第三話


 外でしばらく待っていたのだが、中々出てこないので痺れを切らして店内に戻ってみる。すると棚の前でうんうん呻る男が一人、日が昇っている間は近づきたくない連中だ。


「外、寒いんだけど」

「どれが良い?これ」

 そう言って彼は棚を指さした。


だ」

「約束しただろ?排水溝掃除するって」

「今買わなくていいだろ」

「いや。もし少しでもやる気があるんなら、買って帰ろう」

 一番安い塩ビのパッケージを突き出して、そう言い放った。


 漂白剤と350mlの牛乳パックを同じレジ袋に入れて貰って、ぼくらは坂を下る。だがいつまで経っても店の入らないテナントの前を通り過ぎる際、隣でこんな事を言い出した。


「卵サンドが食べたい」

「なんで買わなかった?」

「手作りが食べたいんだ」

 作ろうか、という提案を棄却する視線をぼくに浴びせながら、せっせと奴は地下階に降りて行ってしまった。そうして仕方なく、家に帰るついでに喫茶店に寄ることになったのだ。


 店員との短い応答の後、席を離れても構わない位の時間が経ってやっと注文の品がやって来た。


 ぼくは聞いておきたかったコトを今更ながら口にした。

「卵サンドは?」

「ん」

 張本人はフレンチトーストに(もう十分だろうに)たっぷりクリームを付けながら空返事する。


「卵サンドはどうした」

「モーニングに無かった、見ただろ」

「有ったよ」

「一々煩いヤツだ、朝から言い争って何になる?」

「いや、こだわってた様に見えたから」

「諦めは良いんだ」

「へえ」

 どうでもよくなって、ぼくは正面の席から飛んでくる甘ったるい香りを顔で受け止めながらワンプレートを愉しんだ、十分ではないにせよだ。何せ腹の調子が良くないし、喉も器官に唐辛子を押し当てられたように痛いのである。なので茹で卵だけ先に食べてから磁器製の取っ手を撫でていると、彼が話しかけてきた。ある興味深い提案についてだった。


「運命診断をしてみないか?」

「やらない」

「まあ見てろ」

 そして奴は器用にコインを弾き、この前見せられた50ウォン硬貨が宙を舞った。曰く古い自販機なら騙せるらしいが試す気にもなれない。


「表」

「あーあ、残念」

 いったいどっちが表なのかという初歩的な確認はおこたっていたが、結果は了承するしかない。そんな事で諍うなんてから。


「分かったよ、ぼくが負けた」

「言っただろ?勝ち負けじゃない。今日の運勢について占ったんだ」

「それじゃどうだった?」

「まず。『店に置き去りにされるでしょう』」

 そう言って笑いながら席を立ち、伝票置きをぼくの皿の横まで滑らせた。

 

 ぼくは重たいカトラリーフォークを持ち上げてぬるくなった豆たちを唇に当てる素振りをしながら腹の調子が戻るのを待っていた。だけど気分も体調も好転しないもので新たな客が入ってくる入り口の呼び鈴を合図にとうとう立ち上がって、レジ袋を指に引っ掛けた。


 会計の後、外に出る前に雑事を済ませておくべきだと思った。『TOILET』の掲示をくぐると蒸気の立ち込める現場に到着する。ぼくは手だけまず洗ってそれぞれ覗いて行った。

 赤、緑、透明と並んで本格的な寸胴が整列済みだ。ぼくは透明な一つに小指を付けて確かめてみれば、熱と塩味の後にほんのり酸が追いかけて来た。

 おそらく、茹で卵を作る為だろう。


「サボってるな」

 気づかなかったが、奥の方の裏口から男が入って来ていた。ぼくはすみません、と返事して空になった漂白剤とティーカップを台の一段下に置いてから黙って彼に付いて行った。

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