

 彼がダンジョン内で伊織を助ける義理さえなかったのは承知している。そこに更なる要求を求めている不届きなことも。

 だが、ここで離れてしまえば恩を返す機会を永遠に失ってしまう。

 伊織は漠然とした確信を胸に秘め、口を開く。


「明日もダンジョンに潜るんですよね。だったら、その時に今日の分も纏めて返すから、それで……!」

「ざけんなッ。素人がダンジョン潜ったところで何ができんだよ、足引っ張るのが関の山だろうが!」

「ッ……で、でも、そうでもしないと回復薬の支払いだって……!」

「んなの家に帰れば金くらいあんだろッ。それともテメェはマンホールの中ででも暮らしてんのかッ、ア゛ァ゛ッ?!」


 伊織の軽率な思いつきを咎めるべく、加古川は怒気を剥き出しにして唾を飛ばす。機械義手の軋む音は彼の真剣な表情と相まって少女の背筋に冷や汗を流し、頬を引きつらせた。

 漆黒の瞳孔を収縮させ、少年はなおも言葉を続ける。


「遺産だかバイト代だかはともかく、高校に通ってんなら金はあるはずだろッ。わざわざダンジョンに潜るまでもなく、そっちで金を用意しろや!」

「でも、こんな危ない場所を美少女一人で歩く訳にも……!」

「それは……あぁぁぁ!!!」


 少女の指摘に顔を上げると、事実として空模様は帳が下りつつある。確かに女子高生を一人で帰路につかせる訳にはいかない時分に加古川は奇声を叫び、周囲の視線を一身に集めた。

 乱暴に掻き毟られる白髪が宙に舞う様を一瞥し、当事者たる伊織は一歩距離を置く。

 加古川が視線を集めるということは、必然として伊織もまた注目の的になるということ。共感性羞恥にも似た感覚が彼女の心中で顔を覗かせ、知らず両手で顔を覆っていた。

 すると、苛立ちを前面に押し出した男が少女へ顔を近づける。突然の出来事に伊織は更に距離を取るも、加古川はひたすらに間合いを詰める。


「今日だけだッ。今夜だけ泊まって、明日にはすぐ帰れッ! 分かったな?!」


 強烈な圧は、否応なく少女に一つの回答を強要した。


「は、はいです……!」



「んー、何かあるのかなー?」


 加古川の奇声は、行き交う人々の注目を集めた。

 浮浪者然とした男。斧を担いだ蛮族染みた格好の冒険者。そして路上生活に慣れた衣服に頓着しない人物。

 彼らの脇をすり抜け、一人の華奢な少女もまた二人のやり取りを一目するべく歩みを進めていた。

 黒の外套に身を包み、下に同じく黒の和服を着用した少女。燈と闇の狭間とでもいうべき時分の中を、白の下地に彼岸花が描かれた和傘を差している。注視すれば、和服の下半身部分にも彼岸花が咲き誇っていた。

 白髪の下に存在する淡泊な顔には、軽薄な笑みが存在を主張している。


「はいはーい、退いた退い……」

「おいゴラッ、何割り込んでんだガキ?」


 そして真紅の瞳が機械義手の少年、更には彼に圧をかけられるカーディガンの少女を目撃する。

 剥き出しのシリンダーやチューブなど技術の未成熟さを殊更強調した代物は、本来なら市場に出回らず研究さえ終われば倉庫で埃を被って然るべき存在。不正に横流しされたことを疑わせる品の名に、少女は心当たりがあった。


「丙式局地災害攻略用義手、確か開発コードは虚乃腕うつろのかいな……だったかな」


 小柄な少女に熱っぽい視線を注がれていることに気づかず、問答を終えた二人はやがて帰路へと着く。

 一方で肩をぶつけられた男は、不満に声を荒げても視線を動かさない少女へ文句を言うために肩へ手を伸ばす。


「何無視してんだよッ?!」

「は?」


 瞬間、鈍い音が古都を震わせた。


「あ、が……!」

「キャハハ、喧嘩を売る相手は選ばないとだよ。お兄さん?」


 男の鳩尾に吸い込まれた和傘の先端が、天高く突き立てられる。少女の嘲笑染みた声音は周囲の野次馬に距離を取らせ、風に揺れた漆黒の外套をはためかせる。

 苦悶の表情を浮かべて口内から血と涎の化合物を垂らす男には目もくれず、真紅の瞳は真っすぐ少年達が向かった先へと注がれた。


月背つきせの奴にも教えてあげないとね。アイツこそ、彼と戦うのが愉しみだろうしね。キャハハ」


 軽薄な笑いが夜闇に染まりつつある古都の風に吸い込まれ、大気へと霧散していく。

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