《幕間》炎のための練習曲

「継護、なんか今日元気じゃねえか?」

 友達が僕にそう言って、嬉しそうに笑う。僕もそれに照れ笑い、うんと頷き、数枚の便箋を取り出した。


 中学二年生になって、もうすぐで三か月半。明日から夏休みという日に、僕の元に手紙が届いた。


『親愛なるケイゴへ』


 そう勢いがあるが美しい文字で宛先が書かれた手紙は、あの春の日にお互いに命を助けられた猫の獣人であり、クラスィッシェのお嬢様、ミーシャ・リリーホワイトからのものだった。

 ミーシャを召喚したあの日から、僕の人生はまるごと変わってしまった。まず、体を鍛え始めた。現役演者(クンスター)の蜜利義兄さんに稽古をつけてもらい、最低限身を守れる程度の筋力と体力、そして戦力をつけることにした。

 更に、友達と遊んでいた時間を勉強に費やし、少なくとも高校はまともに行かなくても卒業できるくらいまで学力をつけようと思っている。普通の友達は減ったが、協力してくれるような良い友達は残り、僕の勉強を手伝ってくれた。僕の今までの人生だって、そんなに間違ってなかったなと思わせてくれる瞬間だった。


『こちらは特に変わりなく、今週は魔法の相性の勉強と、実践をしているわ。毎度言うけど、サボってたら承知しないわよ。あなたの鍛錬の様子は、ミツトシから全部聞いてるんだから』


 くす、と微笑んで文字を追う。決意が揺らぎそうだから、と僕から「約束が達成されるまで顔は見ないし、声も聞かない」という縛りを設けていた。だが、前述の通り、僕達はかなりこまめに手紙でのやり取りをしている。もうミーシャの顔よりも、字のほうが鮮明に思い出せるくらいである。だが、僕らは着実に仲を深めていた。まあ、一週間に二回手紙のやりとりをしていたら、よほど相性が悪くない限りは仲良くなると思う。ちなみに、『MELA』が解散したときの嘆きぶりは、その発表がされた一週間後に届いた、便箋十枚を貫通する涙のあとでわかった。その内容の一部に『三年後に取りに行くから絶対にグッズを買っておきなさい。プレミアついて買えなくなるから』と書いていたのを見て、このお嬢様、おもったよりおてんばで、深淵を覗きがちだななんて思ったものだ。

 それはそれとして、僕は今日届いた分を読み進める。


『あなた、25日からミツトシとアノンのところで一か月鍛錬するのですってね。わたしの手紙の送り先を教えてくれないとあなたが困るわよ』


 胃が痛い話をしてくれるじゃないか。

 そう、僕は、地獄に行くのだ。


 * 


「おらー、ちんたら走るなー」

 ピーッ! と後ろから急き立てられるような笛の音が聞こえる。自転車でついてきてるのは、亜音姉ちゃんだ。ひんやりとした気持ちいい風が僕を癒やしてはくれるが、それ以上の苦しさが僕を責め立てる。

 あぁもう、どうしてこんなことになってるんだっけ?



 4月の最初は僕ひとりで訓練していたはずだったのだ。二週間位はぼちぼち欠かさずといった風に出来ていたと思う。だが、姉ちゃんに見つかり「あま〜〜〜〜い‼」と怒鳴り散らかされ、蜜利義兄さんも巻き込んで、夏休みに泊りがけで訓練を受けることになり、今に至る、というわけだ。

 おかげで僕は毎日夏の早朝ランニング。姉ちゃんはひとをおちょくるときだけ健康的な生活をするのをやめておいたほうがいい。昼は青葉我楽団のトレーニングルームを使わせてもらいながらの自主トレーニング。夜は戦闘訓練と宿題だ。

 それでも有り難いのは事実だ。この鍛錬の効果で、かなり持久力が上がってる気もするし。蜜利義兄さんも仕事から帰ってきて疲れているというのに、戦闘訓練までしてくれるだなんて、非常に恵まれている。

 ありがたい、ありがたいとは思うものの、体力がまだまだついてないのは事実。それを気力でどうにかごまかしながら、僕は夏の朝に足を動かし続けた。



 まだまだ僕の修業は続く。ランニングが終わったら次は筋トレだ。僕はぽたぽたと地面に汗を落としながら腕立て伏せをしている。200回を3セット。これだけでは大変なことになるため、自己回復魔法フル回転で身体だけは保たせる。馬鹿の数字じゃないか? と思ったが、先輩演者(クンスター)である姉ちゃんが言っているのだから仕方ない。多分、身体とメンタルを同時に鍛えるためなのだろうが、素直にしんどい。朝御飯までに終わらせ、ご飯を食べたら同じ回数腹筋である。なんてことをさせるんだ。

 それでもできてしまう、というのが男子中学生の怖いところで、へろへろになりながら義兄さんが作ってくれる朝ごはんを食べる。ちなみに、今日のご飯は、お米とたくあん、砂糖醤油で味付けられた卵焼きにひじきの煮物。それに厚揚げと菜っ葉のお味噌汁だ。

「やりすぎも逆効果だよ?」

「それは……姉ちゃんに言ってください」

 僕がむすっとして、味噌汁を一口飲むと、蜜利義兄さんは姉ちゃんの額を人差し指でぐりぐりとした。

「亜音さん?」

「あははー! でも、根性ないと公認我楽団の演者(クンスター)なんて無理だって」

 そう、軽ーい調子で言いやがった。やるのは僕なんだぞ。

「そういえば、義兄さん」

「ん? なにかな」

 僕は、かねてより気になっていたことを義兄さんに訊ねることにした。

「演者(クンスター)って、なんで演者って呼ぶんですか?」

「良い質問だね」

 義兄さんはお茶を一口飲んでから解説し始めた。

「実は、これは『ディソナンス』という言葉の方から先に来ているんだよ」

「そうだったんですか?」

「ああ」

 そう言えば、僕は『ディソナンス』という言葉があの敵対魔法生物ということしか知らなかった。蜜利義兄さんはにっこりと微笑んで、指を立てた。

「『ディソナンス』というのは、『不協和音』という意味なんだ」

「不協、和音……」

 確かに、それは聞いただけで嫌な気持ちになるものだ。それが本来の意味だったなんて。

「その『不協和音』を打ち消す力、それを演者(クンスター)と呼んで、この世界を美しい音楽で満たすようにと願いを込められたんだよ」

「なんだか、ロマンチックですね」

 そんな僕に、亜音姉ちゃんはぼそりと呟く。

「あたし、不協和音がある曲とか好きなんだけどな」

「あはは、まあね」

 そう言えば、僕だってちょっとした不協和音がある曲は癖になって普通に好きだ。

「音楽、か……」

「そうだよ。そう言えば、このふたつの世界を指して“ムジーク”なんて呼ぶ界理学者さんもいるね」

「むじーく?」

「『音楽』って意味だよ」

 そう、義兄さんは意味深に唇を歪め、綺麗な色の甘い卵焼きを食んだ。


 * 


「……はぁ、つっかれた……」

 日常生活の全てが終わり、僕は割り当てられた部屋の布団にダイブする。全身筋肉痛だ。明日は休んだほうがいいかもしれない。筋肉を育てるには適度な休息が必要なのだ。

 そこに、「継護くん、入っていいかな?」と義兄さんの声がした。「どうぞ」と声をかけると、入ってきた義兄さんがニコニコして一枚の手紙を渡してきた。

「はい、ミーシャちゃんから」

「あ! ありがとうございます!」

 それを見た瞬間に疲れがふっとんだ。姿勢を正して、丁重に受け取ると、おかしそうに義兄さんが噴き出した。

「ん、くく……そんなに仲良くなってた?」

「いや……だって、三ヶ月文通してたら仲良くもなりますよ」

「それって……相性がいいんだよ。僕らの言葉で言うと“和音の関係”なんだ」

「和音の関係?」

 思わず首を傾げると、うんうんと義兄さんが頷いた。

「和音の関係っていうのは、お互いに高め合える関係って意味。あの子と君はバディを組むんでしょう? なら、文通は良い手段かもね。そのひとの細かい為人(ひととなり)がわかる。そしたら、ふたりで居るときもうるさく感じるところが先にわかるかもしれないよ」

「ふぅん……?」

 言わんとしてることはなんとなくわかる。今の所、ミーシャからの手紙に不快感を覚えたことはない。むしろ、この手紙に励まされ、毎日頑張ろうという気持ちが湧き上がるのだ。この手紙が、僕への応援歌みたいだった。

「まぁ、明日も頑張って。僕も早めに帰ってこれるようにがんばるからさ」

「はい!」

「あ、宿題はしなよ?」

 その言葉に、全身の筋肉痛を思い出す。

「……明日は、丸一日勉強デーかな……?」

 そんな風に顔をしかめる僕に、蜜利義兄さんはくすくすと笑う。

「甘いものなら差し入れするからね」

 あぁ……天国と地獄だ……と思いながら、僕はミーシャからの手紙を宝物のように文机の上においた。

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