9 山間牧場編2話:一通目

「伝令! ”鉄”のドラゴンへ、文にて問う!」

 山羊革を継ぎ接ぎして作られた絨毯のような大判の手紙、スカーリーフが地面に広げる。書道の心得があるエリクディスが掃除用具である掃布を使い、両手持ちで一筆というには巨大な文章をドラゴン文字で刻んだ物だ。手持ちの墨では足りず、持ち得る染料を混ぜて黒にして作ったもの。

 この高原地方にて最高峰と見られる山頂、テュガオズゴン氏族が石積みで造った生贄の祭壇には山羊一〇頭と鉄器複数が捧げられている。これは日にオーク三人か山羊一〇頭。鉄は商尺貫法に基づき一貫、鉄鉱石の場合はその倍という供出量を満たす。

 そこに鯨のような巨体で、四つ這いで崖や急勾配を静かに歩ける筋力を持つ、鉄鱗を陽光に光らすドラゴンが現れた。顎はオークを一口、牙は剣の列、呼気だけで腹へ太鼓の音のように響き、眼力には理性を圧し潰す重量がある。常人ならば見ただけで腰が砕けよう。

「何だお前は」

 怒鳴らずとも耳を聾しそうな声で大陸共通語を放ったドラゴンは、オーク達に自称するところによれば”合奏”の血統に連なり”鉄”の名を冠するという。

「伝令、手紙!」

 いいから読め、と手紙を指差すスカーリーフに臆する気は一つも無かった。余計なことを言うなと釘を刺されているので短くしか言わない。

 文面はこうである。

”魔法使いエリクディスは、本件に限りテュガオズゴン氏族長、鉄骨チャルカンの代弁者である。義によって代筆した。

 直接参上して口を開かないのは死神の神命を背負い、現在寄り道が許されぬ道中だからでありその点理解して頂きたい。

 この伝令、戦神に認められた戦乙女、その見習い、金エルフはフミル氏族のスカーリーフである。

 族長より一族の窮状を伺い、その惨状目に余る。このままでは何れ、郎党全てそちらの腹に収まり何も残らなくなる。

 管理扶養するならばまず己を節制し、良く守護して版図を広げて、数を増やして肥やすが肝要。牧畜の基礎である。

 名を冠する古いドラゴンならば力が足りて問題を解決出来ようが、何らかの困難な障害があるならば不詳エリクディス、知恵をお貸しする。

 最も古いドラゴンからの評価を恐れる心は、いかに古き”鉄”と名を授けられてもドラゴンならば誰しも持ち得るもの。早急な改善が無ければそちらの身も危うい。

 この乱世、誰しもその身を危うくしている。混沌の中に秩序を立て、生存を画するのは当然のこと。

 ならばこの期にドラゴン、オークの正しい新秩序を構築してはいかがだろうか。

 失ってしまう前に賢明な策を講じる時間はあると心得る。いかがだろうか、返答をお待ちする”

 エリクディスは紙面に書いている以上のことをスカーリーフに言い含めてある。

 まず手紙を、ドラゴン文字を自称”鉄”のドラゴンが読めるかどうか。学無く読めぬのならば、まず間違いなくはぐれ。最も古いドラゴンの尖兵ではない。

「我が牧場に口出し無用。お前は山羊の抗議に耳を傾けるか」

 との返事であった。読めている可能性は高そうだった。

「返事はそれだけ!?」

「さっさと行け」

 エリクディスが危惧する一つに、野蛮さから、また文字が読めぬことを恥とすることから伝令を殺しにかかることだった。伝令、使者とは行先に命を預けるものだ。使者殺しは恥ずべき蛮行だが、史上度々繰り返されてきている。

 伝令そして使者は、戦乙女を危険に晒してまでさせる役目であるか? 細々した部内伝令には勿論相応しく無いが、両勢の頭領間を行き来する使者であれば相応しい。

 また今回は戦乙女を使わせるという行為により、テュガオズゴン氏族からの哀れな陳情ではなくして、策をにおわせつつ対話という形に持って行った。ドラゴンに対抗するならば半神の格が必要であろう。

 エリクディスの企みの一つとして、一族の背後に神通力を醸すことによって安易な殺戮を防ぐことにあった。神の介入があるのでは? とにおわせた。

 更に、戦乙女としてスカーリーフを育成するという戦神の神命を考えれば危険と苦労は承知で行わせるべきであった。


■■■


 ”鉄”のドラゴンへ手紙を書く前に、砦にてこのようなやり取りがあった。

――我等テュガオズゴンがこの地にようやく腰を据えた後に”鉄”を名乗るドラゴンが現れ、その圧倒的な力で生贄が義務付けられた。抵抗が無意味であることは、あの威容を見れば分かる。勇気と武芸が通じるものではない。

 既に年老いた者達は捧げた。この地まで道を共にした、少なくない異種族の者達は裏切り、友情を破って捧げた。子を育てる余裕は無く、生まれさせないことで生前に捧げたも同然。

 肉の供出で氏族は数を減らし、鉄の供出で戦闘能力も先細る。未来は短い。

 このままでは座して死を待つのみ。知恵をお借りしたい

――一族決死の覚悟でも勝機無しか

――完全武装の大人と素手の赤子よ

――逃げられる相手であるか

――山谷を巨体で音も無く歩く足がある。本気を出せば底が知れん

――略奪はしたか?

――先の下山はその下見だ。フレースラントもヴェスタアレンも手強い。割に合わない

――名誉と未来の無いことは分かった。しかし一つ、理屈がある。牧場主とは屠殺人であるが擁護者である。乱世で恃みにならぬか。徴税と見て対価に合わぬか

――合わんから言っている!

――ドラゴンはドラゴン、犬畜生に非ず。我等人型と論理は違えど知性有り、言語を持ち、生まれた地の伝統がある

――そんなことは分かっている!

――互いの関係について明文化し、どのような御恩と奉公を捧げるか話し合ったことはあるか。ただ一方的に屈辱に、勝手に打ち震えてはいまいな?

――ぐぬ!

――一宿一飯の恩義にて今晩は知恵を絞るが、しかし神命は何よりの優先。朝を待たれよ

――ぬう

――早めに言ってくれれば弁舌師でも探せたやもしれんが、いやしかし、ドラゴン相手に口を回せと依頼して受けるような馬鹿はそれはそれで頼りにならんのう。よほど義理で結ばれた上でなければな

――魔法使い殿しかおらんではないか

――むう、それもそうだ

――ドラゴン狩りしたい!

――ええい黙っとれ……スカちゃんや

――ええい黙っとれー

――馬鹿もんこの! スカーリーフよ、この山、お前さんの足で走って南北縦断に何日掛かる?

――うん? 麓の宿場と宿場ぐらい? 飯休憩入れて半日要らないよ

――ならばやりようがあるわ。スカちゃんや

――なに

――伝令というのはのう、非常に重要な役目なんだ。これ無くして戦はありえん

――なに?

――俊足のスカーリーフなら大した苦労にならんだろうが……

――ドラゴン狩りは?

――寄り道はならん。道端にいた兎を狩るようなもんではないぞ。一国が全てを捧げるような合戦支度がいるものだ

――おっさんだけで行けばいいじゃん

――お前さんから目を離すなんぞありえんわ

――なんでー

――前に勝手しおった時に戦神の預言にてお叱りを受けたことがある。また次なんぞとんでもないわ

――はぁ!?

――はぁ? でないわ。さて最後に長殿に確認だ。擁護者の喪失でも構わないのだな?

――当然。そう見てなどおらん

――ワシが策を思い付いたとして、それを実行したとして、”鉄”への侮辱となり皆殺しが早まる可能性も覚悟の上か? 相手の胸先三寸ならばそういうことである

――頼む以上は首を懸けたも同然。この大顎に誓う


■■■


 スカーリーフ、最高峰より降りる。エリクディスの鈍足に合わせない駆け足は、岩狙いの飛び跳ね。礫地、砂地は滑るおそれがあるので狙わない。

 ドラゴンの気配を恐れてか山羊や猛禽も余り見かけない坂道を、石積みの道標沿いに下り切って、川沿いに低木が茂る小さな渓谷へ入る。この界隈では一番に草が茂って山羊が多く放たれ、管理するオークとその幕舎が見られる。夫婦は見られるが子供は見られない。

 スカーリーフの故地近隣にもオークはいた。北の森林に住む彼等はトナカイを飼っていて、犬と一緒に熊も使役していた。血生臭さを相争っていた間柄を思い出し、ここのテュガオズゴン氏族は放浪の中で牙が削られ、ドラゴンに折られる寸前なのだろうと感じられた。

 手入れされていない川淵で水を飲み、骨捨て場には骨髄まで吸われた跡の馬の骨が積んであるのを見て一層、彼等のしみったれ具合を感じる。沃野とは言わないが農業が可能なここで、土作りがされた形跡すらない。普通の馬に乗れないオークと言えど農耕馬への需要くらいは、普通はある。

 渓谷が扇状に開けていって、遠景で山に囲まれた盆地の中にいると分かる位置へ出る。川から離れると草が痩せてまばらになる。

 ここから西へギムゼン山道まで、季節の氾濫の度に変わる川の蛇行には付き合わないで一直線。しかし目印にしながら突き当たるまで駆ける。幕舎の横を通りかかれば、山羊の乳酒が貰える。

 走る中で、流石のスカーリーフも平野部ならば馬を乗り潰しながらだともっと早い、と考えてしまう。野生馬は先の渓谷で見た通り、ほとんど狩り尽くされてしまった後だ。

 西の遠くには囲いの山が切れて下がったように見えるところがある。あれが出口。

 高地平野部がまた狭まってきて、川が這う谷底の形状に近づいて砦への山道に入って坂下り。岩跳び加速。

 高原から西に注いだ川が、ギムゼン山道の北から流れる川へ合流したところでテュガオズゴン砦に到着。ここで食事休憩。

 門番がスカーリーフを認めて開門。もてなされるのが当然のようにスカーリーフは門を潜って、広場で胡坐を掻いて待っていたチャルカンが待ち構えもせず、自ら出迎えた。まずは杯に入れた水を渡し、一気飲みさせる。

「っぷはぁ! この先滅びなかったら伝馬ぐらい用意して欲しいね」

「どうだった!?」

「家畜の抗議は聞く価値無いって」

「ぬう、いや、予想された通りか」

 チャルカンが妻達に手招きするように、さっさと伝令殿に飯を持って来いと指図した。

 広場に用意された食卓、毛皮の上に両者座る。スカーリーフは早速盛り塩を指につけて舐める。

「して、”鉄”の態度はどうだったのだ?」

「相手するのは面倒臭そうだったかな? まあ、今すぐぶち切れて皆殺しにしてやるって怒ってるわけじゃなかったように見えたよ」

「うむ、今すぐどうこうという雰囲気ではなかったのだな」

「見た目はね」

 スカーリーフの前に、熟成肉の薄切り焼き、擦った山わさびとニンニクが盛られた板が置かれた。素手で、肉を掴んで擦ったものを掴んで食べ始める。

「戦乙女の目に、あれは倒せる相手と見えたか?」

 スカーリーフ、口にものを詰めながら。

「大ももわりだか……っんく、大物狩りだから、準備いるね。返し刃の銛、頑丈な縄。一頭討つんじゃなくて、百頭捕らえる心算でやんのよ。鯨漁みたいなもん」

「鯨?」

「鯨知らない? 南は知らないけど北海にいる船よりでかい赤身魚、脂の量が半端じゃないの」

「鉄の鱗に刺さるだろうか」

「鱗の隙間、目とか尻の穴狙って刺して、岩でも木でも縄と繋げて錘だらけにして疲れさせるか、全部毒塗りにして体中傷から腐らせるか、口の中に入って喉の内から血管切って失血させるか。族長んとこのドラゴン殺しってどうやったの?」

「伝説では斧の一撃で首を落としたとされる」

「あの顎ぐらいの生き物の首を落とすって、伐採した丸太じゃないんだから。死体の首に両側から斜め斜めに何発も入れて削ってようやくじゃないの」

「伝説では、と言っている。どうにかして倒してから解体したことを言っているかもしれんが、何分古い話だ。俺は、戦士達が魔法も使って激闘の果てに討ち取ったと信じている」


■■■


 半死人イストルの棺を代わる代わる運ぶ白骨奴隷の葬列、その数五一体と一頭と、魔法使い一人。

 フレースラント川から南進してくる旅人とは幾度もすれ違う。

「これは神殿行事ですか?」

 唯一肉がついているエリクディスに向かって声が掛けられること幾度。興味を引くなというのが無理な話。

「神命である。まあ、それなりの敬意をもって余計な事を言わなければ何事もないだろう」

「ははあ、なるほど」

「あそこに骨のロバがおるな」

「ええ」

「余計な事を言うた飼い主もおる」

「……お気をつけて」

 白骨奴隷達の歩みは確実で、あまり早くもない。火急の用事でもなく、エリクディスに配慮して昼に休憩時間を取るし、夕方を前にして活動を停止する。落石であわや惨事ということもあったものの、武装する戦士達は避け、時に盾と肩を重ねて庇い合う。神を畏れぬ輩がいても何とかなろうという気になる。

 スカーリーフもおらず、エリクディスは煙管を加えて煙草を吸う。たぶん抗議はされないだろうが、白骨奴隷に吐いた煙がかからない立ち位置を意識する。

 低地の街道程の人通りも無く、車両は基本的に通行不能なこの高地山道は閑散としていると言える。

 その道外れで、杖を両手で控えめに持ち上げて立ち尽くしている女性がいた。目を布で巻いて覆い、おそらく盲目。ボロ布装束で、屈強とは程遠い体と白い足で素足。杖の他、腰帯から下がった托鉢のお椀一つしか持ち物が無い様子。

 いずれかの神か神殿に試練を課された苦行者であろうとエリクディスは推測した。煙草を一吸いして、火の手が回らないところに草を落として踏んで消す。そして女性のところへ歩み寄った。足音で接近を察したようで、目で追うのではなく鼻柱をエリクディスへ向けた。

「どうされたかな?」

「道が分からなくなってしまって」

「それでは手を。どちらへ、フレースラント、ヴェスタアレン?」

「ではヴェスタアレンで」

 エリクディスは彼女の手を引いて、下り坂方向へ誘導。今日も一つ徳を積んだ。

「同じ道なら多少手引きも出来るが、反対方向ですな」

「親切なあなた、ありがとうございます」

 引いた手が握手に変わる。

「これも、まあ、親切ついでに受け取ってくだされ」

 エリクディスはお椀にオーク砦で貰った松の実を分け入れる。

「まあ、本当に親切な方。きっと神の加護がありますよ」

「それは身に余ることで」

「お礼に占いのようなものを、それぐらいしか返せるものがありませんので」

「旅は一応急いでおりまして。連れの者達も融通が利かんのです」

 安い親切の押し売りは、受けても中々辛い時がある。直接そんなことを言う者には勿論常識が無い。

「すぐに済みますので」

 エリクディスは、少し駆け足をすれば良いだけか、と白骨奴隷達が進む姿を見る。棺は先に行かせて占いを受けることにした。

「それでは、そう、説明は省きますが色々と、複数の為すべき難題を抱えております。もっておくべき心構えだけでも助言してくれれば」

 奇跡の力を借りないような占いとは話し上手にして貰う人生相談、そうエリクディスは認識していた。

「では……」

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