ファイナルキル3

「はぁ?警察?だから何?」

 私は吐き捨てるように刑事に言った。こっちが悲劇のヒロインとして絶賛感傷に浸り中でいい所なのに警察ですじゃねぇよ。空気読めよおっさん。

「逮捕します」

 刑事がスーツの懐に手を入れるのと同時に私も気づかれないようにバッグに手を入れて、素早くナイフを取り出し手に持った。刑事が手錠を出した瞬間、その手を思いきり切りつけた。

「常田さん!」

 おばさんが叫んだ。おばさんはよく見たらばばあだった。

 常田っていう刑事は痛みに悶えながらも手錠は手放さなかった。

 常田が私から視線を外した一瞬の隙に私は素早く立ち上がって東宝ビルに向かって走り出した。


「待て!」

 常田とばばあが走って追いかけてくる。ナイフを持って走る私の姿を見て、歌舞伎町を歩く人たちが悲鳴を上げる。みんなが私を避ける。私の目の前に面白いように走る道ができた。

 東宝ビルに入る直前でどこから来たのか、制服姿の警官が私の前に立ち塞がった。どこから来たって交番か。すぐ近くにあるもんね。

 私はバッグから熊のぬいぐるみを取り出して、左手に持ったままかまわず警官にぬいぐるみの顔を向けながら走って突っ込んでいく。お願い!ぬいぐるみの方を見て!

 警官が固まって動かなくなった。やった!見てくれてありがとう!私は警官の横をすり抜けて東宝ビルに入る。後ろを振り返ると警官は膝から崩れ落ちていた。

 常田とばばあはすぐ近くまで来ていた。でも、ばばあの方は疲れたのか、倒れてる警官の所で膝に手をついて立ち止まった。常田だけが私を追いかけてくる。

 

 たこ焼きとカレーの匂いに包まれながら東宝ビルの奥へと逃げる。レストランで食事をしてる人たちが口をあんぐりと開けて驚くように私を見ている。なんで逃げてるんだろう。分からない。捕まるのは覚悟してきたはずだったのに。

 ホテルのエントランス入り口の直前で私は立ち止まった。いつまで続くのか分からないこの追いかけっこをもう終わりにしよう。

 私は後ろを振り返る。常田が目の前にいた。私はぬいぐるみを常田の顔に向かってかざした。

「常田さん!ぬいぐるみと目を合わせちゃだめ!」

 いつのまにかまた追いかけてきたばばあが叫んだけど遅かった。

 

 常田の体が固まった。目が血走って、皮膚の色がみるみるうちに紫色になっていく。ぬいぐるみから黒い煙が出てきた。その黒い煙は常田の体の横で、大人の女の形になった。黒い煙の女は、ぎゅうぎゅうと常田の首を両手で締め上げている。黒い煙の女が私の方を見た。真っ黒でのっぺらぼうな顔の中に白くて丸い二つの目玉がぎょろっと剥き出しになって光った。そして鼻と口が現れて顔ができた。その顔が恐ろしい形相になって私に向かって低い声でこう言った。

「しょもない男は殺せ!しょうもない男は殺せ!しょうもない男は殺せそれか自分を殺せ殺せ!」

 いつも頭の中で鳴り響いていた声だった。


「自分を殺すなんて嫌!ぬいぐるみの癖に喋るな!あんたみたいに私はならない!」

 私はそう叫んで常田にナイフを向けた。

 その瞬間、近くまできていたばばあが私に体当たりしてきて、ナイフを私から取り上げようとした。刑事なのに慣れてないのかへなちょこな体当たりで、上手くいかなかったみたいだ。揉み合って二人して倒れた。気づいたら弾みで、ばばあのお腹にナイフが刺さっていた。私はそれを引き抜いた。血が吹き出た。

 周りで見ていた人たちから悲鳴が上がる。みんな散り散りに逃げていく。

 なんとか意識をギリギリ保っていた常田がふらふらと、ばばあに近づいていく。

「草間さん!草間さん!大丈夫ですか!」

 そう常田は叫んだ。

 私は血が滴るナイフとぬいぐるみを持って立ち上がってまた走った。どこへ向かったらいいんだろう。

 ホテルのエントランスを抜けてビルの外へ出た。サイレンの音が聞こえた。


 とりあえず右に行く。タチバナビルの看板が見えた。私が初めて、今も大事に抱えている熊のぬいぐるみと出会った場所だ。

 初めてこのぬいぐるみを見た瞬間、運命を感じた。気が狂いそうなほどにかわいくてかわいくて、そしてなんだか他人とは思えなかった。ぬいぐるみなのに他人とは思えないっておかしいよね。人じゃないもん。ぬいぐるみだもん。でもそう感じたんだ。今はなぜそう感じたのかその理由が分かる気がする。

 とにかく熊のぬいぐるみを私の物にしなけゃいけないって思った。私の手元にあるべきだって思った。

 ぬいぐるみは私を助けてくれた。ぬいぐるみがあったから私はやり遂げられたんだ。私を傷つけたしょうもない男たちを殺せたんだ。最高のパートナーだったんだ。

 私とメルちゃんの間には絆はなかった。でも私とぬいぐるみの間には確かに絆があった。時間と空間を超えた強い絆が。

 私のぬいぐるみを抱える力がぐっと強まった。


 タチバナビルの前に来た。どっちに行こう。そう迷っていると、私の足に何かがぶつかった。

 下を見る。私が抱えているのとまったく同じ熊のぬいぐるみを抱いた小さな女の子がそこにいた。

 その女の子はラブホテルが密集してる方の路地に向かって走り出した。しばらく行くと立ち止まって振り返ると私に向かって手招きをした。こっちへ来いってこと?私は女の子について行くことにした。


 先を行く女の子は時々立ち止まると、後ろを振り返って私に手招きした。そんな事を繰り返しながら真っ直ぐ路地を進んでいく。しばらく行くと女の子は突然白いビルの中に入っていった。第六コーワビルだ。このビルの事は知っている。歌舞伎町の有名自殺スポットだ。


 第六コーワビルはホストクラブが沢山入居しているビルだ。ホストに狂って病んだ女の子がたくさん屋上から飛び降りた。なんで私はここに連れてこられたんだろう。

 先を行く女の子はビルの奥にある非常階段を登っていく。時々立ち止まって手招きする。どんどん上に上に登っていく。そして一番上の階までたどり着いた。

 立ち入り禁止の張り紙がしてあるドアの前で女の子は立ち止まる。そして私の顔を見上げた。開けろってこと?私はドアノブに手をかけた。ノブを回す。ドアはなぜか開いた。真っ青な空が目に飛び込んできた。私は屋上に出た。

 

 サイレンの音が下で鳴り響いていた。ビルの縁まで行って下を覗く。車からたくさんのスーツ姿の人が降りてきて、ビルに入っていくのが見えた。

 小さい女の子は気づいたらどこかに行ってしまった。


 私はしゃがみこんで、ビルの縁の壁に持たれかかった。空を見上げた。疲れた。もう動けない。ここへ来て私は何をするべきなのだろう。

 そういえばマイナちゃんとこの屋上に来たことがあったかもしれない。マイナちゃんの通ってるホストクラブがこのビルに入っていたんだっけ。こうやって座って二人で星空を見ながらお酒を飲んだんだっけ。そしたら飛び降りるっていう女の子がやって来て、二人して必死に説得して自殺を止めたんだっけ。

 懐かしい。遠い昔のように感じる。凄く楽しかったな。楽しかった思い出に浸りながら死ぬのも悪くないのかもしれない。

 気づいたらビルの縁の上に立っていた。ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。今までで一番強く抱きしめた。今までありがとう。くまちゃん。


 ドアが開く音がした。振り返るとスーツ姿の男の人たちが拳銃を構えながら屋上に入ったきた。常田の姿もあった。みんな私の方にジリジリと寄ってくる。

「誰か!何人か下に戻れ!」

 スーツ姿の男のうちの誰かが叫んだ。私は下を見た。


(しょうもない男は殺せそれか自分を殺せ───)

(自分を殺せ自分を殺せ自分を────)


 頭の中で声がした。私は最後に自分を殺すことにし

た。

 私は飛んだ。真っ直ぐ下へと落ちていった。


  

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る