2-10)居酒屋

 * * *


「えっ桂士まだデート誘ってないのかよ」

 居酒屋の個室とはいえ、あまりにあんまりな言葉を吐かれて鬼塚は思わず噎せてしまった。口にほとんど含んでいなくて良かったという安堵は、何度か喉を整えた後ようやく思考と入れ替わる。

「……そういう関係じゃない」

「そういう関係になるためにデート誘うのは普通だぞ、デートはカップルだけの特権じゃないからな。むしろそのタイミングが大事だ大事」

 言い放った百田はまるで常識を語るかのような態度で、鬼塚は眉間にしわを寄せる。いやそれくらいわかる。わかるが、そもそも論大前提がおかしいのだ。

 もう一度軽く咳をしてからウーロン茶を嚥下し、鬼塚は眉間のしわを揉みほぐした。

「職場で世話になってる人だ」

「いいひとだよな、村山さん」

 当たり前のような言い方に、鬼塚は頷く。そこは頷ける。非常にいい人だと思うし、優しい人だ。気を使わせてしっているだろうとわかる度、申し訳無さとその当たり前に並べられる優しさへの謝意を持つ。

「んで、優しいけどしっかりはしてるじゃん。だから嫌なら一応教えてくれるんじゃないか? 一回ほんと誘ってみろよ」

「……職場でパワハラセクハラになったらどうする」

 警察でそれはまずいだろ、と、わかりやすい部分から指摘する。今の配属先では力不足を感じることは多いが、それはそれとして刑事にまでなれたのは喜ばしいことだ。署内でそういう関係になる人間がそれなりにいるのは知っているが、とはいえ、と鬼塚は思う。

 相手の負荷にならないラインがわからないし、せっかくいい職場関係を築いているのだから気まずい関係になりたくない。百田と話を取り付ける関係で連絡先を交換したし、メッセージを送りあったがお互いに百田のことを終えた後はノータッチなくらいだ。たぶんそれくらいの距離感が適切なのだ、と鬼塚は思っている。

 にしても、あまり、というかこれまで百田にこういったことを言われた覚えがない鬼塚は困惑してしまった。一応変な誤解を与えさせないように端的に答えたつもりではあるが、困惑したまま百田を見れば百田は鬼塚の内心など関係ないようににんまりと笑っている。

「パワハラセクハラじゃなかったらアプローチするのか」

 げほり。もう一度変な空咳をした鬼塚の眉間にしわが寄る。じわ、と目じりを赤くした鬼塚は、やや大げさにため息をついた。

「そもそもそうじゃない……」

「本当に?」

 じ、と見据えてくる百田に、ぐ、と鬼塚はつい身構えた。いや本当、なんだが。連絡先の件だってそれだけで、その後はメッセージだって送りあっていないし。それ以上も何もない。そう答えようとするのに、何故か咄嗟に返事が出ない。

「じゃあ俺がアプローチしようかな」

「は?」

 ふうん、と言った百田は、なんてことないようにさらりと言い放った。つい声を漏らした鬼塚に、気にした様子なく百田は机の上の刺身に箸を伸ばした。

 そうしてマイペースに咀嚼する百田を、鬼塚はついそのまま眺めてしまう。

 こくり、と口内の刺身を嚥下し、百田はなんてことないように口を開いた。

「いや、だってやさしーだろ、会話のテンポもいいし、話してて安心するし。俺フリーだし、嫌われてはいないと思うし」

「……そうか」

 とんとんとん、と並べる百田に、鬼塚は小さく言葉を落とした。確かに嫌われてはいないどころか村山は百田に好意的だ。基本的に村山とは職場の付き合い止まりなので、そもそも村山が否定的感情を持っている人物を見た覚え自体ないともいえる。しかし、そういった狭い範囲でも村山は百田に向ける感情がプラスだろう程度は流石にわかる。

 村山はあまり話し上手でない自覚がある鬼塚に対しても気にした様子を見せず会話を続けることが出来るくらいだし、会話上手な百田となら余計話も気も合うだろう。百田の話も聞きだしたことだし――

「嫌ならアプローチしたほうが無難だと思うぞ」

 ふ、と、穏やかに笑んで百田が言った。どこか言い聞かせるような柔らかい語調に、鬼塚は一度目を閉じ、静かに息を吐く。

 言わないとわからないこともある、だったか。浮かんだ静かな声と表情に、鬼塚はそっと口を開いた。

「今のは村山さんのことじゃない」

「いやー、中々しんどそうな顔していたけど」

「……朗が、俺には話さなかったことを村山さんに言ったのを思い出してな」

 出来るだけ淡白に伝えたつもりだったが、少し拗ねた色があるように感じてしまい鬼塚は顔をしかめた。伝える、と決めたのは鬼塚だが、それにしても声も相まって子どもっぽい、と自分で思う。つい手元のサラダを口に運んで誤魔化す咀嚼するが、百田は何も言わなかった。

 やや浮かんだ間に鬼塚が居心地の悪さを感じていると、は、と百田の呼吸音が落ちた。

「あー、いや、なんつーかこう、桂士の仕事の守秘義務抵触するのも怖かったし、あー」

 百田にしては歯切れが悪い。言い訳してくれているのが優しさだろう思いながら、鬼塚はレタスに箸を伸ばした。葉物を咀嚼する音で自身の落ち着かなさを誤魔化すようにする鬼塚に、百田は控えめに頭を搔く。

「あんまこう、持ち込みたくなかったというか」

 持ち込みたくない、は、おそらく知られたくないことがあるという意味なのだろう。その部分を暴く気は鬼塚になく、うん、と頷く。

「ちょっと仲いい程度の元同級生のややこしいもん聞かされても困るだろそもそも」

「……うん?」

 もう一度頷きかけ、しかし鬼塚は語尾を上げた。顔を上げるが、百田の方が明後日の方向を見ているため視線はかち合わない。百田はやや落ち着かなそうに体を揺らしていた。

「そういうのお前との付き合いに持ち込みたくなかったつーか、あー、桂士はそうじゃなかったと思うけど、俺はけっこーお前に憧れてたし、いまさら言うのもなんつーか重いかもだけどさぁ、だからこー、そう、気遣わせるような話聞かせたくないっつーか変なもん入れたくなかったっつーか」

「持ち込みたくない、は、わかる。そういうのもあるんだろうくらいは想像できる」

「だよな」

 安心したように声を上げて百田が視線を鬼塚に戻す。そうしてから、ぱち、と瞬いた。

「……お前酒飲んでないよな?」

「ああ」

「目、据わってないか」

「…………」

 おそらく、今まで生きていた中で一番大きなため息を鬼塚は吐き出した。え、と百田が困惑した声を出す。

「悪い、やっぱちょっと勝手に色々こぼしすぎたか、えーと」

「……俺は朗の友人のつもりだったが」

「おう、それはわかっている」

「朗にとってどうかは知らないが、一番親しかったつもりだ」

「え」

 はー、と、また鬼塚は大きくため息をついた。頭まで抱えだした鬼塚に、え、とまた百田が声を漏らす。

「言わなければわからない、伝わらないってのは本当だな……そんなにわかりづらいのか俺は」

「いや村山さんにはわかりやすかったぞ」

 ずれていた話が戻ってきたような突っ込みに、んぐ、と鬼塚はまた変な音を漏らした。じわじわとその顔に熱が昇る。

「なんでそこ拘るんだ……」

「いや、桂士だいたいそういう縁ないからつい」

 そう言われてしまうと否定が難しく、鬼塚は黙した。こういう話題自体が馴染まない。なんとなしに村山の照れた顔まで浮かんでしまい、思考を散らすように額を押さえる。

「まあ半分からかっているのは認めるけど」

 言葉を無くしていた鬼塚に、けろりと百田は言って見せた。なんだかんだ引き際を心得ている男に、鬼塚は数度自身のこめかみを揉んだ後手を下ろす。

「勘弁してほしい」

「ガチで嫌ならやめるやめる、悪いな」

 そう言ってノンアルコールを飲む百田に、鬼塚は続くようにウーロン茶をもう一度飲み込んだ。コップを下ろした百田は鬼塚が息を吐くのを見て、やめるけどさあ、と軽く声を出す。

「そういう気持ちがもし少しでもあるならまあ、自分のペースでいいけどちゃんとアプローチしろよ。ああいう気さくそうな人は油断してると危ないぞ~。最初は恋慕じゃなくてもさ、ちょっといいなが変わって、みたいになるやつ他にもいるかもじゃん」

 俺もちょっと揺らぐ、と軽い調子で百田が笑う。揺らぐ、という言葉に、鬼塚の目も少し揺らいだ。

「……朗のこと、好いてはいると思う」

「いやいやいや、俺はそんな馬に蹴られにいかねーから! 俺のはいいんだよお前そう、お前ほんとそういうとこなあ」

 はー、と先ほどの鬼塚と入れ替わるようにして今度は百田が大きく息を吐く。そうは言われても、自身に言われるよりそういう感情に自覚があるなら百田の方が合うだろう、くらいのことは鬼塚にもわかる。しかし百田は「やだやだ」と軽く首を横に振ると、お前なぁ、とまた呆れたように声を出した。

「ちょっと気になる程度でもお互い知ってくきっかけで声かけるのもありだし、そうなんつーかそこで止まるのやめとけよ勿体ない。桂士そういうの苦手だろうけど、言わなきゃ伝わらないし、俺としてはもうちょいさあ」

「言わなきゃ伝わらない、は、よくわかった」

 酒も飲んでいないのに少し差してしまった赤みはまだ引かなかったが、百田の言葉に鬼塚は静かに実感を落とした。そう言われてしまうと、今度は百田がむぐりと言葉をつっかえさせる。

「朗は友人が多いしそっちにとってどうかはわからなかったのは確かにあったし、そもそもわざわざ確認するほどじゃないと思っていたが、俺にとっては親友くらいの気持ちだったのに酷い言われようしたからな」

「はぇ!? えぁ、し……っ!? ……いや、あー、その、どっちかというと俺はだな」

「俺の片思いだったわけだ」

「やり返しだな!? その言葉選びはやり返しだな桂士!?」

「傷ついたな」

「あああ~、くっそ!」

 百田が頭を抱えたのを見て、少しだけ鬼塚は喉奥で笑った。同時に、わずかにだが安堵もする。

 先日百田が音を失ったときのその単語と、声。学生時代から感じた、時折見えた自分をないがしろにするところ。それらは例えば先ほどのような自己肯定感の低さからだったのかもしれない。けれど。

「高校生活、おかげで楽しかった」

 けれど、と思考は続けられた。低さが理由だったとしても、でも、今。伝えれば何かが降り積もるだろうことは、百田の表情からもよく分かった。

 過去の声よりも今が降り積もればいい、というのは、百田のことを多くは知らない鬼塚の身勝手な感情ではあるが。

「桂士に誤魔化される日がくるとは」

「誤魔化しも嘘も苦手な方だ」

「知ってるよくそ!」

 百田の叫びに、鬼塚はもう一度、小さく笑った。


第二話 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る