幸せな時間、そして……

 ランツベルク辺境伯家からパトリックとエマとの婚約の打診があり、エマとパトリックは両親を交えて頻繁に会うようになった。婚約等のの手続きをする為に、互いの王都の屋敷タウンハウスを行き来している状況である。

 エマはランツベルク家の王都の屋敷タウンハウスのパトリックの部屋で、以前は気が付かなかった物が目に入った。

「パトリック様、あれば私が以前お渡ししたハンカチではございませんか!」

 エマはアンバーの目を大きく開く。自分がプレゼントしたハンカチが意外な場所にあり驚いているのだ。

 以前エマが髪飾りのお礼として贈った刺繍入りのハンカチは、豪華な額の中に入れられて壁の目立つ所に飾られていた。

「ああ、その通りだよ。エマ嬢からのプレゼントなんだ。もったいなくて使うのは畏れ多いよ」

 パトリックは愛おしそうにエマを見つめている。

「ご使用していただく為に渡したのでございますよ。今までご使用なさっているところを見たことがないと思ったら、こんな所にあったなんて。もしかして、ご使用するのに耐えない程の出来でございましたのでしょうか?」

 エマは少し困ったような笑顔である。

「まさか、そんなことないさ。エマ嬢の刺繍は上出来だよ」

 パトリックは慌てて否定する。

「大切な女性から貰った品だ。使って汚すなんてことはしたくなかったんだよ」

 パトリックは優しい表情でエマを見つめる。

「ですが、ハンカチは使う物でございますわ。是非ご使用いただけたらと存じます」

 エマはホッとした様子で微笑む。頬は少し赤く染まっている。

「分かったよ。エマ嬢がそこまで言うのなら、今この時から使おう。ロルフ、その額縁からハンカチを出しておいてくれ」

「承知いたしました」

 パトリックから指示されたロルフは、表情1つ変えずに額縁からハンカチを取り出す。そして丁寧にハンカチを畳んでパトリックに渡した。

「それからそのハンカチが汚れてしまった場合、貰った時と同様に汚れを落とせる準備もしておいてくれ」

「承知いたしました」

「パトリック様、大袈裟過ぎではございませんか?」

 エマはパトリックの仰々しい対応に苦笑した。

「エマ嬢がくれたハンカチだからね。本当に大切に使いたいんだ」

 パトリックはとろけるような笑みである。

「ありがとうございます」

 エマは明るく屈託のない太陽のような笑みになった。

「さあ、君のお父上にも僕の父上も待っている。行こう」

 パトリックはエマに手を差し出す。エマはその手を受け取り、パトリックの部屋から出るのであった。

 エマとパトリックの後ろでは、エマの侍女フリーダとパトリックの侍従ロルフが何やら話をしている。ちなみに、エマの護衛マルクはリートベルク家の馬車で待機中である。

「ランツベルク卿は、心からエマお嬢様のことを想っていらっしゃるのでとても安心いたします」

 フリーダは前を歩くエマとパトリックの後ろ姿を見守るかのように微笑んでいる。

「ええ。パトリック様のリートベルク嬢への想いはそれは並々ならぬものでございますから」

 パトリックの本性をすぐ側で見ているロルフは内心苦笑していたり

「リートベルク嬢がパトリック様のお側にいらっしゃる限り、パトリック様は大丈夫だと存じております。本当に、リートベルク嬢には感謝しているのです」

 ロルフは穏やかな笑みでパトリックとエマの後ろ姿を見ていた。

「エマお嬢様を評価してくださってありがとうございます」

 フリーダは誇らしげに微笑んだ。






−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–






 エマとパトリックが婚約について打ち合わせをしている部屋に戻ると、エマの父アロイスとパトリックの父ジークハルトが談笑していた。顔を合わせる回数が増え、すっかり打ち解けている。

「いやあ、まさかランツベルク辺境伯家と繋がりが持てるとは思いませんでしたよ」

「こちらこそ、リートベルク伯爵家と関わることが出来るとは存じませんでした。リートベルク伯爵領で生産される乳製品は絶品で、私も気に入っております」

「もったいないお言葉、恐れ入ります。妻のジークリンデも、ランツベルク辺境伯夫人と気が合うようで喜んでおります」

「ええ。私の妻トルデリーゼも、本日のカレンベルク侯爵夫人主催のお茶会でリートベルク伯爵夫人にお会い出来ると楽しみにしておりました」

 会話から分かるように、エマの母ジークリンデとパトリックの母トルデリーゼもすっかり打ち解けている様子である。

「ランツベルク辺境伯閣下もお父様も楽しそうでございますわね」

 エマは2人のやり取りを聞き、ふふっと笑う。

「エマ嬢もパトリックと仲睦まじいご様子で安心しています」

 ジークハルトはエマを見て優しく微笑む。最初はリートベルク嬢と呼んでいたジークハルトだが、呼び方もエマ嬢に変わっている。

「エマ嬢、パトリックがエマ嬢と出会ってからは、エマ嬢の目と同じ琥珀アンバーのカフスボタンやネクタイピンを身に着けるようになったのは知っているかい? それに、エマ嬢には必ずパトリックの目の色と同じアメジストの物を贈っていたのも」

「父上、それは今この場で言う必要ないはずでは?」

 パトリックはジークハルトからの暴露に頬を赤く染めて狼狽する。

「おや、これは珍しいですね。いつも落ち着いているパトリック卿が狼狽うろたえていらっしゃるとは」

 アロイスはまるで珍しい物でも見ているかのような表情だ。アロイスも最初はパトリックのことをランツベルク卿と呼んでいたが、今ではパトリック卿と呼んでいる。

 一方、エマもパトリックと同じように頬を赤く染める。

「その……私は嬉しいです。パトリック様が私の目と同じ色を身に着けてくださっていて。それに、私もパトリック様の目と同じ色を身に着けることが出来て」

 真っ赤になりながらも、エマは嬉しそうだった。

 エマとパトリックは、共に穏やかで幸せな時を過ごしていた。






−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–






 ランツベルク家の王都の屋敷タウンハウスで婚約に向けての打ち合わせを終え、エマはリートベルク家の王都の屋敷タウンハウスに戻った。

(順調にことが進めば、パトリック様と結婚出来るのね)

 エマは少し浮かれていた。

 その時、自室の扉がノックされる音がした。侍女のフリーダてある。

「エマお嬢様、お手紙が届いております」

「ありがとう、フリーダ」

 エマはフリーダから手紙を受け取った。

 フリーダがエマの部屋から出て行った後、エマは手紙の送り主を確認する。

(送り主の名前は……どこにも書いていないわね。誰からかしら?)

 エマは訝しげに封筒を開けてみる。

「痛っ」

 チクリと指に痛みが走り、顔を歪めるエマ。左の人差し指が軽く出血していた。

「何これ? どうして針が入っているの?」

 エマは封筒に入っていた針を取り出す。

(あら? これは……?)

 手紙も入っていたので取り出して確認すると……。

「何……これ……」

 エマはアンバーの目を見開く。

『パトリック様に近付くな』

 荒々しい文字で大きくそう書かれていた。文字から読み取れる負の感情。エマはそれに驚愕していた。しかし、深呼吸をして冷静になる。

(そうよね。パトリック様はガーメニー王国でもかなり力を持つランツベルク侯爵家の次期当主。それに、とても見目麗しい。パトリック様に想いを寄せるご令嬢は大勢いるわよね。パトリック様にエスコートされたり、ダンスをする私が目障りだと思う方も当然いるはずよ)

 落ち着いて、パトリックと自分の立ち位置を頭の中で考えたエマ。

(大丈夫よ。これはきっと他の令嬢達のただの嫉妬。気にすることないわ)

 エマはそう軽く考えるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る