7.揃い踏み

*****


 昨晩――カザマにのされ、目覚めたところはやはり河川敷で、俺は大の字になっていた。帰宅したのは早朝四時といったところ。身体中、特に顕著な背中の痛みに耐えながらシャワーを浴びた。痛みを覚えるたびに、感じた。ああ、俺はほんとう負けたんだなと。苦笑ばかりが漏れた。まさか敗れる相手が女性だったとは。世の中、面白いこともあるものである。



*****


 予定どおり登校した。構内に入った。「きゃあっ、神取くんだ、きゃあぁっ」と黄色い声を浴びせてくれるのは同学年の生徒だろう。「よっ、新人くん」などと気さくに声をかけてくれるのは上級生の女性ではないだろうか。昨日、少々暴れてしまったから、それなりに顔と名前が売れてしまったのかもしれない。そのへんを面白がるニンゲンがいれば、それはそれでかまわない。


 教室に入った、2-A。窓際の一番後ろの席が我が根城だ。スクールバッグから教科書やノートを取り出すわけだ。それらを机の中に入れるわけだ。


 困ったなぁと思う。


 どうやら序列一位には逆立ちしたって勝てそうもない。

 かと言って、二位以下には楽勝だ、ほんと、一位とそれ以下の差が大きい。

 さて、これからの学生生活、どうあれば気分良く過ごせるのだろうか……。


 ――と、そのときだった。

 右肩をつんつんとつつかれたのだ、些細なボディタッチ。

 まるで気配を感じない接触だった。


 ゆっくりと右方を振り向く。

 カザマが笑っていた。


「いつからそこにいたんだ?」

「あんたが来たときからいたよ? っていうか、昨日もずっと隣にいたし」


 それはそれは。

 自分の他者への興味のなさを実感した次第である。


「バイト、辞めたから」

「は?」

「理由があってね」

「理由?」

「だ・か・ら、あたしの部活に入れって言ったじゃない。その部活動に本腰を入れようってわけ」

「本腰、とは?」

「それはこれから考えるんだよ」


 とにかくとにかく、我が部に入ってよね。

 そう言われたわけではあるが――。


「気が乗らない。入らないぞ」

「えーっ、約束破るわけぇ?」

「俺がルールだ」

「あっ、そのセリフは素敵、カッコいい。弱っちぃ男が言うとサイアクだけど」

「――まあいい。まずは連れて行ってもらおうか」

「そうこなくっちゃね」


 カザマは得意げに微笑んだ。


「だがな、カザマ――」

「あ、それヤダ。れなって呼んでくださいな」

「俺はおまえとそこまで親しくない」

「これから親しくなるんだよ」

「だったら親しくなったら呼んでやる」


 カザマ――風間はまた笑った。

 なんだか悔しさを覚える。

 花が咲いたような笑顔だからだ。



*****


 部室とやらは一階の隅にあった。「元は生徒会室だったんだよ」などと言う。風間が鍵を開け、入室。大きなロッカーが数個、部屋の中央には机が計五つ寄せられていて、窓を背にした上座は風間の席だろうか――きっとそうだろう。


「部員は? 何人いるんだ?」

「あたしを含めて三人でーす」

「たったの三人?」

「なにか目的がある部じゃないからね」

「そうなのか?」

「そうなんだよ」

「部の名称は?」

「『ファイトクラブ』」でーす」

「ああ、それは聞いたな。にしても、えらい二番煎じだ」

「そうおっしゃらず」


 いまさら風間がなにを言い出したところで驚かないつもりだが――。


「ってわけだから、ロッカー、空いてるところ使っていいよ。雅孝はジョギングとかしたいヒトでしょ?」


 そのとおりだ。

 しかし、昨日の今日で異性のことを下の名前で呼ぶのか。

 馴れ馴れしいことこの上ない。


 風間が上座に座った。やはり彼女の席であるようだ。俺はとりあえず彼女の右斜め前方に着席した。スクールバッグを机に置く。


 ガラッ。


 静かに教室の戸が開いた。入ってきたのは細身、長身の女。肩までの髪は鮮やかな金色だ。染めて出る色ではない。ネイティブだろう。


 風間が「リリ、今日も元気してた?」と問いかけた、笑顔である。リリというらしい名の金髪美少女はこくりと頷く。それから俺のほうをじっと見てきた。冷たい――というより、特に興味もなさそうな目線である。若干の攻撃的な色合いを含んでいるのはなぜだろう――元からそういう人物なのだろうか。


「今日からウチの部員なんだ。神取雅孝くんだよ。偉そうな名前だけど、大した奴じゃないから、よろしくね?」


 リリとやらにウインクしてみせた風間である。それにしても、「偉そうな名前」とははなはだ失礼な物言いではないか。しかも「大したやつじゃない」などと。しかし、先日、俺は「当人」に負けてしまったわけだから、なにを言われたところでやむを得ない。


 ロッカーの前に立ったリリとやら。


「彼女の名字は?」

「コウダだよ。香るに田んぼで香田。やっぱりそう呼ぶの?」

「それはそうだ」

「どうして?」

「どうしてって、それは男としてあたりまえ――」


 リリ改め香田がいきなりセーラー服を脱ぎ出した。あっという間に下着姿――上から下まで真っ白な下着姿になった。下着の色より肌のほうがずっと白い。怖ろしく、またぞっとしてしまう現象だ。


「ビックリでしょ? リリって完璧すぎるモデル体型だからねぇ」


 風間よ。

 体型のことはどうだっていいんだよ。

 俺は会ったばかりの男の前でほぼ裸になる女に注意喚起したいのであって。


 べつに目を奪われたとかそういうことではない――はずなのだが、とにかく香田の着替える様子を見ていた。香田は黒いエナメル質のツナギ、バイクスーツに着替えた。まったく意味がわからない。


「リリはバイク通勤なんだ。あたしもときどき乗せてもらってる」


 ああ、そういうことか。

 だったらまあ、合点がいく。

 俺はバイクを運転したことがないから、乗れるニンゲンはカッコいいと思う。


 香田は俺の隣の席に座った。


「香田。それとも『さん付け』のほうがいいか?」


 香田は首を横に振るだけした。

 イエスかノーかはまるで不明だ。


 手にした文庫本に目を落とす香田。

 カバーがかかっているので、なにを読んでいるかはわからない。

 今後、気が合うようなことがあれば、好きな作家を教えててもらおう。


 がらっ!!


 香田が入ってきたときよりずいぶんと乱暴な音を立てて、戸が開いた。


 非常に長い茶髪。

 セーラー服の上着が短く、へそが覗いている。

 いっぽうでスカートはえらく長い、くるぶしまである――昭和の匂い。

 顔立ちはとても整っていて、これまたえらく美しい。

 この部は美人さん揃いであるらしい。


「うげげっ、やっぱ風間じゃねーか。なにしに来やがったんだよ」

「あたし、部長じゃない」

「ほとんど顔出さねーくせになにが部長だよ、けっ」

「サキちゃんは相変わらずかわいいなぁ」

「下の名前で呼ぶな。きちんとキリシキさんと呼びやがれ」


 そのキリシキさん――たぶん桐敷さんだろうもまた、ロッカーの前に立った。この女の肌も白い。その肌に水色の下着が良く映える。白い道着に着替えた。空手をやるのかと思ったのだが、空手着のそれよりは幾分生地が柔らかそうだ。機動力を重視するように見える。


「サキちゃんは今日もお稽古ですかぁ?」

「行かねーよ。あたいより強い奴なんざいねーんだからよ」

「じゃあ、なぜに道着?」

「常在戦場ってヤツだ」


 桐敷がロッカーをばたんと閉めた。それから俺の正面の席に座り――そしてようやく俺の顔を認めると目を真ん丸にして椅子ごと「うひゃあ!!」と後方に引っ繰り返ったのである。


 素早く立ち上がると、俺のことを指差しながら、風間に「おおぉっ、男じゃねーか! なんで男がいるんだよ!!」と文句を垂れた。風間はクスクス笑っている。


「サキ、あんた気づくの遅すぎ。あたしを笑わせてどうするの」


 桐敷は顔を真っ赤にする。「く、くそぅっ、ちくしょうっ!」と地団太を踏む。それから俺のほうを向いた。


「おい、てめぇっ!」

「俺は神取雅孝という」

「名前なんてどうだっていいんだよ! あたいの裸を見たんだ。それなりの覚悟はできてるんだろうなぁっ!!」

「厳密には裸ではない。そうでなくとも覚悟とは?」


 威勢が良かったのに、今度は口籠った桐敷。


「覚悟って、そ、そりゃあ、あたいの恋人になるとかなんとか……」

「わかった、承知した」

「ばかやろぉ! 冗談に決まってるだろうがぁぁっ!!」

「水色の下着、とてもよく似合っている」

「えっ」

「似合っている」


 すると桐敷はなおいっそう顔を真っ赤に染めて――大人しく俺の正面の席についた次第である。肩をすぼめているあたりが愛らしい。


「まあいいや。全然、良くねーけど。つーかよ、風間」

「なあに?」

「なあに? じゃねーよ。かわいこぶんな。これからどーすんだよ、ウチの部の活動はよ」

「いいじゃん。引き続き『ファイトクラブ』、やってこーよ。それで予算も取れるし、だからまあ、万々歳? っていうか、いちゃもんばかりつけるくせして、どうして我が部に入られたんですかぁ?」

「なにか部活やんなきゃダメってのがウチのガッコの決まりじゃねーか」


 ああ、やはりそうなのか。

 俺はそんなふうに納得し、手をポンと叩いた。


「なななっ、男! いきなり動くな! びっくりすんだろうが!!」

「そういうことなら、わかった。俺は俺でどこか部を探すことにする」


 憎らしげに「けっ」と言い捨てた桐敷である。


「そうだそうだ。とっととどこにでも行っちまえ。男とか、気色悪いんだよ」

「しかしだ桐敷、おまえだってきっとどこかのタイミングで結婚するんだぞ」

「なななななっ、おまえって奴はいきなり言い出しやがんだ?!」

「幸運を」

「い、言われるまでもねーよ!」

「じゃあ、俺は去る。以上だ」


 俺は席を立った。スクールバッグを持って立ち上がる。そしたらだ、「座りな、雅孝」と風間に言われた。強い口調だったから、一応、顔を振り向けてやった。


「雅孝、忘れたの? あんたはあたしとの約束を破ろうっていうの?」


 約束した覚えはない。したとしても口約束だ、そんなものに意味はない。ただ、罰ゲームみたいなものだとは存じ上げている。


「座りな、雅孝。あたしを怒らせるな」


 こんなことで怒りを覚えたりキレたりするようなニンゲンではないのだが――ないからこそ、俺は椅子に座り直した。深いため息をついてみせると、風間は「あっはっは」と高らかに笑ったのだった。


「な、なんだよ。すでにおまえら、できてんのか?」桐敷が俺と風間のことを忙しなく交互に見た。「すすっ、するとかだったらあらかじめ言えよ。現場なんて見たくないからよ」

「えっ、サキ、あたしたち、ここでしてもいいの?」

「ばかやろぉっ! たとえばの話だぁぁっ!!」桐敷は真っ赤な顔を両手でおおった。「ああ、やめろ。ほんとにやめろ。男とするとか、そんなの、そんなの――っ」

「ま、うまくやろうよ。きっと楽しくなるよ」

「くっ、このっ、うまくまとめやがったな」


 桐敷サキは椅子に座ったまま「くそっ、くそっ!」と言いながら地団太を踏む。つくづくかわいい奴だとしか言いようがない。


 俺たちがそれなりに騒がしくしているあいだも、香田は静かに文庫本を読んでいた。

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