1-7)緑の祠

 鬼塚も天道から情報を得てはいるだろうが、この手の事件はあくまで初めてだ。都度噛み砕いて理解しようとする鬼塚に敬意を払おうと、村山も言葉を選ぶ。

「話ごとに扱いが違うので、共通した概念以上のものではないって認識で大丈夫だと思います。目出度さまのおなりさまだと、他と比べて随分無害な印象が強いかな。

 今回のケースですと、目出度さまの御成さま、いわゆる目出渡様が来訪する先を御成様と言っているという理解になりますね。いわゆる神降ろしの巫女というか――封鎖的な山社会にまれびと信仰が入っているんじゃないかというのが海野さんの考えです。民話が凄く素直なんですよねぇ」

 うんうん、と村山は頷く。民話というものには様々なタイプがある。勧善懲悪的なもの、知識を伝えるもの、教訓めいたもの、意味が分からないもの、物語として楽しむもの、どう見て取ろうにもただただ悲劇でしかないもの。そういう中で、目出度さまのおなりさまは至極単純、微笑ましいものだった。

 『赤子も年寄りもまんまが食える。次の年に備えも出来る。めでたいめでたい祝い事。村で感謝を示さねばならぬ。祭りを、祭りを。めでたいめでたいハレ祝う』、そうして伝わる感謝は率直だ。こういう、「いいことがあったから祀ろう」という話はいくらか存在する。元々いる神に叶えてもらったわけではなく、ただただよかったね、という感謝が伝わる純然とした物語だ。感謝の結果無機物を神として祀るケースもある。

「旅人をまれびととして見るのはほかでもよくある話です。祭りに捧げた果実を欲しがった旅人をおなりさま、として民話ではもてなしています。

 『おなりさまをもてなせば、次の年も豊作だろう。不作の時は、きっと祝いが足りぬだけ』。そういって目出度さまを喜んでいる。もてなしが足りないから祟られて不作というよりも、祝いが足りなかったと言いながら罰とみていないんですよね、あの民話。豊作にしてほしくて祝う訳でも無くて、でも豊作になったら有難う、みたいな不思議な色の民話で……縁結びっていうのはちょっとしっくりきました」

 縁結び、という言葉に鬼塚は少し身を固くしたようだが、それでもいわんとすることはわかったのだろう。そうなんですね、という相槌と考えるように伏せた瞼が思考の端を見せる。

「だから、海野さんからの報告通り目出度神社自体はなんかこう、特別な曰く付きってわけじゃないんですよね。もちろん、曰くのあるなしで決まるようなことじゃないんですけど……たとえばなんらかの言い伝えがあれば儀式に使う手順とかの参考になるでしょうが、そういうのがないので。私の方で見るってのとは別になるんですよね」

 めでたいめでたい目出度さま。みなみな笑え、目出度さまはいつでも我らと共にある。そういう言葉で締めくくられる民話は明るく、微笑ましい。先ほどの話は神主のものだが、地元住民からも同じような話で伝わっていると海野から聞いている。そもそも、お守りを食事処に置くくらいだ。ローカルな民話ながら、観光品としても地元に根付いている。

「祠は」

 短い問いに、村山は笑んだ。これは本当に念のためなだけなんです、と、少しだけ声の調子を落とす。

「管理されていない祠じゃ、さすがにそういう手順に近いものが見えることはないと思うんですけど、どうしても気になっちゃって。だいたい祠に行ってなにかある、なんて早々ないんですけどね。管理されていないなら、逆に、見ておきたくて」

 鬼塚がじっと村山を見下ろした。その問うような視線としかし差し込まれない言葉に、いえね、と村山は言葉を続ける。

「普通、何もないのが当たり前です。友人と一緒に訪れたかもしれない、という状況で、被害者だけがなぜという話にもなりますし、その日程からも間がある。ただ、あの目のうろ――終わった後でもどうにも固くあったので、つい」

 エンバーマーによる処置を思い出す。遺体はシロ、終わっている。そのはずなのになぜか残る違和は、あの半端な完璧と言う形からなのか。

 終わりを綴るには、あと半歩足りない。

「足元、お気をつけて」

「有難うございます。結構なとこにありますねぇ」

 よいしょ、と村山は声を漏らした。一応歩ける程度の道ではあるが、先ほどの神社周りと違い舗装されていない。人が参るには浮いたような場所を進めば、森の奥、緑の祠があった。

「……なるほど」

 つい、村山は言葉を落とす。今もなお祀られている様子は確かにない。緑の祠、と言ったが、それは元から緑なのではなく石でできた祠が苔むした結果の緑だ。

 木漏れ日はあれども全体の印象は暗い。木々が生い茂っている故の暗さは、じとりとした湿度も感じさせた。

人気ひとけはありませんね」

 鬼塚の言葉に、村山は頷いた。案内を終えたら鬼塚がすることは村山に付き添う程度だ。先ほどとは逆に先導する村山の斜め後ろに静かに立ち、鬼塚もあたりを見渡す。

「祠以外は特に見当たらないようですが」

「だいたいこれくらいの規模なら普通ですね。大きな祠に小さな祠とかお地蔵さんとか、いくつかケースはありますが……特になにもないことも多いですよ。あと、少し離れた行きづらいところに神社があって、祠だけ生活区域にある場合もありますが」

「ここは目出度神社から離れていますが、祠の方が行きづらい場所ですね」

「まあ、元々目出度神社から関わらないようにってあるから最後のケースとは違いますね。それにちょっと離れすぎていますし……元は人が住んでいた、というケースもありますが、ここは元々こういう、分かりづらいところに立っていた、って話で……うわっ」

 祠の横を通りその裏を、と見ていた村山が声を上げた。その体ががくん、と下がり、しかし途中で止まる。

「……大丈夫ですか」

 低い声が、体に響く。その低音に身を震わせると、村山は重力に従った半身の行先だった場所を見、息を呑んだ。

「だ、い、じょぶです」

 は、は、は、と浅く呼吸して半身を掴む熱にすがりつく。祠の裏は傾斜になっていた。崖、というほどの危険はないが、それでも高所を実感させる状態に血の気が引く。死ぬような怪我はしないが、戻るには厳しそうな傾斜だ。

 ひえ、と喉奥で声を漏らした村山を、ぐ、と強い力が引き寄せる。

「……はー、すみません」

 その胸にもたれかかるようにした村山は、むね、と、そこで思考を目の前に移した。やや青ざめて見える険しい顔と距離に、は、と、別の意味で息を呑む。

「すみません!」

 再度の謝罪と共に、祠側に体ごと飛びのいた。村山の反応に鬼塚が目を丸くしたのはわかるが、わかったところでそれはそれ、だ。

「……ほんとすみません、助かりました」

 確実に、鬼塚の手がなければ落ちていただろう。自身の軽率さを恥じ入る気持ちと、慣れない熱を思い出すようにして自分の熱が昇る。意識する方が恥ずかしい、と村山自身思う。はっきりいって人命救助のようなものに恥じ入ってしまう事が申し訳ない。そうしながらも昇る熱に、村山はなんとか深呼吸を繰り返した。

 そうして鬼塚を見て、じわ、と鬼塚にも熱が昇りだしているのに気づく。鬼塚の場合は恥じ入る自身のせいでつられてしまったのだろう、程度の判断は村山にもついた。やってしまった、という内心に従い一度目を閉じた村山は、なんとか息を長く吐くとたはは、と笑った。

「すみません、うっかりしていて。助かりました。やらかしちゃってお恥ずかしいです」

 何度同じ言葉を繰り返すやら。自分で自分にツッコミを入れつつ、しかしそれ以上の意図はないという意味で再度伝える。申し訳ないにもほどがある。何度も繰り返してしまう。

「……いえ。しかしだいぶ危ない場所に立っているんですね。ここだけですか」

 さすがに、後ろが断崖絶壁なら事前にわかる。薄暗い中傾斜の度合いが違う故の危険に鬼塚は眉をひそめた。

「祠だけ無事っていうよりは、なんというかここが選ばれているみたいな印象ですね。確かにこれは、一人で来てうっかりとかはこわいなあ」

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