《2-4》ウィッチ・メイ・クライ

 翌日の、十五時。俺達は例の森の奥に来ていた。基本的にコンダクターは本部で俺達のバックアップをしてくれるため、ここにいるのは俺とイヴだけだ。

 まるで、死人たちが踊っているかのように鬱蒼と木々が生えている。もしかしたら、実際墓代わりになっていたところもあるのかもしれない。俺は思わず身震いした。だが、そうもしていられない。俺はこほんと咳払いをして、魔法を使う準備を始めた。

「……あまり、期待はするな」

「よっ! 公認我楽団の姫中年!」

「言葉の全部で刺すんじゃあない」

 俺の手には小さなリュートがある。それをぽろん、ぽろんと弾きながら、ヘッドのペグを回し、正しい音にチューニングした。

 そして、すぅっと深く息を吸う。


「"ペザンテ”」


 声に魔力を乗せ、リュートを爪弾き唄った。今川調という異国の少年のことを想いながら、菊花の香りの漂う音を選んで。

 その瞬間に、古い木々がざわめき、暗い森に音撃が響き渡る。音の波のひとつひとつが個々に生きる生命を捉え、不協和音を探してかき消そうとしていた。

 俺の魔法『オン・ザ・ステージ』は、俺のリュートの音と歌声により、味方にバフをつけたり、敵にデバフをつけたりするようなものだ。これまたネーミングセンスがないことは突っ込まないでほしい。本当に苦手なのだ。

 本来の“ペザンテ”の効果は、相手の動きを重くさせ、遅らせるものだ。この魔法を索敵に使うのは初めてだが、これが吉と出るか、凶と出るか。


「っ! センパイ!」

 え、と思った途端に、どごっと突き飛ばされる感覚がした。ずさああああっ! っと、視界が回り、土埃が軽く舞う。

 驚きながらも、そちらを見ると、そこで、イヴが白い影に襲われている光景を目の当たりにした。

「イヴーっ!!」

 ずしゅ、と、肉が裂ける柔らかな衝撃と、鉄の臭いが広がる。ぶわ、と全身から汗が噴き出した。更にその白い影はすぐに見えなくなる。

「センパイ、歌って!!」

 イヴの叫びに、俺ははっとしてリュートを構え直し、術歌を行き渡らせる。

 すると、先程白い影が見えなくなったあたりから、きいんとノイズが聞こえる。そして、ゆらり、ゆらりと蜃気楼のように、小さななにかが現れてきた。


 それは、白い肌と、白い長髪。手足が無い、胴体だけの状態の女の子。だがそれよりも目につくのは、全身にある手型のような、赤くただれた痛々しい傷跡だった。

 黄色い瞳は怯えきっており、涙を湛えている。その大きく裂けた口元には赤い血がついていて、先程の攻撃はその牙によるものだということがわかった。

「お前がこのあたりに出没したディソナンスか……!」

 俺がイヴを見ると、イヴも俺を見ていた。

 イヴは俺のアイコンタクトに頷くと、くるりと舞うように一歩踏み出した。


「“血よ、我の花となれ。増幅回路変換(アンプリフィケーション・チェンジ)!!”」


 あたりに漂う鉄の臭いが、甘く切ない香りに変化していく。それと同時に、彼の傷跡から零れ落ちる血がするするとリボンのようにまとまる。そして最後には一つの真っ赤な長剣になり、イヴの手元に収まった。

 彼の服もみるみるうちに変わっていく。それは、まるで伝統的な吸血鬼の服装のような、夜の式典服(フォーマル)、真っ黒なタキシードとシャボ、裏地が赤いマントであった。

 元々整っていた顔は、麗しく、いっそ妖しいとすら言えるような雰囲気を纏っている。

 これが、イヴ・アルヴィエの本気の姿だった。

「っしゃあ! 覚悟するっすよ!」

 だが、口を開けばいつものイヴである。そのギャップを、世の『MELA』を好む人格者たちはどう解釈しているのだろう……と俺は非常に不思議に思っているのだった。

『やめて、やめて……』

 イヴが長剣を構えると、か細い声がディソナンスから聞こえた。


『どうして……なんでわたしばかりおこられるの……』


 震え、後退り、びくびくとする様子は、まるで叱責を怖がる子供のようだ。

『ねえなんで!! わたし、なんか悪いことした!?』

「ひとのこと困らせてるからだ! 耳聞こえなくしただろ!」

 イヴが空気を読まずにそう言い放つと、ディソナンスはふるふると首を激しく振る。

『ちがうもん……ちがう……わたし……』

「なんも違わねえ! ディソナンス、覚悟!」

 嫌な予感がする。まて、というまえに、イヴはディソナンスの前に飛び出していってしまった。


『シャルにさわんないでよっ!!』


 耳鳴りがする。その次の瞬間、世界から音が無くなった。

「……!?」

 喉を震わせても、リュートを滅茶苦茶に掻き鳴らしても、なにも聞こえない。

 やられた、と思ったひと瞬きで、眼前に白が差し迫っていた。

『おとこのひとなんて、だいっきらい!』

 彼女の言葉は、聞こえないはずなのに頭の中に直接響いた。

 ぐりゅ、と、彼女の牙が俺の脇腹をえぐる。叫んだ感覚はあるのに声は聞こえなかった。あまりの痛みに、脂汗が滲む。臓物はかろうじて出ていないようだ。ただ、俺は彼女の牙にあちこちを噛まれ続けていた。

 その痛みに耐えていると、イヴがディソナンスを引き剥がす。めり、と音がしていた気がした。

 フーッと細く、長い息を吐く。それでも、聴覚が無くなった俺に出来ることは何もなかった。音を紡いで補佐をする演者(クンスター)故に、音が無ければ何もできない。ぎりっと歯噛みした。彼らが戦っているのを見ているだけ、それどころか足手まといにしかならないのが、悔しくて仕方なかった。


 しかも、これこそが俺が限界を感じている理由そのものだった。


 イヴが無音の中でディソナンスに斬りかかる。ディソナンスも、四肢がない状態とは思えない俊敏な動きでその剣撃をするりと避けた。それは、なにか、猫のようなしなやかさを感じさせた。そうしているうちに、彼らは俺よりもどんどん離れていく。

 駄目だ、置いていかれる。焦れば焦るほどになにもできない。

 最初は、イヴは防戦一方だった。音という手掛かりもなく、素早い動きに対応しきれなかったのだろう。攻撃が全く当たらない。その隙にも、肉を抉られ、服を破かれる。強い魔法も、素晴らしい刃も、当たらなければどうということはないのだ。

 彼女が更に大きく牙を剥き、イヴに噛み付こうとしたそのとき、イヴがなにかを叫んだ、気がした。

 イヴが彼女の胸を大きく切り裂いた。そして、ぶん、と引っかかってる彼女をこちらに飛ばしてくる。その滑らかな白と朱の肉体は、人形のようにべしょり、と俺の目の前におちてきた。

 イヴはぜぇ、ぜえと息を切らしている。俺は、咄嗟にその少女の腹をげし、と蹴った。

 血がどぷり、どぷりと流れ落ちる。だが、ディソナンスは肩を揺らしながら、それでも呼吸を落ち着かせていた。全く効いてない。

 何度も、なんども。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 俺は、彼女を蹴りつけた。いっそ、病的(ヒステリック)なほどに。


 この場において、俺は只管無力だった。

 それが絶望を加速させる。戦闘の展開に対してではなく、俺の存在意義に対して。


『ねぇ、わたし、わるいことしないよ……怒られることない……! シャル、"捨てられる”こと、なにもない……!』

 彼女はぽろ、と涙をこぼした。その瞬間、足が止まる。

 捨てられる? 誰にだろう。そう思っているのに問いかけることさえできない。

 それに、"シャル”というのが、彼女の名前なのだろうか。

『そうだよ、シャルはシャルなの』

 俺の心の中の問いに、彼女は答える。

 話して、くれるのか。

『うん、話すよ。シャル、男の人怖いけど、あなたは』

 俺は?


『あなたも、シャルのことわかってくれそうだから』


 そう、彼女が微笑んだ、ときに、ぐらりと視界が歪んだ。

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