第16話 オープニングショー
13時に開演のベルが鳴る。私とケニーはアーチ型のパフォーマー用のエントランスの奥、オフ・ステージと呼ばれる場所で見学を許されていた。
サーカスリングを取り囲む座席は満員だった。皆今日のショーへの期待が隠せないようだ。友人同士で楽しげに話している人々、チラシを眺めている老夫婦、最前列で脚をぶらぶら揺らしながらアイスクリームを舐めている子どももいる。客席の5段目あたりで目を輝かせて話をしている小学生らしき女の子2人組が、一瞬私とオーロラの姿に重なった。サーカスを観る側だった当時は、こんな風に将来サーカス団の一因になるなんて思いもしなかった。
やがてパチンという音とともにテントの照明が落とされる。しんと静まり返る観客たちの期待に溢れた高揚感がここまで伝わってくる。
数秒後、暗転した会場の客席や壁、支柱などあちこちに取り付けられた赤や黄、白の大中小さまざまの大きさの電球が一つずつぽつぽつと灯火し、オープニングショーの始まりを告げる。辺りが濃紺色に包まれると、テント全体が星屑を散りばめたような小宇宙に変わる。
不意に、リング上にちょうど円と同じ大きさの深い群青色に光る星座盤が姿を現す。ゆっくりと回り出した円の中で、ベガ、アルタイル、オリオンなどの無数の星が瞬いていて、星と星とが動物や鳥や琴などに見えるように細い光線で繋がれている。ほの明るい輝きを放ちながらゆっくり回り続ける星座盤を見つめていたら、こちら側が回っているかのような錯覚にとらわれた。
星座盤から放たれる星たちの輝きによって、盤を囲むように等間隔で置かれた幾つものオブジェが照らし出される。望遠鏡、木造りの棚の上に置かれた、ジョバンニが最初に向かった時計屋の店内の装飾を思わせるような石で作られた赤い目をくるくる動かす梟の置物、金属の棒の先に広げられた赤や黄色、青、白など色とりどりの宝石が星の軌道を辿るように動き回る大きな群青色の硝子盤、そして機械仕掛けの銅の人馬などもある。
やがて20メートル上空から吊り下げられた、風にはためきながら星座盤の動きに合わせてまわる白い巨大なカーテンが夜空を泳ぐようにしてゆっくりとリング上空の左側から現れる。自然の生み出したスクリーンのようなカーテンには、緑や黄色、薄い赤紫色、白などの鮮やかな色で輝く噴煙のような巨大な星屑の連なりーー銀河が映し出される。その壮麗で神秘的な景観はまるで、グリーンランドの夜空を覆うオーロラのようにも見える。
その銀河の広がるカーテンを、ガタンゴトンという効果音とともに長く連なる黒い列車の影絵が横切っていく。夜を切り開くように高く長く響く汽笛の音、『銀河ステーション、銀河ステーション』と鳴り響くアナウンスーー。
すでにテントの中は宇宙空間のような深遠な暗闇と静寂に包まれている。
ぱっとリング左にスポットライトが当たる。
石英のようなスパンコールの散りばめられた緑色のドレスを着たジュリエッタが、背筋を伸ばし堂々とした歩みでマイクの前に立つ。それから少しの間があり、リングの右奥の外側に待機している楽団が演奏を始める。ピアジェの元奥さんが作詞しジュリエッタが作曲したという『星まつり』という曲だ。
宇宙を思わせる深い音色、幻想的で緩やかな前奏に客席は静まり返る。
前奏が流れる間、エントランスから5人の踊り子ーー竜胆の花をイメージした紫色の衣装を着た男性2人、女性3人のダンサーがアリーナに登場し、スローモーションで回り続ける星座盤を囲んで舞い始める。5人は蕾を作るようにアリーナの円の中心に集まり、同時にかがみ込んで額を合わせる。やがてゆっくりと立ち上がり、竜胆の蕾が花開くように徐々に背を逸らして手を広げ、舞台中央に5人の左右の足の裏が合わさるような姿勢で仰向けになると、5人は円を描く花弁のように観える。そのあとシンクロするように右膝を立てて曲げ、花柱を表すようにまっすぐ脚を上げてピンと伸ばして静止し、やがて床を滑るように時計回りに動く。客席からは、風に吹かれた花が回っているように見える。
やがてダンサーたちは風に飛ばされた花びらのように同じ方向に身を翻して起き上がり、一人一人舞台に散ってくるくる回ったりしたり、ジャンプをしたりしながら舞い始める。音楽に合わせた流れるような動き、宇宙で懸命に生きて散る儚い花の命を表すような表現に誰もが目を奪われている。
前奏が終盤になると、踊るダンサーたちの間を縫うようにしてジャン、クリーを含む10人の曲芸師がアリーナに現れる。皆昔のヨーロッパの人々が着るような格好をしている。祭りの時につけるような白い狐のお面を被り、白いワンピースを着ているのはクリーだ。ジャンはトパーズのように輝く石の首飾りを下げ、袖の緩い白いシャツに茶色のズボン姿だ。
ダンサーたちが捌け曲芸師たちによるアクロバットが開始されると同時に、ジュリエッタの歌声に乗った歌詞が響き渡る。
それは星の祈り
君と僕の契り
風が一つ通り
光と夜が交わる
それは夏の夜の
烏瓜の光
パンを両手に抱え
駆ける少年の背中
いつか僕らは出会うだろう
永遠のしらべを奏でる
銀河のほとりで
僕らは二人で見るだろう
すすきが揺れて
白鳥が飛ぶのを
人の夢やさだめ
淡い夜の響き
汽笛が一つ鳴って
旅の終わりを告げる
窓の外に広がる
三角標の輝き
赤い蠍は燃える
止まらぬ君の時計
いつか僕らは出会うだろう
金色の宇宙の塵に紛れて
終わらぬ旅の中で
僕らは二人で手をとって
銀河を走る列車に乗り込む
果てなき夢を見ながら
伸びのある透き通った高音が、オーケストラの調べに乗って夜空を震わす。アップテンポな曲に合わせ、曲芸師たちがアクロバットで舞う。バク転からの後方3回捻り、前方抱え込み宙返りなど大技を連続で軽々と決め、回る星座盤が輝くアリーナを縦横に飛び交う。
やがて下に2人の曲芸師が、その肩の上に1人、もう1人と立って3段のタワーのように重なる。すぐに数メートル離れた場所で別の3人が互いの手を組んで、その上にジャンが真っ直ぐ立つ。3人がトランポリンのように弾みをつけてジャンの身体を宙に放って浮かび上がらせ、膝を抱え反時計回りに5回宙返りしたジャンは数メートル離れた人間タワーの頂点ーー2段目の曲芸師の肩の上に手をかけた逆立ちの体勢で着地した。ヒューマン・タワーという技だ。逆立ちの姿勢で背中から落下したジャンの身体を、後ろに構えていた2人が腕で抱き止める。
1人でもタイミングがずれれば失敗し事故につながる妙技を軽やかに成功させた団員たちは、笑顔で手を振った。
華々しいオープニングショーのあと、テントが暗転する。
"
スポットライトに照らされたリングの真ん中に、シルクハットとタキシード姿のピアジェの姿が浮かび上がる。
『本日は、我がミルキーウェイ・トレインサーカスのショーにお集まりいただき、誠にありがとうございます! 今回はサーカス団創立100年の節目といたしまして、日本のイーハトーブの作家宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』をイメージした『星まつり』というプログラムをご用意いたしました。特別な夜空の旅をお届けいたします。
夜空の旅と言うと何かの旅行会社のキャンペーンみたいですが、違います。飛ぶのはお客さんではありません、彼らーー我がサーカス団のパフォーマーたちです。
ショーの最初を飾りますのは、サーカスの花形、空中ブランコでございます!
それでは皆様、幻想的な銀河の旅をお楽しみください!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます