二章 天河津翁

第12話 狂い巫女

 私と宗介さんは凍える体でアマカワアクモノ都にようやく辿り着き、昼頃の一番暖かい時間になんとか市街に入ることができた。

 私は宗介さんに案内されるようにチホオオロさんがいる屋敷に向かう。

 都は冬にも関わらず多くの人で活気に溢れており商人たちやものを売りにきた妖怪もチラホラ目に入る。

 ——村から出て京都に入るのは初めてだから見ていて楽しい。

 子供のように目を輝かせてキョロキョロしていると宗介さんが何を思ってか私を見て微笑んでいた。


 「宗介さんどうしたんですか?」


 「あぁこれは失礼。四年程前に初めて都に参られた族長様と同じ反応なのを見てつい微笑んでしまいました」


 「チホオオロ様も来ていたのですか?」


 「えぇ、それはもちろん。この都に住むのは国造(クニノミヤツコ)にお使えする家来の他に、各集落を治める分家たちの屋敷もございますので」


 「へぇー……」

 

 宗介さんは私に考える時間を与えずに続けて様々なことを話し始める。


 「国造様は神代の安雲王の末裔で古のウガヤの大王とそのほかの諸王、さらに大源神(オホミナノカミ)と共に禍の神を封じた功績でユダンダベア建国後も安雲の治める一族として君臨することを許されたのです」


 「なるほど。そんな経緯があったんですね」

 

 私が納得していると、宗介さんは都の北側に聳える宮殿を見上げた。

 宮殿はいくつもの点にまで続くほどの大木を積み上げており、大きさも天河村と比べても桁違いであった。


 「マカ殿。あの天空の宮殿に住んでおられるのが国造様の一族。我々と同じ天河の者です。先ほど分家と言ったのは天河一族のことで、我らの集落は天河千穂(アマカワノチホ)一族と呼びます。それ以外にも高千穂(タカチホ)、中千穂(ナカチホ)、星千穂(カセチホ)がいるのです。国造様は天河高千穂と言う古来からの本家となるのですよ」


 なるほど。かなり複雑だ。それにしてもユダンダベア建国に私のご先祖さまも関わっていたんだ。覚えておこう。多分いつかナビィさんにまた飽きられて説教をされかねないし。

 それから少し歩くとようやく屋敷が見えてきた。屋敷が見えると宗介さんは門の前に立っていた兵士を見て手を振る。


 「お前たちただ今戻ってきた。族長様は何処か?」


 「はいっ! 族長様は今すぐにと用意を始められておりましたのですぐに出ることが出来ます。如何なさいます?」


 「そうか。出発は明日の方が良い。この寒さだ。今夜は大雪だから野宿はできんからな。ではマカ殿中へご案内いたします」


 私は宗介さんの後ろに続いて歩き屋敷の敷地に入る。そして母屋の階段の前に来ると宗介さんはその場で平伏した。


 「どうかしましたか?」


 「この母屋には男は入れませんので」


 「分かりました。ありがとうございます」


 私は宗介さんに礼を言うと階段を登り中に入る。中では侍女が姿勢を正して座り、上座にはチホオオロさんがいた。服装は以前会った時の巫女装束ではなく、袴を履いて髪を後ろにまとめて腰には剣を携えている。


 チホオオロさんは待っていたのか眠そうに頭が少し垂れており、私に気づいた侍女が咄嗟に肩を揺らすとようやくチホオオロさんが目を開けた。

 チホオオロさんは私を見た瞬間一瞬年相応の明るい笑みを浮かべそうになったのを抑え、大人びた笑みを浮かべた。


 「——ようやく来ましたか」


 私はすぐにその場で平伏した。その時小さな声で「別に良いですのに」とチホオオロさんの声が聞こえたが気のせいだろう。


 「はい。少しばかり掛かりましたか。ただいま馳せ参じました」


 「はい。ご苦労様です。では、面を上げてください」


 私はゆっくり顔をあげチホオオロさんを見る。チホオオロさんは心なしか嬉しそうに見える。チホオオロさんはゆっくり立ち上がると私に近づくとその場で腰を下ろした。


 「出発は明日の明朝としますか。多分目的地までに大雪に飲まれてしまいます」


 「はい。行先はどこに?」


 私のそう口にするとチホオオロさんは横に立っていた侍女を見ると侍女は懐から地図を取り出し、私とチホオオロさんの前に広げた。

 地図には今いる安雲の国の地名や道が書かれている。チホオオロさんは顔を動かして地図を少しばかり見た後、湖の絵の上に指を差した。


 「明日向かう場所はここから東にある天湖(アメノコ)にある天谷(アマノタニ)に向かいます。明朝に出れば昼までには着きますので満月までにことが済むはずです。あ、先の満月どうでしたか? 一応兄より聞いたのですが」


 チホオオロさんは気を遣ってか心配そうな顔で私を見る。ここは心配させない方が良いか。多分チホサコマさんや宗介さんから聞いているだろうし。


 「はい。満月は大丈夫でした。その代わり満月でもない時に襲いかかってきた感じで。その、本当にすみません。族長様の民を無傷で——」


 「構いません。彼らは兵士です。嫌であれば逃げます。戦ったと言うことは貴女と共に戦いたいと思ったはずです。だからお気になさらないであげてください」


 「……はい」


 チホオオロさんは本当に思っていた以上に優しい。

 それから行路や部落についた後どう止まるか話し合い気づけば夕方となった。侍女はチホオオロさんの元に来ると残念そうな顔を浮かべつつもゆっくり立ち上がった。


 「では、明朝、門の前にて。今日はこちらで止まってください。では、マカ様を寝床にご案内してあげてください」


 チホオオロさんの言葉に一人の中年ほどの侍女が「はい」と口に出すと私を寝床まで案内してくれた。 

 とりあえず明日だ。私は侍女が運んでくれた握り飯と味噌汁を食べてそのまま眠りについた。

 翌日明朝。侍女に起こされ剣と盾を肩に掛けて荷物を持つと寝床から出た。

 そして門の前に向かうと誰もいなかった。

 それから少し待っているとチホオオロさんと宗介さんがやって来ると二人は私にねぎらいの言葉をかけてくれた。

 宗介さんが肩にかけている服とはチホオオロさんの分が入っているのかやけに大きい。


 「マカ殿、早うございますな」と宗介さんは眠気を感じさせない元気な声で挨拶する。


 「あら、マカ様お早いのですね」と少しうとうとして挨拶するチホオオロさん。


 二人がやってきたのを見た私は少し頭を下げる。


 「こちらこそ。では行きますか」


 ——剣と盾よし、食料と地図、ナビィの勾玉と竪琴もある。これで大丈夫だ。


  忘れ物がないかを確認した後、門を出て歩く。今回共にするのは宗介さんとチホオオロさんとの三人。うまい具合に進めば今日の昼頃には目的地の天谷という集落に到着だ。道中は雪で動き難く、私と宗介さんは棒を使って必死に歩く。


 凍える風に体を冷やされ、うっかり足を滑らせ木の枝にぶつかり擦り傷ができる。息をするたびに鼻と喉の痛みが走る。

 

 安雲の国の極寒はどこか天人のような恐ろしさを持っているように感じた。


 ————。


 あれからだいぶ歩き気づけば日が真上に登っていた。最初は平原だったが徐々に険しい山となりそれを超えたあたりでチホオオロさんは思い出したかのように私を見た。


 「そういえばマカさん。天谷についた後どうするか説明してなかったですよね」


 「えぇ、そうですね。着いた後どうするのですか?」


 「着いた後は天谷の族長に津翁について話した後、その村にいる巫女とともに天湖から船で東に川を渡り、真ん中に天の川大島という島があるのでそこに向かいます。それからは島にある大きな岩に塞がれている洞窟に向かって道を開けるための儀式を行います」


 「なるほど。分かりました。では洞窟への道が開くまで私は暇ということですか?」


 「えぇ、そうですね」


 「は、はは……」


 なるほど暇か。

 それからしばらく他愛のない会話を続けているとそこそこ大きな部落が見えてきた。中に入ろうとすると見張りの村人が門から私に近づいてきた。彼の見た目は天河と同じく人狼で、無愛想な印象を受ける若者だ。


 「見ない顔だな。白銀の髪に赤き眼、源氏か!? それと人狼!?」


 そして村人は私と宗介さんに近づくと匂いを嗅いだ。特に私の匂いと宗介さんの匂いを入念に嗅ぐ。


 「天河の族長様と、兵士、それから源氏が何故ここに?」


 村人は矛を下ろして私たちを見る。

 「私は天谷(アメノタニ)カゲリと申します。こちらに来るとは何やらよからぬことがあったのでしょう。では我が族長の元にご案内します」


  カゲリと名乗る若者はそういうと村の奥に歩き始めた。

  それから私たちはカゲリさんの後ろを歩いて族長の元に向かった。

 そして屋敷に中に案内され中に入ると豪快な白髪が目立つ男が若い娘の腰を撫でながら空いたもう片方の手で酒を飲んでいた。

 男はカゲリを見ると嬉しそうな顔をして立ち上がると私に近づき抱きついてきた。


 「おぁ! カゲリぃ! 外から名家の娘を連れてくると申してはや5年だが、まさか源氏様をお連れできたとは素晴らしいぞぉ!」


 恐らくこの男が族長なんだろうけど、お尻を撫でるのは止めたほうがいいよね。

 

 「あの、やめてくれます?」


 「なんと声まで聞こえるとは! ははは、日頃の行いが良いからか!」


 族長は私の声に反応してさっきより力を込めて抱き締めてきた。

 そろそろ痛い。

 

 後ろでカゲリさんはため息を吐くと族長を私から無理やり引き剥がした。それに反応するかのように宗介さんは天谷の族長を動かないように固定した。

 族長はカゲリに引き剥がされて不満なのか声を上げた。


 「なんの真似だカゲリ! 夢の中でもお説教か! ふざけるで無いぞ! 夢ぐらいは絶世の美女と謳われている源氏の娘とさせるのだ!」


 この場の空気は不思議と寒くなる。カゲリは唖然と立っている私たち三人を申し訳なさそうに見ると大きく手を振り上げて勢いよく族長の頭を殴った。

 族長はその場で頭を抱え地面に転がって悶えた。

 娘は私の前に来るとすぐに平伏して地面に頭をつけると必死な声を出した。


 「天河様と源氏様大変申し訳ございません! 愚夫がとんだバカたれた真似を!」


 「え、愚夫って……」


 「あぁ、源氏様。この娘は私の妹で名は——」


 すると若い娘は遮るように大きな声を出した。


 「天谷ツボミと申します。族長とは婚姻して六年となります」


 「なるほど、ツボミさんですか」


 私の代わりにチホオオロさんは口に出した後ツボミさんに近づくと顔を近づけた。


 「私は天河の族長チホオオロと申します。貴女が天河の神々にご奉仕して参った方ですね?」


 「は、はい。天谷の古からの教えに則って——」


 ん? どういうこと?

 私は後ろに下がり宗介さんの隣に立つと耳に口を近づけ小さな声で聞いてみることにした。


 「宗介さん。詳しく教えてくれますか?」


 「天谷では雨乞いの巫女を選ぶ祭りがあり、部落の若い娘たちが踊るのですよ。そこで雨を降らした娘は神のお力が強いということで独身の族長かその子と婚姻するのです。だけど、聞いていた話とは……」


 「ん? どういうことです?」


 小声で聞くと宗介さんはここでは言いずらそうな顔をしつつ私にしか聞こえないような小声で「あの巫女様、正直に話さない者や夫に色目を向けるものが嫌いで短剣で口を切り裂く狂い巫女の異名で有名なんです。大丈夫だとは思いますが嘘はつかないように」


 「わ、分かりました」


 つまり彼女は雨乞いの巫女で狂い巫女か。

 ツボミさんを見てみるとツボミさんは心配そうに族長を見つつ横目で私を睨んでいた。

 ——悪寒が走る。気付けば私は宗介さんの着物の袖を掴んでいた。

 すると先程まで悶えていた族長は起き上がると我に帰った顔であたりを見渡した。


 「ね、眠っていたのか!?」


 族長はまだ頭が回っていないのかキョロキョロと困惑した顔であたりを見渡す。カゲリはその族長の反応を見て前に座ると耳に口を近づけて小さな声で話した。


 「族長、天河千穂からの使者です。あと、源氏の方です。先程まで酔っておりまして源氏様に卑猥なことをしておりました」


 カゲリの言葉は細かくは聞き取れなかったけど、族長は我に帰った顔で私とチホオオロさんを見て、最後に宗介さんを見ると息を荒く今にでも吐きそうな顔で再びカゲリに向き直った。


 「それは……ほ、本当か? た、確かに手に感触は残って——」と族長は恐る恐る自身の手を見て匂いを嗅ぐ。

 

 その光景を呆れて見ているとカゲリはため息を吐いた。


 「誠です」


 族長はチホオオロさんと宗介さんを見るとすぐに上座から降りて私に向かって慌ててよろめきそうになりながらその場で頭を下げた。


 「げ、源氏様! し、失礼いたしました! この御無礼をお許しください!」


 「あ、いえ。もう気にしていないので……はい」


 「あ、ありがたきお言葉」


 族長は申し訳なさそうに五回ほど頭を下げた後チホオオロさんたちに向き直った。

 これすごい剣幕で謝ってきたからつい許したけど叱責した方が良かったのかな?


 それからチホオオロさんは上座に座り、私と宗介さんはその隣に座る。その正面に天谷の族長とツボミさん、カゲリさんの三人が座った。

 そしてまず初めに口を開いたのは族長だった。


 族長は体を私に向けると一度深く頭を下げた。


 「では、源氏様とは初めましてございますので自己紹介を。私は天谷の族長を務めております、天谷シジハゼと申します。一族としては天河千穂一族が出自です」


 族長——シジハゼ様はそう言うとチホオオロさんを見た。

 チホオオロさんは慣れているのか顔色を変えずに真剣な眼差しでゆっくりと口を開いた。


 「叔父様。単刀直入に聞きます。津翁様を倒す術を教えてくださいませんか? 叔父様が居られるここ、天谷村が津翁様を封じた神々を祀る一族なのを存じた上でのお願いです」


 あ、叔父なんだ。多分兄か弟かは分からないけどもう片方はシシハゼ様を見てしっかり者になったんだろうきっと。


 私はチホオオロさんとシジハゼ様を交互に見る。顔つきとか性格が真逆な気がするけど親戚だったんだ。

 戸惑っている私に反してシジハゼ様は苦笑する。


 「ははは……。津翁様の事でしたね」


 シジハゼ様は少し間を開けて続けて喋る。

 

 「津翁様を討伐するには古の勇者(タケルヒト)らが遺した翁の子守唄を奏でる必要があります。それを聞けばたちまち津翁様は眠られるので、その隙に首を切り落とすのが良いでしょう」


 シシハゼ様は言い終えるとカゲリと顔を見合わせ、ゆっくり頷くとチホオオロさんをじっと見つめた。


 「先に申し伝えますが族長様。我が天河の始祖、天河統彦命(アマカワノスメラヒコミコト)様と源氏の始祖、大源神(オホミナノカミ)は津翁を殺しませんでした。その理由はわかりますかな?」


 シシハゼ様の言葉にチホオオロさんは言い淀む。


 「津翁様は荒ぶる神でありながら天河を災から守り続けてくださった。討つのは守り神を無くすことにもなります。構いませぬな?」


 シシハゼ様の剣幕にチホオオロさんは威圧されながらも一度目を閉じてゆっくり目を開くと背筋を正した。そして決心したことを表すように軽く微笑みを浮かべ頷いた。


 「構いません。千年以上お守りくださった我が天河の守り神たる津翁様を鎮めるだけです。それに天河には数多の神々がいるので心配には及びません」


 シシハゼ様はチホオオロさんの言葉に笑みを浮かべると一人で笑い始めた。この場にいる私とチホオオロさん以外にも宗介さんは反応に困った顔を浮かべる。

 シシハゼ様はしばらく笑い、満足したのか一度だけ手を大きく打ち鳴らした。

 

 「なら、構いませぬ。いずれ蘇り、いずれ討たねばならん事は太古より分かりきっておりましたので。ではまず神々の元にですが——」


 シシハゼ様はカゲリを見るとカゲリは一度部屋から出る。しばらくするとカゲリは戻ってきて地図が書かれた紙をシシハゼ様に渡した。

 シシハゼは床に地図を広げると大きな湖に指を差す。


 「まず、神々の元に向かうにはまず天谷湖にここから出てその後東の湖にある天の川大島に向います。到着した後は森の深くにある神々を祀る洞窟の岩の封印を解く必要があります。確認ですが儀式の際に土笛を吹いておられると思うのですが、族長様。吹けますでしょうか?」


 シジハゼ様がそういうとチホオオロさんは「えぇ、問題なく」と答えた。シシハゼ様は満足そうに頷くと隣に座る女性、ツボミさんを見た。ツボミさんは退屈だったのか気怠そうにしていたが呼ばれた瞬間凛々しい顔をして一度頷く。


 「なら、出港は翌日夜が明ける前です。ね、シシハゼ様?」


 「うむ、ちょうど良いのでそうしましょう。では、族長様。今から少しばかり合わせますか?」


 シシハゼ様の言葉にチホオオロさんと宗介さんはお互い顔を見合わせて頷くと宗介さんが代わりに答えた。


 「では、そうしましょう。その後明日明朝に港より出港ですな?」


 「えぇ、ではよろしくお願いいたします」


 シシハゼ様、ツボミさんとカゲリの三人は私たちに頭を下げた。私も釣られて下げそうになったのを宗介さんに止められ小さな声で「マカ様は源氏ですので目上です。下げてはいけません」と怒られた。


 ——————。

 ————。


 その後チホオオロさんはツボミさんとカゲリ、シシハゼ様に連れられ練習に行き、宗介さんも同行した。

 一人だけにされた私は好きに過ごして夕暮れまでには戻ってくて欲しいとだけシシハゼ様に言われた。

 ——少し暇だ。村を見て回ろう。


 私は屋敷から出ると村を回った。空はすっかり昼でやがてに西に沈みそうなぐらい。

 天谷村は小さな漁村だが村人たちは活気良く生きている。大人たちは船から交易の品だろうか荷物を下ろし、はたまた漁の帰りで魚や海の幸を下ろす。たまにすれ違う男女は口が裂けているかの様に大きい人がいるのはなんでだろう。


 そんな時大きなカゴを両肩に二つ、背中に二つ背負ったを持っていた大柄な女と目があった。女は私を見ると露骨に怒った顔で私を睨む。


 「ゴラァ! 仕事サボんなぁ! ——って見ない顔ねアンタ」


 大柄で口が少し裂けている女は大声で怒鳴ったかと思えばすぐに追いついた声を出すな忙しない様子。大柄の女は片肩に乗せていた塩漬けにされた臭いが独特な魚がいっぱい入った大きなカゴを一つ私の前に置く。


 「アタシはコノワシ。暇ならこれ運ぶの手伝ってくれる?」


 「え?」と驚くと隙も与えずコノワシと言った女はカゴを私の頭に無理矢理乗せた。私は千鳥足みたいな足取りになるがカゴを肩に乗せて両手で支えた。

 ——これ、重すぎじゃ……。


 コノシロはそんな私を見てか軽く舌打ちをする。


 「こんな冬に時期に客人なんて、迷惑なんだから。冬越すのに塩漬けの魚をたくさん作らないとダメなのに。——全くただでさえ貧しいのに必要以上に税を納めるから」


 「——」


 反応しないで持って行ってあげよう。何か言ったら面倒くさそうだ。

 それから私は後ろをついて行き村の外れに行く。すると先程までの活気が薄れていき寂れているようだった。


 家は茅葺だが見てわかるほどボロボロで村人は痩せ細り子供たちは異様に腹を膨らませて骨の皮だけだった。コノワシさんは村の中央に行くと持って来たカゴを全て下ろし私を見ると「アンタ、早く下ろして」と言った。

 気づけば周りの人々がよだれを垂らしながら私のコノワシの周りに集まった。私は咄嗟にカゴを奥と村人たちは嬉しそうに頭を下げた。その中の長老みたいに長い髭を生やした痩せ細ったお爺さんは前に出ると誰よりも嬉しそうに頭を下げた。


 「あぁ、今日もありがとうございます」

 

 「別にいいよ。むしろアタシの方こそごめん。本当は誰よりも働いて漁に出てくれているのに」


 コノシロは静かにこう言った。そして私の袖を引っ張ると来た道を戻る。私は彼らが見えなくなった辺りでコノシロの腕を振り払う。


 「あ、あの! いきなりなんですか一体!? いきなり食料を運ばせて!」 


 私が怒っているのを装い口に出すと流石のコノシロも少しは悪いと感じたのかゆっくり話し始めた。


 「前の満月の日の夜に奇妙な仮面をした奴らが来て、村の冬の分の貯蓄の殆どを腐らせたんだ。自分たちの分もないから分け合いたくても少なくて出来ないしで……!」


 「奇妙なお面——天人?」


 とつい口に出すとコノワシは眉間に皺を寄せて私を持ち上げる。咄嗟に受け身をとって地面に叩きつけられる立ち上がるとコノワシは続けて私を蹴り飛ばした。


 「アンタ、知ってんの?」


 ゆっくり痛みに耐えながら腹をさすり立ち上がる。


 「知ってますよ——っ」


 コノワシは気付けば私の前にいてじっと見つめていた。

 ——なるほど、聞く耳は持たない感じか。多分この後その大きな手を握りしめて私に殴りかかるのだろう。

 私は深く息を吸って身体中に力を入れた。

 コノワシはニヤリと笑う。


 「そういえばあの奇妙な仮面の奴らも白く輝いていたわ。アンタも白いわね。さては手先か……なんて筈もないか。むしろその反応。奇妙な仮面の奴らでも追ってんでしょ?」


 コノワシは予想に反して表情を柔らかくした。私は予想外の反応に足が崩れそうになるのを抑えて戸惑いをなんとか隠そうとする。


 「あれ?」


 えーと、おかしいな今にでも争いが起きそうだったのに。

 ——争いが起きなかっただけでも良いか。

 私はそれからしばらくここまでの経緯をコノワシに話すことにした。もしシシハゼ様相手だったらややこしくなりそうだけど、コノワシは見た感じただの村人だから問題ないだろう。

 コノワシは頑張って理解しようと考えるそぶりを見せるが、限界が来たのか「あー分からん!」と声を荒げた。


 「とりあえず! アンタはその天人とやらから家族を守ろうとしているで良いのね?」


 「えぇ、そんな感じです。だけどその天人がどうしてここに? 彼ら何か話してましたか?」


 「え? うんまぁ話してたよ」


 コノワシは思い出しながらゆっくり話し始める。


 「この間の満月の日に唐突に現れたんだ。そしたら急に偉そうな口調で『ホシカセの力はここに眠っている。源氏はそれを取りに来る。源氏に明け渡したら世界を滅ぼすだろう』と言ったんだ。だけど族長のシシハゼ様が『源氏様が? バカは休み休み言わんか!』と言った途端そいつらが怒って糞尿から怪物を生み出して村の食料を殆ど腐らせやがったんだよ」


 「あぁ、話してましたね」


 「で、ここからが重要なんだ」


 コノワシは私に近づくと小さな声で話す。


 「その腐らせたのは怪物はその後湖に行きやがったんだ。あれから現れていないけどいつ来るか分からないんだよ」


 「——え?」と口に出したその時か細い声で「コノシロ? それ、外部の者には内密と言いましたよね?」とツボミさんの声が聞こえた。


 コノワシから離れると彼女の後ろにツボミさんが剣を持って不気味な笑みを浮かべていた。コノワシは私の反応に察したのか振り返ると顔を真っ青にして咄嗟に平伏した。


 「も、申し訳ございません! だけど……!」


 ツボミさんはコノワシさんに近づくと彼女を一度見下ろす。そして私に視線を向けた。


 「マカ様?」


 「——」


 「なんのためにこの村に? チホオオロ様はお手伝いと言っていましたがだとしても源氏の方をお連れするのはおかしいです。何か……他に理由があるのではなくて? 例えば禍の神とか……?」


 「——は?」


 「お口が硬いのですね」


 ツボミさんは剣先を私の頬にくっ付けると浅く切りつけた。

 じわじわと痛みが頬から顔全体に広がるのを我慢する。

 

 「もしお口がお硬いのでしたら——裂いて差し上げますよ? 私はナマコの様に黙る子は嫌いなんです。他の魚たちはみんな口を開いてくれるのにナマコだけは黙るんですよ。」

 

 ツボミさんは相変わらず笑ったままだ。

 もしかしたらコノワシや他の村人のように口が裂けている人がいたのはまさか……確かに狂っている。


 ツボミさんは剣を下ろすと私に近づき、私の口の中に指を入れた。


 「——がっ!?」


 「源氏の娘の顔にこれ以上傷を付けると朝敵とされますのでしない取り敢えず……今後は私の夫に色目を使わないでくださいね? では、そろそろ夕方ですので行きますか。コノワシもあとは自由にしてください」


 ツボミさんは私の口から指を抜くと背を向けてシシハゼ様の屋敷の方向に戻っていった。私はただその光景を体を震わしながら見るしかなかった。

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