2-6)声の行き先


 * * *


「は」

 出そうになった音を、鬼塚はなんとかそこで飲み込んだ。それがどういった言葉だったのかについては鬼塚自身わからなかったが、それでもなにかを音にしようとした自覚はある。参考人として迎えたのだからその個人的な音は飲み込むべきもので正しい判断ではあったのだが、しかし友人としては別の感情があった。

 デスクを挟んで対面する鬼塚が渋い顔でなにかを耐えるような様子に、百田が笑う。

「いやぁ、なんか手掛かり? あるならいいかなーって思ってさ」

「それはなんというか、……こちらの配慮が足りなかったというべきですかねぇ」

 へらへらと笑ったままの百田に、話を共に聞いていた村山がはあと微苦笑した。鬼塚と違って大きな三白眼は、百田の表情を覗き見る表情の意味を意識させるものがある。

「え、いやいや村山さんたちがどうって問題はなくない? 俺の勝手な判断だし」

「その判断をさせてしまった、と考えられるんですよ」

 参ったなあ、と眉を下げた村山は、ただひたすら困惑を苦みにしていた。口元に浮かんだ笑みは平時よりも力なく、はあ、と肩を下げた姿はわかりやすい感情を伝えている。

 寧ろ、わざとわかりやすくしているというべきか。

「いやー、そんなんないっすよ。俺の勝手だし、判断をさせたなんて思う人はいないし。って、あー……」

 百田も鬼塚と同じ考えに至ったのか、ふと苦みを笑みに含めた。ため息のようななんともいえない呼気とともに声を漏らすと、にへ、と村山を覗き見るように笑う。

「これはあれっすね。俺、怒られていますね」

「いーえ、こちらの反省ですよ。ね、鬼塚さん」

 にたり、と。平時に近い軽薄な笑みを浮かべて村山は鬼塚を見上げた。ああー、とでも言うようななんともいえない表情で続けて鬼塚を見上げた百田に、鬼塚は眉間に寄せていた皺を少しだけ緩め、息を吐いた。

「……こちらの落ち度ですね」

「お前までそういうの本当さぁ、もー、悪かった、すみませんって」

 ぱん、と両手を合わせて頭を下げる百田に、村山は小さく笑んだ。少し悲しげな微笑に、鬼塚は珍しくやや大げさに肩を竦め落とす。

「朗のそういう雑さは、少し心臓に悪い」

「ごめんって。反省しています」

 神妙に謝る百田に、鬼塚は少しだけ目を伏せる。百田朗という男は朗らかで他人を思いやる人の良さを見せるが、その実自分をないがしろにするところがある、というのが鬼塚の評価だった。故に、今回の不足は村山を含めたこちらと言うより、鬼塚にとっては自身の不足である。

 けれどもいたずらに言葉を重ねるものではない、とも思っている。百田の行動は、先に百田が言ったように手掛かりを求めたもので、百田なりの善意だ。そして、その善意で苦しむのは百田で、選んで結果を持ってきた状態に対してあまり多く言うのも自身の不足を棚に上げた行為で悪いだろうと鬼塚は思う。

 だからこそ、村山が少し当てつけのように言葉を続けたのは意外だった。けれどもそれは彼女の優しさであり、おそらく鬼塚にはまだを見てきた経験からもあるだろう。

「一応言っておきますと、こちらの不足と思っているのは本当ですよ。ただ、それをわざわざ言葉にした方が、百田さんには響くかなってだけで」

「うーん、短期間で理解されちゃってるな。やきもち焼いてもいいぞ」

「焼かない、朗が分かりやすいんだろう」

 軽口を叩く百田に、鬼塚は再び眉間にしわを寄せた。隠すことのない不服に対し百田は穏やかに笑うと、参ったなあと零す。

「似たモン同士、ってやつか」

 その言葉は鬼塚にとって想定外で、問うように鬼塚は視線を向けた。鬼塚と同じように村山も想定外なのか、二人の視線が百田に集まる。

「とはいえ手掛かりになるかは正直微妙ですよね。発疹が増えただけだし」

 視線を受けた百田は穏やかさを軽い調子で遠くにやると、あっさりと先の話をひっぱりだした。鬼塚は反射で眉間の皺を深めたが、村山はどちらかというと考えるようにじっと百田の耳を見る。

「黒い部分じゃなくて、耳珠の発疹が増えたんですね。、ですか」

「ん。そんな感じです。ばあちゃん、って名前を呼んだのと、ばあちゃんか? って聞いたのと、なんで、どうして。そのあたりの単語を言って、多分増えたのは質問とか、尋ねている・返事を求めているものですね。それが追加されて、今六個になってます。そのあとに呼び声が聞こえた時は俺黙っていたんすけど、以降増えてないですし」

「いやほんと、中々勇気があると言うべきなのかもしれませんが、無謀ですよ百田さん」

 あんまりこういうのは何度も言わない方がいいと思うんですけど言いたくなっちゃいますね。そう続けて村山が息を吐く。そっすねぇとからりと笑う百田に鬼塚がにらみを利かせると、ごめんって、と柔らかい苦笑が返った。

「発疹が増えてからは、なんていうかって感じですね。一応耳鼻科も皮膚科も行きましたが、耳鼻科ではビタミン剤、皮膚科では塗り薬貰ったくらいです」

「聞こえるものと聞こえないものについては」

「聞こえるのは何というか、ばあちゃん以外の音? 声じゃないです。なんというか、ざわめきみたいだけれど人っていうより木々のざわめきに近い? 森の中にいるみたいな感じ。フツーに街中とかでそれなので、耳鳴りとか難聴かな思ったんですけど耳は良く聞こえるって感じですね。あと、割合が多いのは耳を塞いだ時に聞こえる血液の音っぽいやつ。とはいえそんな感じってだけで表現があってるのかはわかんないっすね。とりあえず、聞こえるものが増えて、唐突に起きる感じ。あと、聞こえない物の代わりに入る高音と言うか、よくわかんないなんっていえばいいかわからない感じの音」

 どういえばいいんだろ、と繰り返す百田に、鬼塚はついあの緑の祠を思い出していた。森と言うほどではないが、木々に囲まれた場所はつい連想してしまう。

「聞こえないものについては」

「んーっと、聞こえない単語があるな、って思って。たとえば、桂士」

 百田の呼びかけに、鬼塚は百田の目を見て背筋を伸ばした。聞く姿勢、受け止める姿勢を見せた鬼塚に、百田が肩を落として笑む。

「……声は出せているみたい、か? 俺、鬼塚の名前が聞こえなくなっちゃってんだよね。ギイギイしているっていうか、なんかノイズっていうか。音がどれになるみたいな統一性はなくて、その時々で違うんだけど、聞こえないし、試しに言うとなんか気持ち悪い。口がもぞもぞする」

 鬼塚が目を見開き、村山はぱちぱちと瞬いた。なるほど、と言葉を漏らし口元に手を当てる村山を横目に、鬼塚は静かに息を整える。

「声は出せている。お前が言っているから聞こえないのか? それとも他でも同じなのか……例えば今、桂士、と言ったらわかるか?」

「わかんねぇな。変な音が変わりに入るから、多分言っているんだなってのは想像出来るけど」

「そうか。……たとえば、ということは、他はなにがある? スマホで書くでもいい」

 統一性があるのかどうか。正直統一性があったとしてもそれがどういう意味を持つのか鬼塚にはわからないが、村山が思考する材料を得た方が良いだろう、ということは想像できる。

 鬼塚の言葉に百田は携帯端末を取り出し、しかし一度ロック画面を解除した後再びそれをしまった。

「わざわざ単語並べるほどじゃないかな。家族の呼び名三つと、仕事、と」

 そこで百田は言葉を切った。もごり、と口元を動かした百田に、鬼塚は一度瞬く。

 どうした、という問いかけをするべきか悩んでいるうちに、百田は再度口を開いた。

「……ああ、ちょっと漏らしていたな。家族の呼び名は四つだ」

 眉をしかめて笑みを浮かべる、歪んだ笑い。百田のその表情に言及せず、鬼塚は「そうか」とだけ答えた。そうなんですね、と、村山の言葉も続く。

「失われた単語は六個で、発疹も六個。聞こえないと自覚できないものがあった場合はずれますが、そうじゃない場合は同じ数、ですか」

「法則性は感じますね、だからどうしたってかんじですが」

 百田の言葉の後、村山が手を組んだ。その指先が自身の手を叩くのに合わせて、小さく足元で音が鳴る。指先を見るように伏せられた瞼が、持ち上がった。

「……おそらく、これは意図して作られたものです。多分その問いかけは必要な手順で、とりあえずは何も答えないのが正解でしょう。とはいえ、放置するという考えはありません」

 放置して何とかなるものでもないでしょう。続けた村山に、百田は顎を引いた。

「とりあえず無視するのは意識しますけど、他になにすればいいんすか? 所謂おとり捜査、みたいなことになるんです?」

 オカルト相手におとりもなにもあんのかな、と百田が続ける。おとり、というのはあまりしたくないのが鬼塚の正直な気持ちで、しかし鬼塚は百田と同じくどうすればいいかわからない立場だ。とはいえそれを見せるわけにもいかず、ただ村山の言葉を待つ。

 くるり、と、村山の指先が小さく円を描いた。

「おとりは嫌ですけど、とはいえそんな感じでやってもらうことがあるのも確かですね。……ま、簡単なお祓いみたいな感じです」

「お祓い」

 なるほど、と百田が復唱する。お祓い、といって鬼塚がイメージできるものはさほど多くない。ただ、特捜室でよく「手順」という言葉を繰り返されてはいるのでそれだろうか、程度には思う。思うが、しかしそれ以上にはならない。

「私たちの方で出来ることは少なくて、百田さんの負荷は多くなります。それをおとり、と言われたらちょっと否定できないですが……でもおとりというよりは、お祓いに必要な手順を踏んでもらう気持ちではあります。とはいえ、百田さん側で起きてしまうことがあって、やってもらうことがあるのも確かです。だから、無理なら無理って言ってくださいね。無茶は無茶でしかありません。こういうのは、きちんと手順を踏んで成す、道理を通すものです」

 穏やかに村山は言葉を並べる。それでいてその語調は、有無を言わせないものがあった。

「法則がないものに法則を通して、丁寧に積み立てることが必要です。

 だからこそ、慣れたつもりにならないでください。少しでも難しいことがあれば隠さないでください。これくらい平気だと、判断しないでください」

 らん、としたその目は、はっきりと百田を映している。百田は笑わず、数秒の間の後しっかりと頷いた。

「肝に銘じます。――二人とも、よろしくお願いします」

 百田の綺麗な一礼に、鬼塚は拳を固く握った。

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