9

 それから一週間が経過した。蝉がわんわん鳴く昼下がり、僕は今日も、先生のアパートを訪ね、インターホンを押していた。

 数秒後に、扉が開く。


「やあ小鳩くん! 待っていたよ」


 そこにいるのは健康そのものでご機嫌な、麗華先生である。

 もうこの人の手伝いはしない。呼ばれたって行かない……などと心に決めたはずの僕だったが、新刊のゲラ読みをさせてもらえるという話が持ち上がり、その相談をしたいと言われ、ほいほいやってきたのである。

 先生の後ろから、椋田さんも顔を出した。


「小鳩先生、今日はわざわざありがとうございます」


「いえ、こちらこそ呼んでいただけて……! 発売前のゲラを読ませてもらえるなんて、ファンとして光栄の極みです」


 心霊検証に振り回されて、怖い思いをしても命の危機に晒されても、結局僕は、月日星麗華が大好きなのだ。

 そう、命の危機に晒されても。


 あれから一週間が経ったが、このとおり、僕も先生も生きている。あのあと、僕が気絶している隙に、先生は割れた人形と中身の目玉を持ち帰ってしまった。

 人形が壊れた場合、所有権はどうなるのか。大家さん曰く、壊しても誰かに渡していない限りは所有者は変わっていないから意味がないとのことだった。だが今回のケースは、壊れたものを先生が回収している。

 この場合の所有権は、壊れる前まで持っていた僕なのか、回収した先生なのか。いずれにせよどちらも死ななかったから、分からずじまいである。


 ふたりに連れられて、先生の部屋に入る。

 呪い事件の一部始終を知ったらしく、椋田さんは僕を労った。


「大変でしたね。月日星先生は、私からしっかり叱っておきました」


 その横で先生が腕を組んで笑う。


「ははは。反省はしても凝りはしないがね」


「全くもう、呪いのやり場に困ったなら、私に預けてくださいよ。そしたら嫌いな上司のデスクにでも置いてやるのに」


「人を呪わば穴ふたつだぞ、ムクちゃん」


 自分から呪いの竹人形を迎え入れたくせに、先生は毒舌な椋田さんを窘めた。僕は苦笑いしかできない。

 先生は僕の肩をぽんぽんと叩いた。


「結果的に誰も死ななかったんだ。もういいじゃないか」


「そうですね。やっぱり、呪いは眉唾だったんでしょうか」


 僕はふたりを眺め、首を傾げた。あれだけ散々な目に遭って、呪いの実在の証拠も集まっていたのに、これで「眉唾物でした」なんて信じられないが……。

 先生は、やや神妙な顔になって虚空を見上げた。


「呪いの真偽はさておき、竹筒の中に変なもんが入っていたのは揺るぎない事実だ。なにか呪術的な意味合いがあったのは気のせいじゃないだろうな」


「そういえばあれ……あの『中身』、どうなりました?」


 思い出すだけでも頭が痛くなるが、恐る恐る聞いてみる。先生はあっさりと答えた。


「警察に渡してきた」


「えっ、あ、そっか。本物だったら、死体損壊の可能性ありますもんね」


「あれの出処を調査したいところだが、一般人には調べようがない。下手に手を加えて、なんらかの罪に問われてもいけないし」


 先生は至って冷静である。


「どこの民芸品だったのかも分からずじまいだが、警察がなにか突き止めれば、その辺りの謎も解ける。情報を共有してはもらえないだろうが、人がセンセーショナルに死んでるならニュースになるだろう。あーあ、自分で調べられたら最高に楽しかったのにな」


 竹人形というカプセル越しとはいえ、乾燥した人間の目玉とともに過ごしていたというのに、先生は平然としている。僕は全身に鳥肌が立って、今にも倒れそうだ。先生の鋼のメンタルを見習いたい気もするがこうなりたくない気もする。

 椋田さんも僕と同じく引いた顔で、こちらにひそひそと話しかけてきた。


「ヤバいヤツにはヤバいヤツをぶつけろって話だったんでしょ? 竹人形より月日星先生のほうがヤバいヤツだったから、竹人形に打ち勝ったんだったりして」


「ははは……そうかもしれない気がしてきました」


 たしかに、執筆に没頭する先生は、竹人形の呪力を取り込んでいるかのようだった。なにかに取り憑かれているかのよう、というより、先生のほうが喰っている感じがする。

 僕たちがこそこそしているのを、先生が眺めている。


「なんか言ったかな?」


「いえ、小鳩先生にゲラを読んでもらったら、オビに推薦文を書いてもらえないか相談してたんですよ」


 椋田さんがしれっと嘘をつく。僕も合わせようと頷きかけて、その首を椋田さんに向けた。


「オビ!?」


「『コイサク』小鳩ひかる推薦! って入れたい。だめですか?」


 固まる僕に、椋田さんはスマイルを返す。ゲラを読ませてもらえるだけでも恐縮なのに、僕のような無名が先生の本のオビを書かせてもらえるなんて、気絶しそうである。

 先生の本は、僕ごときの推薦など関係なく売れる。むしろ僕の名前があったら「誰?」と思われてしまう。椋田さんだってそんなのは承知のはずで、多分これは僕を再デビューさせてくれるために、先生のバーターとして名前を使ってくれるという意味だろう。

 そこまで分かっていて、先生の人気に乗っかるのは気が引けた。


「荷が重いです」


 辞退しようとした僕を睨んだのは、椋田さんではなく先生だ。


「なんだお前。誰より早くタダでゲラ読ませてやるというのに、推薦文のひとつも書いてくれないのか。お高くとまってるな」


「すみません、やります」


 恐れ多いことこの上ないが、折角の機会だ。気持ちを切り替える。大好きな先生の作品に少しでも関われるのなら、大歓迎ではないか。……心霊検証以外でなら。

 僕は仕事机の上のパソコンに目をやった。画面には作業中の原稿が映し出されている。先日見た時点でもかなり進んでいたし、もうすぐ初稿アップだろう。

 印刷されてから――ゲラが上がってから持ち帰ってじっくり読むつもりだが、我慢ならず、立ち上がって覗き込む。


 主人公は会社員の男性。大学時代の友人が、地方から主人公の住む都内へ引っ越してきたところから始まる。久々に会う友人は、手土産に地方の名産品を持ってきた。

 その中にひとつ、奇妙な人形があった――。


「あれ?」


 僕は最初のページを斜め読みして、首を傾げた。先日、先生のパソコンから盗み見た初稿と、内容が

変わっている。あのときはたしか、いじめにあう中学生の女の子が主役だった。

 ページも、以前見た時点では八万字を超えていたのに、今見ると二万字程度しかない。

 僕は座卓についている先生を振り向いた。


「先生、初音ちゃんは?」


 と、僕が名前を出した途端。

 先生も椋田さんも、すっと、無表情になった。


 その感情の読みとれない顔に、僕はぞっと背中が寒くなった。なんだ、この雰囲気。


 空気が凍って長い沈黙があった――ような体感だったが、実際はほんの一秒程度だろう。椋田さんが、普段どおりの営業スマイルに戻る。


「月日星先生。小鳩先生に、初音さんの話をしたんですか?」


 椋田さんがこう言うなら、椋田さんも前の原稿に目を通してはいるのだろうか。そのうえで話し合って、修正したのだろうか。……いや。それなら「初音さんの話をした」という言い回しは不自然な気がする。

 先生は、椋田さんの質問には答えなかった。


「あの文は全部削除したよ」


「え……あんな文字数描いたのにですか?」


「うん。だって、あれは」


 先生は、自嘲的な笑みを携えていた。


「私の描いた文章ではないからね」

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