3

 エレベーターで一階まで降りる。私も吉川さんも無言だった。玄関ホールから放送局の外へと出ると、すぐそこにタクシーが待ち構えていた。

「心配だから家まで送るからな」

 いつもは私ひとりで放送局から帰っているが、今日はタクシーの後部座席に吉川さんも一緒に乗り込んできた。窮屈さが私の疲れを増幅させた気がした。


 夜遅くの道は空いていて、順調にすいすいと私の住むマンションへと向かっていく。

 私と吉川さんはまったく同じように無言で、自分側にある窓から外の景色を眺めていた。そんな中、吉川さんが唐突にこっちを向いて話しかけてきた。

「不気味な女の声が聞こえたって言ってただろ。あれ先週の放送中も聞こえてたのか?」

 私は先週の事を思い出す。あの時は私もただの甲高いノイズにしか聞こえてなかった。

 その事を伝えると吉川さんは「不思議な話だな」と言ってまた窓の方に顔を向けた。だけど話しは続くようだった。


「残念だけど番組終わるかもしれないな。でもメルのせいじゃない。運が悪かっただけだ。心配するな俺がまた新しい番組探してきてやるから」

 吉川さんの気遣いは素直に嬉しかった。運が悪い。確かにそうかもしれない。

「そうだ。日曜お昼の情報番組のコメンテーターの仕事取れるかもしれない。毒舌活かせるぞ」

 毒舌か。今回の件もその毒舌のせいでこんな事になったのだ。なんだか毒舌という自分のキャラに急に嫌気が差してきた。一生懸命求められる物をやってきたけど、元々少し無理してやっていた所はあるのだ。

「もう私、毒舌やりたくないです……」

 言葉にしてみたら急に悲しくなって涙が出てきた。自分でも信じられなかった。

 吉川さんは私が泣いてる姿を見て溜め息をついたあとこう言った。

「そうか。まぁ今回の事をきっかけに毒舌からシフトチェンジするのも悪くないかもな」


 そうこうしてる間に私の住んでいるマンションの前にタクシーは着いた。

「なんか変なこと言ってすいませんでした。今日一日ご迷惑おかけしました」

 そう言って私は吉川さんに頭を下げた。毒舌キャラを仕込んで私をテレビに出させてくれた人の前で、毒舌やめたいと泣くなんてよく考えたら恩知らずな行為である。申し訳ない気持ちで一杯になった。

「いいよいいよ。じゃあゆっくり休んでな。お疲れ!」

 吉川さんは軽く手を上げて私にそう言った。

 タクシーのドアが閉まって、そして走り出す。私は遠ざかって行くタクシーに向かってお辞儀をした。


 鍵をあけて部屋の中に入る。照明がついていて明るい。そして元気よく「おかえり!」と言う大きな声が聞こえてきた。ルームシェアしている酒井マリナ、まりなっぺの声だ。

 まりなっぺも私と同じ鬱鬱少女のメンバーだ。グループの立ち上げから五年、ずっと一緒に活動してきた。苦楽を共にした仕事仲間でもあり、お互いの事をよく理解しあっている友達でもある。グループのメンバー全員仲は良いが、その中でも私はまりなっぺと一番仲が良い。

 他のメンバーは関東の生まれで実家に住んでいるが、私は北海道、まりなっぺは広島という地方出身だ。上京して家族から離れなければならなかった私たちに、事務所がマンションを用意してくれた。そのマンション一部屋に二人で住んでいる。


 夜の二十三時過ぎ。まりなっぺはもう寝る準備万端といったパジャマ姿で、リビングのソファーに座ってテレビを見ていた。顔には白いパックが貼り付いた状態だった。その姿を見たら少し元気が出てきた。

「メルたんご飯食べた?パンいっぱい買ってきたから好きなの食べていいよ」

「放送の前にお弁当食べたからいいや」

 まりなっぺはパン屋巡りが趣味でお店にいくと大量に買ってくる。基本的にはひとりで食べてしまうのだが、私がお腹を空かせているとたまに分けてくれるのだ。

 私は荷物を適当に床に置き、隣に座るとまりなっぺに抱きついた。

「ちょっとお風呂入ったばっかりなんだからやめてー!メルたんこんな甘えてきてどうしたんだい?」

 まりなっぺがふざけた口調でそう言うと私の頭をぽんぽんと軽く叩いてくれた。

「ラジオ終わるかもしれん」

 私はそう言うと抱きつく力を強めた。

「まじで?やっぱ事件の影響?」

「うん。なんかもう毒舌キャラ無理かもしれん。やりたくなくなってきたわ」

 まりなっぺはそうかそうかと言いながら背中をさすってくれた。その行為で、今日一日全身に吸い込んだネガティブで悪い空気が全て清浄された気がした。私はまりなっぺから離れた。


「メルたん普段は毒舌とか吐かんしな。無理してるもんな。私ら弱小事務所の若い女がテレビ出ようと思ったらお馬鹿キャラか毒舌キャラやるしかないから辛いよな」

 まりなっぺは本質をずばりと言い当てる。頭がいい。

「私本当は王道アイドルやるつもりだったのにどうしてこうなった!ドラマや映画やファッション雑誌に出させてくれ神よ!」

 私はそう言って両手を上げてソファーに思い切りもたれかかって天井を見た。まりなっぺはそんな私の姿を見て大声で笑った。辛い事は今まで何度もあった。そんなときはいつでもこうやってふざけて笑いにして二人で乗りきってきた。これが私たちのやり方だった。

「私も王道アイドルなりたかったわ。でも弱小事務所の地下アイドルなんて奇抜なことやらんと目立てないからね。それが現実」

 まりなっぺが溜め息まじりにそう言った。

 

 鬱鬱少女のプロデューサーは元々ビジュアル系バンドのギタリストだった男だ。そのバンドはメジャーデビューしたが鳴かず飛ばずで三年で契約を打ち切られた。プロデューサーはその後、音楽作家に転身。数々のアイドルに作曲した楽曲を提供して実績を積んだ。

 そんな彼に、私たちが所属する事務所がアイドルグループを立ち上げる際、プロデューサー役として白羽の矢を立てた。

 プロデューサーは鬱鬱少女では自分の趣味を爆発させた。ダークで激しい世界観の楽曲ばかりを作った。歌詞も攻撃的な物が多い。鬱鬱少女というグループ名もプロデューサーがつけた。

 こういう風にプロデューサーが自分の趣味をゴリ押ししているかのような地下アイドルグループは鬱鬱少女以外にも実はたくさんあるのだ。

 私もまりなっぺもオーディションを受けた時には、どういうコンセプトのグループになるかは知らされていなかった。だから合格したあと、初めてパフォーマンスする楽曲を聴かされた時、凄く戸惑ったのを覚えている。

 それでもその楽曲をずっとパフォーマンスしているうちに、それが好きだとか、それで元気を貰っていると言ってくれるファンが増えてきた。

 今では鬱鬱少女の楽曲にも、それをパフォーマンスする自分にも誇りを持っている。それでも、自分が本当にやりたかったこと、本当になりたかったアイドル像とはかけ離れていってしまっているという、理想と現実のギャップに少し苦しくなってきているのも事実だった。毒舌キャラだって本当にやりたいことではないし、なりたい自分ではない。

 それでもその毒舌キャラで掴んだ冠番組やテレビの仕事を手放すのも嫌なのだ。自分はどうすればいいのか。このままでいいのか。最近ずっと悩んでいる。そして追い打ちをかけるように今回の事件が起こった。

 つけっぱなしにしていたテレビの画面はドラマからニュース番組に変わっていた。歌舞伎町殺人事件のニュースを今日もやっている。


「明日、歌舞伎町でライブか。なんか怖いね」

 まりなっぺがパックを顔から外してそう言った。

「なんで?」

「もし犯人が、メルのラジオに出た人ならさ、メルのファンってことじゃん?そしたら明日ライブ見に来るかもよ。歌舞伎町だし」

 普通に考えたら逃亡中の犯人が、のこのこと目立つ場所に来るはずはない。だから大丈夫だよと私はまりなっぺに言った。でもその言葉とうらはらに私の胸は不安でいっぱになった。そんなことあるはずないと思っているのに、熊のぬいぐるみを抱きナイフを手に持った女が最前列で私が歌う所を見ている姿を頭が勝手にイメージしてしまう。それが現実になってしまったら私はどう振る舞えばいいのだろう。

「じゃあ私寝るね。あとよろしく。あんまり思い詰めんなよ!おやすみ!」

 そう言ってまりなっぺは寝室に向かった。

 私もメイクを落としお風呂に入って、肌の手入れをして、髪を乾かして、ベッドに潜り込んだ。

 

 目が覚めた。まだ暗かった。寝返りを打とうとしたが体が動かない。金縛りか。初めての経験だった。

 眼球だけなんとか動かせた。お腹の辺りが急にずっしり重たくなった。何かがいる。影が天井に向かって伸びている。

 その影が大人の女だと分かった。冷や汗が出てくる。

 その女は自分の腹に向かって何かを何度も何度も突き刺すような動きをしている。

 呼吸が苦しくなる。声も出ない。相変わらず体も動かない。恐怖が全身を包む。

 女が動きをぴたっと止めた。次の瞬間、私の顔がある方に向かって女が倒れた。女の顔が私の顔のすぐ横に置かれた。女が耳元で囁いた。


(しょうもない男は殺せそれか自分を殺せ殺せ───)


 私は気を失った。


 目が覚めた。今度は明るかった。寝汗をぐっしょりかいていた。

 あれは夢だったのか?


「メルたん起きて!遅れるよ!」

 まりなっぺが私を起こしにきた。

 今日は歌舞伎町でライブだ。行きたくない。体が重い。それでも待ってくれているファンのために頑張って行かなくちゃいけない。

 私は不安に押し潰されそうになりながら、なんとか起き上がって支度を始めた。

 

 



 

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