第3章〜新たな出発〜
第41話 中東へ
中国を2ヶ月かけて巡ったあとは、東南アジアへ向かう。ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、マレーシア、ミャンマー、インド、シンガポールなどの国々を巡ったときには季節は秋へと移り変わっていた。
中東のアフガニスタン、イラン、イラク、オマーン、イエメン、サウジアラビアを巡り、12月の末にイスラエルに着いたとき大きな問題が起こった。
イスラエルでは現地のキッズサーカス団との交流行事を予定していた。大手メディアや新聞社も取材に来る予定だったが、パレスチナの武装勢力とイスラエル軍の戦闘が激化して緊張状態が続いていることを考慮し、団員の安全のために中止すべきとルーファスが訴えた。これには全ての団員が賛成だった。キッズサーカス団側も見合わせた方が賢明との意見だった。
私ももちろん同じ意見だった。プロのサーカスアーティストになるという夢を持つ子どもたちとの交流ももちろん貴重で大切な機会に変わりはないが、一番大事なのはお互いの命だからだ。
しかし、この日に限ってピアジェがしゃしゃり出てきて猛反対をした。
「サーカスは平和の象徴だ、それを全世界に訴える良い機会だ」なんて吐き気を催しそうな似合わない綺麗事を吐いて、「子どもたちに夢を与えるのが私たちの役割だ。交流行事は中止にはしない。相手方にもそう伝える」と言い張った。
ピアジェのことだから、黒い腹積りがあったに違いない。おおよそ動物たちの件で自分のサーカスの評判が落ちたと危機感を持った彼は、メディアを使って世界の高感度を上げるためにイベントを強行しようとでも考えていたのだろう。だがこの男の狂気じみた算段は、このサーカス団だけではなく未来を担う子どもたちにとっても悲劇的な惨事を巻き起こしかねない。
私たちの訴えに耳を貸すことはなく、ピアジェは滔々と支離滅裂な自論と美辞麗句を並べるばかりだった。
ここで何かがプツンと切れた。
「何が夢を与えるためだ!! 平和の象徴のサーカスが戦争の犠牲になったら、アンタはどう責任取るんだよ?!」
「何だと? 生意気ばかり抜かしおって……」
男はまた狡猾で高圧的な睨みをきかせてきたが、もう怖くも何ともなかった。この男の下で血反吐を吐く思いをしながら雑用をこなし、客寄せパンダのようにクラウンを演じてきた自分が途端に馬鹿馬鹿しくなった。例え道化として一生を終えるとしても、この男にだけは何が何でも跪くものか。
「アンタが大事なのは子どもたちでも団員でもない!! 自分が可愛くて仕方ないんだ!! 外聞ばかり気にしたところでもう遅い、アンタはとっくに信用を失ってんだよ!!」
ピアジェは顔を醜く歪ませ、ゴブリンのような形相を向けた。ホタルが言っていた通りこの男は人間ではない、モンスターだ。こんな醜悪な怪物ために自分の人生を棒に振りたくはない。
「なんだと?! このガキ!! 今まで面倒をみてやったのは誰だと思ってる!! 世間知らずの能無しのくせに!! 俺のやり方についてこれない奴は、さっさと辞めちまえ!!」
「上等だ!!」
停車した列車から飛び降りた。駅のホームをかける私の背中に「ネロ、行っちゃ駄目!!」というヤスミーナの声が追いかけてくる。
もう戻るつもりなどなかった。あの怪物の下で自尊心を削り取られ都合のいい金蔓として魂を吸い尽くされるくらいなら、いっそここでくたばった方がずっとマシだ。
ひたすらどこまでも走った。
人気のない路地に入り込み呼吸を整えていたとき、突然ドオーン!! という爆音に鼓膜が破れそうになり、地響きが身体を揺らした。
辺りを見渡すと、500Mほど離れた場所から煙が上がっているのが見えた。もう一度同じ爆音が地を揺るがし、今度は別の場所から煙が上がる。
踵を返して逃げ出したあとハッと気づいた。
イスラエルではテロ組織の攻撃により民間人の死者が多数出ていると昨日のニュースで報道されていた。もしかしたら、爆撃の犠牲になった人がいるかもしれない。
引き返し煙のする方へ走った。自分の命のことなどこのときの私には頭になかった。
有刺鉄線の張られた柵を乗り越え走った。
間もなく瓦礫と化した建物の残骸が積み重なる場所に出た。巻き上がる粉塵に咳が出る。すぐ目の前の崩れ落ちた石の建物から赤い炎と黒煙が上がっている。
赤く染まる空の下逃げ惑う人々、腹から血を流しぐったりした様子の男の子を抱き抱え慟哭する男性、ガラスの破片が身体に刺さり泣き叫ぶ子どもーー。まさに地獄絵図だ。
不意に、崩れた建物の下から女性の声が聴こえることに気づいた。地面に膝をついて覗き込むと、無惨に積み重なる瓦礫の下に女性の顔が覗いている。彼女は白い布で包まれた何かを必死に守るように抱き抱え、泣き叫びながら私に何かを訴えていた。白い布の中からはけたたましい赤子の泣き声がする。今この絶望的な瞬間を懸命に生き抜こうとするかのような大きな泣き声だった。
女性がその白い布に包まれた何かを差し出したとき、受け取る以外に選択肢はなかった。女性は泣きながらこの子をお願いと伝えているように見えた。この瓦礫を人力で取り去るのは不可能だ。明日にはこの不運で哀れな女性の命は潰えてしまうかもしれない。だが彼女は自分の命と引き換えに赤ん坊を守り、見ず知らずの外国人である私に手渡したのだ。
何度も頷きながら涙が溢れ出てくる。その間も爆撃は続く。
この子をどこか安全なところへーー。
浮かんだ場所は一つしかなかった。
赤子を抱え有刺鉄線を上り、駅のホームへひたすら走った。私の腕の中で赤子は泣き続けている。この子は実の母親の腕の中で泣くことはできない。乳をもらうことも一緒に食卓を囲んで笑い合うことも、実の母親に叱られることも喧嘩をして家出することもないのだ。そう考えると一緒に泣くことしかできなかった。
ホームにはまだサーカス列車が停まっていた。汽笛を上げ、今にも走り出そうとしている。ここにこの子と一緒に飛び乗ることを考えないわけではなかった。だがまだあの場所には怪我をして泣いている子どもがいる。死を思い浮かべながら助けを待つ大人たちも。
列車が走り出す。必死にそれを追いかける。
「誰か!! 誰か来て!!」
叫び声のすぐあとにジュリエッタが乗車口に現れた。彼女は驚いたように私と腕の中の赤子を見た。私は赤子を差し出した。
「この子をお願い!! 私は行かなきゃいけないから!!」
ジュリエッタは状況を少し理解したのかこくこくと頷いた。そのあと赤子を抱いて車両の中に消え、間もなく戻ってきて走る列車の窓からリュックとCDを投げた。
「ネロ!! 絶対に……絶対に生きて!! そしてCDを渡しなさい、大切な子に!!」
「ネロ!!」
「ネロ、駄目だ乗るんだ!!」
車窓からシンディ、ジャン、アルフレッドが顔を出す。コリンズの姿も見える。シンディは泣いていた。
私はホームの先端で立ち止まり、走り去る列車に向かって大きく手を振った。
「皆、元気で!! また生きて会おう!!」
爆撃された地帯に着くなり、先ほどの女性のいた場所に向かった。だが女性の姿は無情に崩れた瓦礫の壁に覆われて見えなかった。呼びかけても返事はない。死を覚悟した彼女の想いーー例え自分の命を失っても子どもだけは守りたいという気持ちに心が激しく震えた。残酷な現実の中で何を遺すべきかという選択は、あまりに悲しく切実だった。
あの赤子の無防備で無垢な姿と張り裂けんばかりの泣き声が今も耳から離れない。彼なのか彼女なのかすら分からない生まれたての命が、今後危険に晒されることなく育っていくことを祈った。列車が爆撃に巻き込まれたり事故に遭う可能性もある。だけどあのサーカス列車の中にいるうちは、あの列車が走り続けるうちは少なくともここよりは安全だという確信があった。あのとき私にできることは、あの女性から託された赤ん坊を一刻も早く安全な場所に送ることだった。あの子が安心して眠れるような、守ってくれる人がたくさんいる場所に。
3日ほどほとんど飲まず食わずでレスキュー隊やボランティアと一緒に救助活動にあたった。硝子片が身体に刺さって痛いと泣いている小さな子どもや左脚に酷い怪我を負った中年男性を救急隊に引き渡したり、崩壊した建物の下敷きになっている人の救助を要請したりした。
イスラエルの12月は温暖な気候なので、例のデニムサロペットにグレーのパーカーという薄着でも夜それほど寒くないのだけが救いだ。途中ボランティアの人が水とパンを差し入れてくれ、生き返る心地がした。
血塗れの人が担架に乗せられ救急車の中に運ばれるのを何度も見た。痛みに悶え苦しみ絶叫する者もいれば、既に事切れていると思われる者もいる。何もかもが地獄のようで非日常的でテレビで観る現地の映像より遥かに悲惨で壮絶だった。一人でも多くの人を助けたい。
あちこちで上がる炎と黒煙、子どもを呼んで泣く母親の声、火がついたように泣き喚く子どもたち、またいつ爆撃があるかと怯えながらの救助に精神は極限まで追い詰められていた。
3日目の夜再び空爆に襲われ救助が困難になった。逃げようとして瓦礫に躓いて転んで脚を挫いた。
立ちあがろうと脚に力を入れたとき、「逃げろ!」と誰かが英語で私に叫んだ。全てがスローモーションのようだった。空から黒い何かがこちらに飛んできた。先端の尖った太い鉛筆のような形をしたそれは、私の視界でみるみる大きくなった。
黒服の男が横から飛びかかってきた。凄まじい爆発音と同時に彼と私の身体は爆風で飛ばされた。
頭に鋭い激痛が走り数秒間視界が回った。腕にも何かで刺されたような痛みがあった。
「大丈夫か?」
男が私の肩を揺すった。起き上がったとき男の顔が霞んで見えた。後頭部を触ったら血液で手が真っ赤になって身が凍る思いがした。右腕には大きな硝子片が刺さって血が吹き出していた。
男は私を横抱きにして、救急隊に現地の言葉で何かを伝えているようだった。それを救急隊は首を振って拒み、男は私を一度おろし、中腰になり背中に掴まれと言った。拒む私を怒鳴りつけ、男は走った。
男は私を少し離れた場所の路肩に停められていた小型のキャンピングカーで診療所に運んだ。声的に40代半ばくらいだろうか。あちこちで渋滞が起きていて、男は不満げに何かをぶつぶつ言っていた。
男は私を知り合いがやっているという診療所に連れて行った。その診療所は民家のようで、電気も付いていなかったが男がドアをどんどんと乱暴に叩いて叫ぶと中からスカーフを巻いた高齢の女性が出てきて、私たちの様子を見るなり中に引っ込んで誰かを呼んだ。
間も無くやってきた先ほどの女性の旦那らしき私服姿の高齢の男が中に入れと言って、居間の奥にある診察室のような場所に通された。ベッドが一つと心電図、デスクの上にはパソコンがある。
黒服の男が私に代わり症状を説明してくれ、奥さんが手当てをしてくれた。私の頭と腕には包帯が巻かれた。
お礼を伝えようとしたとき声が出ないことに気づいた。話そうとして喉に力を込めるけれど掠れ声しか出ない。頭が真っ白になった。喋ることができないという状況が飲み込めなかった。声が出ないことを喉に手を当て首を振るジェスチャーで伝えたら、奥さんは悲しげな表情で私を抱きしめた。
医者が私を隣の部屋に連れて行って頭部のレントゲンを撮った。
間もなくレントゲンを見た医者は黒服の男に何かを言い、男が私に英語で「軽い脳震盪だろうとのことだ」と伝えた。ほっと息が漏れた。そのとき初めて、自分が死の恐怖を感じていたのだと悟った。
このときの私は声が出ない原因を頭をぶつけたからだろうと勝手に解釈して、怪我が治れば自然に声も出るようになると楽観視していた。
その後地下に案内された。中には10人ほどの人が避難していた。小さな5歳くらいの女の子もいた。80代くらいの老夫婦や30代くらいの若い男性もいた。車椅子の20代くらいの女性も、その母親らしき女性もいる。石油ストーブが焚かれている。奥さんがパンとスープをくれたが半分だけ食べ、残り半分は小さな子どもにあげた。
豆電球の下でよくよく見ると、黒服の男は色白で彫りの深い顔立ちをしていた。年は40代後半くらいだろうか。大きな青い目はどこか虚ろで、まるで世界中の悲しみを閉じ込めているかのようだった。
子供がぐずり出したので、私はリュックから紙風船を出してあげた。膨らますようにとジェスチャーで伝えると、女の子は穴に口をつけて膨らませ、手で弾いたりして楽しそうに遊び始めた。大人たちも笑顔になった。
空気が少し和らいできたので、何かショーを見せようと思った。リュックにたまたま入れていたボールを出して3ボールジャグリングをしてみせたら、皆が音を立てないように手を叩いた。
「空爆や攻撃の対象にならないように、電気を消して静かにしてるんだ」と黒服の男が耳打ちした。
即興の寸劇を披露しようかとも考えたが状況を鑑みて断念した。笑えるような状況では決してなかった。
不意に黒服の男が立ち上がり、豆電球の放つ仄かな灯りの下でパントマイムを始めた。
両手を開げて壁にペタペタと手を当てる仕草、壁に手を当てながら壁を伝って右側に歩く真似をした。次に私たちの方に歩いてきて透明な壁に頭をぶつけ、弾かれたみたいに頭と腰を逸らし後退した。電球の下に戻ってくると右を向いて壁に胸の高さに挙げた手を当てる真似をした。今度は迫ってきた壁に押しつぶされそうになっているみたいに肘を少しずつ自分の身体に向かって縮め、顰めた顔を横向きにして襲いくる壁になすすべもないかのような様子をみせた。やがて透明の壁に完全に潰されてしまいそうになると、重力に抵抗するように歯を食いしばり、腕をゆっくり伸ばし壁を右側に押し戻す動作をしたあと、上体を前方に傾け、脚を床を滑らせるように左右交互に動かして見えない壁を動かして行く。途中壁がまた迫ってきて、男の身体は先ほどとは逆向きに滑るようにして左側に戻され、右と左の脚も後退する身体の動きに合わせて動く。
やがて壁を完全に押し戻したと男は汗を拭う動作をし、立てかけてあった誰かの傘を広げて差し左側に歩いて行った。だが傘が風に飛ばされそうにり、左肩、左腕と一緒に傘を持った手ごと逆風に持っていかれたように右に投げ出し、上体をを右に傾けたまま風に攫われ右方向の壁スレスレの場所まで移動したあと、今度は逆風に逆らうように傘を風が吹いてくる左方向に向け自分の身体を覆うように差して下半身を踏ん張り、肩を怒らせ、背中を丸めるようにして風に逆らい電球のある左方向に戻ろうと歩いて行く。だがやはり逆風に抗えず右側に飛ばされる。それを何度か繰り返したあと、風に巻かれたように傘を持つ左腕を斜め上にあげ、くるくるくると身体を3回転させ、風に飛ばされたみたいに傘をふわりと後ろに放り投げた。
この空間の誰もが男の繰り広げるショーに夢中になっていた。私は男の周りに確かに見えない壁と風を見ていた。おそらくは5分余りの短い時間であったが、男は暗く冷たい空気を確かに変えた。絶望し憔悴しきった人々を自分の世界に引き込み魅了したのだ。
私は感動していた。さっきまでのしかかっていた陰鬱な気持ちはどこかへ消えていた。たとえ一時的なものだとしても、この閉塞感の漂う状況の中で男の観せたものは確かに皆の心にわずかな火を灯したのだ。
ここが劇場やサーカステントの中なら、私は"
今の私は声が出ないために彼のマイムがいかに素晴らしかったか、どれだけ感動したかを伝えることができないことがもどかしかった。ただ握手をするように彼の手を強く握ることでしか。
他の避難民たちも静かに頷いて微笑むことで、彼の素晴らしいパフォーマンスへの敬意と称賛の念を言葉なくして表していた。
それまで押し黙って演技を続けていた男はわずかに微笑んだように見えた。
その日は空爆に怯えながら夜を明かし、翌朝早く男の車でイスラエルを出た。
民家の灯りが消えているのを見ると、皆空爆に怯え地下で過ごしているのかもしれない。
あれから何度も声を出そうと試みたが、やはり空気だけの掠れ声しか出なかった。医者曰く、精神的ショックで声が出なくなることは大人でも子どもでもあるらしい。早ければ1週間ほどで快方に向かうが、それより長くかかる場合もあるという。
物心ついてからずっと当たり前にしてきたことができなくなるというのは、とてももどかしくて不便だ。このまま声が戻らなかったらという不安も少なからずあった。
私は途中文房具店で筆談のためのノートとペンを買った。すぐに治るかもしれないけれど、一時的な対策として必要なのには代わりない。
ノートに『あなたの名前は?』と書いて運転している男に尋ねると、男は「タネルだ」と一言答えた。
『どういう意味?』
「『夜明けとともに生まれた』って意味らしい」
『素敵な名前ね』
男はチラリとノートを見たきり前に向き直り、無言で車を飛ばした。
1人きりでサーカス列車を降りて数日過ごし、いつの間にか自分が素の自分ーーアヴリルという女の子に戻っていることに気づいた。これまで演じていた偽りの自分を捨てたことで、まるで憑き物が落ちたような清々しさがあった。
男の子を演じることは楽しく新鮮で気楽だった。女性に見られることもない、男性たちの視線を気にしなくてもいい。自由に振る舞い、くだらないジョークを飛ばし、喋り、笑っていればそれでいい。
だけどそれは素の自分のままでも十分にできた。男性からの視線を強迫的に捉え他人の目を気にし、自分自身の言動や生き方を制限してしまっていたのは他でもない私だったのかもしれない。
自分で課した規制から逃れるために男の子に化けてはみたものの、男の子として扱われることに段々と違和感を感じ始めた。最初は心地が良かったが、私はやはり紛れもない女性だった。男性から男性のように扱われ、ときに異性相手であれば絶対にありえないようなキツい言葉を投げられる。男性だという理由だけでぞんざいに扱う輩もいる。ピアジェがいい例だ。私はそれに慣れることができなかった。男は男に対して優しくないという理由で女子とばかりつるんでいた男友達の気持ちが、今はよく分かる。誰でも一度当事者になって体験してみないと、他人の気持ちは理解できないのだ。
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