afterstory


あの日、俺は託された。

俺と、彼女を繋ぐかけがえのない宝物を。

そしてそれから数日後。


——聖女が死んだと、知らされた。



♢


「ぱぁぱーご飯なぁにぃー?」


あれから数年。

俺はこの家で娘と二人、仲良く暮らしている。

「こら、リーエ。まだ熱があるんだから、寝てないと駄目だろう?」

「だって、お腹空いたもんー!」

俺はこの子にリーエという名前を授けた。

彼女に付けた名前と同じ名前にしたのは、「リーエ」という名前をもう一度呼びたかったから。

そして、彼女と同じように沢山笑って欲しかったから。


リーエの身体は弱かった。すぐに風邪をひくし、いつも熱がある。

一度咳をすれば、三日は止まらない。

もしかしたら、母親も元は身体が弱かったのだろうか、なんて考えながらリーエの元に駆け寄る。

「じゃあ今日は、リーエの好きな食べ物にしよう。何がいい?」

「んーとね、……スープ!ぱぱのお野菜たっぷりの!」

リーエは良く笑う子に育った。優しくて、愛らしくて。本当、母親似のいい子だ。

「うし!なら上手いスープ作ってやるから、それまでは部屋で寝てな。分かったか?」

「うん!ぱぱのすーぷまってる!」

身体が重くて、本当はしんどくて堪らないはずなのに、リーエはいつも笑う。

だから俺も、負けじと笑ってリーエの頭を撫でた。

とてとてと、リーエは階段を登って、自分の部屋に戻る。


「……さて、と。折角なら、畑から収穫したての野菜を持ってくるか。その方が栄養もあるし、リーエも喜ぶだろ。」


間もなく日も暮れようとしているが、走れば日が落ちる前には戻って来れるはずだ。

俺は急いで準備を整え、畑に向かう。

玄関を開けると、肌寒い風が吹き抜ける。思わず身震いしそうになりながら、1歩外に踏み出した。

轟々と真っ赤に燃える太陽を見ながら、一人呟く。


「——今夜は、冷えそうだな。」




♢


リーエの好きな野菜。

オレンジや、緑や、白。色取りどりの野菜をカゴいっぱいに詰め込んだ。

「……ふう。こんなとこか。」

思った以上に張り切りすぎた結果、二人では到底食べきれない量の野菜が集まった。

形の良い野菜を探す事に夢中になっていたせいで、気が付けば日は落ちてしまっていた。

「やっべえ!急いで帰らないと……!」

籠を持って、家路につこうとしたその瞬間。


ざくっ。ざくっ。


土を踏みしめる音が響く。

それは、俺のものでは無かった。

ざくっ。ざくっ。ざくっ。ざくっ。

しかも一つでは無い。複数の足音。

そして何やら金属同士がぶつかって、ガチャガチャと音を立てる。

ここまで来れば、やっと理解出来るだろう。


——何者かが、近付いてくる。


日が沈み、人気が減るこの時間を狙ってこの畑に近付いてくる物。

普通に考えて、怪しいに決まっている。

「……だれだ?」

こんな時に限って、用心用の短剣を忘れた。

ゆっくりと腰を落とし、籠を土の上に置く。

暗がりのせいでその素顔は見えない。


「——貴殿、ルエーデル殿とお見受けする。」


聞いた事の無い、男の声。

月明かりが、ゆっくりと顔を出す。

俺の目の前できらりと輝く銀色の羽衣。

「……確かに、俺がルエーデルだ。」

自分の目の前にいる集団に、俺は目を疑う。

胸元に刻まれたのは、誰もが知る家紋。

この国にいれば、必ず目にするその紋様は……。


——帝国騎士団の紋様。



何故。どうして。そんな疑問を浮かべるよりも先に答えは見えていた。

彼らを見た瞬間、頭に過ぎった一人の少女。

つまり、こいつらの目的は……。

「——俺の娘になんの用だ」

「それは、貴殿が知るべき事柄では無い。今、貴殿が知るべきは——自分の死地だ。」

先導して歩いていた男の手が、夜空に掲げられる。

その瞬間、他の兵士達は腰からぶら下げていた鞘から剣を抜いた。

どくん、と心臓が跳ねる。

嫌でも、突きつけられた剣先と現実から全てを悟る。

脈打つこの鼓動も、大きく膨らむ肺も、大切な彼女を抱きしめたこの指も。


——ああ、俺はここで死ぬのか。


もうすぐ全てが動かなくなる事を、俺は悟った。

じりじりと、彼らが迫ってくる。

ったく。折角ここまで食料を取りに来たのに。新鮮な野菜が、全部駄目になっちまう。

リーエは、家で言いつけ通りに寝ているのか。

今夜は酷く寒いから、体調が悪化しないように夜通し見ていてやりたかったのに。

きっと目が覚めたら、ぱぱぁ、って元気に笑うんだろうなぁ。

足元に抱きついて、動きにくいって何度言っても離れようとしなくて。

目を離すとすぐに何処かに行ってしまうから、いっつも気苦労が耐えなくて。

でも、そんなアイツに振り回される日々は嫌いじゃなかった。

俺の名前を呼ぶ度、その声が魂に反響して心が揺らぐ。

ほら、今でも耳を澄ませば、俺を呼ぶ君の声が……。


——あれ。俺は誰の話をしていたんだっけ?


はっと、我に返ったその刹那。

自分の目の前には鋭く尖った剣先があった。

瞬きをした、たったその一瞬で。

刃は意図も容易く、俺の心臓を貫く。

「……くはっ」

何が起きたのか理解するのに数秒かかった。

頭の中で全ての事柄を整理した後、口元から液体がたらりと、地面に落ちる。

赤くて、黒くて、ドロっとしたその液体が、土に斑点の模様を付けていく。


ぽたっ。ぽたっ。


胸元に触れた手のひらには、赤い血液がベッタリと付着していた。

静かに、音もなく視界が揺らぐ。境界線が曖昧になっていく。

力なく倒れた俺の身体は、もう指先すら動かせない。

「恨むのなら、この結果を作った聖女を恨むのだな。」

遠くの方から、そんな声が聞こえる。

「だが安心したまえ。君の娘は、皇帝陛下の計らいで今よりも良い処遇を約束しよう。だから……安心して、逝くがよい。」

ああ。そうだ。俺の娘。大切な愛娘。

守ると誓ったのに。絶対に幸せにすると、そう決意したのに。

……駄目だ。あの子の元に行かないと。

寂しがり屋で、人懐っこくて、笑顔が華のように美しい、あの子に……。



「——りー、……え。りー、り、え。」


何処からか、声がする。沢山頑張ったねって。

早くおいでって。

愛おしい声がする。

そっか。俺はやっと。やっとまた、君に会えるのか。



俺がずっと愛した少女。彼女の名前は……。




「団長。——男の死亡を確認しました。」

一人の下っ端兵士が、大柄の男に報告をする。

大柄な男の持つ剣には、べっとりと赤い血液が付着していた。

「そうか。……この男が最後に呼んだ名前。」

「はっ、名前、でありますか?」

「ああ。あれは娘の名前か?確か……」

命乞いをするでもなく、死にたくないと暴れ回る事も無く。

ただそれが、運命だったとでも言わんばかりに自らの死を受け入れた哀れな男。

地面に這いつくばって、最後に絞り出したその名前。恐らく、最愛の娘の名前だろう。


「——リーリエと、そう言っていたな。」


大柄の男の言葉に、兵士は首を傾げる。

「自分には何と言っていたか聞き取れませんでしたが……。」

「そうか。……まあいい。直ちに城に戻り、陛下にご報告するぞ、総員、速やかに帰還せよ!!」

そう。大柄の男にとって、それは考えなくても良い事だった。

殺した男の娘が、一人死の淵に立っている事も、その幼い少女の前に、不穏な黒い影が立ち込めている事も。


——自分が殺した男の娘が、ある者の駒になる事も。


大柄の男は全て、何も知らない。知る由もない事だ。

男は、兵士達を連れて人目のない道から城へと戻る。

その道中、微かな笑い声が聞こえたような気がした。


ある男と女の、笑い声。清々しいほどに済んだ声は、闇の中へと消えて行った。



♢


この物語は、前唱に過ぎず。

この物語は、前日譚に過ぎず。


死の淵から脱し、目を覚ました少女が、次に目撃するのは沢山の馬車。

煌びやかな彫刻で掘られた馬車が家の前に止まっている。

そして、そこから出できた男は少女に手をさし伸ばす。

何も知らない、無垢な少女。自分が道具として招かれるとも知らずに、少女はその手を取る。


さあ、さあ。魔法にかけられて。少女は一瞬でお姫様に。

素敵な名前も与えましょう。素敵な生活を与えましょう。

君は誰って?僕は君の案内人。胡散臭いだろうけれど、これでも偉い人なんだよ僕。

メフィ……っと。君にこの家名を言っても分からない、か。


なになに?質問かい?いいよ、僕に答えられる範囲なら。

——父親が何処に行ったか?

そうだねぇ、君の父親は、君を捨てたんだよ。

あの寒い夜、食料を取りに行くと嘘をついて、あの家を出ていったのさ。


——嘘よ、って?


本当の話だよ。だって現にほら、君の父親は帰ってこなかったじゃないか。

でも、もう安心して。これからは何不自由の無い生活が君を待っている。その病気も、すぐに治るだろう。

ほら今から、美しい庭園を駆け回る事が楽しみだろう?


それじゃあ、そんな素敵なプリンセスに新しい名前をあげよう。

これから先、君はこの前を名乗ると良い。きっと誰もが羨むだろう。

……何故って?だって君は、公爵家の娘になったんだから!!




——リーリエ・L・ドールメール。



それが、君の新しい名前だよ。

さあ。ここまで随分と遠回りをしたけれど。それじゃあやっと……。





——物語を始めよう。



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蕾の中の罪 桜部遥 @ksnami

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