《2-3》ウィッチ・メイ・クライ

「ここまで、ほぼ収穫なしとか……うう〜、聞いてないっす〜!」

 イヴの悲鳴が森の診療所にこだまする。俺は咄嗟に、イヴの足を踏んで黙らせた。

 だが、そう嘆きたくなる気持ちもわからないではない。なんせ、二人の被害者に話を聞いてきたが、事前情報以上のものを得ること無く三人目の話を聞きにいく道中だからだ。冷静に考えてみれば、急に音が聞こえなくなったらそれ以外のことは覚えていない、なんて頷ける話だし、伝達する手段も慣れていないと、それだけで知ってる話も忘れそうなものだ。

「……イヴ、あまり気を落とすな。これから話を聞きにいく人間は、件の天才児なのだろう? もしかしたら、一般人とは違う視点の情報が得られるやもしれんぞ」

「ううう、そうっすね、そうっすよね……!」

 イヴが長い腕から繰り出される拳を振り上げ、おおー! とガッツを見せるように声を小さく張る。うむ、その意気だ。

「あ、でも一旦輸血パックだけキメていいっすか?」

「診療所で血を吸うな馬鹿」

 ぺし、と俺はイヴの頭をはたいた。



「ええ、そんなのわかるわけないじゃん」

 彼の一言は、俺達の膝を崩れ落ちさせるには十分すぎる威力を持っていた。

 今川調、人間の18歳。今年からノイエの大国のひとつ、菊花帝国の大学校に行く少年だ。前髪が異様に短い、軽めの赤茶色の髪に、炎のような隼の目ととぼけたような表情が特徴的な子だった。彼はクラスィッシェの第27区域で魔法生物の研究をしていた最中に襲われ、この森の診療所に緊急入院しているらしい。

 耳が聞こえないというのに、どうやって喋っているのだろう。ノイエの機械にはディソナンス被害を軽減するものまであるのだろうか。俺にはさっぱりわからなかった。

 そして、俺達がどこで被害にあったのか、どんなディソナンスだったか、そう聞いたら返ってきたのがあの回答だ。

「……成程」

 俺は痛む頭を抑えないように、顔をしかめないように笑顔を作った。

「あ、違うよ」

 だが、そんな俺に今川くんは手を軽く振ってなにかを否定した。

「おれが知らないって言ったのは、あの敵対魔法生物が本当に考えていること」

「考えていること?」

「うん。おれ、集中したらひとの思考が聞こえるんだ。今話せてるのもそういうことだよ。あなたたちが感じ取ったおれの声を聞いてるんだ」

 それは、かなり珍しい魔法だった。どういう人格から思考の読み取りなんて魔法に成るのだろう。この子とは仕事以外で出会いたかったものだ。

 イヴも驚いたのか、目をまあるくさせた。

「へえ〜! すっげえ! てことは、ディソナンスが考えてることがわかんないって……ディソナンスの思考は読めねえってことか?」

「ううん、意思がしっかりしている敵対魔法生物ならわかる。でも……」

 そこで、今川くんは慎重に思い出すように口をつぐみ、息を整えた。


「"彼女”、とっても怯えていた。それ以外の感情や、意思が見当たらなかったんだ。でも、それにしては知能レベルは人間と同じくらいはありそうだったんだ」


「彼女? 女の子型のディソナンスだったのか?」

 イヴの問いかけに、今川くんは頷く。

「そうだよ、あの子は女の子、しかも見た目もおれと同じくらいの歳のね」

 これは、かなり有力な情報だ。少女型ディソナンスということは、出現地域さえ絞れれば、なんとかなりそうだった。

「もっと詳細な見た目などは覚えているか? 印象だけでも構わないのだが」

「なんとなく、全身白かったな。あと、かなり小さかった」

「小さい?」

「うん。お兄さん(あなた)くらいね」

 俺、と俺は自分で自分を指差すと、今川くんはこくんと頷いた。自慢ではないが、俺の体長は88cmだ。

「場所も覚えてるよ。この診療所の森の奥、夜中だった」

「超近場じゃねえか!」

 でも、と今川くんは顔を曇らせる。

「あなたたち、彼女を見付けられる?」

 その意味は、今の俺達にはわからなかった。

 だが、すぐに、翌日の昼には嫌と言うほど理解させられるのだった。


 * 


 撃沈。その一言であった。

 結局あのあと、コンダクターである羽原さんの力も使いながら診療所の森を捜索していたのだが、三日経っても少女のSの字も出てこない。今川くんの証言を聞いたあとは、あの森も封鎖し、一般人が立ち入れないようにしたため、精々魔法生物がちらほらくらいだ。

「ルピナスや、おばあの肩を踏んどくれ」

 各部隊に与えられた待機室には、隊員分のベッドがある。羽原さんはそこにごろんとうつ伏せに寝転がり、嘆くようにそういった。

「それは構いませんが……いえ、逆に踏んで良いのですか?」

「ルピナスくらいの背格好の子に肩を踏まれると、孫がまだ森に遊びに来てくれていた頃を思い出すんじゃ」

 そう言われてしまうと断れない。子供扱いされるのは腹立たしいのだが、彼女からしてみれば、ほとんどの人格者は子供のようなものだろう。

 俺は靴と靴下を脱ぎ、濡れたちり紙で足裏を拭いてから、少し躊躇しながら羽原さんの肩を踏んでマッサージした。

「あぁ〜そこじゃあ、効くぅ〜。ありがとうなあ、ルピナスぅ〜」

「今回は羽原さんにも特に頑張っていただいてますからね、これくらいは」

「おばあはなんもしとらんよお、おぉお〜」

 だが、あの羽原さんがなにも手掛かりを掴めないということは、割と手詰まりという単語が見えてくるわけで。

「……困ったな」

 ため息はつきたくないが、ついつい出てしまう。こんなときに俺が違う魔法を持っていたら、なんて意味のない想いまで見せてしまいそうだ。


 そんなとき、バンッ! と待機室の扉が勢い良く開いた。

「おまたせ〜!」

 その背の高い黒髪は、紛れもなくイヴのもので、俺と羽原さんは揃って首を傾げた。

「なんじゃ、騒がしいのう」

「お待たせって……何がだ?」


「手掛かり、聞き出してきたっす!」


「なんだって!?」

「まことかの!?」

 傾げた首を一気にイヴの方に向ける。イヴは鬱陶しいほどににんまりとして一冊のノートを俺達に渡してきた。

 そこには、『4/4 遭遇敵対魔法生物 分析』と少し乱れたような字で書いてあった。

「これは……?」

「シラベっすよ。シラベ・イマガワ! あの子が記憶と状況を頼りに分析してくれたんす!」

 そうか、あのイヴがそんなことまでできるようになったのか。かなりの感動を覚えながら、俺達は急いでそのノートを開き、一緒に読みすすめた。


 最初はノートとは名ばかりのメモ帳のような有様だった。俺が読めない菊花帝国語の文字も散見され、完全に自分用に書かれていたのであろうことがわかる。だが、断片的に『夜』『姿がある』『昼』『見えないのは何故?』『不協和音』と読めた。

 そしてノートの体裁が整ってきだしたと思ったら、謎の計算式まで飛び出し始めて何がなんだかわからない。天才の脳というのはまるでびっくり箱のようだ。

 俺がかろうじて全てわかったのは、最後のページ。結論が出た文章だった。

『推測:敵対魔法生物Xは、昼間は目には見えないが、夜になったら現れる存在。夜行性の可能性がある。だが、夜になると力が強くなる上に、暗闇のせいで隠れる能力が高くなるため、昼間の撃破を推奨。Xは『音』である。』

「音?」

 なんの話だろう。何かのたとえだろうか。

『目には見えないが存在する音は、Xのあり方と酷似している。研究のため、Xだけではなく、敵対魔法生物全般の捕獲を推奨』

「どさくさにまぎれてとんでもないおねだりしとるのう」

 羽原さんが呆れたように笑った。ともかく続きを読む。

『推奨:別の音によるあぶり出し。

根拠:今回の研究により、敵対魔法生物は、一定の周波数の音を嫌う傾向にあると判明。各敵対魔法生物で、その周波数はちがうため、探る必要性がある』

 これだ。これをすればいい。やっと見付けた。というか、あの環境下で新しい事実まで見付けてるなんて、やはり天才児の名は伊達ではない。

 だがしかし。

「一定の周波数の音、なあ……それこそ、虱潰しか……?」

「なに言ってんすか!」

 俺がぼやくと、イヴが俺に向かって身を乗り出した。

「あんたは詩人(バード)なんだから、なんとかなるでしょ、ルピナスセンパイ!」

 ……期待が痛かった。


 * 


 その日の夜のことだった。俺はひとりになりたくて、本部で一晩泊ることを選ぶと、夜の公園でぼんやりとしていた。補導されかけること、およそ5回。まあ別にいいんだ。少しだけ、春の夜の静かな優しさに浸っていたかったのだ。缶コーヒーをちびりちびりと舐めながら、空を見上げる。晴れているというのに、光の薄い星空がどこか寂しく感じた。

「せーんぱい」

 後ろから、声がかかった。イヴだ。全く、今会いたくない顔ばかりが出てくる。

「センパイ、風邪ひいちゃうっすよ」

「あぁ」

 俺はわかっている、と言った風に頷き、またコーヒーを煽る。もうとっくに冷たくなっていたそれは、随分と不味くなってしまっていた。

 イヴは本部の近くのアパートに住まいを借りている。この公園にもすぐに来れるし、本部に遅くまでいても大丈夫なのだった。

 液晶石を見ると、メッセージに甥や姪たちの賑やかな声がフラッシュバックするような内容ばかりが並んでいる。弟からのクレームも来ていた。外泊するなら先に言えとのことだった。当たり前である。

「センパイ?」

 イヴが俺の隣に座る。そのとき、イヴが「ちべて」と悲鳴を上げたのに、思わず少しだけ噴き出した。

「お前も、風邪をひく」

「知らないんすか、センパイ。馬鹿は風邪ひかないんす」

 そう、何故か誇らしげにイヴは胸を張る。俺ははぁ、とふかくため息を吐いて夜空からマゼンタ色のイヴの瞳に目を移した。

「お前は、本当に身軽だな」

 俺は風邪なんてひいた日には、十人を超える家族から大ブーイングだ。自動的に免疫力が低い順から全員に感染していく。今だって、もこもこの上着を着て、手袋をしながら夜風を嗜んでたんだから。

「そうっすか? ああ、そっか。センパイんとこは風邪ひいちゃ駄目っすよね。あはは、でもオレ、家族がいないっすから」

「あぁ、そうか……」

 イヴはその逆だ。血の繋がりのある家族はいるものの、片方は人間という種族の都合上死んでいて、もう片方は子供に興味がないらしい。

「いないから身軽なんす。その分、センパイと一緒にいると、がんばろーって気持ちになるんで!」

 そう、イヴはおおー! と腕を振り上げる。それに、俺は苦笑した。

「ふ、俺は親代わりか?」

「違うっすよ。センパイはセンパイっす」

 イヴが立ち上がり、数歩だけ歩いて、俺に振り返る。街灯がイヴをスポットライトのように照らし、まるで、映画のワンシーンのようだった。

「だから、死なないでくださいね、センパイ」

 気軽に言ったのであろう。その言葉が、俺に酷く重くのしかかる。

「あぁ……そう、だな」

 冷たくなったコーヒーは、ダイレクトに胃に染みこみ、痛みを引き起こした。

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