パトリックへの想い、ユリアーナの過去

 カサンドラに脅され、エマがパトリックに一方的に別れを告げて1週間程が経過した。

 アロイスにはパトリックとの婚約を考え直したいとは伝えてある。しかし、ランツベルク家側から何も連絡がないので、パトリックがどうしたかは分からなかった。

(……何もする気が起きないわ)

 エマはため息をついてぼーっとしていた。いつもとは違い元気がなさそうな表情である。

「お嬢様、大丈夫でございますか? 明日のケーニヒスマルク嬢とのお茶会はキャンセルをいたしましょうか?」

 フリーダからそう言われ、パッとする。

(そうだったわ。明日はユリアーナ様からケーニヒスマルク家の王都の屋敷タウンハウスに招待されているのだったわ)

 パトリックとのことがあり、すっかり忘れていたのだ。

「以前からユリアーナ様とは約束していたし、明日は行くわ」

 エマは力なく微笑み、そう答えた。

「……かしこまりました。くれぐれもご無理はなさらないでくださいね」

 心配そうなフリーダである。

「ありがとう、フリーダ」

 やはりエマの笑みはいつもと違い、力がなかった。






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 翌日、ケーニヒスマルク伯爵家の王都の屋敷タウンハウスに到着したエマ。

「ユリアーナ様、本日はお招きくださり感謝いたしますわ」

 早速ユリアーナに挨拶をする。やはりエマの笑みは少し弱々しかった。

「エマ様、こちらこそ、ご来訪を楽しみにしておりましたの」

 ユリアーナはふふっと優しく微笑む。

「さあ、紅茶とお菓子の準備は出来ておりますわ」

 ユリアーナからそう言われ、お茶会の部屋に向かった。この日はエマとユリアーナの2人だけのお茶会だ。

 エマは紅茶を口にしながら、ぼんやりとしていた。

「エマ様、いらした時から元気がなさそうでございますわ。何かございましたのですか?」

 ユリアーナはエマに元気がないことに気が付いていた。心配そうな表情である。

「ユリアーナ様……」

 エマは力なく微笑む。

「無理にとは言いませんが……話すと少し心が軽くなるかと存じますわ。今のエマ様を放っておくことは出来ません。わたくしでよろしければ、お聞きいたします」

 優しく見守るかのような表情のユリアーナ。ヘーゼルの目は、エマを包み込むかのような優しさを含んでいる。

「ユリアーナ様……ありがとうございます」

 エマはほんの少し心が温まり、微笑む。

(ユリアーナ様は……私のことを心配してくださっているのね。そう言えば、お父様、お母様、お姉様、お兄様、ヨハネス、そしてフリーダや使用人達……私を心配してくれる人がこんなにもいるのね)

 少しだけ、力を取り戻したような気分になったエマ。

「実は……」

 エマはゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

 カサンドラに家族や友人を盾に脅されていること、それによりパトリックに別れを告げたこと、全てをユリアーナに話していた。

「そんなことが……」

 ユリアーナは絶句している。

「ええ。家族や友人を盾に取られてしまったら、もう何も出来ませんわ」

 エマは力なく微笑む。

 そして、パトリックとの思い出を嫌でも思い出してしまう。孤児院で一緒に奉仕活動をした際に見せてくれた笑顔。好きなことになるとアメジストの目を子供のようにキラキラと輝かせていたこと。エマに向けるとびきり甘くて優しい笑顔。パトリックと一緒にいて、ドキドキしたり少し恥ずかしかったり嬉しかったこと。色々と思い出すうちに、エマのアンバーの目からは涙が零れ落ちた。

「エマ様、これをお使いください」

 ユリアーナはそっと自身のハンカチをエマに渡す。

「ありがとうございます」

 エマはユリアーナからハンカチを受け取り、涙を拭く。

「私は……自分が思っていた以上にパトリック様のことが好きだったのでございます」

 エマはパトリックに別れを告げてから、どれだけ自分がパトリックのことを想っていたかを知る。

 ユリアーナはエマの隣まで来て、そっと背中をさすっていた。

「ユリアーナ様は……アーレンベルク嬢から何かされたなど、被害はございませんか?」

 少し落ち着いたエマは、不安気な表情でユリアーナにそう聞いた。

「ご安心ください、エマ様。わたくしはアーレンベルク嬢に何もされておりませんわ。それどころか、アーレンベルク嬢がエマ様を無視した夜会以外接点はございません。ケーニヒスマルク家も通常通りでございます」

 ユリアーナは優しく微笑んだ。その答えを聞き、エマはホッと肩を撫で下ろす。

「エマ様、よくお聞きください。エマ様がどのような状況だったとしても、たとえわたくしがアーレンベルク嬢から何かされたとしても、絶対にエマ様のお側を離れるつもりはございません。わたくしは、エマ様の味方でございます。だから、ご安心ください」

 ユリアーナのヘーゼルの目は、真っ直ぐ力強くエマを見つめている。

「ありがとうございます、ユリアーナ様。とても心強いですわ」

 エマは微笑む。先程よりも少し明るくなった。

わたくしはもう2度と、大切な友人を失いたくないのでございます」

「もう2度と……? どういう意味でございますか?」

 ユリアーナの言葉に対して不思議そうに首を傾げるエマ。

「恐らくエマ様は私の過去をご存知ないと思いますので、お話いたしますわ。過去といっても、昨年、わたくし成人デビュタントを迎えてからのことでございますが」

 ユリアーナはゆっくりと話し始めた。






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 ユリアーナは成人デビュタントの儀を終えた後、初めての夜会である令嬢と出会った。

「どうぞお顔を上げてください」

 ユリアーナがそう言うと、目の前でカーテシーをしていた令嬢は恐る恐るといった様子で頭を上げる。

「お初にお目にかかります。ミュンヒハウゼン男爵家、長女のイルゼ・マルガレータ・フォン・ミュンヒハウゼンと申します」

 ユリアーナはこのイルゼという令嬢と仲良くなった。栗毛色の長い髪に、アクアマリンのような青い目の令嬢である。

 ミュンヒハウゼン男爵家は歴史の浅い新興貴族である。領地を持たず、商業を営んでいる。イルゼの祖父が若い頃に商業で功績を上げ、男爵位を賜ったのだ。

 当初イルゼは伝統のあるケーニヒスマルク伯爵家の令嬢であるユリアーナに対して畏れ多いとガチガチに畏っていた。しかし、2人は気が合い、いつの間にか家格差などを気にせず気軽に話せる仲になっていた。

 ユリアーナにとって、イルゼと過ごす時間はどんな宝石よりもキラキラと輝いているように感じた。

 しかしある日、変化が訪れる。

「ユリアーナ様、このお方は私の婚約者のエッケンハルディン子爵令息でございます」

 イルゼの結婚が決まったのだ。

 歴史は浅いが莫大な資産があるミュンヒハウゼン男爵家。そして歴史がありお金をかけて領地改革を目指すエッケンハルディン子爵家。エッケンハルディン子爵家の領地改革費用の補助をするのがミュンヒハウゼン男爵家。ミュンヒハウゼン男爵家としても、歴史ある家と繋がりを持てる。完全な政略結婚だ。しかし、イルゼは幸せそうな表情で婚約者を見つめていた。貴族ならではの、家の為だけの望まぬ結婚ではないらしい。

「エッケンハルディン子爵家長男、ヴォルフラム・オットマー・フォン・エッケンハルディンと申します。……イルゼの友人であられるケーニヒスマルク嬢にお会いできて光栄でございます」

 イルゼの婚約者ヴォルフラムは、ユリアーナにそう微笑む。爽やかな笑みだ。ダークブロンドの髪に、ペリドットのような緑の目の令息である。ユリアーナはヴォルフラムに笑みを向ける。

「初めまして、エッケンハルディン卿。ケーニヒスマルク伯爵家長女、ユリアーナ・メビティルデ・フォン・ケーニヒスマルクでございます。イルゼ様のことをよろしくお願いしますね」

 先程の爽やかな笑みを見て、きっとヴォルフラムはイルゼを幸せにしてくれるだろうと思うユリアーナであった。

「ケーニヒスマルク嬢、俺とダンスを願えますか?」

「ヴォルフラム様はダンスのリードがとてもお上手なのです。ユリアーナ様も彼とダンスをしたらよく分かると思います」

 ヴォルフラムからダンスに誘われ、彼の婚約者であるイルゼも微笑んでいる。

(これはお受けしないわけにはいかないわね)

 ユリアーナは内心苦笑しながらヴォルフラムの手を取った。

「あの、よろしければユリアーナ嬢とお呼びしても?」

 ヴォルフラムは少し熱を帯びた目でユリアーナを見ていた。

「いきなりでございますわね」

 ユリアーナは苦笑する。

「貴女はイルゼの友人なので、俺も仲良くなりたいと思っております。イルゼは貴女のことを嬉しそうに話すので」

「そういうことなら」

 イルゼがそんな風に自分のことを話していると知り、ユリアーナは嬉しくなった。

 しかし、この時ヴォルフラムが何を考えていたのか、ユリアーナは全く知らなかった。

 そして次の夜会から、ほんの少しずつ違和感が生じる。

「あの、エッケンハルディン卿、わたくしとのダンスはもう2回目でございますわ。婚約者のいる令息相手に3回連続となると、流石にマナー違反でございますわ。それに、エッケンハルディン卿は本日イルゼ様とまだダンスをしていないのでは?」

 ユリアーナはことあるごとにヴォルフラムからダンスに誘われるようになった。ヴォルフラムはイルゼをそっちのけの様子である。ユリアーナはそれを咎めるのだが……。

「イルゼは今疲れているみたいでして。イルゼの友人であるユリアーナ嬢とならいいかなと思いまして」

 全くどこ吹く風である。ヴォルフラムのペリドットの目は熱を帯びていた。

(待って……。この感じ……嫌な予感が……)

 ユリアーナは背筋がゾクリとした。

「イルゼ様、エッケンハルディン卿は何故なぜあのようなご様子で? イルゼ様がエッケンハルディン卿の婚約者でございますのに」

 ユリアーナは困惑しながらイルゼに聞いてみた。

「ヴォルフラム様は多分……もっとユリアーナ様と仲良くなりたいだけなのだと思います。ユリアーナ様は私の友人ですし」

 イルゼの声は、どこか元気がなかった。ヴォルフラムとあまり上手くいっていないことがすぐに分かった。

 そして困惑するユリアーナをよそに、ついに事件が起こった。

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