第47話 一人旅
ケニーからDVDが届いたのは、それから2日後のことだった。手紙も添えられていた。
『アヴィーへ
元気か?
君のお母さんから君が無事だと聞いて本当に安心した。
最近仕事にも慣れた。職場で仲の良い人もできた。だけどよくサーカスの仲間たちのことを思い出す。今もしょっちゅう夢に出てくるよ。彼らと旅した日々のこと、巡った世界のことを。あの1年間は僕の一番の宝物だ。
1人の旅は大変だろう? 心細くもなるだろうし、辛いこともあるだろう。何か困ったことがあったらいつでも連絡してくれよ。僕はいつだって君の味方だ。
そうそう、この間、君のお母さんが面白いものを見つけてきたんだ。君が5歳のときの映像だよ。送るからよかったら観てみてくれ』
ケニーの丁寧な字を見て懐かしい気持ちになった。ケニーがアルゼンチンで頑張っていると思うと、私も頑張れる気がした。
メルテムさんの家にデッキがあったので、DVDを観てみることにした。
テレビの電源を入れチャンネルを合わせ、ディスクをデッキに挿入する。砂嵐が数秒続いたあと、幼い私の姿が映し出される。当たり前だがとても小さい。髪をお団子にして、水色のワンピースを着てリビングのソファーにペンギンやクマ、ライオン、シャチなどのぬいぐるみを乗せている。
映像がたびたび揺れる。父の笑い声が大きく聴こえるから、撮影しているのは父だろう。隣から母の話す声も聴こえる。
私は動物たちの横に腰掛ける。そしておもちゃのマイクを手に、ハキハキとした口調で話し始める。
『こんばんは、みなさん。「アヴィーズ・ショー」のお時間です。今日はゆかいな動物たちとお届けします。おっと、ペンギンは鳥でしたね。失礼しました』
5歳児とは思えぬボキャブラリーと口ぶりだ。
小さな私は司会と動物のアフレコをこなしながらショーを進めていく。
マイクをペンギンに向け、『ペンギンさん、最近とてもショックなことがあったそうですね』と訊く。
『はい。実は、私を鳥じゃないっていじめるひとがいるんです』
『まぁ、ひどいですね。いじめているのはだれですか?』
私はペンギンの翼を手で操り一方向に向けさせ、『それは、シャチさんです』とアフレコする。そこで父から『「シャチは哺乳類だよ、魚じゃないよ」って言ってやれ!』とヤジが入り母の笑い声が響く。
『だそうですよ、シャチさん。どうですか?」
ミニアヴリルはマイクをシャチに向け、ガラガラ声に変えて『うるせぇ!! 俺は魚だ!! だって泳げるもんね!!』とシャチのぬいぐるみを動かして答える。
すると、『まぁまぁ、落ち着きなさい』とライオンが仲裁をする。
『魚だって鳥だって何だっていいじゃないか。皆仲間なんだから』
『でもライオンさん、昨日シマウマさんを食べようとしていたのはどうして?』と小さな私が尋ねる。
『うっ……それは生きるためさ!』とたじたじなライオン。雲行きが怪しくなってきたところで、「アヴリル、じゃあお歌を歌って終わりにしましょう」と母がフォローを入れる。
最後は『アニマル魂』という謎の歌を、私と両親と動物たちで合唱してショーが終わる。
DVDを観終えたメルテムさんは「なんて可愛らしいの」と感激していた。
「子どもは面白いことを考える天才だわ。とりわけあなたには生まれつきそういう才能があったのね」
子どもの頃の私も今の私も、誰かの笑顔を作るのが好きという部分では全く変わっていない。誰かの笑顔を見ることは心が安らぐ。明るい気持ちになる。例えそれがただのエゴだとか自分を慰めるための手段に過ぎないと言われようとも、尊い想いに変わりはないのだ。
お金が貯まったので明日の夜に旅立つことに決めた。それを伝えたらメルテムさんは「そう、寂しくなるわね」と悲しげに笑った。
メルテムさんに立て替えて貰った罰金の分のお金を返そうと思った。彼女のことだからいらないと言い張るに違いないと思い、客間のおかしな顔の鴎のぬいぐるみの背中についたチャックを開け、中に突っ込んだ。見つけないと困るから、あとで電話で伝えればいい。
寝る前に日課の筋トレをし、『マイムーヴ』を踊った。これをやるたびにタネルのことを思い出してむしゃくしゃするが、リズムに合わせてでないと調子が出ないのだ。
掃き出し窓を開いてバルコニーに出てハンモックに座る。当たり前だが寒い。月が雲の間から顔を出し、金色の光を降り注いでいる。
思えばアルゼンチンにいる間もサーカス列車にいるときも、イスラエルの爆撃で死にかけたときでさえ頭に浮かんでいたのはオーロラのことだった。夜眠る前瞼の裏に浮かんできた。眠ったあとでさえ夢の中で彼女の姿を見た。彼女に会いたい、そしてCDを渡したいという激しいほどの情動が私をつき動かしていた。
何故今まで気づかなかったんだろう? オーロラが手の届く場所にいたとき、私は彼女を心配させるような薄っぺらい関係性の恋愛ばかり繰り返していた。普遍的であることに、人に嫌われないことにこだわる余り、無意識に自分の本当の気持ちを奥深くにしまい込んでいたのかもしれない。
彼女を好きと認めることは、私が異常であることや誰かに嫌われることとは直結しない。全てのこだわりや言い訳めいた理屈を捨てた先に見えてきたものーー鉱山に眠るトパーズやサファイアの原石のようにありのままの感情で、それ以上でも以下でもない。
様子を見にきた老婦人に「風邪を引くわよ」と言われて部屋に戻る。老婦人はホットミルクをくれた。滑らかで濃厚な味のそれは冷えた身体を芯から温めてくれた。
「明日にはお別れだなんてね……。久しぶりに家に人がいたもんだから、色々張り切っちゃったわ。おかげで張り合いができた」
『短い間でしたが、いろいろとありがとうございました』
「どういたしまして。私の方こそ楽しかったわ、ありがとう。それと……」
メルテムさんは言いにくそうに躊躇ったあと、言葉を選ぶようにして言った。
「その声……治るといいわね。きっと治るわ、取り戻せる日が来る。お互いの肉声で話せる日が」
この1ヶ月半ほどで言葉を発することのできない不便さ、もどかしさを嫌というほど味わった。でも同時に学んだ。言葉がなくても気持ちを伝える手段はあるのだということ。そして、声を失ってもクラウンとして人を笑わせ、感動させることはできるのだということを。
老婦人は翌日の夜にバスのロータリーまで送ってくれた。ここからバスでブルガリアのソフィアへ向かう。お金を稼ぎながら目的地まで向かう予定だ。
10日も家に泊めてくれたうえ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。警察に連行されたときも喋れない私の代わりに抗議をしてくれ罰金を払ってくれた。短い間だったけれど、彼女との別れが家族との別れのようですごく辛かった。
『何から何まで、ありがとうございました。助けてくれて泊めてくれて、美味しいご飯も食べられて本当に助かりました。お会いできて幸せでした。手紙書きます』
メルテムさんは涙目で微笑んだ。
「あなたとお母さんのやりとりを聴いて、私も娘たちとまた話さないといけないって思ったわ。生きてるうちに沢山喋っておかないと、いつポックリいかないとも分からないから」
老婦人は冗談混じりに言って笑った。
『長生きしてくださいね』
「ふふ、ありがとう。あなたもね」
老婦人は最後私を強く抱きしめた。
「気をつけてね」
私は頷いた。
別れる直前メルテムさんは「これを持っていって」とブルーベリーの沢山入ったタッパーと、チーズとハムのベーグルをくれた。
血が繋がっていない他人でも国籍や年齢が違っても、こうして通じ合うことができる。メルテムさんには元気でいてほしい。できたら100歳を超えても生きていてほしい。
父にも母にも祖母にも友達にも、サーカスのみんなにも、これまで私を支えてくれた人が皆幸せに生きていたらいいと思うし、そう願える自分でありたい。
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