1-9)対峙

 つい、守るようにポケットの口を押さえると、村山は愛想笑いをしながら軽く首を傾げる。

「貴方も捧げものを持っているんですか?」

「そうですね」

 答える男の語調は平坦だ。おだやかな声は社交辞令のような距離があるのに、その顔はうっそりと笑みをたたえている。ぞ、っと、なにかが背筋を這うのを村山は感じた。

(なにを、この人は)

 奇妙な感覚が、思考を呼ぶ。なにを。目出度さま? 違う。そこは結びつかない。否定が、転がる。思考を、転がす。

 目出度守は、おなりさまに捧げた果実が元だという。ならばこの祠はおなりさまか? いや違う。おなりさまなら目出度神社の人間が関わらないようにと言われる意味が分からない。もしそれが正ならば、目出度守が残ることもないだろう。そもそも目出度さまはあの神社に祀られており、目出度さまだと思われたおなりさまがここに祀られるのも謎だ。その場合は分霊扱いになる方が自然だろう。

 ひたすら思考を繰り返し、村山はなんとか震えを誤魔化そうとした。まずい、という感情と、もしかすると、が重なる。

 これはチャンスだ。参考人として協力願えばいい。もしも違ったとしても、情報を得ることに違いはないだろう。見当違いだったとしても、男は十分に聞く価値のある単語を口にしている。

 けれども同時に、村山はただの職員だ。もしも正しかったとした時、男がなんらかの強硬手段に出たとしたら。村山は体力についてはそれなりに自信を持っているが、力については残念ながら非力だ。男相手に、確保どころか逃げることすら咄嗟にできるかどうか。鬼塚が村山のもとにきたとて、足手まといになる自覚は十分にあった。それに。

 それに、と、村山は思考に重なる声につい眉根を寄せた。身の安全を第一に考えろ。それは平時から天道に口酸っぱく言われていることだった。というか、普通に研究所内でもよく言われている。外に出ることが多い村山にとっても十分承知した内容で、道理だ、という理解はある。しかし。

 ぐるりと巡る思考で、村山は男を見る。結局今、男と対峙してしまっているのは村山だ。そうして村山は笑った。にた、という軽薄な笑みはきちんと形作ることが出来ているはずだ。内心で繰り返して、指先まで意識を巡らせる。

「貴方は――って、貴方貴方ばかり失礼ですね。お名前を伺っても?」

 本来、あちらのものに問いかけ知るのは軽率で危うい行為と言えるだろう。問いかけたのは、目の前の男をこちらのものと判断したからだ。男は村山に問いかけ、選択を迫るのだから当然の判断でもあった。これは災害ではない。明確な個人の意志により起こる、犯罪だ。

神崎かんざきです。貴方は?」

 は、と、呼吸が喉ですぼまるのを、村山は笑いに変えた。軽薄に見える自覚のある笑みがまるで命綱のように感じる。名前をどう答えるか、逡巡があった。

「……ああ、駄目だな。勿体ない」

 男――神崎は突然冷めた声で言った。がさがさとした物音は自然が成すものではない。明確な来訪で、手を離して身を引く神崎の腕を、村山は咄嗟に掴んだ。。その判断は、考えるよりも早い反射じみていた。

「あの、捧げもの、やり方を教えてくれませんか」

 言葉に、神崎の瞳に露が戻る。しかしそれは甘やかなまま、ごめんね、という謝罪で途切れた。

「ひとりじゃないと出来ないんですよ。そのミを埋めて、ミを捧げ。メデトリさまにご挨拶できれば、きっと」

 ミ、という言葉から浮かぶのは、通常ならば実。目出度守は果実を模している。当然、それが正しい。

 なのに浮かんだのは身という文字。目出度さまのおなりさまは人柱信仰ではないのに、男の言葉は違う。メデトリ。文字はなんだ。本来なら地区名でしかないはずなのに浮かんだ疑問は村山の直感でしかない。けれども村山は、直感のまま思考する。

 召手取の地名には諸説ある。「神に召しいて手に取り捧げる」という言葉は、信仰として面白みがある故に取り上げるものもいる。しかしこれを人柱信仰として考えるのは短慮というのが通説だ。また、召手取を「神に召しいて手に取り捧げる」という言葉としてみればそれはメデトリさまにはなり得ない。なぜなら、召しいて手に取り捧げるのは神に祈る側だ。

 目出度り、とするなら「い」が「り」と誤読されたと考えてもいい。けれども違う、と村山は直感のまま思考する。召手取、目出度。目出取?

 目出度が上がった時に、その言葉遊びがあるのではと言う説はあった。けれどもあまりに地域の色が違ったこと、その単語を連想させる文献がないことから取は否定された。ここは神社のものが来てはいけない。目出度守は目出度さまとのご縁を繋ぐ。

 目出度さまのおなりさまは旅人。観光客が得るということは、観光客がおなりさま。だとすれば、目出度さまが捧げることになってしまい、ちぐはぐだ。

 この場所は、この祠は。この男は。苔むした緑の祠、名もなき祠に村山はぐ、と神崎の腕を掴む手の力を強めた。

「そうなんですね。……もう少し、お話を」

 神崎は村山の言葉よりもその手を一瞥した。そうしてから、口角を吊り上げるようにして笑って村山の顔にそっと手を置く。親指の腹が、下瞼に触れた。

「いい目をしている、綺麗だね。メデトリ様、メデトリ様。御神木をここに、貴方のためのものがここに」

 強い力で、顔面を固定される。下瞼から眼球を押され、瞬きすら難しい眼球に揺らぎができる。村山の顔から笑みが消え、うっそりと男は笑った。

「目出度守を、お埋めなさい。貴方の目が」

「離れろ!!」

 低音が響いた。鬼塚だ、とは思えども、男に掴まれた顔を動かすどころか、その親指に押される圧に眼球すら自由にならない。細い声を出すことも出来ず、村山はじっと男の指先を見る。

「お知り合いですか? 野暮な邪魔はしないでもらえたらと思ったんですが」

 くすくすと、神崎は笑って鬼塚を見た。そっと顔を離すが、村山の眼球から親指は離れない。これは警告だ。自身の至らなさに、村山は歯を食いしばった。

「浮気をしているなら邪魔をする権利はあるし、それだけじゃないだろう。どちらかというと強制しているようにも見えるな」

 低く、唸る様に鬼塚が言った。神崎はきょとりと目を丸くすると瞳を嫌悪に歪める。口元は、強い嘲笑を作っていた。

「やだなあ、これ、手を離してもなんやかんやの事情で連れていかれるやつですね。面倒だなぁ」

 口ぶりから察するに、鬼塚の職業はわかっているのだろう。自覚があるなら、と鬼塚は言葉を続けた。

「罪状が増える前に言うことに協力しろ。不同意わいせつ罪か、脅迫罪あたりで現行犯だな」

「おひとりですよね」

 神崎の言葉に鬼塚は答えない。言いながらも飛びかからないのは村山がいるせいだろう。じりじりと神崎は村山の眼球を片手で押さえながらも、もう片手で引くようにして祠の端へ寄って行った。

「メデトリ様、メデトリ様」

 柔らかい声が響く。ぞ、とざわめくものに、村山は神崎へ手を伸ばした。

「っ」

「やめろ!!」

 制止は神崎へのものと村山へのものも含まれているのだろう。神崎の親指の爪が右目端に突き立てられた。眼球自体を傷つける意図はないはずだ。もしあの遺体をなぞるのなら、眼球はそのままでなければならない。現状、村山は枷であり贄だ。

 動けないことが、自分の至らなさが歯がゆく村山は歯を食いしばった。手順を頭で巡らせる。目出度守を捧げるように。そういう言葉は、捧げねば始まらないということだ。もしこの神崎が、人を殺すことをその手でするとは思えない。

 手順だ。半端な完璧。実った果実を摘まなかった。なら。

「だめだよお嬢さん」

 やわらかく、神崎は笑った。そうして、とすん、と、その手が村山を突き放す。一瞬の空白ののち理解した村山は叫んだ。チャンスだ。自分を手放すのなら、

「神崎です!! そっちを!!」

 葉を踏み潰す音が、大きく響いた。

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