《2-5》ウィッチ・メイ・クライ

 頭に流れ込んできたのは、壮絶なトラウマだった。


 毎日詰め込まれる、興味のない知識。逆らうと振るわれる暴力。戦うのがこわいと言いたいのに言えなくて泣いた夜。自分の細い腕を掴み、乱暴をしようとする知らない男。知っている男。知るべきだと言われた、男。


 誰も助けてくれなかった。皆の言う良い子になっていた。なのに、どうして。

 どうして、捨てられるのは"わたし”なの?


 心臓が痛い。視界がくらむ。濃厚な幻覚に、俺はふらふらと立ち上がった。

 今のは、なんだ? まるで人格者個人の歴史だ。

 だが、今の光景を見てしまうと、音のない世界で、身体を震わせて俺達から距離を取ろうとする彼女の姿が、腑に落ちてしまう。


――どうして、消滅させねばならないのだろう。

――彼女も、立派な“人格”だろうに。


 そんな思いが、自然と胸にあふれてきた。同情、憐れみ、それが、俺の手から力を奪う。

 脳裏によぎる彼女の記憶と、傷付いた小さな仔猫に手を伸ばしたくなるような感覚がぐちゃぐちゃになって心を支配した。

 可哀想なシャル、あぁ、もういっそ俺が匿って……。


 ずしゅ。

『ぐ、あ』

 俺の目の前で微笑んでいた少女の心臓が、背後から何かに突き刺されていた。それは剣の切っ先だった。

「シャル!!」

 口をついて出たのは彼女の名前だった。


「センパイ、しっかりしてくださいっす!」


 だが、その切羽詰まった声を耳にした途端、ぶわっと感覚が戻ってきた。瞳が、シャルの口元の牙の存在を再認識した。

「……!! そうだそうだそうだなにをやっている」

 言いしれぬ恐怖が胸中を埋め尽くす。今のはまずかった。冷や汗がじんわり滲んだ。

 ここが正念場だと顔を上げ、急いでリュートを構えた。だが、イヴはこちらを見てなかった。

 彼女に、めちゃくちゃに刃を突き立てていた。心臓、腹、目、髪に、口。すべてに。

 シャルもイヴに必死に噛み付いていたが、傷を追わせられるたびに段々と弱っていき、徐々に逃げ惑うだけになっていく。

 自分もイヴのサポートをしなければ、そう思っている。もう音は蘇った。そのはずなのに、手が冷たい。フラッシュバックする彼女の記憶が、俺の手を更に微動だにさせなくしていた。彼女を救う手立ては、シャルは消えなければならないのか、そんなことばかり考えてしまう。無意味なことは、自分が一番わかっていたのに。

 シャルが横たわり、ほとんど動かなくなったとき、イヴは、剣をぶん、と振ってシャルの分の血液を取り込む。

 嗚呼、駄目だ、やめてくれ、と止めることさえ、今の俺にはできなかった。


「死ね、ディソナンス!! “紅刃”‼」


 単純で、強い言葉と共に、イヴの傷跡からぽこぽこぽこと血でできた無数の赤い弾丸が生まれてくる。そして、それは紅い刃となって、一斉に白い身体に掃射された。

『たすけ』

 その願いも、遂に聞き届けられることはなかった。

 一瞬で蜂の巣になった身体はサラサラと光の砂になっていく。俺がなにもできないうちに、形を変え、消えてしまった。

 それは、むごく、そして忌々しく。

 だが、正しかった。



「……センパイ、なにやってんすか」

 イヴが腕を組んでこちらを睨んだ。当たり前である。

「……済まなかった」

 ディソナンスに感情移入した挙句、本当になにも貢献出来なかったのだ。それどころか、自分の弱さが隙を作り、イヴを危険に晒すなんて、バディとして、“センパイ”として、一番あってはならないことだ。今回は比較的弱いディソナンスだったから良かったものの、このままでは、イヴの命まで揺るがすようなことがあるかもしれない。

「よく言ってるじゃないすか、リリーホワイト団長も。ディソナンスに心を許すなって」

「そうだな……」

 それに、ずっと考えていたのだ。

 俺(短命種)は、イヴ(長命種)に相応しくない、と。

 タイニィリングの自分と、吸血鬼の彼、そこには20倍近くも寿命の差がある。自分とずっと戦っていたとしても、俺がこいつの隣にいられるのは、精々あと10年程度だろう。そんなもの、彼の人生にとっては馬鹿馬鹿しいほどに短い間なのだ。もっと攻撃ができる魔法で、もっと魔力があって、もっと彼にあった人格者と、彼は共にいるべきだと、わかっていたはずだろう?

 もしかしたら、ここが潮時なのかもしれない。

「もー、そんなんじゃいつか俺が独立してなんかの隊長になっちゃうかもしれませんね!」

「そうしようか」

「……は?」 


「そうしようか、と言った」


 砂埃にまみれたリュートをぎゅうっとつかみ、俺はイヴの足元をじっと見つめた。

「な、なにいってんすか? やだな、冗談に決まってるでしょ! オレはMELAの隊員で、MELAの隊長はルピナスさん、あんただ」

 イヴの顔は、もう見られなかった。

 以前から知っていたんだ。サポートしかできない俺よりも、他のやつが一緒にいたほうがいいと。

「慰めはよしてくれ。お前は、俺よりも若く力のある奴と組んだほうが先がある。わかってたことだ。それが、少し早まっただけだ」

「そんな! オレ、あんたと……」

「イヴ」

 息を吸って吐く。冷たい空気を取り入れる。

 参考にするのは、なにごとにも心を動かさない、団長の“人格”。

 あれになれたら、俺はまだ、きっと、もっと強くなれる。


「さらばだ、アルヴィエ。もう二度と会うことはないだろう」


 そして、自分勝手に背を向け、本部への道を急ぐ。

「なんで……」

 後ろから聞こえた、じわじわと涙に濡れる声も、聞こえないふりをした。

 後になって考えると、俺はまだ彼女の魔法にかかっていたのかもしれない。弱い人格を切り捨て、強い人格に紛れられるような。痛みを無視して、誰に何を言われても異常を放置できるような。

 「ひとの声が聞こえなくなってしまう」というそんな最悪の魔法に。


 特殊部隊コード『MELA』が正式に解散したのは、その一週間後だった。



 結局。

 ディソナンスが消滅したことにより、被害者全員の聴力は回復した。

「……貴様の二重奏部隊としての最後の活躍が、こんな低ランクのディソナンスとの戦いとはな」

 団長は、眉間をもみながらそう言っていた。

「貴様らが解散するのは勝手だが、MELAの人気で保っていたような支援をどうにかさせねばならんな。……まあ、我々がするべき事に変わりはない。ちょうど警戒が手薄になっていた地域があることだ、貴様は第02区域の基地の支援に、アルヴィエはノイエ我楽団、ディソナンス対策研究室の増援に向かわせようと考えている。貴様とアルヴィエの今後の活躍に期待しよう」

 リリーホワイト団長は、やはり正確無比な判断ができる御仁である。急な申し出にも関わらず、俺達に最適な現場を即座に判断し、任命してくれた。だが、この身勝手極まりない申し訳ないと言う気持ちよりも、これが一番良かったのだという確信ばかりが先行して、頭を下げられなかった。

 そんな俺に、団長は言った。

「後悔はするなよ」

 俺はそれに無意識に応えた。

「わかっていますよ、“シャル”団長」


 すぱ。ぱらぱら……。


「え」

 俺の頬に、一筋細い傷ができた。そして、その拍子に切られたのであろう髪と、冷たい血が思い出したように落ちてきた。

 見ると、リリーホワイト団長の手が俺に向けられている。攻撃されたのだ、と気付いたのはそのときだった。

「二度と、その名で私を呼ぶな」

 そう、絶対零度の声色で、俺を牽制した。

 ある種、過剰とも言えるほどに。



 羽原さんは今回の件で、自分に出来ることはもうなにもないとして、我楽団を引退。余生をノイエ我楽団がある菊花帝国の首都で過ごすという。

 俺は、リュートが弾けなくなった。歌声もうまく出せなくなった。だが、その代わりに、誰かを突き放すような氷の刃が出るようになった。きっと、“人格”が変わりつつあるのだろう。

 イヴとは、ずっと会ってない。会ったら、すべてが元に戻ってしまいそうで怖かったから。


 昨日も、今日も、きっと明日も、俺はこの人格で生き、そして戦うのだろう。

 捨てた自分の、影に怯えながら

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