3

 颯爽とカフェに入っていった少女は、やはりこちらを待つことなく、既に店内の奥の方の席に座っていた。私は「いらっしゃいませ」と声をかけてくれるオーナーに頭を下げながら、彼女の向かいのソファに腰かけて店内をぐるりと見渡す。


 カフェ『旅烏たびがらす』は、ゆったりとしたジャズが流れる落ち着いた内装のカフェだった。カフェというより喫茶店と表現した方が正確かもしれない。飴色の光を放つ照明。互いの姿が見えないように配置されたテーブルと、座り心地のよさそうなソファ。席数は多くなく、恐らくは十人も入れば満席になってしまうだろう。カウンターでは老齢のマスターがのんびりとマグカップを磨き、その一枚板の天板の端には古ぼけたレコードプレイヤーが置かれている。店内のジャズ・ミュージックはそこから流れていると気が付いて、私は思わず目を見張った。今時レコードが現役とは。


「ね、素敵なお店でしょう?」

 

 黙っている私をどう思ったのか、少女はメニューに落としていた目を上げるとにっこりと笑って問いかけてくる。それに小さく頷き返して、私も体を少女の方へと戻した。


「ここには、よく来るの?」

「よくは来られないわ。たまにしか。でも、いつ来ても変わらないし、いつ来ても素敵なのよ」


 歌うような言葉は、不思議と少女によく似合っていた。私はそう、とつまらない相槌を打って、少女が差し出してくれるメニューに目をやる。飲み物と軽食の名前が幾つか書かれたメニュー表を見つめること暫し、少女が「決まった?」と声をかけてくるのに頷くと、折良く近づいてきたマスターにそれぞれ注文を告げた。私はブラックコーヒーで、少女はメロンクリームソーダだった。


 お冷とおしぼりを置いてマスターが立ち去ると、私達は無言になった。私からは声をかける話題がなかったし、話しかけてくるかと思った少女は徐に鞄から手帳を取り出して、何やら予定を確かめるような素振りである。パラリ、パラリと紙をる音を聞きながらまた店内を眺めていた私は、しばらくしてそっと少女に視線を移した。飴色の照明の下、色味を増した栗色の髪と白い肌に囲まれた白百合の蕾が、彼女の呼吸に合わせてゆったりと揺れている。


 ――彼女には、一体どれだけの時間が残っているのだろうか。


 考えるも、これまでは開花し切った枯れる直前の“花”しか見たことがなかったため、とんと見当がつかない。少女に気取られないように見つめる蕾は、まるで元から彼女の体の一部であったかのようにしっくりと馴染んでいて、それもまた、私にとってはあまり例のないことであった。


 何せ、人間の顔に咲く”花”である。大抵は歪さやおぞましさ、もしくは死が近しいことを思わせる虚しさの方が先に立って、本人に似合っているなどと思うことはこれまで一度たりともなかった。かつて祖母に咲いていた椿の”花”も、その枯れかけの様子が子供心に祖母との別離を思わせて、とてもではないが美しいとは思えなかったのだ。


 それだと言うのに、何故だか、少女に咲く”花”はとても美しいものに私には感じられた。それはもしかしたら”花”がまだ咲いていないからかもしれなかったし、もしくは少女の雰囲気がどことなくビスクドールめいていて、普通の人間とは違うように感じられたからかもしれなかった。どちらとも判別はつかない。真っ白い肌にロリータ服という彼女は出来すぎた人形のようで、私はこれまで彼女のような人間に”花”が咲いているのを見たことはなかった。


 やがて品物が運ばれてくると、私と少女はお互いの動きを止めて、ようやく再び目を見交わす。互いに飲み物を少し飲んだ後、私は「結局、」と静かに口を開いた。


「『退屈』だと言っていたけれど、何か用事があったからこのあたりを歩いていたのではないの?」

「あら、どうしてそう思うの?」


 問われ、私は少女の手元の手帳を指さす。私の指先を追った少女は「あぁ」と得心が言った風に頷くと、どこか面白がるような顔で可愛らしい表紙のそれを私に寄越してきた。


「見ていいわ。退屈していたのが本当だって分かるだろうから」


 無造作に差し出されたそれを受け取ると、私は躊躇いながらも折らないように丁寧にページを捲る。開き癖がついているのだろう、丁度今月の頁で開いたそこには、しかし予定らしい予定はほとんど書かれていなかった。私はキョトンと瞬いて顔を上げると、まじまじと少女を見つめる。彼女は私の視線を受け取ると何故だか誇らしそうに胸を張って、クリームソーダを一口飲み下した。


「予定がないということは、これから作れるということでしょう? それに、予定はなくても目標はちゃんとあるのよ。それには書いていないけれど」

「……成程……?」


 果たしてそれは暇と何が違うのだろうか。あぁ、だから退屈だと言っていたのか……と納得して、私は手帳を少女へと戻す。礼を言って受け取った少女は、しかしそこで私の方に体を乗り出した。ふわり、甘い香りが鼻腔をくすぐる。それが少女の右目から香っているのだと気が付くのと同時、彼女は真剣な顔で口を開いた。


「ねぇ、あなたはこのあたりに住んでいる方?」

「……まぁ、そうだけれど?」

「それなら、これから時々でいいから私とこうして過ごしてくれない? 毎日なんて言わないわ。週に一回とか、それくらいでいいから」

「はぁ……」


 私は思わず間抜けな声を漏らして、まじまじと少女を見つめ返す。対する少女は左目を爛々と光らせながら――実際には右目も同じ色を宿しているのだろうが――こちらを真っ直ぐに見据えていた。少女らしく怖気のない、どこか必死さすら感じる眼差しに、私は僅かに眉根を寄せる。


 ――この子は、何を言っているのだろうか。


 素直にそう思った。先程出会ったばかりの女をお茶に誘うのも大概だが、こちらの為人ひととなりを知る前に次の予定を持ち出してくるのも、少しどうかしている。距離の詰め方が些か極端ではなかろうか。

 

 私はうぅん、と唸ると、動揺を誤魔化すようにコーヒーを口に運んだ。少しばかり冷めてしまったコーヒーの苦みが口の中いっぱいに広がって、私の気持ちを少しだけ落ち着かせる。ジッとこちらを見つめてくる少女から視線を逸らして、そもそも、と私は胸中で呟いた。


 ――そもそも、この場にいる理由だって、半分以上はただの成り行きなのだ。


 ふぅ、と一つ息を吐く。私は緩く首を振ると、少女を静かに見返した。


「……あなたとこれ以上関わる理由が、私にはない。どうして私と過ごしたいの?」

「一目惚れしたから」

「適当言わないで」

「あら、本当よ?」


 私は、あなたに一目惚れしたの。ハッキリと言い切って、けれど少女は体をスッとソファに戻すと居住まいを正す。訝し気な目を向ける私に、少女は悪戯を思いついたような顔でにっこりと笑った。


「……でも、あまり無理強いしても良くないわね。こうしましょう。来週の同じ曜日、同じ時間、私はまたここに来るから。あなたも気が向いたらここに来て、私の相手をして頂戴」

「……もし、私が来なかったら?」

「私が一人で寂しくお茶して帰るだけよ」


 何でもないことのように言って、少女は無邪気に笑うと、クリームソーダのソフトクリームを匙で掬う。私はクルクルと変わる少女の表情に困惑を覚えながら、顔を横に向けて深く溜息を吐いた。


「……来週も来るかは分からない、けど。今は、良いよ。少し話でもしよう」

「まぁ、本当? 良かった、あなたこのまま帰っちゃうんじゃないかと思ったわ」


 渋々、という声音の私の言葉にあっけらかんと少女は言い放つ。私は思わず吹き出しそうになって、慌てて口元に手を当てて咳ばらいをした。少女はそんな私に嬉しそうな笑顔を浮かべると、「そうと決まればケーキも頼みましょうか」などと言って、再びメニューを確認し始める。その少女らしいような妙に計算高いような様子に、私は正面へと顔を戻しながら、内心でこっそりと呟いた。


 ――何だか、うまいこと彼女のペースに乗せられている気がする。


 悶々と考える私に構わず、少女は「あなたはチーズケーキとガトーショコラどちらが良い?」と聞いてくる。それに「ガトーショコラ」と返しながら、私はチラリと少女の右目を見やった。


 変わらず咲く白百合の蕾は、この短い時間で何ら変わる様子はない。これが来週にはどうなっているのか、それが怖いような、気にかかるような。私は三度溜息を零すと、温いコーヒーを思い切り飲み干したのだった。

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