パトリックとヘルムフリート

 王家主催の夜会の日がやって来た。

「エマお嬢様、とてもよくお似合いですよ」

 侍女フリーダが着飾ったエマの姿を見て微笑む。

「ありがとう、フリーダ。貴女が私を素敵にしてくれるのよ」

 ふふっと明るく笑うエマ。

 今回身に着けているドレスとアクセサリーはパトリックからプレゼントされたものだ。向日葵ひまわりを彷彿とさせるような黄色のAラインドレスにアメジストのネックレス。そして髪型はフリーダにシニョンにしてもらい、向日葵をモチーフにした髪飾りを着けている。

「もったいないお言葉でございます」

 フリーダは嬉しそうに微笑んでいた。

 そこへ執事がやって来る。

「エマお嬢様、ランツベルク卿がお見えでございます」

 パトリックがリートベルク家の王都の屋敷タウンハウスに迎えに来たのだ。

「エマ嬢、プレゼントしたドレスとアクセサリーを身に着けてくれてありがとう。とてもよく似合うよ。プレゼントした甲斐があった」

 パトリックはエマの姿を見るなり、とろけるような甘い笑みになった。パトリックはさりげなく袖から琥珀のカフスボタンを見せる。そしてネクタイピンにも琥珀が埋め込まれている。

「そう仰っていただけて光栄でございます。パトリック様、今日はよろしくお願いします」

 エマは高鳴る心臓を抑えつつ、明るい笑みでそう答えた。

「リートベルク伯爵閣下、リートベルク伯爵夫人、大切なお嬢さんを今日僕に預けてくださりありがとうございます」

 パトリックはアロイスとジークリンデにそう挨拶をする。中々抜かりない。

「いえいえ、パトリック卿、こちらこそ娘をエスコートしてくださりありがとうございます」

「今日はエマのことをよろしくお願いしますわ。エマ、粗相のないようにね」

「分かっております、お母様」

 エマは品のある笑みでジークリンデにそう言う。

「お母様、エマならきっと大丈夫でございますわ」

「私もそう思います。何だかんだでエマは優秀ですから」

 リーゼロッテとディートリヒはクスッと笑う。心配している様子はなさそうだ。

「エマ姉様、今日もご無事に帰って来てくださいね」

 ヨハネスは天使のような笑みでエマを見送る。

「ヨハネス卿、エマ嬢を危険な目に遭わせたりしないので安心してくれて構わない」

 パトリックはヨハネスにそう微笑む。

「ありがとうございます、パトリック卿」

 先程ヨハネスにも挨拶をしたので、互いに名前で呼び合うようになった。

「ではお父様、お母様、リーゼロッテお姉様、ディートリヒお兄様、ヨハネス、行って参ります。また会場でお会いしましょう」

 エマは明るい笑みで家族に手を振り、ランツベルク家の馬車に乗り込んだ。






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 エマとパトリックが会場入りすると、周囲はどよめいた。それもそのはず。今まであまり社交界に顔を出さず、女性をエスコートしなかったパトリックがエマをエスコートしていたからだ。ランツベルク辺境伯家はリートベルク伯爵家と繋がりを持つつもりなのかと勘ぐる者も当然いた。

(やっぱりパトリック様といると目立つわね)

 エマは呑気にそう思いながらパトリックと共に王家の者達に挨拶を済ませた。

「ご機嫌よう、エマ様」

「ご機嫌よう、ユリアーナ様。クレーフェ公爵家のお茶会以来でございますね」

 兄ルドルフにエスコートされて会場入りしたユリアーナが、王族への挨拶後すかさずエマの元へやって来る。ユリアーナはエマを見つけるなりホッとした笑みになっていた。

「ええ。エマ様にお会いして色々お話ししたかったです」

「私もでございますわ」

 エマは明るくふふっと笑う。

「エマ嬢、しばらくはケーニヒスマルク嬢と話をするといいよ。僕も王太子殿下に話があるからね。終わったら1曲ダンスを願うよ」

 パトリックはエマに優しい笑みを向ける。

「ありがとうございます、パトリック様」

 エマは明るくふふっと笑う。しかし、ユリアーナに向けた笑みとは少し違い、アンバーの目はどこか嬉しそうだった。

「ランツベルク卿の寛大なお心、感謝いたします」

 ユリアーナは少し硬い笑みだった。

「ユリアーナ様、またシュミット氏の新作の小説が出たのはご存知でして?」

「ええ、存じ上げております。もう購入いたしまして、今半分まで読み終えたところでございますわ」

 ユリアーナは楽しそうに微笑む。

「まあ、半分も読み終えましたの? 私はまだ少ししか読めておりませんわ。今日帰ったら絶対読み進めますわ」

 エマも楽しそうに笑っている。

 そしていつも通りエマの周りには人が集まって来るのである。

(少し目を離した隙にあんなに人に囲まれている。まあエマ嬢は魅力的だからね。人柄とか笑顔とか。僕が独り占めしたいけれど、きっとあの笑顔は人に囲まれてこそ出せる笑顔だ)

 パトリックはルーカスと話しながらエマを見つめていた。ちなみにルーカスはそのことに気付いており若干呆れている様子だった。

 そしてその後、エマはパトリックと約束通りダンスをする。

「人気者だね、エマ嬢は」

 パトリックはエマを見てクスッと笑う。

「ええ? そうでしょうか?」

 エマは軽々とステップを踏みながら楽しそうに笑う。

「ああ、そうだよ。さっきだって僕がダンスに誘うまで大勢の人に囲まれていたよ。君の笑顔は素敵で、周りの人間も笑顔になれるくらいだ」

 パトリックのアメジストの目は真っ直ぐエマを見つめている。

「パトリック様にそう仰っていただけると……嬉しいですけれど照れてしまいますね」

 エマは頬を赤く染めてパトリックから目を逸らしてしまう。

「そうやって照れているエマ嬢も可愛らしいね」

 エマを愛おしそうに見つめるパトリックてある。

「か、揶揄からかわないでください」

 エマは少しむすっとする。

「ごめんね、揶揄ったわけじゃないよ。本気でそう思っただけだから」

 優しく微笑むパトリック。

「パトリック様ったら」

 クスッと笑うエマである。

 エマは太陽のような明るい笑みでパトリックとのダンスを楽しんでいた。難しいステップを軽々と踏み、ふわりとパトリックからプレゼントされたドレスがなびき、向日葵のようである。その姿は堂々としていた。当然、エマ達は目立っており、大半は好意的な視線だ。しかし、当然中にはエマをよく思わない者もいる。そう、アーレンベルク公爵令嬢のカサンドラ達と彼女の取り巻き達だ。

「エマ嬢、またカサンドラ様を差し置いてランツベルク卿とダンスをしておりますわ」

「しかも今回はエスコートまで。カサンドラ様、どうなさいます?」

「そうね……わたくしもそろそろ動き出さなければいけませんわね」

 カサンドラ達は不穏な笑みを浮かべていた。






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 パトリックとダンスを終えた後、エマは壁際で1人で休憩していた。そしてやはりやって来るヘルムフリート。

「よう、エマ。また壁の花になってるのか」

「今日は何の用なの?」

 エマはやはりヘルムフリートには冷たい笑みだ。

「別に。ただ、最初あんだけ囲まれてたのに、今は1人寂しく壁の花になってるんだなって。ま、ビスマルク卿と婚約したとはいえ、社交界の白百合であるリーゼロッテ嬢とお近付きになりたい男は大勢いるし、琥珀の貴公子と呼ばれているディートリヒ卿と仲良くなりたい令嬢も大勢いる。お前はそういった奴らにいいように使われているに過ぎないんだよ。リーゼロッテ嬢やディートリヒ卿目当ての奴以外でお前に話しかけるのは俺くらいしかいねえもんな」

 いつも通り上から目線で失礼なヘルムフリートだ。そしてどこか傲慢である。

(ヘルムフリートはどうしていつもこうなのかしら?)

 エマは呆れた様子でため息をつく。

 ヘルムフリートはムッとするが、エマの姿に見惚れていた。

 向日葵を連想させるドレス、そしてエマのストロベリーブロンドの髪を引き立たせる向日葵の髪飾り。

(いつもより……似合ってる。いや、エマはいつも似合うドレス着てたけどさ。でも……エマのやつ、そんなドレス持ってたか?)

 ヘルムフリートは急にエマが自分の知らない人になりそうなことに焦りを感じた。しかし、だからといってどうしたらいいかヘルムフリートには分からないわけで……。

「それよりお前、いつもより似合わないドレス着てるな。ドレスに着られてる。俺が似合うドレスでも見繕ってやろうか?」

 と、まあいつも通り素直になれず憎まれ口を叩いてしまう。

「大体お前は見た目がパッとしないんだから俺にも愛想よくしておけよ。こっちまでシケた気分になる。それに……」

 ヘルムフリートはエマへの好意とは裏腹に。いつもより更にエマを貶すようなことを言ってしまう。

(……この人は本当に何なのかしら?)

 エマのアンバーの目は冷え切っていた。

「エマ嬢」

 その時、パトリックが優しい笑みでエマに話しかけた。

「パトリック様、どうかなさいました?」

 エマは冷たい表情から打って変わって、明るい笑みになる。

「いいや、ただ……あまりにも無礼な者に絡まれているものだから、見ていられなくてね」

 パトリックはヘルムフリートを睨みつけている。アメジストの目は絶対零度より冷え切っている。

「ランツベルク卿、俺はエマに無礼なことなど」

「誰が口を挟んでいいと許可した?」

 低く、底冷えするような声のパトリック。口調は刃物で切り付けるかのように鋭い。

「そ、それは……」

 ヘルムフリートはパトリックに圧倒され何も言えなくなる。

「まあいい。それより、君はエマ嬢にドレスが似合わないと言ったな? 実はエマ嬢が今日着ているドレスは僕がプレゼントしたものだ。シェイエルン卿、つまり君は僕のセンスが悪いと言いたいんだね?」

 パトリックの口角は上がる。しかし、アメジストの目は絶対零度のままだ。

「な……そんな……」

 ヘルムフリートは驚愕し、グレーの目を大きく見開く。そして口は餌を求める魚のようにパクパクと動いている。

「何とか言ったらどうだ? シェイエルン卿」

「も、申し訳ございませんでした」

「謝るくらいなら最初から口にしなければいいのに。次代のシェイエルン伯爵家の行く末が不安になるね」

 パトリックは冷たく、侮蔑を含む笑みだった。ヘルムフリートは何も言えなくなる。

 その後、パトリックはエマの方を向き優しい笑みになる。

「エマ嬢、嫌な空気にして申し訳ない。君が色々言われるのを放って置けなかったんだ」

「そんな、パトリック様が謝ることではございませんは。お気になさらないでください」

 エマは少し慌てた様子でそう言う。

「そう言ってもらえると気が楽になるよ。ねえ、エマ嬢。よかったらもう1曲ダンスを願いたい。次の曲はエマ嬢が好きな動きの激しい曲だ」

 パトリックはクスッと笑う。

「ええ、喜んでお受けいたしますわ」

 エマは明るい笑みで答える。

「ありがとう。お、そろそろ曲が変わる。さあ、お手をどうぞ」

「ありがとうございます」

 エマはパトリックの手を取りダンスを始める。

(パトリック様は、今日のドレスも褒めてくださったし、ヘルムフリートから色々言われている時に助けてくださったわ。やはりお優しいし素敵な方ね)

 エマの中でのパトリックの評価が大きく上がった。その反面、ヘルムフリートの表情は下がり続けるばかりであった。

 そしてその一連の様子を見て面白くなさそうにしている者がいた。その者はムスッとしながらエマを睨んでいた。

「ロミルダ、どうしたんだい?」

 その者は、声をかけられた方を向く。

「お父様……」

 その者はロミルダという名前である。波打つようにウェーブがかったブロンドの髪に、茶色い目の令嬢である。

「ロミルダ、随分と楽しくなさそうな顔をしているね。どうしたんだい?」

「お父様、私、あの方と絶対に結婚したいの。何が何でもあの方じゃないと嫌だわ。ねえ、お父様、何とかしてちょうだい」

 ロミルダは意中の令息を示し、父親にせがむ。いまにも癇癪を起こしそうな勢いである。

「おお、あの令息か。ロミルダの願いなら聞いてやらないといけないな。ロミルダはホルシュタイン伯爵家の可愛い末娘なのだから」

 娘のおねだりに何としても答えようとするロミルダの父であった。

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