第五章・ウツワ様

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 まだ朝も早い時間なのに、暑さが増してきている。蝉の声が降り注ぐ中、僕はかるがも荘を訪れていた。僕は先生の部屋で、パソコンの本体とにらめっこしていた。


「あーこれ……残念ながら手遅れです」


「な……なんだと。私の三万字が……」


 白いブラウスに黒いスキニーパンツ姿で、先生はわなわな震えた。


「データの復旧は可能なのか?」


「正直、絶望的です」


 先生から「君は機械に強いか?」と連絡が来たのが、今朝のこと。執筆の最中に、突如パソコンのモニターが真っ暗になり、動かなくなったという。

 僕はパソコンのプロではないが、機械全般苦手だという先生よりは多少は分かるだろうと、ここへ訪れたのである。


 先生は現在、新作小説を描き進めている。初音ちゃんを主人公した作品はなぜか全部削除して、新たに社会人の男性が主役の物語を、一から書き直しているのだ。その書きかけのデータは、パソコンの故障とともに消えたわけだが。

 うんともすんとも言わなくなったパソコンと、それを診断する僕を、先生は交互に見比べた。


「しかし小鳩くんはパソコンと対話ができるんだね。君は本当に小説家か?」


「いろんなバイトを転々としてきたから、この手の関係も多少は分かるんです」


 作家一本でやっていける先生とは違うので、小説だけ書ければいいわけではないのだ。

 とはいえ、僕はどの分野においても浅く広くなので、パソコンのプロではない。これをすぐに修理できるわけではない。


「以前バイトしてた修理屋さんに連絡してみます。どちらにせよ、ちょっとこれは今日に今日は直らないですが……」


「ああ……私の三万字が……」


 先生はくらっとよろめいた。先日自ら七万字を削除しておいて……と思わなくもないが、自分で消すのと消えてしまうのではわけが違う。普段明るく豪快な先生がこんなに悲しそうだと、僕まで胸が痛い。


「やる気、なくしますよね」


「ここからまた、二度目の書き直しなんて」


 先生は膝から崩れ落ちて、床に丸くなった。しばらく沈み込んだのち、今度は急にがばっと顔を上げた。


「泣いてもデータが戻るわけじゃない。出かけるぞ!」


「いきなりですね」


「どちらにせよパソコンが動かないんじゃ原稿を進められないからな。気分転換を兼ねて、日帰り旅行のひとつでも楽しんでやる」


 先生の切り替えの早さは、見習いたいものがある。先生はすっくと立ち上がると、早速旅支度を始めた。


「ちょうど行きたいところがあったんだ。さあ、行くぞ小鳩くん」


「えっ? 僕も?」


「なにか予定でもあるのか?」


「今日はたまたまバイトのシフトがない日です」


 唐突ではあるが、スケジュール的には無理はない。しかし僕も、先生を疑わないほど愚かではない。


「僕を連れて行きたがるってことは、さては心霊スポットですね?」


「鋭いな、小鳩くん。自分の立場をよく理解しているね」


 先生はにまりと口角を吊り上げた。僕の嫌な予感は的中みたいだ。

 即行帰ろうとする僕を、先生は腕を掴んで止めた。


「まあ待て。厳密には心霊スポットじゃない。考え方の方向性としては合ってるけど、今回は心霊検証ではないよ」


「どこへ連れて行く気ですか?」


 僕が睨みを利かせても、先生は怯まない。彼女ははっきりと、その名前を口にした。


「旧シバチク」


「シバチクって……『ハネキリ』が発祥した土地!?」


 つい先日聞いたばかりの地名だ。しかしそこは、ダムの決壊で水底に沈み、今はもうないはずだ。

 僕がそう思ったのを見抜いたのか、先生は頷いて続けた。


「『ハネキリ』について調べてるときに知ったんだけどね。シバチクの村は壊滅したが、呪術書を持って逃げきった住民をはじめ、生き残りの村人がいた。その子孫がシバチクに戻り、再開発を進めてるんだそうだ」


 先生はそう言うと、僕に数枚の資料を手渡してきた。パソコンが昇天する前にプリントアウトしておいたらしい、旧シバチクのホームページの画像だ。


「旧シバチクは今では、呪いの村である過去を逆手に取って、観光事業の売りにしている。村を呪いのテーマパークとしてプロデュースしてるんだ」


「テーマパーク!?」


「そう。世界観を表現するために、かつて村人の子孫が当時の村人に扮して接してくれる。なかなか面白い発想だよね」


 先生に手渡された資料に目を落とす。ハネキリ饅頭やハネキリ最中といった名物、ゆるキャラのハネッキーと、随分ポップなイメージで村を紹介している。

 僕ははあ、と間抜けな感嘆を漏らした。


「あんなにおどろおどろしい呪いが根本にあるのに、こんなふうになってるんですね」


 現代の創作では、妖怪をかわいく描いた作品が多くなっている。トイレの花子さんや口裂け女をコミカルに描いた作品なんかもある。

 呪いの村もそれらと同じように、時間の経過とともにエンタメに昇華されたのだ。これなら怖くない……かもしれない。

 僕はちょっと興味を持ったが、先生は複雑そうな顔をしていた。


「私としては、伝統的な呪いをこんなふうに安っぽい扱いをしてほしくなかったから、食指が動かなかった。だがその反面、呪いの村のなれ果てを見ておきたい気持ちもある」


 先生はそう言って、自分を納得させるように頷く。


「そんな折に、このとおり、原稿のデータが飛んだ。どうせ書き直すなら、消えたものよりもっと面白い文を書きたい。さっきまで描いていたのは竹人形を元にした作品だが、『ハネキリ』をモデルにしたネタも織り交ぜたらどうかと考えてはいたんだ。これを啓示と捉えて、現在のシバチクを見に行こうと思う」


 かつての呪いの村は、今では呪いをネタにした村おこしで楽しげな雰囲気になっている。現代を生きるありふれた人間たちが、偏見をなくして村を活気づけようとしているのだ。それなら、心霊スポットに連れて行かれるよりも全然怖くない。

 それに先生は、こう見えて三万字が水の泡になって落ち込んでいる。僕が話し相手になれるようなら、同行しようと思った。


「分かりました、出かけましょう」


「話が早くて助かるよ。早速行こう!」


 このときはまだ、僕は自分の身に降りかかる恐ろしい事態を予測できていなかった。



 高速道路をぶっ放して、旧シバチクまでの道程は三時間ほどとなる。午前中にはシバチクの村に着き、そこで昼を越して、夕方六時頃に村を出る、という予定だ。先生曰く、村は狭いし歴史的な資料は殆ど残っていないから、見るところは大して多くないので、これで充分すぎるくらいだという。

 先生と僕は、パソコンを業者に預け、その足でシバチクヘと向かった。

 先生の車が、軽自動車とは思えないほどのキレのいい走りでハイウェイをかっ飛ばす。僕は出かける前に買ったお菓子を摘みながら、助手席でスマホを見ていた。


「シバチク、観光事業に力を入れてるみたいですが、あんまり盛り上がってないですね」


 画面に映しているのは、シバチクのホームページである。村の人が自力で作ったと見られる、どこか垢抜けない昔ながらのwebページだ。

 名物やゆるキャラの他にも、観光客をもてなす宿もある。人を呼び込もうと、素人なりに頑張っている雰囲気が伝わってくる。

 しかしながら、このホームページ以外では村の事業をレポートするブログのひとつもヒットしない。観光客が全然いないのだ。ホームページが芋くさいうえに、事業もどれもぱっとしないからだろう。

 先生が苦笑する。


「テーマ自体は攻めてて面白いのに、素人だけで企画してるから今ひとつ華がないんだよな。広報も下手だし。観光系の業者と協力すれば、もう少し上手く行きそうなものを」


「うーん……資金面とかいろんな事情があるんでしょうね」


 そんな盛り上がりに欠ける場所へ、三時間もかけて足を運ぶ。原稿のデータが消えでもしないとなかなかそんな気は起こらない。

 先生がちらりとこちらに横目を向けた。


「小鳩くんが観光レポートを書いてみたらどうだ? 出版社に持っていって、面白ければ雑誌の記事に使ってもらえるかもしれない。評判が良ければ本にもなるかもな」


「そっか、小説じゃなくてもそういう仕事もあるか」


 僕は改めて、ホームページに貼りつけられたゆるキャラの画像に向き合った。

 全身赤い、鳥をモチーフにしたキャラクターだ。こういったマスコットキャラクターといえば丸みを帯びたデザインが多いものだが、この鳥は妙に細長くて、どことなくバランスがおかしい。なにかが足りない感じがして、見ていてもやもやした気持ちになる。


「なんか気持ち悪いんだよなあ、ハネッキー」


 僕は小さく呟いて、持ち込んだマシュマロを口に入れた。

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