3-9)その後の、それから
* * *
「お疲れ様です、鬼塚さん」
「お疲れ様です村山さん」
事件後の検査はあっさりとしていた。村山の状態に問題はなく、天道もほとんど異常なし。天道がほとんど、なのは、自分の言葉が異常だと気づいたときに舌を嚙みちぎろうとした形跡がみつかったせいだ。それはそれで人のこと言えない無茶じゃないですかねぇ! と悲鳴のように村山が叫んだし、報告を聞いた鈴鹿も目を白黒させていた。鬼塚自身ぎょっとはしたものの天道ならそれくらいは、というものがありそこまでではなかったのだが、そんな鬼塚の様子に気づいた村山に「だから刑事さんは怖いんですよぉ」と嘆かれたので多分だいぶ問題だったのだろう。天道さん、世が世なら介錯なしで切腹しそうで怖いね、と言ったのは海野だったか。
どちらかというと、鬼塚としてはやはりあの日の村山の覚悟の方が焦燥を作る。なにも出来ない自身の不甲斐なさも含めて、どうしても淀むものがあった。
「先日はタイミングがずれちゃってすみませんでした」
「いえ、出張なら仕方ないので」
「いやあ、普段はこんな急に入れられないんですけどね。この間の件で色々あって……ああいや体調とかそういうんじゃなくて、ああいう異層を繋げる例ってのはいくらでも共有しておきたいというかよその件で急ぎでちょっとあっただけですよ!」
鬼塚の表情が険しくなっていたのだろう。慌てて両手をぱたぱたと振る村山に、すみません、と短く鬼塚が謝罪する。
「不満とかではありません、申し訳ないです」
「いえ、心配してくださっているのはわかりますし、今は平気だと思っていても思い出すのとかありますしね。あれはほんとね、はい、必要があってやりましたしあの選択を変えることはありませんが、それでもまあやらかしって言われて仕方ないというか、私がやりましたといいますか」
たはは、と笑う村山の語調は軽い。すみませんね、と村山は言うが、鬼塚にとってその謝罪は、むしろ自身がするものだった。
「いえ。……私が選び、頼みました。なので、お叱りを受けるなら私だと思います」
天道は文句を言っておけと言ったが、鬼塚にとっては、わかっていたことだ。天道を案じる村山の選択が、村山に危険があると知っていた。それでも、為せると言う村山を頼った。自身が無力ゆえに、特視研を使う、そう選んだのだ。
天道なら村山を案じたのではないか。あの形以外の最善を選んだのではないか。後悔がぐるりとめぐり、それでも鬼塚は選んだし、あの日の責任は自分のものだと思っている。
天道にはため息をつかれたが、しかし否定はされなかった。それが、鬼塚の立場だ。天道が自身と同じ立場の鬼塚をその点で否定することはない。
「有難うございます」
顔をしかめた鬼塚に、穏やかな声が掛けられた。釣り目ぎみの半月のような三白眼はともすれば探るように見えそうなのに、まるで朧月のような柔らかい甘さを見せる。
「つい、謝っちゃいますけど。違いますよね。私は頼ってもらえてうれしかったです。だってそのためにある、
はく、と、小さく鬼塚が空気を漏らす。にんまりと笑みを深めた村山は、明るく声を上げた。
「科捜研の人だって場合によっては命かけていらっしゃいますしね。とはいえ私は命かける皆さんの為に、それが危うくないようにするお手伝いなのでああいうことはほんとそうそうないんですけど! 出来ることを為す、そしてその為すことを信じてもらえるのは、やはり望外の喜びですよ」
甘い楕円。少しだけぎくりと体を揺らした鬼塚は、細く息を吐いた。そうしてから、少し不器用に笑む。
「頼もしいです」
「鬼塚さんたちがいらっしゃるから出来ることですよ。そして、為したいと思うことです」
穏やかに村山が言葉を重ねるのは、鬼塚の内心に気づいているからだろう。どうしても付きまとうものだというこの焦燥は、それをわかった上で務めていくしかない。鬼塚は特異な能力を持つヒーローではなく、しかし人を守る警察だ。
鬼塚の表情に満足したのかうんうんと頷いた村山は、あ、と声を漏らした。
「雑談で引き留めちゃいけませんね。わざわざお立ち寄り有難うございます。とりあえずこの書類で終わりです。ええとこの部分だけちょっとややこしいんですけど」
会議の時間を割くほどではないが、書類を届けるだけでは足りない部分を補足するようにてきぱきと村山が説明を付け加える。このあたりは村山にとって慣れたものなのだろう。最初はわざわざ説明を別紙に出すくらいに至れり尽くせりだったが、今は鬼塚がメモを取るだめで十分だと判断したのか口頭のみになっている。
「じゃあ、お願いします。いつも有難うございます」
「……お世話になっているのはこちらの方です。有難うございます」
相変わらず丁寧に礼まで示す村山に、鬼塚も軽くではあるが一礼で返す。そうして書類を受け取り、しかし少しだけ不思議そうに村山を見た。
実のところ、先日から少しだけ気になるところがあった。気のせいかもしれないと思っていたが――
「すみません、答えづらいかもしれませんが」
「はい? なんでしょう」
不思議そうに顔を上げる村山の様子は、平時と変わらない。無理に隠している様子もなく、だからこそ鬼塚はひっかかっていた。
「私がなにかしたか、気になることがあるようでしたら教えてください。直接言いづらいようでしたら、他の方に言っていただく形でもかまいませんので」
察しが悪く申し訳ないです。そういって鬼塚は頭を下げた。気のせい、としてしまうには、村山の様子に少し距離を感じる。不快な様子は見えないのだが、説明の時の距離感・書類のやり取りをするときの指先の動きから、少しの緊張が見えるのだ。それ以外に見えないのは隠しているからなのかもしれないが、しかしそれにしても違和感がある。
出来る限り人に気を配りたいというのは鬼塚の性情だが、非常によくしてもらっているから余計気になってしまっている部分もあった。
じ、とその心に気を配るように鬼塚が村山を見下ろしていると、その瞳がうろ、と泳ぐ。
「あー、えっと、その、一切合切鬼塚さんは悪くなくてですね」
「はい」
悪くないというにはどうにも歯切れの悪い言葉だったが、それでもまず鬼塚は頷いた。聞く姿勢を示す相槌に、ええと、と村山が言葉を探す。
「あー、うん。はっきり言った方がいいですね」
なにかを決意したようにうんと村山が頷く。覚悟するように鬼塚が背筋を伸ばすと、村山は眉を下げてにたりと笑った。
「あの、救助なのはわかっていてすっごく助かったんですけど、あんまその人と接近するの慣れていなくてですね、ちょっと思い出してそわそわしちゃって」
ぎく、と、鬼塚が身を硬くする。いえあのいやだったわけじゃないんですよ! と村山は慌てたように言葉を重ねた。
「ほんっとね、ほんっと、すごく失礼で申し訳ないんですけどちょっとどぎまぎしちゃって。思い出しちゃうというか、ほんとね、鬼塚さんはまったくこれっぽっちも悪くなくて、嫌だったわけでもなくてっていうかセクハラじみていますねほんとすみませんあのそのええと、とにかくですね、どきどきしちゃって!」
珍しく顔を真っ赤にして村山が早口でまくし立てる。いやあの、という中身のない言葉がやけに多く差し込まれながら、村山は赤い顔で頭を掻き、うつむいた。
つい、あの日抱えたときの首筋が重なる。あの日と違うのは、首まで赤く見えるところだ。
「すぐ落ち着くとは思うんですみません、ほんっと、ほんっとそういうのね、失礼だとは思っているので……むしろ文句を言うべきは鬼塚さんといいますか……」
「いえ、自分もその、そうなるのはわかります」
慣れていないので。そう鬼塚が続ければ、ほっとしたように村山が息を吐いた。
「慣れないとどうしても、意図はないのわかっても、すみません。離れてほしいとかでもなくて、ちょっと落ち着くまで気にしないでいただけると嬉しいです」
「はい。……村山さんの方で、なにかあったら私でもほかの方でも教えてください。それまではこちらは気にしないようにします」
答えながらも、じわじわと鬼塚の顔に熱が昇る。とはいえ村山がそれを指摘することなく、眉を下げたまま笑った。
「有難うございます、お願いします」
「では、失礼します」
もう一度軽く頭を下げ、鬼塚がやや足早に外に出る。ややあって、別件で科捜研に顔を出していた天道が合流した。
「おう、お疲れ。そっちは――いや、それより書類貸せ」
「はい」
素直に書類を渡すと、天道はその封筒で軽く自分の肩を叩いた。
「待ってるからそこの便所で顔でも洗ってこい。めちゃくちゃ顔に出てる」
ぎく、と鬼塚が体を揺らす。天道は半眼で鬼塚を見上げた。
「さっさとしろ、時間」
「はいっ」
反射のようないい返事と廊下を走りまではしないが素早い動きの後姿を見送って、天道はため息をついた。
「……まあ、いい足枷にはなんのか?」
呆れたような独り言は停滞したが、聞く人間は誰もいなかった。
第三話 了
「特視研究所職員村山による怪異検案書」完結
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