第13話 雨は降るか?

 「いたた」と私が声を出すと宗介さんは「我慢してくだされ。それにこの傷どこでつけたのですか」と呆れた声を出しながら塗り薬を頬の傷口に付ける。

 宗介さんの人狼特有の狼の様な耳は気持ちを表すように耳先は下を向き尻尾は呆れたように動きすらしなかった。

 それは宗介さんの奥で私を立って見ているチホオオロさんも同じ様な感じだ。


 ツボミさんに口を軽く切られた後私はコノワシさんとあの場で別れシシハゼ様の屋敷に戻った時宗介さんは私の傷を見て驚き何があったのかを聞かれた後ツボミさんが「少々防寒に襲われたところを助けられました」と嘘を吐いて誤魔化した。

 あの場でいっそ正直に話せば良いと思ったがシシハゼ様とカゲリさんはツボミさんを睨んでいたため二人は予測できているのだろう。……知らないけど。


 私は塗り薬をしてもらった後宗介さんが握ってくれた握り飯を食べて日が完全に落ちる前にチホオオロさんと共にシシハゼ様の客室に泊まる。

 私はチホオオロさんの分んお荷物を持ち、三人で客室に向かい荷物を持って部屋に入ろうとしたその時宗介さんが「少々良いですか?」私とチホオオロさんを呼び止めた。


 「宗介さんどうかしました?」と私が聞くと宗介さんは深刻そうな顔をしており、チホオオロさんも戸惑っている。

 宗介さんはあたりを見渡した後私とチホオオロさんにしか聞こえないほどの小さな声で話した。


 「マカ様。その傷もしかすればツボミ様に付けられたでしょう?」


 「——え、そうなんですか!?」


 チホオオロさんは驚きのあまりつい声をあげるが咄嗟に両手で口を抑えた。


 「——もしかして聞きました?」と宗介さんに試しに聞くと宗介さんは頷く。


 「カゲリ殿よりシシハゼ様に体を触られた部外者のマカ殿を妬んで怪我をさせる恐れがあると忠告を貰いまして。その直後にマカ殿が帰ってきたのです」


 「なるほど……」


 チホオオロさんを見てみるとチホオオロさんは真剣に悩んでいる様子で、私と目が合うとチホオオロさんは「大丈夫ですよ」と口に出してぎこちない笑みを浮かべた。

 そしてチホオオロさんは宗介さんを見る。


 「とりあえず宗介。今夜は寝床の番を頼みます。天谷は流石に源氏の姫を殺すのは避けると思いますが念のために」


 「承知しました」


 宗介さんはそう返し一歩下がると戸をゆっくりと閉めた。チホオオロさんは戸が閉まったのを見届けた後緊張の糸が緩くなったのかゆっくり息を吐いた。

 そして寝床に向かい重い腰を下ろす。


 「とりあえずマカ様。明日は早いので寝ましょう」


 「——宗介さんは大丈夫ですかね。あまり寝ていなさそうなんですけど」


 「マカ様。宗介は歴戦の猛者です。私たちが瞬きしている間に寝るだけで充分と豪語しています」


 「——な、なるほど」


 なんだろう。その言いくるめようとして言いくるめてないのは。多分これはチホオオロさんなりの安心してくれと言う事なんだろう。

 なら、言葉に甘えよう。


 「ありがとうございますチホオオロ様。では、寝ますか」


 「えぇ、お休みなさい」


 それから私は束の間の睡眠を取り、夜明け前にチホオオロさんと共に宗介さんに優しく起こされ、支度した。

 その時チホオオロさんに昨日儀式の打ち合わせについて聞いてみると「あぁ、別に大丈夫ですよ。一応儀式はしますけどマカ様がいれば十分な気がします」とだけ言った。

 一体どう言う事だろう?


 食料、武器、あとは島に滞在する時に使う着物などを私と宗介さんで分けて持ち玄関前に行く。すると外にはすでにカゲリさんが待ってくれていた。


 宗介さんは前に出ると私とチホオオロさんに代わって礼を伝えた。


 「これはカゲリ殿。寝床を用意してくださりこの宗介。族長様と源氏様に代わり礼を申し上げます」


 「これはご丁寧に。では港にご案内いたします」


 カゲリさんの言葉に私たち三人は共に港までついていった。

 夜が明ける前の天谷の集落はとても静かで時折山から降りてきた狸やイタチが見える。獣は私たちを見た途端すぐさま草藪に逃げる。

 肌寒い風にまとわりつかれながら歩くと奥に灯りが目に写り、湖畔に映る月が見えようやく港に着いた。


 港に着くと十数人の漁師がおり、彼らは船に儀式で使う祭具が入っているであろう箱を船に詰め込んでいた。

 船は合わせて四隻浮かんでおり、漁師たちをよく見ると大柄の女、コノワシも混ざって荷物運びを手伝っていた。

 そしてその漁師の棟梁と思わしき大柄の男の前にツボミさんとシシハゼ様がいた。

 シシハゼ様は棟梁と何か話しており、カゲリは大きく息を吸うと「シシハゼ様」と声に出した。


 シシハゼ様はこちらに気づくと頭領に何かを告げ、ツボミさんにも何かを言ったあと駆け足でこちらに向かった。

 ツボミさんは少し悲しそうな顔で私たちを睨むのが見えた。


 「おぉ、皆様こられましたか」とシシハゼ様がそういうとカゲリさんに「よし、お前も手伝ってやってくれ」と言い人払する。


 「ところでマカ様。お怪我は以下かですか?」


 「あぁ、まだヒリヒリしますが大丈夫です」


 「それは良かったです。けど潮風が当たると一層痛くなるかもしれませんが辛抱ですぞ」


 「は、ははは……」

 

 私は少々申し訳なさで苦笑いし、横目でツボミさんをみると私にだけ鬼の形相をしていた。

 取り敢えずこの村から離れるまでは寝るのをやめよう。多分起きたら首が亡くなった私の体を上から拝むことになる。


 シシハゼ様は一人一人に話しかけた後、もう一度私に近づいた。


 「マカ様。コノワシから聞いております。この村で起きた悲劇を聞きましたよね?」


 「え?」

 

 チホオオロさんは少し声が出て私を見た。

 それからシシハゼ様はコノワシが話してくれた事と同じ内容のことを私とチホオオロさんと宗介さんに話してくれた。


 そして宗介さんも天人と剣を交えたのだけあって私をみると真剣な顔で頷く。

 

 満月の日に天谷にきた奇妙な仮面の集団は私と宗介さんからすれば天神としか考えられない。同時に私は天人がいるという言葉は承認ができた時点で私の虚言ではなくなったという安心感も同時に感じた。


それから私たち三人は船に乗り込み、二人の水夫が船を漕ぎ、コノワシが護衛として船に乗ってきた。

 四隻の船はシシハゼ様とツボミさんとカゲリさんの船が先頭で私たちは三隻目で出発した。

 夜間の船は護衛がもった松明を頼りにゆっくり船を進める。

 コノワシは前の船の松明を見失わないように真剣な眼差しで目を細め、時には後ろを向いて皇族の船に松明を振って見失わない様に気をかけている。


 冬の夜に吹く潮風の香りを堪能しているとチホオオロさんが私の袖を軽く引っ張った。


 「あ、チホオオロ様。どうかしました?」


 「いえ、少し疑問を感じていたのですけど。その天人が生み出した怪物はどこに逃げたんですか?」


 「あ、えーと確か——」


 「この湖さ。あれから一度も姿を現していないんだよ」


 コノワシは普段通りの口調でそう言った。宗介さんは咎めようとしたがチホオオロさんはそれを止めて「構いませんよ」と宗介さんに告げる。

 

 「ところで貴女のお名前は? 顔立ちから違うとは思うのですがあの子と雰囲気がそっくりですよね」


 「久しぶり、コノワシさ。お前さんは気づけば天河の族長様か? まだ小さくて可愛いわね」とコノワシは恐れ知らずなのかケラケラと健気に笑う。

 止めた方が良いのかな?


 けど意外にもチホオオロさんは気にせず話しを続けた。


 「まぁ、コノワシ様! 宗介、覚えてますよね!」


 「え、お二方知り合いなんですか?」


 「え!? あ、まぁ……」と宗介さんも驚きを隠せない顔で交互に見る。そしてチホオオロさんは興奮気味に私に顔を近づけるとコノワシに手を向けた。


 「天谷の族長のシシハゼ様は私の叔父と昨日話しましたよね? 六年前の十歳ごろにシシハゼ様に天谷でお会いした際にシシハゼ様の母君、当時の雨乞いの巫女の従姉妹の娘であるコノワシと友と呼ぶ仲となったのですよ」


 その時コノワシを見てみると彼女はどこか言いずらそうか顔をしていた。

 ——要するにコノワシさんはシシハゼ様とは親戚で間違いないか。


 すると宗介さんはコノワシさんを見る。


 「しかしコノワシ殿、その口の怪我は——」


 コノワシは悲しい顔で口に触れる。


 「あの子——ツボミにやられたんだ。だけどあの子は悪くない。マカ様は見ただろう? 村の娘たちがアタシみたいな口に傷を負っているの」


 「あ……」


 それからコノワシはツボミさんの過去を教えてくれた。

 ツボミさんは天谷の巫女の一族の家系の出であるが、父母は村の掟を破り処刑され兄と二人暮らしをしていた。

 しかし、兄のカゲリさんは村での信頼を回復をしようと妹のツボミさんを蔑ろにするあまりにツボミさんの性格が歪んでしまった。


 油断でしまったが故に、本音を隠されることを極度に嫌い、その心を湖の動物に当たった。

 それが原因か知らないがツボミさんは湖の主の祟りに合いあまりの恐怖に嘘をついてしまった。

 

 それの反応を見た主はさらに怒りこう言ったそうだ。


 『お前は本音を知りたいのだろう? ならお前を除く巫女の一族の口を切り裂いてやろう。もし彼女たちの口を元に戻したければ自分がやったことを告げよ。本当の思いも込めてな』


 主はそう告げると湖に帰っていった。

 

 それがことの顛末。

 そしてツボミさんは水の神に嫌われた故に雨を降らせなくなった。


 コノワシは話し終えるとため息を吐いた。


 「それでシシハゼ様は事の顛末を知り、力の無いツボミを雨乞いの巫女にしたんだ。掟を破ってね。けどそうしないとツボミとカゲリの家は本当に信頼を無くしていたんだよ」

 

 全てを聞いた後チホオオロさんはゆっくり立ち上がりコノワシの手を優しく握った。


 「コノワシ様。つまりツボミ様が儀式をしても神は起きないと言うことですか?」


 「あぁ。ツボミじゃ絶対神様は起きない」


 コノワシは私を見下ろす。


 「チホオオロ様もシシハゼ様から聞いただろ? あの神様は源氏に会いたがっているから神様好みの娘より源氏の方が喜ぶって」


 「はい?」と困惑の声を出したがチホオオロさんは嬉しそうに笑って「それもそうですね」と答えた。

 それから漁師たちと私と宗介さんが混ざり笑いながら先に進み、川に入り東の湖に着いた。

 空は暗闇から起きるように東の空から朝日が漏れ出る。そして小山の影が明るい空を突き抜ける様に映った。


 「あれが天の川大島?」


 コノワシは私の言葉に振り返る。


 「あぁ、あれば天の川大島だ。あの島は大昔に大源美神(オオミナチュラノカミ)に大蛇より救われた言い伝えを持っているから多分ひと騒ぎになるけど堪忍ね」

 

 私は自分の髪を触る。


 狛村にいた頃は別に気にしていなかったけど外に出ると騒ぎになるところがあるんだ。


 そして船を港に留めて降りると奥で人だかりができており、少しざわついていた。島民たちも天河と天谷と違い人狼ではなく人だが男が私と背丈が変わらないほど小柄。

 そして島民たちの注目の的になっているのはシシハゼ様とツボミさんだった。


 カゲリさんは島民たちを宥めようと大きな声を出していた。


 「お前たち鎮まれ! 族長様と巫女の御前だぞ!」


 島民の中でも腰を曲げて弱々しい長老と思わしき島人は杖をツボミさんに向けると怒声をあげる。


 「バカたれ! 此奴のどこが巫女じゃ! 此奴からは穢れの香りがするぞ! 人を傷つけることに快楽を持っておる者のな!」


 私とコノワシ、宗介さんとチホオオロさんは互いを見合ったあとシシハゼさんたちの元に向かった。

 長老はカゲリさんを押し倒すとツボミさんに詰め寄る。


 「どうなんじゃ偽りの巫女! ワシの目は誤魔化せんぞ!」


 「何を言っているのですか。私が巫女ですよ」


 長老はツボミさんのその言葉を聞いて糸が切れたのか杖でツボミさんの頭を殴った。ツボミさんは「うぐっ!」と声を漏らし地面に倒れる。


 「——長老殿!」


 シシハゼさんは目をカッと開き長老の肩を掴む。

 これは不味い!


 「お待ちください!」


 私は咄嗟に長老とシシハゼ様の間に立ち引き離す。


 「二人とも落ち着いてください!」


 「なんじゃ小娘っ!」と長老は怒りに任せて殴りかかろうとしたその時一人の島民が「え、その髪は源氏様!?」と声に出した瞬間はっとした顔で止まった。

 長老はしばらく私を見た後、シシハゼ様を気づけばカゲリさんが宥めていた。


 「シシハゼ様も落ち着いてくだされ。天谷の族長とあろう方が……」


 「——むぅ……」とシシハゼ様はバツが悪そうな顔で諦める。そして倒れたツボミさんをコノワシが肩を貸して立たせていた。


 長老と島民は私を見ると一斉に地面に座り首を垂らした。


 「よくぞ参られました源氏様」


 長老は顔をゆっくりあげ静かに立ち上がった。

 そして私の後ろに立つチホオオロさんと宗介さんを観察した後私と目を合わせる。


 「——で、なんの御用で?」


 「……だから」


 「習わしを破った不届きものは黙っとれぇ!」


 長老はまだ気が立っているのかシシハゼ様に怒鳴った。

 これは取り敢えず私が説明した方が良さそうだ。


 その後しばらくして長老の家に案内され、経緯を説明した。長老は酒を飲みながら私の話を聞き頷く、時折ツボミさんとシシハゼ様を睨んでいたことは割愛しつつ、長老様は「分かり申した」と口にした。


 「では、天河の神の祠にご案内しましょう」


 「ありがとうございます」


 「ただし」


 長老はシシハゼ様とツボミさんを睨むとコノワシさんを見つめた。


 「そこの大柄の娘——お前とチホオオロ様と源氏様だけだ。残りは里から出るな。絶対だぞ」


 「それは———何故?」


 私がそう聞くと長老は杖の先をツボミに向けた。


 「あの者は偽りの巫女じゃむしろ——」


 長老は今度はコノワシに杖の先端を向ける。


 「大柄の娘——」


 「コノワシさんです」


 「そう、コノワシとやらの方が雨乞いの巫女の気風を感ずる。祠から漏れ出る雨を呼ぶ風がその娘には良く集まっておる。で、異論はあるかな?」


 取り敢えず首を横に振ると長老は隣に立っていたなんとなく長老の面影がある青年の肩を借りてゆっくり立ち上がった。私とチホオオロさん、そしてコノワシさんも釣られて立ち上がると先ほどまで静かだったツボミさんが急に立ち上がると手をギュッと握りしめ、全てを吐き出す様にして声を出した。


 「ま、待ってください! 雨乞いの巫女は私です! どうして私を偽りだと!? こうして舞で選ばれたのですよ!?」


 「——」


 長老はツボミさんの思いに対して侮蔑の眼差しを送った。そしてコノワシを一眼見た後、つぼみさんに吐き捨てる様にしてゆっくり口を開いた。


 「雨は降るか? 降らぬか」


 「——降らせます。儀式の時も降りましたので」


 「それは……儀式の時だけじゃろ。神、もしくは真の巫女がお前さんの為に降らせたのかもなぁ」


 「——」


 ツボミさんは動揺しているのかアタフタして悩む。コノワシを見るととても辛そうな顔でツボミさんを見ていた。


 「——え、え〜と。取り敢えず行きませんか?」


 チホオオロさんはこの空気が辛かったのか気まずそうな顔でそう告げた。

 チホオオロさんはその時小さな声で宗介さんに「あの、今のはダメでしたよね?」と告げたがむしろそう言ってくれてありがたい。


 私は勇気を出して前に出ると長老を見る。


 「長老様。取り敢えず祠に向かいましょう。聞いた話では祠の神は私を待っているんですよね?」


 「——そうですな。かの神は源氏様を待たれております。それでは着いてきてくだ——」


 その時外から大きな水飛沫が響き渡ると何やら大きな物を踏み潰す轟音が鳴り響き屋敷を大きくっ揺らした。

 私は咄嗟に姿勢を低くし、カゲリはツボミさんとシシハゼ様を宗介さんはチホオオロさんを支えた。

 それから程なく、揺れがおさまってきた頃合いに一人の島民が大慌てで長老の屋敷に入ってくる叫びに近い声を発した。——。


 「長老様! 海岸に怪物が! それも監視台より物見櫓より大きい奴だ!」


 私はその言葉を聞いてコノワシを見た後、その島民に近づき姿勢を低くすると背中を撫でる。

 

 「その怪物はまだ海岸にいるの? 案内して!」


 「え、ええ!?」と島民は驚く。


 「マカ様! 困ってますよ!」と宗介さんは私を宥めようとする。島民は少し考え長老を見た後「げ、源氏様に助けていただいた方が先決でしょう!」と口にした。

 

 その時チホオオロさんは少し考えて私を見たその時コノワシは冷静にチホオオロさんたちの前に立つ。


 「その怪物、雨乞いの巫女の祈りで祓えないか? 雨を降らせば湖に帰るだろうよ」


 そしてコノワシはツボミさんを見る。

 ツボミさんは体をビクッとさせてコノワシから目を逸らす。


 長老はツボミさんとコノワシを見てしばらく考える。

 「確かに、このままではいても良くない……」


 そして最終的に長老は私を見てその場で地面を頭につけた。


 「源氏様。厚かましいお願いですが怪物からこの島をお守りくださいませ……」


 「分かりました」


 私はチホオオロさんと宗介さんを見る。


 「勝手な行動ごめんなさい。すぐに済ましてきます!」


  私は島民と共に屋敷の外に飛び出した。

 その時チホオオロさんが「御武運を」と言ってくれた気がした。


 ——あとあの怪物はもしかしたら天谷を襲ったやつかも知れず、さらに天人が放った怪物だ。ほって置いてはいけない——っ!


 私はコノシロさんとツボミさんとは途中で分かれ、島民と共に港に向かう。

 港では逃げ惑う人々が見え、あたりは泥だらけで彼らの足を取っていた。

 

 次の瞬間大きな地響きが響き渡る。そして建物がバキバキと後ろから音を立てて崩れる音が聞こえた。

 島民はガタガタと歯を鳴らす。

 後ろを見るとそこには片目がない女の顔をした蟹のような怪物だった。その怪物の体からは泥が滲み出るように噴き出し、口からは紫色の煙が出ている。怪物は大きな目をぎょろっと動かし私たちを見下ろす。

 

 島民は「う、うわぁー!」と声を上げて即座に逃げた。

 私は剣を抜き盾を構え、怪物を見る。

 怪物は大きく口を開き雄叫びをあげる。

  

 その時一瞬口の中に大きな赤い目が見えた。

 怪物はゆっくり口を閉じるとニヤリと笑う。



 「——来る」


 怪物は両腕を高く上げ、私目掛けて風を切る轟音を鳴らしながらゆっくり振り下ろす。

 私は剣を一旦鞘に戻して怪物の周りを走って避ける。

 怪物が腕を地面に叩きつけた瞬間泥が粉塵の如く吹き上がり泥の大波が私を襲う。

 泥の大波は私の全身を飲み込み、その重さに耐えきれず私はその場に倒れる。


 「うぐっ!」と声に出るほどの悪臭と重みで体が動かない。


 「くくくく……」


 後ろからは怪物の笑い声が聞こえる。

 必死に体を動かそうと動くたびにどんどん体が泥の中に飲み込まれていく。


 ——立ち上がらない!?


 必死に膝を伸ばそうしても足が泥から抜け出せない。


 怪物を見ると怪物は泥の上を八本の脚を器用に動かして近づいてくる。

 早く抜け出さないと!


 私は無理やり抜けだそうとするが泥はまるで木の根の様にしっかりと地面にくっつき、私しがみついている様だ。

 怪物はどんどん私に近づく。そして私の目の前に来て人に似た君の悪い顔を笑うかのように口角を一度歪ませると、大きな口を開いた。

 口の中には赤い目があり、それはぎろりと私を睨みつける。


 もうやけになるしかない。


 「はぁぁあ!」


 半狂乱に私は叫び片腕だけでもだそうと力を込めると泥からブチブチと何かがちぎれる音が聞こえたが、お構いなく右腕を引き抜く。

 右腕を引き抜いた泥には穴が開き異臭が漂う。右腕からは痛みを感じるがくっ付いている。

 私は鞘から剣を引き抜く。


 気づけば怪物の口の中に頭が入りそうだ。


 私は剣を怪物の口の中の赤い目に投げつけると見事命中した。


 「グシャァ!」と怪物はよろめき後ろに下がった。

 次の瞬間空から水が降り、微かに雷鳴が耳に入る。

 空を見ると先ほどまでは晴天だったのに夕立の真っ黒な雲が空を覆い大雨を降らせた。


 ——これはツボミさん?


 泥は雨に潤わされたのか柔らかくなり体が軽く立ち上がることができた。

 怪物は雨にあたったからか苦しそうな声を漏らす。


 「グググ……ググ……」


 怪物は口をモゴモゴさせる。

 私はナビィの勾玉を握る。すると勾玉から光の粒が出てきてそこには無かったはずの弓が現れた。

 私はそれに握ると矢を一本を筒から取り弓を構える。


 「ペッ!」


 怪物は口から私目掛けて何かを吐き出す。

 

 「——っ!」


 私は顔を逸らしてそれを掴むと私の剣だった。

 良かった飲み込まれなくて。

 

 怪物は異物が無くなって安心したのか私を睨む。

 私は剣を鞘に戻すと目に目掛けて矢を放つ。


 すると怪物は体を宙に浮かせ腕と脚を地面に落とすと怪物の姿は人間の顔に変わっていき。それも美しい女性の顔になり山に逃げた。


 「え?」


 「——へへ、へへへ」


 怪物は不気味な笑いを空中に響かせるとすると山に向かって逃げた。

 それに伴ってか雨も止んでいき、地面を見ると泥はいつの間にか消えている。あたりを見渡すとほとんどの家が潰され、圧死して中身が飛び出した肉塊が散乱している。


 「さっきの匂いの正体はこれか。あの怪物、山に逃げたか。あれ? 雨も止んだ」


 私が唖然と飛び去った方向を見ていると遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 振り返ると怪物の居場所に案内してくれた島民が長老とシシハゼ様、それから宗介さんとチホオオロさんを呼びに行ったのか先頭を走っているのが見える。


 チホオオロさんは一足先に私に着くと息を荒くしながら近づく。


 「全く。勝手な行動はしないでください!」


 「も、申し訳ございません」


 咄嗟に謝るとチホオオロさんは息を整えて辺りを見渡すと再び私を見る。


 「で、その怪物はどこへ?」


 「あの山に逃げていきました。それも飛んで」


 「——山に」


 そうチホオオロさんが口にすると後から来た長老が驚きのあまり大きな声を出した。


 「な、なんですと!?」


 長老は大慌てげ私に近づくと着物を掴む。


 「源氏様! あの山には天河の神の祠があるんです! 鎮守の森にあの怪物が居られると森が穢れ、神の身に何が起きるのか分かりませぬ!」


 「え、えーと」


 「けど! ご安心ください! 祠にいる神に起きていただいて怪物を追い払う結界を張ってもらうのです!」


 長老は大きな声を出しながら杖を山に向けた。

 私は頭の整理が追いつかなかったため、冷製を装ってチホオオロさんを見る。


 「取り敢えずですが私とマカ様で森に入りましょう。あの森には天河の族長一族と巫女しか入れないのでしょう?」


 チホオオロさんがそういうと宗介さんは特に反対せず「その方がよろしいでしょうな」と口にした。

 長老もそれに頷く。

 チホオオロさんも首に土笛が掛けられており服装も動きやすいものだ。


 「では、早速いきましょうか」


 「えぇ。儀式はお預けですね」


 そしてチホオオロさんと山に向かおうとすると後ろから着物を掴まれた。

 振り返ると何かを口に含んだ長老が立っており、その隣には蓋が空いたひょうたんを両手で抱えている島民がいる。


 私は苦笑して島民を見るとひょうたんに指を差す。


 「あの、それは?」


 「まず山に入る前に酒を吹きかけるのが我が島の慣わしです。天河の族長様もですよ——」


 「ブフゥぅ!」


 「「ふぐっ!?」」


 島民が教えてくれたのと同時に長老はお構いなく口に含んだ酒を私とチホオオロさんに吹きかけた。それは一度ではなく、ひょうたん二本分の酒を吹きかけてきた。

 私とチホオオロさんの体は酒でびしょびしょになる。


 そのおかげか私の体についていた泥は全て流れ落ちた。右腕を見ると少し赤く腫れているだけで大丈夫そうだ。


 私は髪から滴る酒を袖で拭くと長老は満足そうに頷く。


 「これで清らかになりましたぞ!」


 チホオオロさんを見ると体をプルプル震わせ、小声で「国造(クニノミヤツコ)様に頼んで儀礼を変えてもらいましょうか……」と口にしたが気にしないでいこう。

 私とチホオオロさんは顔を見合わせた後、山の奥にある祠に向かって歩いた。



  

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