第48話 ヨーロッパ

 深夜バスに揺られてソフィアに着いたのは翌朝の8時半だった。


 移動でお金は大分なくなった。だがショーをやる上で最低限の道具は必要なので、手元にあるお金で用具を揃えることにした。


 専門店でジャグリング用の大小のボールのセットとクラブ、風船を買った。それらを入れるオレンジ色のトランクを買った。ヨーロッパの国でその手の道具を売っている店を探すのは難しくはなかった。


 買い物が終わると、せっかく来たのだからベオグラード要塞を見ていこうという気分になった。


 ベオグラード要塞の近くには大きな公園があった。通りにカラフルな三角フラッグが張り巡らされ、あちこちに出店が並んでいて、遊園地にあるようなおもちゃの汽車みたいなバスが走っている。要塞の城壁の前には大砲や戦車などが展示してあった。


 しばらく歩くとドナウ川を見渡せる広場に着いた。広場の高い石の塔の上に立っている銅像の前で新しく作った寸劇を披露した。


 私は左側から歩いて行き、鞄を外に置いて電話ボックスのドアを開けて電話をかける。


 そのあと2役目、泥棒役の私が右側から歩いてきて、忘れられたらしい鞄を見つけ驚いた顔をする。キョロキョロと辺りを見渡して、素知らぬ顔で鞄を持って立ち去ろうとする。


 反対側に戻り、外を見ると鞄がないことに驚く。電話を慌てて切って電話ボックスから飛び出して泥棒を追いかける。


 ここからは1役に切り替わり、泥棒役の私1人の鞄のマイムが始まる。向こう側から持ち主に鞄を引っ張られ、鞄を取り返そうと引っ張って少しずつ右側に移動して行く。が、もう一度反対側から引っ張られて左側に戻る。それを何度か繰り返すうち、しまいに突然手を離され後ろにひっくり返って転ぶ。


 私は鞄を取って逃げる。


 鞄を地面に置いて開ける私。このとき鞄の中身が観客に見えないよう蓋を立てておく。カバンの中からジャグリングのボールが3つ出てくる。お金ではないことにがっかりするが、それでジャグリングをしボールを鞄に入れる。今度中から出てきたのは巨大なハンカチだ。またお金ではない。悲しみの余り巨大なハンカチで涙を拭う。今度はそれで右手を覆う。ハンカチを外し手に持っていたのは風船だ。風船で犬を作り鞄の中に入れる。


 鞄を閉じた私はもう一度元来た道を戻って行く。


 そして元の場所に鞄を返し、立ち去る。

 

 10人ほどの観客からまばらな拍手が上がる。 


 今度はジャグリングを披露し、観てくれた女の子に風船の犬をあげた。


 稚拙なマイムにも関わらず、ベースボールキャップにはわずかであるがお金が入った。


 夜ねぐらがなかったのでどこかの小学校前に停められたスクールバスの中で眠った。


 狭い座席で身体を折り曲げ目を閉じたら、疲れもあってすぐに眠気が襲ってきた。


 ふと真夜中に不意に身体にずしりとした重みと荒い息遣いを感じ目が覚めた。顔にかかる吐息の饐えた匂いに半目を開ける。暗くて見えないが大柄の男が私の上に馬乗りになっているのが分かった。とてつもない恐怖で思考が停止し身体が固まる。


 男の手が胸を弄ろうとしたところで思い切り脚に力を込めて股間を蹴り上げた。男はくぐもった声をあげて蹲り、捕まえる間もなく逃げて行った。逃げる男からジャラジャラという小銭の音がしてハッとして足元のトランクを見る。開けられた形跡があり、お金を入れていた巾着袋がなくなっていた。


 男をグラウンドの外まで追いかけたが暗闇ですぐ見失ってしまった。


 怒りと泣き出したいほどの悔しさで握った拳が震えた。バスに戻り少し間を置いて、とてつもない嫌悪感と不快感、犯されていたかもしれないという恐怖が湧き出して鳥肌が立ち脚が震えた。


 情けなくて泣けてきた。どうして私だけがこんな思いをしないといけないのだろう。せっかく苦労して稼いだお金も卑しい暴漢に奪われてしまった。こんなことなら、お金だけでももっと分かりにくい場所に隠しておくんだった。自分に腹が立って大声で叫びたかった。お金がなければご飯が食べられないし移動もできない。


 とにかく警察に行かなくては。学校近くの交番で事情を話したが、夜勤の警官は眠そうに欠伸をしていて真剣に取り合って貰えず余計に頭に来た。見るからに宿無しの私を見下しているのが分かった。


 警官に悪態をついて交番を出て歩いた。涙が出てきた。オーロラの言葉を思い出した。彼女はこんな危険な旅はやめるべきだと涙ながらに私を説得した。彼女の言葉は誰がどう見ても正しかった。この旅は女性1人で乗り切るにはあまりにリスクが大きく過酷だ。天から地に落とされ、それでもまた這い上がろうともがき、裏切られては絶望する。神様は今頃この壮大で終わりの見えない道化芝居を空から観下ろして高笑いしているに違いない。


 小銭を稼ぐために大道芸をしようと思ったがあいにくの雨だ。


 コンビニのトイレで生理が来ていることに気づいた。ナプキンを買うお金すらない。仕方なくトイレットペーパーを当てて凌ぐことにした。泣きっ面に蜂とはこのことで、悲惨すぎて涙も出ない。


 近くの公民館でボランティア団体が食べ物や生活必需品を配っているという張り紙を見つけた。

 

 教えられた場所はそこから歩いて15分くらいの場所にあった。小さな公民館の中には灰色の棚が並べられてあって、マカロニパスタやスパム肉などの缶詰やパン、飲み物やティッシュ、洗剤等の日用品が置いてあった。受付をすれば誰でも自由に取って良いという。


 一つだけあったナプキンの袋を手に取り手洗いに急いだ。こんなに無料の支援物資が有難いと感じたのは生まれて初めてだ。1人旅で何もかも失くす経験をしなければ、こんな感覚を味わうこともなかっただろう。


 他にスパム缶とパンとミネラルウォーターを貰い、隣の談話室みたいな場所のパイプ椅子に腰掛けて食べた。隣に腰掛けていた白髪の老人が「やあ」と微笑みかけてきた。老人は先月まで犬と二人でテントで暮らしていたが、犬が死に寂しい生活を送っているという。


 バスに泊まってお金を盗まれた話をしたら、老人は「何ということだ、大変な思いをしたね」と同情を示してくれた。


「私の友人の女性は、猫が好きでね。生活保護のお金とゴミ拾いで稼いだなけなしの給料で野良猫に餌をあげて可愛がっていた。彼女と私は千円の指輪で結婚の約束をした仲だった。毎日2人で河原の土手に腰掛けてインスタントラーメンを啜るのが日課だった。


 ある日彼女は駅前のベンチで寝ていたところを、若者たちに暴行されて殺されてしまった。身寄りのない彼女の遺体を知り合いの牧師に頼んで埋葬してもらい、ホームレス仲間だけでささやかな葬式をした。


 世の中には優しい人もいる。だが、私たちのような人間に冷たい人も多いのが現実だ。何故彼女が死ななければならなかったのか。誰にも迷惑をかけず、静かに生きているだけなのに……。助けることができなかった自分が悔しかった。今でも彼女を夢に見るよ」


 愛する人を若者たちによって殺された老人の悲しみを思うと胸が痛んだ。かける言葉が見つからなかった。以前の私なら一緒に泣く以外に彼を慰める方法が見つからなかっただろう。それでも十分かもしれない。 


 私は何者なのかと自分に問うたとき、彼らのように社会の隅で生きる人間の1人なのだという事実に突き当たる。でもそれを恥ずかしいとは思わない。最も恥ずべきは痛みについて無頓着で、救う術を探すどころか残酷な方法で自らの憂さ晴らしや快楽のために他人を傷つけいたぶり命を奪う人間たちだ。隙に漬け入ってお金を奪い私を襲った人間も然りだ。


 やがて周りに人が集まってきて自分の苦労話を始めた。


 暗いムードの中ふと思い立ち、隣の配布場の棚からかぼちゃやにんじん、ブロッコリー、卵などを持ってきてジャグリングを披露したら、皆たちまち笑顔になって拍手を送ってくれた。


 猫のカルメンのパントマイムには皆が泣いてくれた。談話室には温かい空気が流れた。


 3日間大道芸で食い繋ぎながら無料の宿泊所で寝泊まりし、お金が貯まると移動する生活をしながらルーマニア、ハンガリーを巡った。ブダペストのファミレスで大道芸で披露するスキットの脚本を書いたあと、オーロラに手紙を書いた。


『オーロラへ


 この間、何も話さずに電話を切ってしまってごめん。旅をしている間にいろんなことが起きすぎて、まだ気持ちがまとまってないの。だけど私は無事よ。


 この間あなたの絵本を元にしたマイムを披露したわ。勝手にあなたの絵本を使ってごめんね。観ていた人が泣いていたのは、きっと私のマイムよりもあなたの描いた物語が素晴らしかったからよ。


 こうして1人きりで世界を巡っていると辛いこともある。人の嫌な面を見てゾッとしたり、逆に優しさに救われることも。世界も人もいろんな側面を持ってて、こうだって一言では言い表せない。だけどあなたの絵本にはたくさん力を貰った。どんなにしんどい1日で消えてしまいたいと思っていたとしても、夜寝る前にあなたの絵本を読んだら明日も生きていこうって気持ちになれた。


 カルメンみたいに愛する誰かのために頑張れるって本当に素敵なことね。私もそんな風に生きたいと思えた。


 ロンドンに着いたらあなたに伝えたいことがある。あなたはびっくりするかもね。


 オーロラ、私は必ず生きてあなたに会いに行くわ。前に約束したように。この2年くらいでずいぶん強くなった。そう簡単には死なないわ。だからあなたは心配しないで待っていて。


 あなたの方こそ心配しすぎて身体を壊さないように気をつけて。


 じゃあ、元気でね。


               アヴリル』


 手紙を書いて顔を上げると、店内のTVいっぱいにピアジェの顔写真が映し出されていて驚いた。イギリスのテレビ局のニュースらしく、英語で『英国サーカス団の団長が逮捕、ナイジェリアのバーで客に暴行』と見出しが出ている。


 ピアジェは公演後の夜にバーで客と喧嘩になり、瀕死の重傷を負わせたという。おまけに団員たちへのパワハラ動画や動物虐待動画が次々に流出し、窮地に立たされているとのことだった。


 団長は身柄を拘束されているという。


 彼が起こした事件に関して驚きはない。あの男ならやりかねない。運悪くピアジェに遭遇し怪我をしたお客さんは不運としかいえない。


 サーカスの皆のことが心配になった。こんなとんでもない事件が起きて、公演に影響が出ないはずがない。


 郵便局で手紙を出した帰り、本屋に入った。『赤毛のアン』の文庫本を手に取る。オーロラは中学のときによくアンを読んでいた。


「アンは多くの女の子と一緒で完璧じゃないの。おかしな妄想をしたり癇癪を起こしたり、突拍子もない行動をする。すごく自分に似ていて共感できるのよ」


 オーロラはそう言っていた。


「アンが住んでいた『プリンス・エドワード島』は凄く綺麗な島なのよ。まだ写真集でしか見たことがかいけれど、いつか行ってみたいわ」とも。


 絵本のコーナーを眺めていたら、オーロラの『猫のカルメン』の並ぶ本棚の隣に、面出しされて並べられている絵本がある。作者はオーロラ・エルスワースで、『がんばっているあなたへ』というタイトルだった。表紙には子どもの描いたようなカラフルな女の子の顔が描いてある。


 この絵に見覚えがあった。小学5年のとき、『友達の顔を描いてみよう!』という課題で私とオーロラは美術の時間に互いの顔を描いたのだ。そのときに描いてくれた絵を、大人になってから部屋の机の中から見つけた私はスマートフォンで写真に撮ってオーロラに送ったのだった。


 そっと絵本を手に取って開く。


 絵本の最初のページにはカラフルなサーカステントが描かれている。


 次のページには赤鼻の女の子がカラフルなボールでジャグリングをしている。


 それを黒い可愛らしい猫が客席に座って見守るように見つめている。





 がんばっているあなたへ



 あなたはいつも 

 好きなことに一生懸命で

 

 まわりが見えなくなるくらい

 一途な人です


 だけどあなたのがんばりを

 おおくのひとはしりません


 だけど私は知っています

 あなたがとおいどこかで

 夢にむかって

 せいいっぽい

 がんばっていることを


 

 あなたはいつも無理をして

 心配しないでって言うけれど

 あなたが傷ついていることくらい

 私にはかんたんに分かってしまう


 

 あなたはいつも私に

 あたたかい言葉をくれる

 明るい笑顔と勇気をくれる

 だけど私があなたにあげられるものは

 とても少ない

 

 

 私はあなたがしあわせでいることを

 お腹を空かしていないことを

 誰かに傷つけられていないことを

 願うことしかできない



 がんばっているあなたへ

 あなたが困ったときに

 だれかに助けを求められるように

 あなたがひとりで苦しむことのない

 世界になるように


 

 あなたが泣いているときに

 この本がよりどころになるように

 とおくから祈っています





 しゃがみ込んで泣いている私に店員や客が訝しげな目を向ける。だがなりふり構ってなんかいられない。


 オーロラは遠くから私を応援してくれていた。私が頑張っているのも苦労しているのも知っていて、絵本という形でメッセージをくれたのだ。私だけではない、誰にでも届くような言葉で。


 これが全く関係のない誰かが書いたとして、こんなに胸がいっぱいになることはなかっただろう。やっぱり私はオーロラのことが好きだ。彼女から贈られた言葉でなければ、きっとこんなに人目を憚らず泣きじゃくることもなかっただろう。


 もしもこの想いが届かなかったとしても、私が心から大切に想う人は彼女以外にいないだろう。


 いつかオーロラと一緒にプリンス・エドワード島を訪れたい。彼女に会うことができたら自分の想いを真っ直ぐに伝えたい。この絵本の感想もお礼も、何一つ偽ることなんてしないで。


 オーロラは以前ある女性と交際していたときに言っていた。「彼女と家族を作りたい」と。だがその美しい夢は相手の裏切りによって無惨にも打ち砕かれた。オーロラは絶望して泣いた。


 もし私が彼女の恋人なら、彼女をあんなに深く傷つけはしないだろう。彼女以外の誰かに目を向けることすら愚かで浅ましいことのように思える。彼女と家族になれるのなら、それ以上に幸せなことはない。


 例え私たちの間柄に恋人という名前すら付けられなかったとしても、1番幸せでいてほしい人は、誰よりも笑顔にしたいと感じるのは彼女1人だけだ。こんな気持ちを教えてくれたオーロラに、いつも素敵な物語を運んできてくれる彼女に私はありがとうと伝えたかった。


 持っていたお金を全て使って絵本を買った。感想はオーロラに会って直接伝えよう。それまでに声が元に戻っていればいいけれど、例えこのままだとしても伝える手段はある。


 駅前広場、公園、空港の前、大きな演芸場の前で夜遅くまで大道芸を披露した。立ち止まって観てくれる人は決して多くはなかったが、決して上手くない芸に感動しお金をくれる心の温かい人がたくさんいることにじんわりと胸が熱くなった。


 ブダペストには10日ほど滞在した。大道芸を披露するとき以外は図書館で遅くまで過ごし、24時間営業のファミレスやコンビニの飲食スペースでスキットの脚本を書いたり本を読んだり、うたた寝したりして夜を明かした。少ない料金で使用できる公営のジムで筋トレをしたりシャワーを浴びたりもした。2月の前半の寒気とスクールバスでした恐ろしい経験を思うと、野宿する勇気はとてもなかった。


 十分なお金が貯まったら寝台列車に乗りウィーンへ向かった。亀のような移動ペースではあるが、地球の裏側にいたオーロラに着実に近づいている。同時に憎き標的にも。


 寝台の上に仰向けになり白い天井を見ていたら、サーカス列車の自室の2段ベッドにいるみたいな錯覚をおぼえた。列車がガタンゴトンと揺れるのも車輪が線路を擦る音も、全てが懐かしかった。


 ルーファスやシンディやトム、ジュリエッタやジャン、アルフレッドの顔が浮かんできた。猿のコリンズやゾウのトリュフ、2頭の馬とツキノワグマのニックのことも。結局最後までレオポルドとは打ち解けられないままだった。


 仲間たちと沢山の国を巡り生活を共にし、 ショーを成功させ助け合った日々のことを、こんなに懐かしく切なく思い出すなんて。あの場所は確かに私の家で、学校で、かけがえのない居場所だった。慌ただしくて苦しいことも沢山あったけれど、毎日が充実していて寂しいと感じる暇もなかった。生きてるって感じがした。


 帰る場所がすぐそばにないことが、おかえりと迎えてくれる仲間がいないことがすごく寂しくて心細い。


 でも列車から逃げ出した私に彼らと一緒にショーを作る資格はない。例え戻ったとして、自分勝手なことをした私を皆に受け入れて貰えないかもそれない。そんな懸念があの場所に戻ることを阻んでいた。


 あの赤子のことは常に頭にあった。サーカス列車にいる皆なら、戸惑いつつも世話をしてくれるだろうと思った。その判断はきっと間違いではなかったはずだ。彼らは今頃おしめを変えられミルクを飲まされすやすや眠る赤子の顔を眺めているかもしれない。それとも、激しい夜泣きに悩まされているだろうか。


 気がかりなことはいくつもあるけれど、私が次に対峙すべき問題は1つだ。


 音楽の都ウィーンでは人通りの少ない路地を使った即興のパフォーマンスをすることにした。手書きのチラシを作ってコンビニでコピーし、あちこちの店や公共施設に頼んで貼ってもらった。どこでも快く受け取って貰えるのが嬉しかった。


 3日後の路上パフォーマンスの日、開始時刻に集まった人の数は30人ほどだった。


 路地でのパフォーマンスの目標は「とにかくのびのび自由にやる!」だった。


 まず手始めにゆっくりと走ってきた知らないおじさんの車の助手席に乗り込んだ。おじさんは笑っていた。


 通りがかりのおじいさんと踊ったり、猫と駆けっこをしたり、サッカーボールを持った中学生くらいの女の子と対戦してあっさりボールを奪われたり、最近練習していた下手くそなムーンウォークを披露したり。


 風で転がるビニール袋を追いかけて、まるで猫にするみたいに舌を鳴らしておいでと手招きして見せたり、老婦人が紙袋に溢れるほど入れて持って歩いているグレープフルーツをいくつか拝借してジャグリングをしてみせたりする。


 道路の真ん中で死んだふりをしたあと、クラウチングスタートでダッシュして大きなトラックの荷台に乗り込み、走り去るトラックの荷台から、路肩の見物人たちに向かって手を伸ばして叫ぶふりをする。見物人たちは大爆笑していた。


 そのうち見物人は100人ほどに増えた。ボールとクラブを使ったジャグリングを披露し、その場で考えついた寸劇を披露した。


 男に鞭で打たれる。何度も打たれ、倒れる。ここまでは以前披露したマイムと似ている。今度は相手にビンタをされている体で、臍のあたりで両手を連続で叩いて顔を左右に逸らす。ビンタのリズムは速くなり、だんだんQUEENの" We Will Rock You " の前奏のリズムになってくる。私がビンタのことなど忘れたようにあのダン、ダン、パン! のリズムの足拍子と手拍子を始めると見物人たちも乗ってきて、足拍子と手拍子を合わせた大合奏になりパフォーマンスは幕を閉じた。


 調子に乗って翌日と翌々日にも日に2回ずつ路上パフォーマンスを行った。口コミが広まったのか最終日には1000人ほどの人が集まって580ユーロものお金を稼いだ私は、夕方に格安航空券を買って空路でフランスのカレーへ向かった。ちなみに食べ物ではなくて都市の名前だ。機内食を貪りながら映画を観ているうちに2時間くらいで着いた。


 カプセルホテルの狭い部屋でジャグリングとマイムの練習に励み、オーロラの新作絵本を何度も読んでは泣いた。絵本を開くたびにオーロラがすぐ近くで私に語りかけてくれている気がした。そうして絵本を読んで泣くほどに、自分自身に戻っていくような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る