《2-2》ウィッチ・メイ・クライ

 鏡越しに目があったのは、大きな丸メガネをかけた、紫色の瞳。服装を見ると、赤いネクタイの黒い隊服。髪は青緑をしていて、おかっぱの下の長い襟足をひとつの三つ編みに編んでいた。その頭身の低い男が唇を噛むと、自分の唇にも痛みが走る。当たり前だ。そこにいるのは俺なのだから。

 下を見ると洗面台があり、すっと手をかざすと、魔法木製の蛇口から水が流れてくる。その冷たさでばしゃりと顔を洗うと、鬱々とした気分も少しは紛れるというものだ。

 俺は我楽団の本部のトイレでなにをやっているのだろうか。今日も明日もディソナンスを倒さないといけない使命があるというのに。


 イヴは、吸血鬼としての生き方を選んだ、人間の父と吸血鬼の母親を持つミックスで、この世界とあの世界を隔てる次元の壁を行き来できる『オクターヴ』だ。だからなのか、ノイエ出身だというのに、幼い頃から、このクラスィッシェに入り浸ることが多かったと聞いたことがあった。彼が生まれ、幼少期を過ごした約150年前は、まだオクターヴを縛る法律や、管理チップなども無かったため、好きに姿を消したり、現しては、変身の力を使い放題で生きていたらしい。更に、その遊びの一環で、弱い魔法生物を倒して遊んでいたと言う。全く、とんだやんちゃ坊主である。そうして着実に力をつけ、なんの苦もなくノイエ公認我楽団に入り、5年前から俺とバディを組んで仕事をしていると考えると、あの奔放な性格も、そんな自我から来る強力で自由が効く魔法も納得できるというものだ。

 21年前に生まれ、クラスィッシェの草原で、沢山の弟妹を、親と一緒になって世話をして、ろくな学もなく、10年前にとある私設我楽団に入り、イヴのバディになるためにスカウトされ、今も甥や姪たちの食い扶持を稼ぐために戦いを続ける俺とは全く違う人生を送って来たのが、イヴ・アルヴィエだった。

 そんな彼に、俺は心底支えられ、苦しみを取り除かれた。

 きっと、他人には理解できないのだろう。価値観が違う相手と共に仕事をして、命を預けるのは苦しいと思う人格者の方が多いのかもしれない。だが、俺にとっては違うのだ。あるがままが一番強く、何にも縛られない、無邪気で、俺達タイニィリングにとっては人生と同じ時間の青春を生きる彼が俺を慕ってくれることが、なによりも自信に繋がったのだ。

「……こんなことでは、いけないな」

 俺はもう一度蛇口に手をかざし、水を両手で掬うと、口に含み、がらがらとうがいをした。

 この喉で、イヴの支えになれるように。


 * 


「おつかれさん」

 トイレから出てきた俺に、金色のくせっけを一つのお団子にした、緑の目でおっとりとした顔のエルフの女性が、おだやかに声をかけてきた。

「あぁ、羽原(はばら)さん。お疲れ様です」

 俺がそう返すと、彼女はうんうんうんとゆったり頷く。

「Aクラスじゃのに無傷とは、さすがはルピナスじゃの。ほんにお前らは、わしの人生の中でも指折りの強い子らじゃ」

 相変わらず、人間基準では若々しい見た目とは裏腹に、随分と年老いた話し方をするものだ。

 それもそのはず、彼女、羽原アビゲイルは、御年848歳の、『例の大戦』をコンダクター……ノイエ軍の一部隊の司令官として生き残った老戦士だ。エルフの基準で言っても、随分と年老いているらしく、彼女の歳で仕事をしているエルフは見たことがない。それどころか、基本的にエルフの老人は保守的で争いを好まない上、表に出てくる『例の大戦』の生き残り自体が珍しいため、俺は彼女以外に500歳超えのエルフを見たことが無かった。

 羽原さんは、俺達MELAのモニタータクト、つまり専属司令官だ。5年前にMELAを結成してからの仲間である。

「羽原さん、身体の方は大丈夫ですか?」

 俺がそう尋ねると、羽原さんはにっこり微笑みながら肩をすくめる。

「まあ、それなりに動きはするが、あとどれくらいもつかわからんのう。墓には蜂蜜酒を供えとくれ」

 縁起でもない言葉だ。俺はハア、と重い息を吐いて首を振った。

「頼むからもう少し、せめてイヴが精神面だけでも大人になるまでは生きていてください。貴方以外にMELAのモニタータクトが務まる方はいません」

 おほほほほ、と羽原さんは口元に手を当てて上品に笑い声を上げた。

「おばあちゃんが死んだら寂しいか?」

「当たり前でしょう」

「そうか、そうか。嬉しいのう」

 羽原さんが俺に困ったように笑うと、俺の小さな心臓はぎゅっと縮み上がる。それは、数年前に死んだ母と、記憶の中の伯母の面影を感じるからかもしれない。

「じゃが、生き物は必ず死ぬのじゃ。わしにはわかる。わしらには、もうすぐ別れを告げねばならぬときがくる」

 その口ぶりが、なんとなく確信めいたものに感じて、背筋がぞっとした。

「それは、きっとお前さんのほうが身近なんじゃないのかの、タイニィリングや?」

 ああそうだ。だからこそ、俺は今暗闇の中に立たされているのだ。

 ピロピロピロ!

「……!? 通信?」

 耳にかけていたインカムから通知音が聞こえてきた。それは羽原さんも同じだったようで、すぐにふたりでそれに手をかける。

『こちらディソナンス対策研究室、研究員、青葉蜜利です。どうぞ』

 その声は、先程司令室で聞いた声と同じだった。

「こちら特殊部隊コード『MELA』、隊長、ペンタス。応答した、どうぞ」

「同じく『MELA』羽原じゃよ、どうしたんじゃ。どうぞ」

二人でそう返答すると、同じように通信が来たのであろうイヴの声が聞こえてきた。

『『MELA』副隊長アルヴィエだぞ! どうぞ!』

 次の瞬間、青葉の冷静な声が聞き慣れた緊急事態を告げた。


『リリーホワイト団長より、調査命令です。クラスィッシェ第27区域でディソナンス被害が確認されました。これより作戦コード02を開始いたします』


 作戦コード02、つまりディソナンス事件の解決であった。そのためには、原因ディソナンスの特定、後に撃破をする必要がある。

「ペンタス了解、どうぞ」

「羽原了解、どうぞ」

『アルヴィエ了解! どうぞ!』

『羽原は十三時半(ヒトサンサンマル)、ペンタス、アルヴィエ両名は十四時(ヒトヨンマルマル)、ブリーフィングルームに集合してください』

 さて、仕事だ。俺は羽原さんと目を合わせ、もう一度了解、と言ってからブリーフィングルームに向かうのだった。


 * 


「集まったな? ほんじゃあ、ブリーフィングをはじめるとするかの」

 羽原さんがそう言って、資料を片手に俺達を見た。

 ブリーフィングルームは古めかしい集会場と会議室を合わせたかのような様相をしている。そこに魔法の黒板があり、何十人も座れる長机があるのだ。だが、俺達『MELA』は二人しか隊員がいないため、ブリーフィングルームのほとんどはがらんどうだった。

「わかっとると思うが、今回は作戦コード02。ディソナンスの調査と撃破じゃな。気張っていくんじゃよ」

 ブリーフィングの進行は、ディソナンス対策研究室から資料を受取ったモニタータクトが行う。その方が全員に資料を配り、解読させるよりも齟齬が少ないからだ。


「主なディソナンス被害は、『耳が聞こえなくなる』じゃ。被害者は、わかっとるだけで17人、そのうち全員に、共通のディソナンスの魔法痕跡があったそうじゃの。ちなみに鼓膜が破れてたりするわけじゃなく、完全に魔法の効果らしいのう。じゃから、ディソナンスを倒せばみんな治るはずじゃ」


 聴覚の喪失。それは由々しき自体である。命を奪われないからマシだ、とも考えられるが、本当にそう思って生きていける人格者も限られているはずだ。出来る限りすぐに原因のディソナンスを見付けて消滅させ、魔法の効果を消してあげないといけない。

「なあなあ、アビーおばあ、ディソナンスが出たのは第27区域つってたけど、もしかして、ひろいひろ〜いそっから虱潰しに一匹のディソナンス探すのか!?」

 イヴがうげーと苦いものを吐き出すように羽原さんに尋ねると、彼女はほほほと首を振った。

「真逆(まさか)、そんな無茶はシャルロットも言わんじゃろう。何人か、既に調査に協力してくれると言ってくれている人格者がおるんじゃ。アポは我楽団側が取ってくれとるから、その子らにディソナンスの手掛かりを訊くことじゃな」

 ふうん、とイヴがほっとしたようにスンとなる。

「協力者は何人ですか?」

「いまのところ三人じゃな。それ以外は混乱しきっとったり、自分らのことで手一杯で、よほどじゃないが聞ける状態じゃなかったそうじゃ」

 それはそうだろう。協力してくれるひとに感謝しないといけない。

「そいつらのこと、教えてくれんのはいつだ?」

「慌てなさんな、今から液晶石に送るからの」

 そう羽原さんが言って、手元をなにやらこちょこちょとすると、自分たちのポケットの中がぴかりと光った。

 それを取り出すと、手のひらサイズの長方形の軽い石が光を放っている。液晶石、と呼ばれる魔法道具である。ノイエのスマートフォン、という機械で出来ることを、こちらの技術で再現したものだ。

 液晶席に魔力を流すと、ぱっと表面に資料が現れた。最近の魔法道具はすごい。

「……イヴ、この名前……男ばかりじゃないか?」

「え?」

 それで確認できた被害者は、種族年齢はバラバラだった。だが、全員男性の名前に見える。その中で、名前の横に星マークがついているひとが三人居る。このひとたちが協力者だろう。

「ほんとだあ、オレ気付かなかったっす! やっぱすげえやセンパイ!」

 マゼンタ色の大きな瞳がこちらをじっと見る。それに、なんだか落ち着かない気持ちになって、軽く咳払いをした。

「まあ、こんなことは対策研究室や羽原さんも気付いていただろう……」

「気付いとらんかったとは言わんがの。賞賛は素直に受け取ったほうが健康に良いぞ、ルピナス」

 羽原さんがまたほほほと笑う。ますます気まずい。すっと液晶石に目を落とし、星マークがついている人の名前を見た。

 そこに、気になる名前を見付けた。

「……今川、調……?」

 だが、一体なんの名前だったか思い出せない。ううんと唸っていると、隣のイヴがあっ! と大きな声を出した。

「シラベ・イマガワ! あれっすよ! ディソナンス研究の天才児! 最近、学院で聞いたっす!」

 それを聞いた羽原さんも、あぁと思い出したように声を上げる。

「そうじゃそうじゃ、ノイエの魔法生物研究ですごい学生がいるんじゃよ。はあ、あの子も被害者だったのじゃな、そらぁ、ますますなんとかせねばならんなあ」

「……ああ!!」

 その情報で、漸くその名前が、先程青葉が言っていた『最新の研究内容』である、"ディソナンスの魔力は人格者の排出する魔力に似ている”という研究結果を出した少年の名前であると思いだした。

「……誰が被害にあっていようと、ディソナンスは消滅させねばならないが……」

 液晶石の中身を、俺は拡大する。

「今川調くん……彼は、重要参考人になりそうだな」

 そう呟いて、今の時点で見落としがないように、しっかりと熟読する姿勢に入ることにした。

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