記憶
「えっと……ここの席」
小豆色のレトロな車両に乗り込むと、中は絵に描いたような寝台列車だった。
白色の布団には一つ一つ桜の花が刺繍されていて、仕切りや机が売店と同じ飴色の木で作られていて可愛い。
「この世界って可愛いね」
そう言って顔を向けると、クロミツは金色の目を細めて笑った。
発車してしばらくすると、クロミツは自分の席から私の布団に足を崩して座る。
「さっきも言った通りここは狭間の国。この世とあの世を繋ぐ死者と妖怪の国」
カーテンを開けると、外は橙色の小さな光を纏った石や木製の街が見えた。日本とは違い、高い建物は時計塔や物見台ぐらいしかない。
「御前達死者は眠っている間にこの世から狭間の国に訪れるの。死者は死ぬ直前にここに落とした記憶のカケラを探さなきゃいけない」
そこまで話すと、クロミツは一つ欠伸をこぼす。淡い光に包まれた彼女はみるみるうちに縮んでいき、元の黒猫へと戻った。
「御前は、名前以外に何か覚えてる?」
「……え?」
言われるまであったはずの記憶が、忽然と消えていく。私の、記憶?
えっと、えっと……、私は今何歳?どこで生きていた?家族は?友達は?何してた?
「わ、分かんない……何にも……!」
この国に来るまで私は確かに、陽菜として生きていたのに。はじめから何もなかったみたいにいくら考えても思い出せない。
「陽菜、落ち着いて」
クロミツが私の膝に前足を乗せる。
「今は忘れてるかもだけど大丈夫。妾が一緒にカケラを集めてあげる」
金色の瞳が私をまっすぐに見つめていた。記憶のカケラを、集める……。
「カケラを全部集め終わったら記憶は取り戻せる。そうしたら御前達は閻魔裁判にかけられて天国か地獄のどっちかに導かれる」
明治時代の日本のような、それでいて現実離れした外の風景は、余所者の私を試すようにしている風に見えた。
「陽菜、できる?」
「……うん、よろしくお願いします」
我ながら不安が顕著に出ている弱々しい声で、どうにか頷く。
クロミツは猫らしからぬ表情で不気味に美しく笑った。
「狭間の国に、ようこそ」
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