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「椋田さんって、先生のデビュー当時からずっとご担当なさってるんですか?」


「いえ、私は二代目ですよ。前任者……初代は、先生を見つけて一年も経たずに異動になりました」


「わあ。タイミングが悪かったんですね」


 椋田さんの話を、僕は興味深く聞いていた。鬼才・月日星麗華を発掘した人は椋田さんではなかったそうだが、なににせよこういう話は読者目線では新鮮である。

 椋田さんは一瞬険しい顔をして、ちらっと周囲を窺った。そして、声のトーンを落とす。


「ここだけの話、初代は担当を降ろされたんです。『任せられない』という上からの判断で」


「任せられない……? そんなことあるんですか」


「ええ。彼は実績の豊かな敏腕編集者で、私も尊敬していた人だったんですけど……」


 椋田さんがコーヒーをひと口飲む。


「月日星麗華に、のめり込みすぎたんです」


 やや、沈黙が流れた。僕は数秒の絶句のあと、口を開いた。


「作家と作品に情熱がある人が編集を担うのは、いいことなんじゃないですか?」


「もちろんです。私も編集者でありつつ、担当作品のファンのひとりです。ただ、情熱だけではいけない。編集者なら、ある程度はフラットな視点で、作品を冷静に俯瞰する能力が必要なんです。月日星先生の初代担当については、度が過ぎるほど先生の虜だったんですよ」


 コーヒーのグラスの表面を、水滴が伝う。


「先生はデビュー前、個人のホームページでホラー小説をひっそりと公開していたんです。それを初代担当が偶然見つけて、血眼になって彼女を捜し、面倒くさがっていた先生をなんとか言いくるめてデビューさせたんです」


 どうやら先生は、新人賞デビューでも持ち込みでもなく、ひっそり活動していたのをスカウトされた形だったそうだ。

 椋田さんは言いづらそうに、言葉を選びながらに話した。


「初代担当は先生の作品の全てを大絶賛しました。たしかに素晴らしい作品ではあったけれど、初代担当の入れ込みようは物凄くて。小さな批判どころか、先生本人以外からの誤字の指摘すら許さないんです。そして他の担当作を蔑ろにしてしまう。先生も困惑してしまって、編集長が『これはまずいぞ』と」


「なんとかして離さなくちゃならないくらい、危険な状況だったんですね……」


「はい。本人には『降ろされた』とは伝わらないように、そーっと離した形です。まあ、社内では有名な話なので、本人も勘づいてると思いますけどね」


 カル、と、グラスの中の氷が鳴った。窓から差し込む日光で、グラスの汗が煌めいている。

 椋田さんは、はは、と苦笑した。


「そんなこんなで、初代担当の後輩で、なおかつホラーに対してそれなりにドライという理由で臨時で私を担当にあてがわれ、そのままずるずる続いています」


 面倒見が良くて、情熱だけでなく冷静さも持ち合わせている椋田さんによって、先生の作品は安定した、というわけだ。


 僕はコーヒーを飲み、下を向いた。なんとなく、初代担当の気持ちが分かる気がする。

 僕も先生の作品に夢中になったひとりだ。本を読んで感動した、なんて生易しいものではない。魂ごと持っていかれた感じがした。

 多分、僕も編集者の立場で先生のホームページを見つけたら、なにがなんでもコンタクトを取ろうとする。他の全てを擲ってでも、月日星麗華を頂点に立たせようとしてしまう。


「初代担当さんは、それからどうなったんですか?」


「先生の担当を降ろされて、冷静になったのかな。彼はすっかり大人しくなって、元どおり自分の担当作に真摯に向き合うようになりました。先生の作品に対しては、一読者として読み続けているみたいです」


 椋田さんが微笑む。僕は、自分が初めから一読者で良かったと思った。

 椋田さんはグラスの氷をカラカラ言わせ、コーヒーを口に注いだ。


「小鳩先生、月日星先生のアシスタントやってるってことは、ホラーに転向するおつもりですか?」


「あ、いえ、全く。描けません」


 先生の作品には惹かれるけれど、好きか嫌いかでいえば嫌いだ。嫌いなのに惹かれるというのもおかしな話だが。それはさておき、ホラーは絶対に描きたくない。

 椋田さんが「そうかあ」と宙を仰ぐ。


「やっぱり小鳩ひかるといえば爽やかで鮮やかな青春小説だもんな……イメージをがらっと変えるのもいいけど、あの持ち味は活かさないともったいない」


 そして彼は、グラスを置いた。


「よかったら、今度いらっしゃるときにでも、プロットを読ませていただけませんか?」


「ん? はい?」


 聞き間違えかと、僕は首を傾げる。椋田さんはナチュラルに話を進めた。


「もちろん、青春小説じゃなくても挑戦してみたいジャンルがあればなんでも」


「え? ま、待っ……読んでもらえるんですか?」


 理解が追いつかない。だって僕は、もう業界からも読者からも見放されたはずで……。

 椋田さんはきょとんとして、まばたきをした。


「それが本題でここに座っていただいたんですけど、私じゃだめでした?」


「じゃなくて、僕じゃだめじゃないんですか? 僕なんてもう誰からも期待されてないのに」


 卑屈になる僕に、椋田さんは今度はむっと眉を寄せた。


「少なくとも私が期待してる。言ったじゃないですか、小鳩先生の作品、『泣けた』って」


「それ、社交辞令では……」


「見限ってたらお声掛けしませんよ。うちだって倉庫を圧迫するだけのお荷物なら抱えたくないんで」


 容赦なく言ってから、椋田さんはふんわりと微笑んだ。


「私は、小鳩先生の大きな武器は、『挫折を知っていること』だと思います」


 グラスの表面の雫が、コースターを濡らす。


「月日星先生が、『作家には"経験"が大事』と語っていましたよね。小鳩先生の休眠期は、描いたものが全部ウケる月日星先生にはない、貴重な経験です」


 目の前の人は大手出版社の編集者だ。ここで運良く縁ができて、僕にも執筆の依頼が来るなんて……そんな都合よく進むはずないのに。

 僕が言葉をなくしていると、ふいに椋田さんは、眼鏡の奥の瞳をぎらつかせた。


「実はうちも最近マンネリ気味で、新しい話題作が欲しいんです。そこで『あの小鳩ひかるの最新作!』です。月日星先生からのナイスパス、このチャンスを逃すわけにはいかない……!」


 拳を握ってめらめら燃える椋田さんを、僕はぽかんとした顔で眺めていた。

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