第34話 エロ触手 VS 女船長(3)

 女船長がわずかに隙を見せた所で、ボクは幾つかのキーワードを追加で口にした。欲望の街で稼ぎ頭として有名だった頃、後ろ盾になっていた組織やボスの名前である。裏社会に通じる人間ならば、これらの名前は聞いたことぐらいあっても不思議ではない。少なくとも、この女船長は知っている。大歓楽街の帝王という異名に反応した時点で、それはもう間違いなかった。


 果たして、女船長の瞳は、興味深いものを探るような目付きに変わっていく。


 この時点で、ボクはひとまずの勝利を確信する。


 問題は、スキルを明かす明かさないの話ではなく、どれだけボクという存在を意識させられるかという点だった。奴隷として生き抜くために、船底に押し込まれてはその時点でおしまいだ。ある程度の自由を得ることは必須である。さらには、たくさんの奴隷たちの中でも一番に目立たなければいけない。出る杭は打たれる? まあ、裏目に出る可能性はわかっている。でも、失敗を恐れていたら、それはそれで悪い方向に流れて行くだけなのだ。


 精一杯に足掻く。


 ボクはやり切ったことに安堵するけれど。


 女船長がしばらく考え込んだ後に話し始めた内容は、完全に予想外のものだった。


「大歓楽街の帝王ねぇ……本当ならば、そんな有名人がどうして奴隷になっているんだか。しばらく前に、欲望の街から突如として消息を絶ったという話は聞いているよ。どっぷりとハマり込んでいた客たちが……ああ、その中でも幾人かの権力者たちは、血眼になって行方を捜しているらしいね。なりふり構わず欲望の街の内部事情に手を突っ込んで来るから、相当な騒ぎになっているとか……」


 ……ん?


「少なくとも、三人だ。欲望の街に実行部隊を送り込めるぐらいの、途方もなく上にいる権力者が三人……いなくなった帝王に、なんとかもう一度会いたいと狂っている。事情を知っているはずの組織のボスとは、血で血を洗うような抗争状態に陥っているとも聞くけれど……」


 ……え、え?


「三愚姫とか、最近では呼ばれているそうだね。正体は、誰にもわからない。知ったら、殺されるだろうからねぇ。色街の贔屓にそこまで執着している姿は、さすがに前代未聞の醜聞だろうよ。これだけド派手にやって、それでも正体を隠し切るだけのパワーがあるってのは……まあ、予想するのはやめておこうか。あたしも、自分の命は惜しいからね」


 ……なん、だと。


 ヤバい。


 全然、知らなかった。


 え、そんなことになっているの?


 いや、本当に?


 勇者パーティーの仲間になるため、ボクは大歓楽街の帝王という立場を捨て去り、欲望の街から旅立った。確かに、めちゃくちゃ稼いでいた自負はあったけれど……。敬意は払われていた。畏怖されていた。でも、そこまで? そこまでのことですか? ボクの消息を巡って、ドンパチが起きるなんて可能性は微塵も考えていなかった。


 やめて!


 私のために争わないでっ!


 ……なんて、決闘するイケメンたちに、涙ながらに訴えかける光景ならば、昔の少女漫画にはよくあっただろうさ。風俗店からトンズラした従業員を巡って、組織レベルの大抗争が巻き起こるなんて、フィクションでも聞いたことねえよ。エロ触手にドハマリするヤツは、バカしかいないのか。頼むよ、一夜の快楽を求める遊びにマジにならないでっ!


 三愚姫。


 まったく、どこのどいつだ?


 常連客の中から、該当しそうな人物を思い出して行くけれど……うん、思い当たる人物が多すぎるね。いや、ボクにわかるのは、あくまでもエロ触手への執着度合いという点でしかないのだけど。VIPということは察せられるものの、本名や顔を隠しながら来店する人間の方が多かったからだ(なにも包み隠さずやって来た女勇者は、それだけ夜遊びに不慣れだったとも云えるね)。


 ……うーん。


 ボクにも、正体はハッキリしない。


 まあ、大陸は広い。ボクを捜していると云っても、そうそう出会うことは無いだろうけれど――。


「あんたが本当に、大歓楽街の帝王だって云うなら……」


 女船長は品定めするかのように、ボクの頬を撫でた。


「奴隷として売るよりも、三愚姫に差し出した方が儲かるだろうねぇ」


 ……あ。


 しまった、そんな話になるのか。


 ボクの最終的に目指すべき所は、もちろん、勇者パーティーとの合流である。三愚姫がそれぞれ何者か知らないけれど、ボクに偏執的に熱狂している権力者ならば、掌中に落ちるのはマズい。奴隷という立場以上に、徹底的に囲われるだろう。勇者パーティーがボクを見つけてくれた場合でも、相手の地位が手を出せない程のものだった場合は、かなり大変なことになる。


 三愚姫に売られることだけは避けなければいけない。


 でも、この状況でどうやって?


 やめてくださいと懇願したところで、女船長の打算的な表情を変えられるとは思えない。情に訴えかけられるタイプでは無いだろう。意見を述べるならば、なにか利益を得られそうな事柄か、興味を持たれそうな事柄か……。


 ボクは、反射的に云った。


「試してみますか?」


「あ? 何を試すって?」


「大歓楽街の帝王……三愚姫というバカたちが、目の色を変えて探し回るぐらいの快楽ってヤツを。本当だったら、VIP以外のお客様はかなり前からの予約が必要で、サービス料も相当頂くんですが……こんな状況ですから、タダでも良いですよ?」


 女船長は、ボクの胸ぐらをつかみ上げてきた。


 腰元からナイフを抜くと、「舐めてんじゃないよ、クソガキ」と突き付けて来る。ボクは視線をそらさなかった。大真面目な提案である。女性に向けて、エッチなことをやってあげましょうか、なんて提案をしているのだ。普通ならば、侮辱である。ボクの場合は、そうではない。徐々に冷静になって来ると、女船長もすぐに気付いたはずだ。三愚姫が求めてやまない、それだけの凄まじく価値あるものが目の前で誘って来ているという事実に――。


 ナイフが鞘に納められる。


「いいだろう、来な」


 女船長は、ボクを手招きする。


 この場から歩き去る前に、部下たちに向けて、大声を張り上げていた。


「後のことは、てめぇらでちゃんとやっておきな! いつも通りの仕事さ、ママがいなくても泣くんじゃないよ。でかいだけの身体に、クソガキよりはマシな脳みそが詰まってんのか、ちゃんと証拠を見せるんだ。さあ、働きなっ!」


 大砲のように、大男たちが雄たけびを上げる。


 一斉に慌ただしくなる甲板の上を、女船長はまっすぐ足早に進み、ボクは慌ててそれに付いて行く。


 そして、喧騒から離れた船長室で、すぐさま二人きりになった。


「あれだけの啖呵を切ったんだ。期待外れだったら、承知しな――」


「ポチ」


 船長室の鍵を閉めた所で、ボクは虚空の穴を開いた。


 エロ触手が今日も元気にコンニチハ。


「……え?」


 女船長の余裕の笑みが、引き攣ったものに変わる。


 恒例のドン引き。


 大歓楽街の帝王が、夜の技術で並ぶ者のない最強であることは有名な話だろうが、それを為すスキルがどんなものであるかは、一応の企業秘密だった。女船長はやっぱり、知らなかったらしい。「ま、待って……」と云いかけた所を、ボクは容赦せずにスタートの合図を出していく。


 エロ触手が、女船長に巻き付く。


「う、気色悪っ……ク、クラーケンじゃないんだからさぁ」


 悲鳴を上げなかったのは、女船長のギリギリの気概か。


「な、なんだい。こんなもんかい、た、たいしたこと……ウ、アッ!」


 強がりは、最初の3秒間だけだった。


 その後の展開は、まあ、お察しの通りである。


 さて。


 これが、初日の出来事――。


 数日後の、現在――。


「しゅ、しゅごおおぉぉー! あっ、ぐっ……ん、ん、んぎゅううぅっおっ!」


 数分毎にエンドレスリピートで、大音声のブタの断末魔が響き渡る船長室。


 ボクは黙々と、作業に集中していた。航海日誌を始めとした書物や資料に目を通して、重要そうな部分はメモして行く。途中で、エロ触手が剥ぎ取った女船長の衣服が床に落ちたままであることに気付き、綺麗にたたみ直した。女船長については、初日で勝敗は決しているため、エロ触手に本日の気まぐれコースで一任している。


「しゅごいっ! しゅごいっ! いっ、いいいぃーああぁぁ!」


「うーん、航海日誌のこの部分と、こっちの書状を読み解けば……」


 耳栓をしているわけでは無いので、ちゃんと聞こえているよ。


 15歳の頃から、ずっとこんな風にやって来たので、今さら何も気にならない。ボクは自分の仕事に集中するだけだ。何をやっているかと云えば、奴隷船の行き先を調べていた。ボクを含めた奴隷たちが、何処に連れて行かれるのか、誰に売り払われるのか。そこら辺を確認できれば、今後の身の振り方を考えるのに大変役立つはずだ。


 どうやら、この船の積み荷である奴隷たちは、全員が同じ場所に売られるようだった。奴隷船の役割はあくまで、奴隷の運搬を担うことである。ある街の奴隷商人から100人の奴隷を預かり、最初の港で10人を地方の貴族に届け、次の港で50人をその街の奴隷商人に引き渡して……そんな風に普段は仕事をしているようだけど、今回の航海は非常にシンプルなスケジュールが組まれていた。


 女船長が受けている依頼は、質は問わず、とにかく大量の奴隷をかき集めてくること。


 奴隷商人から十分な量の奴隷を仕入れることができたため、航海の行く先はゴールの一か所だけなのだ。そこから紐解くと、奴隷商人が在庫一掃セールのようにガバッと押し付ける奴隷たちの中に、ボクはついでのように追加されたということですね。腹立つ。二束三文の扱いじゃないか。


 肝心の目的地は、西方の砂漠地帯にある大都市。


「困ったね。簡単には、逃げられそうにない」


 そこは、奴隷の命を賭けた見世物で有名な、地下闘技場を備えた街である。

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