ファイナルキル

ファイナルキル1

 おじさんのマンションを出発して一時間くらいで新宿に着いた。青空がずっとずっとどこまでも広がっている。良いお天気だ。気持ちいい。こんなにも良いお天気になって本当に良かった。メルちゃんに会える日にふさわしい。

 おじさんは車を西部新宿駅の前に停めた。ここからなら歌舞伎町タワーにすぐつく。一目にあまり触れずに会場まで行ける。私は黒マスクをつけて伊達眼鏡をかけた。ここに来る途中にあった百円ショップのダイコーで買ったやつ。一応メルちゃんに会うまでは変装しておこうと思った。


「じゃあお兄さん行ってくるね」

 私はそう言いながらバッグの中からおじさんのスマホを取り出して、おじさんに手渡した。おじさんの行動を縛るために取り上げたスマホだったけど、もういらない。

「いいの?」

 おじさんはきょとんした表情でそう言った。少し寂しそうだった。

「いいよ逃げて。たぶん私今日捕まると思う。さすがに」

「そうかぁ」とだけ言っておじさんは手のひらに置かれてたスマホを握りしめた。

「私が捕まったらお兄さんもたぶん捕まると思う。私は正直に言っちゃうからね逃げた方法を」

 おじさんはなげやりに「別にそれでもいいや」と言って横の私から正面に顔の向きを変えた。

「でも良かったね。こんな若くてかわいい女の子と、しまくらとかダイコーで腕組んでショッピングデート出来て。ホストとアフターでそれやるとしたら、いくらのシャンパン入れればいいんだよって感じだからね?」

 おじさんはそれを聞いて、顔をもう一回私の方に向けて真顔でこう言った。

「殺人犯とのデートは確かに貴重な経験でした。ありがとうね」

 私はその言葉とおじさんの表情がおかしくて声を出して笑った。おじさんもつられて笑った。出会ってから一番大きいおじさんの声を聴いた。

 その後おじさんとしばらく見つめあった。おじさんはうっとりとした表情をしていた。

「お兄さん、私がキスしてくるとか今ちょっと思ってたでしょ!いやだよ!きも!そんなお兄さんに都合のいい展開にしないからね!」

 おじさんは挙動不審になって「そんなこと思ってないです」と言って、また正面を向いた。

 

 私は荷物を持って車のドアを開けた。外に出ながら早口でおじさんに最後の言葉をかけた。

「じゃあねお兄さんバイバイ。お兄さん捕まったら警察にミズキちゃんはかわいくて良い子だったって証言してね。私は手を出してこなかった良い人だったって証言してあげるからさ」

 私はドアを閉めると少ししゃがんでおじさんに手を振った。おじさんも手を振った。

 私は車の前を歩いて、運転席の前で立ち止まりもう一回おじさんに手を振った。おじさんは微笑んでいた。

 私は道を歌舞伎町タワーの方へと渡った。歌舞伎町タワーと中華料理屋さんの間の路地を進んだ。後ろは振り返らなかった。おじさんの事はその時に頭の中から消去した。


 音楽が聴こえてくる。かわいらしい女の子の歌声。野太い男の人たちの掛け声。もうすでにライブは始まってるみたいだった。

 路地を進んで左を見ると大きな空間が開けてる。歌舞伎町タワー前シネシティ広場。そこは昔の私の居場所だった。トー横と呼ばれている。ここで友達が出来た。音楽に合わせて踊って動画を取った。お酒を飲んでわけも分からずめちゃくちゃに騒いだ。地べたに座り込んでお話ししてた。

 楽しい思い出。でも辛い思い出もある。ここに面してるビジネスホテルで私はレイプされた。あの男は今どこにいるのだろう。もし今日ここにいて顔を合わせる事があったらそいつも殺す。私にはかわいいくまちゃんがいる。力を合わせれば、もう何も怖くない。


 歌舞伎町タワーの中に入っていくエスカレーターの横にステージがあった。ステージの横あたりに今日のイベントのタイムテーブルが書かれたボードがあった。たくさんのアイドルが三十分ずつ順番に出演する。その中に鬱鬱少女の名前もちゃんとある。広場がお客さんのエリアみたいだった。お客さんのエリアは柵で仕切られている。その入り口の所にはスタッフらしき男の人が立っている。

 なるべく前で見たくて、ステージに近いエリアに入ろうとした。そうしたらスタッフの人に手で遮られた。

「チケットの方確認してもよろしいですか?」

 スタッフの人は優しくそう言った。このエリアに入るにはチケットがいるのか。そういえばツイッターの告知にそんな事が書いてあったのを思い出した。

「ここのエリアはチケットがないと入れないんですよ。後方に無料で見れるエリアがあるのでそこでご覧ください」

 当日券があると書いてあったのを思い出してスタッフの人に聞いてみたけど、当日券はすでに売りきれていますと言われた。

 私は素直に後方のエリアに行くことにした。

 そこに行くまでにたくさんの人とすれ違った。でも誰も私が逃亡中の殺人犯だなんて思ってもいない感じだった。


 後方のエリアに着いた。ぎゅうぎゅう詰めだった前方のエリアに比べると人はまばらだった。

 地面に荷物を置いて、ステージの方なんて見ずに輪になって音楽に合わせて叫んだり踊ったりして騒いでる若い男の子の集団がいた。トー横らしい風景だと思った。

 後方のエリアからだと、踊っているアイドルの子たちの姿は見えるけど、細かい表情までは見えない。ここにいてもメルちゃんは私に気づかないだろうな。

 時計を見る。十三時半。鬱鬱少女の出番まであと三十分。

 黙ってステージを見ていると、一人の男の人が私に話しかけてきた。私の顔をじっと見ている。もしかしてもう見つかってしまったのか。そう思ったけど違った。

「もしかしてサブリミナルトキメキの中村さつきちゃんですか?」

 私をどこかのアイドルと間違えて声を掛けてきたらしい。

 私は少し挙動不審になりながら「違います!」ときっぱり言った。

 そうするとその男の人は「よく見たら違いました!ごめんなさい!」と言ってどこかへ行ってしまった。

 マスクをして伊達眼鏡をかけていたら、変装してお忍びでライブを見に来たアイドルに見えるのだろうか。

 とにかく殺人犯だとばれなくて良かった。それと同時にアイドルに間違えられた事が少し嬉しかった。


 それから五分後くらいにまた一人の男の人から声をかけられた。私は身構える。でもまた違った。

「スタッフに止められてる所お見かけしたんですけど、もし良かったら前方エリアのチケットあげましょうか?前方エリア人多すぎて窮屈そうだったからチケット使わずに後ろにあえて来たんですよ。チケット無駄にするのもアレなんでどうですか?タダでいいです」

 そう言ってその男の人はチケットを差し出してきた。私はありがたくチケットを貰うことにした。

 私がお礼を言うと「じゃあ楽しんで!」と言って爽やかにその男の人は立ち去った。


 思いがけず前方エリアのチケットが手に入った。これでメルちゃんに近くで会える。

 私はルンルン気分で前方エリアに向かった。入り口のスタッフの人にチケットを見せた。スタッフの人は少し不思議そうな顔をしていたけれど、私のチケットをもぎって中に入れてくれた。

 前方エリアはぎゅうぎゅう詰めで歩くスペースもない。どうしようと戸惑ってると、親切な男の人が「女の子通るから道開けて」と言ってくれた。みんな道を開けてくれて、私はそれをゆっくり進んだ。私が殺人犯だと知らずにみんな親切だ。少し申し訳ない気持ちになった。ずっと歩いていって気づいたらステージから凄く近い所にいた。アイドルの子の表情もよく見える。

 ここならメルちゃんに気づいて貰える。私はここで見ることにした。気持ちが高ぶってきた。鬱鬱少々の出番まであと十五分だ。



 



 

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