第21話 パイプレットとジャグリング

 オートバイショーの直後、舞台が暗転し、数分後に明るい白の照明に包まれる。


 リングのあちこちには氷柱で作られたような木やすすきが散りばめられていて、白っぽい青や橙色の燐光を放つ様々な大きさの三角標もところどころに立てられ、物語の世界観を再現している。ちなみにこれらはみな、団員たちがレジンで作った手作りの小道具だという。


 ジュリエッタが再びリングの隅のマイクの前に立つ。


 ジャズとポップスの混合のようなリズミカルな前奏が鳴る。トランペットやサクソホーンの音が目立つノリの良い音楽とともに、SL列車の先頭部とそれにつながる一両の車両を模した形の装置が天井の左端からゆっくりと、夜空を滑るように流れてくる。煙突がついた丸みのある列車の先頭部分は全体がカラフルなステンドグラスになっている。まるでジョバンニとカンパネルラが列車の車窓から見た青玉や黄玉のような色と形の模様も、金色の月や星や惑星を模った抽象的な模様も埋め込まれている。まるで夜空を切り取ったようなデザインのその装置は、森の洞窟の中で光り輝く宝石たちが自然のイルミネーションを作っているような瑞々しい光を放ちながらゆっくり滑空し続け、観客たちは恍惚と眺めている。

 

 ステンドグラスの先頭部の後ろに1両だけ連なった車両部分は、薄青色の金属の棒が縦横に渡されて作られた一辺の長さが3Mの正方体が3つ連なった骨組みだけの装置になっている。骨組みの車両の中にはそれぞれが扮する乗客の衣装を纏った曲芸師たちがいる。ジョバンニ役のジャンとカンパネルラ役のシーザーの他に、赤いワンピースを着たクリー、ブラウンのコートを着てハットを被った男性など全部で5人ほどの曲芸師がそれぞれ一本ずつ棒を両手で掴んで、タイミングを合わせて大車輪で時計回りに回る。パイプレットという鉄棒の荒技だ。


 やがてジュリエッタの歌声が音楽に乗り夜を震わす。『星廻り』という曲だ。




 君は烏瓜の灯りを手に駆け出した

 夜の手前の小道 星の降る夜の

 ただ一人君だけは笑わなかった

 僕の夢や愛する人たちのことを


 河の前で立ち止まり空を見上げ

 そして知る すぐ夕暮れが宇宙と交わる

 青玉石や黄玉石が夜空に瞬き

 君の魂に呼びかけると



 廻る 星は廻る

 運命や宿命という

 大袈裟な荷物を背負って



 廻る 君は廻る

 青い星座盤の中を

 生まれた意味を探しながら



 君が夜なら僕は月になろう

 君が竜胆なら水に 雨になろう

 君の悲しみが僕には伝わる

 星の辿る道のような透明な信号で


 僕が掬った銀河の水のように

 君をとりまく全てが 景色が全て

 澄み渡っていたらいい

 君が笑えるように



 どこかで君が落とした金貨の音も

 僕は聴くことができるだろう

 僕が持つ烏瓜の灯りも

 君にはちゃんと見えるだろう

 この宇宙のどこか 遠くて近いところで

 


 泳ぐ 僕は泳ぐ

 深くて長い銀河の中を

 ただ一人君に逢うためだけに


 巡る 命は巡る

 花も木も空も全てが

 大きな環の中で巡り続けている


 

 僕は生き続ける

 この宇宙のどこかでまた出逢う日まで


 



 疾走感のある音楽に合わせてリングを包む紺色が明るい青い光に、青から紺色へと明滅する。曲芸師たちは張り巡らされた棒を鉄棒として使った芸を披露する。ジャンが大車輪のあと弾みをつけて上の右端の棒から3M離れた前方の棒に飛び移る。クリーは左端の棒から斜め下の棒に飛び移る、かと思いきや棒の上に臀部で座る姿勢のまま着地し、そのあと棒を掴んで大車輪で回り逆立ちの姿勢を保持して静止する。次に2度大車輪で回転し、手を離して2回宙返りをしたあと今度は前方右斜め上の棒を掴んだ。


 めくるめく曲芸の最中、リングが再び濃紺の闇に包まれ中央に光が灯される。やがてクラブという2本のボウリングのピンのようなジャグリングの道具を持ったヤスミーナが現れる。戦争で右脚を失った義足のジャグラーである彼女は、義足を恥じる様子もなく膝上の檸檬色のドレスを着て、堂々とした様子でアリーナの上でパフォーマンスを始めた。


 ヤスミーナのクラブはこのプログラムのために自作したものだ。他の小道具と同じでガラス細工に見えるレジンで作られたもので、棒の先が丸く膨らみ、緑と黄色に光っていて、薄い白い縦線が数本描かれた烏瓜のような柄になっている。


 彼女はそれを落とすことを全く怖がる様子もなく、笑顔で目に止まらぬ速さで回し始める。


 クラブの数が少しずつ増えていく。暗闇で回っていた2色の烏瓜の光は次に青い光が加わり3色になり、赤い光が加わって4色になる。高速で回るクラブをキャッチし、腕の下に通したり脚の下に通したり、片手で2本ずつのクラブを回したり、右手で投げたクラブの細い先端を額の上に乗せてバランスを取るヘッドバランス、顎の上に乗せるチンバランスという技を次々に素早く繰り出し、確実に成功させ観客を夢中にさせた。


 しまいに彼女は6本の色とりどりに光るクラブを回してみせた。


 拍手に包まれながら、ヤスミーナは次はディアボロという2本の紐のついたスティックと大きなコマのようなものを背中から外した。


 両手でスティックを持ちコマを長い紐の上で遊ばせた後、弾みをつけて空高く放り、いとも簡単にキャッチする。それを3度ほど繰り返した後、大きく波打つように動かした紐の上でコマを操るチャイニーズ・アクセラレーションや、コマを上に放ったあと縄跳びみたいに紐を飛び越えキャッチするという技を披露した。


 音楽が最後のサビに入ると、彼女は紐を縦にピンと伸ばし、下から上へコマが昇っていくように転がして見せるエレベーターという技をしたあと、ポケットからもう一つコマを取り出し、一つのコマを紐のついた2本の棒と1秒ほどの間隔を空けて頭上高く放り投げた後、もう一つのコマも放り上げ、2本の棒を両手でキャッチして素早く紐をピンと張り、落ちてくる二つのコマを次々にキャッチするという大技を披露して礼をした。


 あまりの興奮に拍手が一人でに出てしまう。ケニーも隣で「すごいや」と漏らした。


 鳴り止まない指笛と歓声と拍手の嵐の中、これまでにない達成感に満ちた笑顔を浮かべたヤスミーナは、手を振って舞台を去った。


 曲芸を続けていたメンバーも金属の列車に乗っていなくなり、歌声を届けていたジュリエッタも笑顔と投げキッスを残して姿を消した。


 照明が落とされた後、再びテント全体が紺色に覆われる。

 

 スポットライトの下に現れたのは、煌びやかな膝上の白いドレスを着たシンディだ。


 リング中央には1メートルほどの高さの鉄の棒が2本、人一人分の間隔を開けて立っている。2本の棒の先には黒板消しくらいの形と大きさの長方形の木のグリップが付いている。


 3メートルほど離れた場所に丸い弓矢の的がある。これは世界で数名しかできない技なのだと、前にルーファスが言っていたのを思い出した。隣のケニーはいつになく真剣な眼差しで、シンディの様子を見守っている。


 シンディは笑顔で客席に手を振ると、グリップを両手で握り左膝を後ろ向きに曲げて左の指で持っていた弓矢を挟んだあと、両腕に力を込めて身体を持ち上げ、両腕をピンと張って身体を浮かび上がらせ背筋を伸ばし綺麗な逆立ちの姿勢になった。次に首を持ち上げ的を見据え、胸から下半身までを大きく反らせた姿勢で、脚を的に向けてまっすぐに伸ばすと、左足の指で挟んで真っ直ぐに立てた弓矢の弦を右足の指で挟んで引いた。弦のしなる音が聞こえてくるほど、そこにいる全員がシンディの技に集中していた。


 それは瞬きよりも速かった。


 放たれた矢は空気を切り裂くようなびゅっという音とともに的の真ん中に命中し、観客席から拍手が轟いた。


 難易度の高い技を成功させたシンディは観客に煌びやかな笑顔で手を振った。


 ジュリエッタの歌が再開する。ピアジェの奥さんが作詞・作曲した『銀河の塵』という曲だ。





 涙が空から一粒落ちた

 星のような涙が

 いっそ消えてしまえたらいい

 ちょうど銀河に浮かぶ塵みたく

 誰にも見向きもされない

 実在してもしなくても

 構わないような物質になれたら



 あなたは前に言った

 起こること全てに

 見えない意味があるのだと

 痛みや悲しみという感情の波も

 雨が降っては上がるように

 ただ流れに任せていればいいと


 

 あなたは夜空に光る月

 命を燃やす全ての星々を

 力強い輝きと熱で

 照らし続けている

 


 私は銀河の塵

 あなたに手を伸ばす

 それすらできずに

 ただ一人泣いている



 大それたものでなくていい

 あなたにとって大切なものほど

 失ったときに激しい痛みを伴うから

 だから私は宇宙に浮かぶ

 数えきれない粒子とともに

 星の人生が始まって終わるのを

 何億光年もかけて見つめている



 この身が朽ちたら私は

 美しい白鳥になろう

 色鮮やかな花となり蝶となり

 稲穂にかかる雨や虹となり

 あなたを守ろう

 


 あなたは明るい月

 私のような塵も等しく

 他の惑星と同じように

 包み込んでいる



 私はただの塵

 暗闇の中

 息を潜めながら

 生きている

 

 



 オーケストラの奏でるスローテンポで神秘的な切ないバラードに乗って、ジュリエッタの伸びのある透き通った高音が響き渡る。


 歌の途中、天井に大きな金色の月を模したバルーンが現れる。


 シンディは上空からゆっくりと降りてきた長い赤い2本のリボンを素早く両手首に巻きつけて掴むと、右脚を背中に向けて曲げ、くるくると回転しながらふわりと空に飛び立った。エアリアル・リボンというパフォーマンスだ。


 命綱なし、リボンだけで地上15メートルに浮かんだシンディの身体は、まるでリボンと一体になっているかのような滑らかな動きで、音楽に合わせて月の周りをゆっくりと回る。


 シンディは上空をゆっくり滑るように動く2本のリボンの間で鉄棒を回るように前向きに3回ほど回ったり、両手で押さえた両脚を前後に広げてみせたり、胸を逸らし右足を頭につくほど上げてみせたりした。


 シンディは一度リングに降りてくると、今度は両足首にリボンを巻きつけ逆さ吊りの姿勢で空に飛び立った。音楽に合わせ、しなやかな動作で開脚や身体を逸らす技をした後、頭が地面を向いている状態で身体をまっすぐ伸ばし、くるくるくるくるとコマのように高速で回った。客席から「おお〜」という感嘆の声と拍手が響く。


 もう一度リングに降りてきたシンディはその身体の柔らかさを生かして前転をしてみせたり、音楽に合わせて身体を翻して舞ってみせたりした。


 やがて先端にグリップのついたロープがシンディの前に降りてくる。彼女はそれを上下の歯だけで噛むと、飛行機が離陸する時のようにゆっくり高度を上げて滑空する。


 曲がサビに入るとシンディの滑空スピードも上がる。彼女は胸を大きく外側に逸らし、全身で円を描くみたいにそのまま左足を頭のてっぺんまで持ってきて両手で掴んで見せた。緩やかで流れるようなような曲線的な一連の動きのあと、一番高い場所までくると彼女は胸を下にして地面に水平にし、背中を伸ばして羽ばたくように両手を広げた。銀河を舞う白鳥のように宙空を舞う彼女を、観客は息を呑み、恍惚とした表情で見つめている。


 シンディの身体が空中を滑りながら速い速度で降下してくる。腹部がアリーナと触れ合うすれすれの位置まで降下してきたシンディの身体は、そのままの姿勢で速度を失わずに再び高い位置まで舞い上がった。本当に翼があるのだと錯覚しそうになるような演技に言葉は出なかった。サーカスに言葉などいらない。その思いを共有するかのように、テントにいる全ての観客が彼女の渾身のパフォーマンスを見つめていた。


 終わってほしくない。まだこの場所で、このエネルギーと創造性に溢れたショーを観続けていたかった。魔法をかけられた天幕の中、万華鏡のように目に映る世界に私はすっかり虜になっていた。


 最後地に降り立ったシンディは、右手を高く上げた後大きく礼をしてリングを後にした。


「すごいパフォーマンスだったよ、シンディ」


 通路で声をかけられたシンディは、完璧に演じ終えた安堵感と達成感に満ちた笑顔を浮かべた。


「ありがとう! 成功してよかったわ」


 エンディングを飾るに相応しい彼女の演技で、人間の団員たちのパフォーマンスは終わった。


 20分の休憩のアナウンスのあと、控え室に戻る途中も興奮が冷めやらなかった。


 「いいなあ、私も出たい!」


 私はすでに、このショーの虜になっていた。特別目立ちたがり屋というほどではないけれど、サーカスは別だ。感動と興奮で今にも胸が張り裂けそうだ。このショーの一員になりたい。その気持ちは瞬く間に大きくなっていた。


「僕は人前に出るなんてごめんだ」


 案の定、伯父は顔を顰めて首を振った。


「案外やってみれば楽しかったりして」


「最初の挨拶ですらあんなガチガチになったんだ。大勢の客の前で演技するなんて、恥ずかしすぎて死んでしまうよ。僕は裏で皆を支えるのが合っているんだ」


 そこにジュリエッタがやってきた。今日の彼女はいつも以上にエネルギーに満ち溢れて魅力が増して見えた。笑顔も弾けんばかりに輝いている。


「ジュリエッタ、今日の歌すごく良かったよ! 感動して泣きそうだった」


「ありがと」とジュリエッタは微笑んだ。


「ここでは皆が助け合いながら、一丸となってショーを作り上げるの。それぞれの得意なことを武器にして、笑顔の裏で血の滲むような努力をして技を極めてる。一人一人が大切な役割を担ってる。誰一人として欠けられないの」


 彼女の言葉は胸の深いところを打った。皆協力しあい切磋琢磨しながら、観客に感動を運ぶためにそれぞれの役割を全力で果たしている。この環境にいなかったら、こんな風に沢山の人を喜ばせるために必死に生きている人たちがいることなんて考えもしなかっただろう。私がここにいるのは、何か意味がある気がした。


 私もいつかクラウンとしてリングに立てたらーー。


 大量の宝石や金貨なんかとは比べものにならないような煌びやかでワクワクするようなショーの一員として、皆の渾身の演技を際立たせるために笑いを添えられたらいい。


 20分の休憩のアナウンスが流れ、私はケニーと一瞬に控え室で団員たちを激励したあと、テントの裏の檻に向かいルチアやホタル、トムと一緒に動物のショーの準備を手伝った。

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