10 山間牧場編3話:二通目

――私を見て


■■■


 スカーリーフはギムゼン街道の一つ到達点、峠に至る山道を登る。

 川、谷に道が沿う。坂道の角度を考慮してあえて蛇行していることもある。

 川原近くの道が水没を通り越して消滅し、削られ川淵の断崖になっていることもある。

 断崖の高さも自然のまま。糸のように眼下の川が見えることもある。

 であるから一度川沿いから離れて横に道が反れることもある。工事困難な地形を避けている。

 この反れる道をスカーリーフは行かず、エリクディスの鈍足には出来ない直進で断崖をよじ登り、登頂してから断崖の出っ張り目掛けて飛び降り、三角跳びで道に戻る。もしくは尾根沿いに指針である街道を見失わないよう走る。

 道中、スカーリーフは休憩地点を見つける。休むには早いと足の具合が言っていたが、耳が山羊の高い低い交じりの鳴き声を聞き取った。

 ここを逃すと次の機会を見つけ辛い。音を頼りに道を外れる。

 そして石だらけの斜面も多い、小川が流れている草原に石積み壁、枝組み屋根の小屋を一つ発見。

 山羊が侵入者を認めて逃げる。愛玩慣れなどしていない牧犬が駆けて来て、これ以上近寄るなと巨体で吠え掛かる。

 スカーリーフ、牧犬に怯え癖をつけて仕事が出来なくなるのは流石にどうかと思った。喉や腹を蹴っ飛ばして脅かすことを思い直す。

「おーい! ちびすけ!」

 小屋の陰、焚火が煙る方からオークの少年が出て来る。姿は父チャルカン比べて頭二つ分小さく手足は、比べてまだ細い。産児制限や過酷な旅程の結果、氏族最年少。

 牧犬が主人である少年が警戒せずに立ち歩き、出迎える態度を見て歓迎される客と認めて退き、逃げ出した山羊の鼻先へ回り込んで群れの中へ戻す。

「よう、ちびー」

「ちび?」

「何、オークのガキの癖に名前あんの?」

「む……ちびでいい」

「ちび、飯」

「うん」

 スカーリーフ、意外にも上機嫌で自然な笑みが出ていた。散々エリクディスに馬鹿にされながら指導されているので、なめて掛かれる目下が出来て嬉しいのだ。

 焚火の傍に座り、少年が血抜きせず黒く仕上げた山羊鍋へスカーリーフは行儀悪くも素手を突っ込み、内臓を摘まみ上げ、提げて息で吹き、若干冷ました程度で食べ始める。噛んで、熱くて、口の中で空気を吐いて吸って回して。

 現在エリクディスとスカーリーフ、テュガオズゴン氏族の命運を握って然したる報酬も期待せず、義によって命を懸けている。人の飯を食うぐらいは活動費用の範疇。

 少年は己の分の肉を切り始める。煮汁まで飲まれなければ作り直すのは簡単。

「この辺詳しいの?」

「色々見て回ってる。たぶん、役に立つ」

「そう」

 鍋の中に短剣を突っ込んで、沈んでいる肉を刺して拾い、今度は入念に冷ます。若干火傷したのだ。

「山羊面白い?」

「川に投げて洗う」

「へえ」

 鍋の底を短剣で突いて探って肉を取る。

「賊は何人殺った?」

「旅人が飯に盗りにくる。顔を大体潰して、生きて放す」

「私なら串刺しにして見せしめにするけど」

「歩けば遠くまで警告になる」

「殺さないなら今度鼻削ぐのが分かりやすいよ。殴ると脳がやられて途中で死ぬ」

「そういうこともあった」

 歯に挟まった肉の筋を短剣で掻いて出して食べる。

「武器は?」

「これ」

 少年が持ち上げたのは杖。削り出しで、オークの手に合う太さ。色合いから防腐剤塗り。

「稽古つけてやるよ」

 座った状態からスカーリーフは跳び、出来た尻と地面の隙間に足を入れて立ち上がる。

「これで?」

「これ貸す、いいや、あげる」

 アレン城の戦いで手に入れた老騎士の剣を投げ渡された少年、目が少し開いて、息を吸って胸が膨らんで肩が上がる。鉄だ。

 これは片手両手、どちらでも使える”雑種剣”。オークの手には片手の剣に過ぎない。

 スカーリーフにとり武器は正に消耗品。乱戦で殺した相手の物を奪いながら戦うので基本的に愛着が薄い。

「柄が細い」

「革か縄巻けば」

「うん」

 少年は寝台用の藁を柄に撒いて手に合わせ、素振りを始める。スカーリーフの目には、杖でそこそこ練習していた程度に見える。

 己の同じ年頃を思い起こせば少年は未熟も未熟。幼少の頃から好き放題出来たかどうかの違いが如実に表れる。

「ほいじゃあ、殺す気で来て」

「殺す気?」

 スカーリーフ、剣も斧も短剣も盾も手にせず、指を広げて手の平を打ち合わせるだけ。

「ドラゴンの糞の癖に手加減される云われは無いんだけど」

 オーク、とてもではないが気は長くない。

 ガッ、と咆える、撃つ。捌く、避ける。

「ほい」

 スカーリーフ、少年が振った剣に合わせて。柄を握る手を手で受ける。膂力は先の戦いで受けた雑兵達とは比べようもなく強く、手応えが有った直後に流す。

「ほいほい」

 少年が殺す気で迫るが突き飛ばし、足払い、背中蹴りで転ばし続ける。流石のオークの体幹、かなり力を入れなければ揺らぎもしない。スカーリーフは一通り流してから足を掴んで転がし、その厚い皮の足裏を殴る。

「いっ!?」

「流石オーク、ちびのくせに私より良い皮してんじゃん」

 これはイストルの稽古で味を占めたのだ。雑兵狩りの次には雑兵シゴきを覚えた。エリクディスには普段子供扱いされているので、その八つ当たり、仕返しが出来て楽しい。

 成長である。以前の彼女ならば稽古をつけるという発想すら浮かばず、対峙即ち撃殺だった。これに品性や慈愛が加われば良い師になれるやもしれない。

「悔しかったら次までに稽古しといて」


■■■


 エリクディスが目を半分閉じている目付きで煙草を吸いながら、川に背を向け崖を眺めていた。何も面白いところはない。まずいところがあると言えば、棺と白骨奴隷の葬列は結構先へ行ってしまっていること。

「おっさん?」

 スカーリーフ合流。

「お? おお、早かったな。足が長いだけある」

「短足」

「地元じゃこんなもんだ。で?」

「お前等は山羊の抗議に聞く耳あんのかだって」

「ほう、そうきたか。スカちゃんの見立てでいい。”合奏”の血族”鉄”の名乗り。真か偽か」

「鉄鱗の山鯨って感じだったから、とりあえず強い。あれ狩るとしたら、私んところで一族懸けるかな? 負けるかも。逃げれば別にあれだけど」

「山で見える影は大きいものだが」

「実際でかいよ」

「ふむ。次の手紙がある。今考えて書くから待っとれ」

 エリクディス、地べたに座って目を閉じ唸り、しばし考え込む。

 スカーリーフ、その対面でしゃがんで、膝を握ったり、小石を拾ってその辺に投げたり、雑草引き千切ったり、耳の穴穿ったり、手鼻かんで地面に擦ったりして待つ。

「んよし」

 魔法使いの頭の中で文面が出来上がる。荷物重量の半分に及んでいた絨毯のように丸めていた手紙を広げ、杖先に筆先を縛って付けて、黒染料と水を混ぜて墨汁を作って、靴を脱いで手紙の上に乗って、迷い無くドラゴン文字の手紙を書く。

「書道ってこんなこともするの?」

 エリクディスは書き損じの修正が面倒なので無視。集中して誤字脱字を無くす。そして書き終わる。

「ねーってば」

「お前さんのう、こう、集中して間違いないようにやっとることくらい分かるだろが」

「えー」

「短剣を研いどる時に横からがたがた言われたら気に食わんじゃろ」

「刺す」

「ほれ。今度からは自分に置き換えて物事を考えるんじゃな」

「うっせー」

「さてさて……」

 エリクディス、毛先を外した杖に寄りかかるようにして精神を集中しつつ、己の手に息を何度か吹きかける奇行。

『吹けよそよ風、手紙の墨を乾かせ』

 そして気の精霊に話しかける魔法で手紙を早めに仕上げる。墨の量が多いので並より乾きが悪いのだ。風が要る。

 エリクディスの表情が険しくなる。倒れぬように杖に掛ける手の力が増す。この魔法使い、精霊術は言うに初級程度がやっとなのだ。

「おっさん、そんな痔みたいな面してないで外套で煽ればいいじゃん」

「うっふぅ……あー、うるっさいわ」

 局地的なそよ風が手紙の上を回って、水気で盛り上がる墨汁を徐々に平らにしていった。最終点検は、普通の紙で文字を突いて墨を吸うか吸わぬかで確かめて、合格したならば絨毯のように丸めて紐で縛って固定。

「これを”合奏”へ届けるように」

「道分かんないよ」

「ふむ」

 エリクディス、ふと空を見上げる。

「何?」

「分かる」

 エリクディス、普通の紙へ地図を描き始めた。地形を精密に再現するものではなく、経路と距離と目標物を記述していく描き方。

「は? おっさん、物知りったって限度あるでしょ」

「ふむ、まあ、色々本を読んできたからな。地理が記憶に残っていたんだろ」

「だろ? あてになんの」

「いや、間違いない」

「ううん? まあ別に、奴等くたばってもいいんだけどさ。預言でもあったの?」

「そうではない。昔の知識は経緯まで覚えておらんものだ」

「へー、まあいいや。外れたら戻ってくるからね」

「大丈夫だ」

「はいはい」


■■■


 第一の目標物、ギムゼン街道の頂上、同名のギムゼン峠。

 スカーリーフは葬送の列を追い抜き、川の分岐と一本の街道を見据えて駆け上る。

 肌寒さが増してくる。空気が薄くなり始める。植物の背が低くなって、砂利と礫と岩肌が目立って来る。

 そして第一目標に到達。石というものは割れ、砕け、削れるものの旧帝国官僚ギムゼンの事業を称える石碑は、風雨に表面を削がれやや蕩けたようになっていてもその頂上に立っており、昔日の栄光を窺わせる。

 ここから街道を外れ、東方へ尾根伝いに行く。

 道はもう無い。斜面を降りる。断崖をよじ登る。道と言えそうな、左右に地面が崩れる砂利道もあった。乱杭の鋸刃の上を進むように上がる、下がる、前に進む。

 山の天気は変わりやすく、雲の動きが直接反映。あっという間に濃霧、あっという間に晴れ。雨が降って、霜が張って、突風、強風、落雷。

 晴れた時には前後左右に谷だらけの山地が広がって見える。岩と草地と森の境が見える。日当たりの良い南面は緑が多い。北面は薄い。それからフレースラント王国領の建物、山小屋程度だが遠目に見えることもある。

 ひたすら東進して第二の目標物と思しきものを確認。

 おそらく前人未踏の隔絶された谷に降り、魚や海老、蟹すらおらず苔すら生えていない、かつて川だったような縦長の湖に到達。枯れ木がわずかに立ち、また倒れているその濁った水を指先に付け、少し舐めて吐き出す。

「まっず、これ? これかー」

 第二目標、谷底の、深さも分からぬ鉱毒湖。魔法使いの叡智も底が知れないと見えた。

 本日はここを野営地とした。悪天候による増水を警戒し、断崖の途中にある寝むれそうな段差の上へ。そこで横にならず座って片目を閉じ、もう片目は半開けの状態で四分の三休む。

 風と、鉱毒湖にどこからか若干流れ込む水の音しか聞こえない。四足獣、鳥、虫の声も無い。時折水筒から水を舐めつつ、太陽を避けるこの谷、薄暗い底が夕方から夜へ移行。

 完全に寝ず、じっと動かず、朝をひたすら待つ。エリクディスと共に旅する前は、余程の安全が確保されない限りは寝ることすらなかった。己が相手の寝込みを襲ってきた経験から油断しない。何処から追跡し、どのように狙うかなどやりようは幾らでもあるものだ。魔法というインチキがこの世にあるなら尚更。

 空が黒から青、赤、若干の黄に緑などと変色して夜が明ける。

 スカーリーフは立ち上がって左に盾、右に剣を持って段差から草も生えぬ鉱毒の湖畔へ降りる。

 南面から射す陽光が消えた。空を覆い尽くすように見えた巨体、広がっては閉じるを繰り返す翼、空飛ぶドラゴン。

 谷底にドラゴンが翼を閉じて落下、大股開きで着地。地揺れ、埃が立って斜面、断崖から落石、鉱毒湖に波紋。

「私の水場に人型が何のようだっ!」

 更に大声で谷間に反響、落石の第二波。一部土砂崩れ。鉱毒湖が更に汚れる。

 先に見た腹這いの”鉄”と比べて翼が遥かに大きく、板金のように隙の無い鉄鱗。そして手に下げた巨船の竜骨のような鉄剣。”合奏”はこの者にこそ”鉄”と名付けるべきではなかったか。

「”合奏”に手紙!」

 スカーリーフ、剣を地面に突き立ててから絨毯のような手紙を広げた。

「では力を示せ!」

 ドラゴン、ろくに手紙へ目をくれた様子も無く、その巨大な鉄剣を両手で構える。既に何者であろうと圧倒する鉄の巨体が更に大業物を、堂に入った上段構えで見せた。

 このような口より手が出るような元気な手合いと対峙することはスカーリーフにとって初めてではなかったが、ここまで元気な巨体は初めてだった。北海の鯨、世界樹の森の大猪を思い出してもこんな喧嘩野郎ではない。

「伝令なんだけど!」

「問答無用! 何故なら私がそうしたいからだ!」

 スカーリーフ、突き立てた剣を抜いて脱力して待つ。先の先、後の先、どちらが良いかと遥かに違う間合いを考えて後を取る。

「参る!」

 ドラゴン、工夫も無く谷底毎地形を破壊する真向斬り。刃筋はスカーリーフの脳天を捉えていた。

 その剣筋、余りにも美しく素直で、規模感に惑わされなければ愚直そのもの。世の汚れを知らぬような純粋さにスカーリーフ、思わず棒切れを振う故郷のガキ共を思い出して感心、感動、笑って避けて、巨剣が着地して大地震を起こす前に跳ねて、その刃の背に手を掛けて腕の力だけで更に跳ね上がる。

 刃の着地で谷底が抉れて揺れて、土砂と鉱毒水が谷の両壁へ跳ねて叩く。

 スカーリーフ、巨剣上で無傷の宙返り。衝撃、被害は左右と下に向かったのみ。

 刃の背へ軽やかに着地した時には下半身の力を乗せる姿勢が完了。体の捻りは一瞬、投石器での剣投擲一閃、ドラゴンの右目に命中。

 このドラゴン、眼球すら鉄の如きか刺さりもしなかった。だが片目を閉じて、反射で濁った涙を出す。

 巨剣の背を駆け上がってきたスカーリーフを嫌々といった風に、手でもある翼で払い除けようとしたが、翼に今度はよじ登って避ける。

 ドラゴン、鉄が擦れて引き千切れる悲鳴のような絶叫を上げた。


■■■


 スカーリーフ、跳ね起きる。意図せぬ横臥姿勢を生命の危機と反射で察した。

 眉間に皺を寄せ、中腰脱力、警戒態勢。手を軽く前に出して何かを掴めるように。

 周囲に動く物は無い。室内、牢ではなく半地下の竪穴住居。寒い気候を凌ぐ家。裸足が感じる地面の感覚は毛皮の寝台で清潔。

 体を触って欠損が無いか、動かして手応えがあるか調べ、直前の記憶を元に耳元で指を鳴らして聴覚を確認。あった。

 記憶を辿ると失神するような音を聞かされたと分析する。それでもまるで無傷のようだということは、奇跡の治療済みかと推測。

 では捕虜か? 捕虜を閉じ込めておくにしては生活感がある室内だった。

 寝台、布団、枕。金髪の抜け毛はスカーリーフの頭髪より長い。

 竈、料理道具、食器。一人暮らしの数。

 乾燥糞に草、火打石、使いかけの蝋燭。薪ではなく糞、森林から遠い?

 吊るした山菜、香草、燻製肉。穀物類が見当たらず、交易圏外?

 毛皮の服や襟巻に冬靴、藁の防寒具、鎖帷子。普通の文明人か野蛮人の持ち物。

 貴石の首飾り、干し花と枝組みのリース、大型動物の角。裕福と言わずとも貧乏ではない。

 手斧、鉈、短刀。使い込んで磨り減って錆びてはいない。

 壁掛けの槍。柄は胸の高さ、捩ると穂先が取れる仕掛けは金エルフ伝統の大物狩り。同族の家かと推測が進んだ。

 自分の荷物の中に絨毯手紙が無い。”合奏”宛て、届いたのか捨てられたのか判断がつかない。

 武具類は揃っていて、投げた剣もあり、見ると切っ先は欠けていた。着ていた鎖帷子、サンダルは外されていた。再度武装し、槍を奪うかどうか考え、いつでも手に出来るように立ち位置を変える。

 揺れる。地震のようで、地面からではなく上から覆いかぶさるように震える音。室内の物がカタカタと鳴る。

 同時に眩暈がする。ただ大きな音ではなく、巧妙に脳髄の奥まで届く気持ち悪さ。脳震盪を起こした後遺症かと思ったが、音が収まると症状は消えた。

 何も知らずに、次の音か何かで屋根毎潰される心算は無く、スカーリーフは扉を開けて外を見た。

 暗い室内から明るい外、しかめた顔の皺が更に寄る。そこはまつろわぬ者達、蛮族より化外の街。家屋は建てられた物ばかりで天幕は少ない。野営地ではなく、恒久的な居住地。

 周囲に森林は無いが、切り株の跡があった。地面は土、砂利が剥き出し。草は踏み荒らされて禿げた跡。移ってきて一年も経っていないか。

 人間、ドワーフ、ゴブリン、オーク、ケンタウロスが雑多にいる。服装は基本的に毛皮か裸、恥部隠しすら無い者も。布は文明圏と比べて遥かに貴重品だろう。

 家畜は山羊、羊、牛、馬、駱駝、豚、犬、猫と大体揃っている。

 ドラゴンの亜種の一つ、手が小さく爪が鋭く大きい走り蜥蜴のラプトルもいた。毛が生えているのではなく毛皮を着ている。

 通りがかるラプトルと、その縦瞳孔の目と目が合う。化外の地ならここで先手を取らなければ負けると筋肉が動き出すが、走り蜥蜴は嗅がない臭いだと鼻を一回啜る程度で通り過ぎる。その手には摘んだ香草が束になって入った枝編み籠。生活感があった。

 また尋常の生物ではありえない、馬のように大きな鉄のコオロギが歩いていた。あれはかつて邪法により生み出されたといわれる人造の魔法生物、魔物。人里に現れたのならば騒動であるが誰も驚かない。

 震えの音の方角は北側、横断山脈の南面に出来た大きな谷の入り口方向。空を飛ぶドラゴンの姿が複数見える。

 ここの街並みは谷の入り口から扇状に、音の通り道を避けるよう左右に分かれて出来ていた。”合奏”のお膝元であろう。

 スカーリーフはここで、家主が来るまで気軽に暇潰しをするには文化が分からな過ぎると判断した。

 街の喧騒から聞こえて来る言葉は共通語ではない。故郷や出稼ぎ先では蛮族未満の賢い野獣として殺してきた言葉の通じない者達のベロベロ語だった。

 闘争を通じて簡単な化外の言葉を知っていたが、争いに使う程度のものしか知らない。そして覚えている言葉がこの者達に通じるかも分からない。

 まつろわぬ者達に共通語は無い。川を越えれば方言が変わり、谷を越えれば言葉が変わるぐらいに雑多で纏まりが無くて野蛮以下。蛮族に類する金エルフのフミル族から見ても化外と見られてきた。

 スカーリーフ、室内に戻って待った。手紙の一件が無ければ乱戦も一興であったかと考え、ドラゴンはきついと考え直す。

 重めで二足の地面を掻くように走ってくる足音がこの家の前で止まり、女のベロベロ語が一言、ラプトルの鳴き声も一つ。

 足音は去って、扉が開いた。

「あ、同族」

「お、起きてる」

 スカーリーフを見るなり笑った家主、長髪の金エルフの女であった。このような地にいるのは珍しい。珍しい同士である。

「ここは?」

「”合奏”様のおわすところです。あのね、あの建物が無いところはあまり近寄らないようにね。頭変になるから」

「変? 眩暈の?」

「さっきのね、そうそう。御前様の音をまともに聞くと狂っちゃうのよ。死ぬより絶対酷い感じになる。あ、お茶入れるね」

 家主が竈に火を入れるため準備。乾燥糞を入れ、火打石で干し草に火を点けて種火にし、鍋で香草を煮る準備を始める。スカーリーフはそれでやっと寝台に座る。

「手紙知ってる?」

「あの絨毯みたいなやつね。凄いわねあれ、皆感心してたよ。あなた書いたの?」

「そう見える?」

「全然」

 家主、スカーリーフに両手の人差し指を向けた。非常に友好的。

「返事は?」

「じゃあ、御前様のお返事をしますね」

「うん」

 エリクディスの文面はこう。

”最も古いドラゴン”合奏”殿へ抗議申し上げる。

 ”合奏”の血統である”鉄”を名乗るドラゴン、配下に従えるオークの氏族テュガオズゴンへの管理の拙さを代弁致す。

 かのオーク達の窮状は目に余る。飼育ですらなく少し時間を掛けて食い潰す所業。家畜と扱うも畜産の知識も無い。”合奏”の名を汚すと見る。

 管理能力不足の者に代わり、責任を取るならば補償するか、直接支配することを検討されよ”

「はぐれ如きに”鉄”の名を与えたことなどありません、とのことです」

「ぶっ殺すってこと? ドラゴンの風習知らないけど」

 虚偽で名誉を汚した者を殺す。伝統が強く誇り高い一族ならば言うまでもなく当然のことである。

「おそらくそうなると思うけど、どこまでどうやるか知らないよ」

「オークは?」

「テュガオズゴン氏族は関知しない、だそうです。これはね、我々の領域から遠いからってこともあるよ。まあ、向こうからこっちに移ってくるなら、あれだけど、言葉も違うし一二神への信仰も捨てなきゃならないんじゃないかな」

「呪われるじゃん」

「そうそう。だから生まれて来る赤子が新しい一員になって、親世代は隷属民って形を取るんじゃないかな。隷属っていったって、うーん、そんな不遇かな? そもそも皆結構辛いからね」

「あんたは?」

「私は……雇われ? そんな感じ。あー、人型に御前様の言葉伝える仕事ね。あらやだ、人型だって。ふふふ」

 人間、エルフ、オークなどは人型と、ドラゴンのような形の違う者達からまとめてそう呼ばれる。犬もネズミも馬も獣と呼ぶぐらいの感覚だ。

「ふーん」

「あーそうだ、食べてく?」

「うん」

 家主が入れた香草茶を飲みながら、燻製と山菜鍋が出来るのを待った。

「あなた、どこの?」

「フミルのスカーリーフ、あんたは?」

「スカのぉリーフ? 私、サイガリのスレズ」

「鯨獲りが何でこの山ん中に?」

「こっちに移る前、難破で拾われたの。鯨に船ぶっ壊されてさ」

「へー。私も出稼ぎでサイガリの船乗ったことあるよ。一角でこの装備買った」

「沖出たんだ」

「うん。あ、あの槍と同じの欲しい。予備持ってない? 前に壊してから作る暇無かったんだよね。ここの鍛冶屋あれ作れんの?」

「じゃああげる。あんま使わないんだよね」

「やった。あ、なんであんたら移民してきたの?」

「デーモン達の頭領に冬の魔女ってのがいて、なんかあったみたい」

「なんか?」

「なんか」

「あの、剣持ってるドラゴンは?」

「”鉄剣”様ね。後れを取った、素晴らしい人型の技だった、思わず本気を出しかけたって言ってたよ。スカー、凄いね」

「なめやがった」

「古いドラゴンに一発入れたんだから凄いって」

「どんな奴?」

「山斬りたいんだって」

「ドラゴンって馬鹿だっけ?」

「珍しいよねー。泊ってく?」

「うん。あ、道分かんない、ここどこ?」

「あの”鉄剣”様が今度案内するって。ばっさーって、空飛んで」

「あー、運ばれたんだ」

「でさ、あんた仕事終わったらここ残らない? 同族いなくて寂しいんだよね」

「私、戦乙女の見習いなのよ。戦神に認められた半神」

「うっそ!? え!」

 スレズ、鍋を掻き回す手をあたふたさせ、服で拭いた手を出す。

「あ、握手してください!」

「いいけど」

 両者握手。スカーリーフの方が二回り手が大きい。

「うわぁ、それは無理だね。やることなかったらこっちが付いていきたいぐらいそれ」

「ふふん。背負った神命ってのがあるのよ」

「わっ、すっげ!」

 神官から丁重に扱われるのと違い、同族からのこのような素直な賞賛をスカーリーフは喜んだ。

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