教育プラン

「どうしてなの」

「この時点で察して下さい。こっちは疲れてるんです」

「まあいいわ。あなたたちが言えばあの子も言う事を聞くでしょうから」


 祐介を浅野さんに任せて帰らせたことにぶつくさ文句を言いながら、念願の対面へと持ち込んだ彼女の顔は不機嫌そうでもなかった。

 駅ビルのすぐそばにある喫茶店に入った藤木玉枝はこっちの注文も聞かずにブラックコーヒーを四人前頼み、藤木康介と共に私たちを強引に座らせた。


「で、祐介はどうしてるの」

「浅野さんが面倒を見てくれます」

「そうじゃなくて、学校生活は」

「大変順調ですけど」

「具体的にどう」

「詰問される覚えはありません」

 質問でも尋問でもなく詰問と言う言葉をぶつけても、二人ともちっとも動揺しない。まるで最初からそう言われるのを先刻承知であるかのようにコーヒーを口に含み、ゆっくりと嚥下する。

「そんなにカリカリしてどうしたの」

「四六時中カリカリしている人に言われたくありません」

「やあね、私が少しでも隙を見せればあなたを取って食おうとしてるみたいに」

「違うんですか?」

「もう、私たちってそんなにも信用されてないんだ、悲しいわ」


 嫌味のつもりで素直に驚いたのに、そっちがそうならこっちも返してやるとばかりに素直に視線を伏せて来る。


「これだけでも私があなたの家に嫁がなくって良かったってわかりますね。少なくとも祐介を育てる段階で衝突して両者共倒れの結末しか見えません。夫は優しすぎて文字通り優柔不断のどっちつかずにしかなりませんから」

「そんな事、そんな事……」


 夫は必死に意見を述べようとしているが、その度に母親の視線が飛んで来る。

 あの時とちっとも変わらない、ヒツジの皮を被ったオオカミの目線。


「これは私からのプレゼントなんだから飲んでいいのに」

「車内でジュースを飲みましたので要らないです。って言うか話が済んだんなら帰りますけど」

「これはね、あなたの将来にも関わる話なの。黙って聞きなさい」

「ただでさえ部下を待たせてるんです」

「1億円が欲しくないのか」

 

 そこに割り込む、大企業の重役様から出た単語。


 1億円とか言う、それこそ庶民には手の届かない金の額。


「1億円で何を釣る気ですか」

「私たちにはお前しか子どもはいない。その意味が分かるな」

「わかりますけど」

「だったらまずは呑め」

「要らないと言っています。って言うか1億円なんてどうやって作ったんです」

「重役になればできる」

 あっけらかんと自分の出世栄達をひけらかすその有様と来たら、文字通りの似たもの夫婦だ。

「で、その1億円を武器に何をさせる気ですか」

「譲、あなた今やメタルミューを作った人間としてもてはやされてるそうじゃない。やっぱり私たちの目に狂いはなかったのよ」

「自慢話はみっともないですよ」

「自分の自慢じゃないし」

「やめてください!」

 許されるものならば今すぐコップの上の水をぶっかけてやりたかった。

 そりゃこんな風に身内自慢をしてくる人間は山と居るが、元々の水準がマイナスと言う時点で嫌なのにさらにそこにおっかぶせて来る物だからさらに気分は悪くなる。それこそああはいはいで受け流せればどんなに気楽かわからないが、義父母ともなるとなかなかそうもいかない。


「いい加減本題を話してください」

「祐介はどうしてるの」

「さっきも言いましたよう浅野さんが」

「そうじゃなくて、塾とか通信教育とか受けてるの」

「何にも」



 そして、私が焚き付けてようやく本題に入って来た。



「そのために僕らを呼び止めたんですか」

「何より大事な事じゃないの。あの子の成績ってどうなの」

「人様に馬鹿にされない程度には頑張ってますよ」

「具体的な数字を言って」

「ゼロから百点の内のどれかです」

「譲に聞いてるんだけど」

「ゼロから百点の内のどれかです」


 夫婦そろって腕組みをし、めちゃくちゃわざとらしく欠伸をしてやった。



 やっぱり、これなのだろう。


 この二人にとっての最優先事項は。


「きょうび、いや譲さんが小学校の段階でそんな点数至上主義なんて過去の遺物だったと思いますけど」

「私はそんな事を言いたいんじゃないの、毎日何時間ぐらいお勉強してるのかって」

「言ってる事変わってませんけど」

「変わってるだろうが」

「まあ宿題をしないなんて事はないですけどね、あとはあまり長くないんじゃないですか、せいぜい真面目にやっても一時間ぐらいで」

 まともに話を聞く気なんかないですけどとさっきから言っているのに、二人ともしつこい。でも下手に追い返せば私の家までストーカーされそうで、何とかして話を付けなければならない。


 だからふと思った適当な時間を言ってやると、二人してため息を吐いた。


「政美さん、あなたはうちの子がどれだけ毎日お勉強して来たか知ってるでしょう?」

「私が一緒にやってましたから知ってますけど」

「毎日毎日、三時間以上よろしくやってくれてたじゃない。その事をすっかり忘れちゃった訳?まさか釣った魚にエサはやらない主義?」

「人を何だと思ってるんです?それにあれはお互い様です」

「そんなんじゃ他の子に祐介はバカにされるわよ」

「祐介の友達は二ケタいますよ、お友達はね」


 祐介はその点、夫は無論私よりもかなり優れている。

 それこそクラス中の人気者であり、バレンタインデーにはチョコレートをもらうような生活を送っているのは一体誰に似たのかわかりゃしないと夫とも苦笑していた。そんな人間をバカにするような存在はいるかもしれないが、友達が多い=味方が多いでありそれにうかつにケンカを売ればそれこそ自分が孤立する。もちろん嫉妬心に駆られる人間が多いのはわかっているが、祐介はそんな存在をも味方に入れるだけの力があると私は信じている。実際その中で成績が良さそうな子と仲良くして、私たちと同じように共に成績が上がって行けばいいとか言う虫のいい二番煎じを考えているのは事実だった。


「二ケタ?話を盛るんじゃないわよ」

「盛ってた方が都合がいいんですか」

「二ケタって言うなら会わせなさいよ。私たちがどうやって祐介の父親を育てたのか聞かせてあげなきゃいけないから」

「失敗体験を聞いてどうするんです、ああ今流行りの奴ですか」


 夫はわずかに首を縦に振るだけ。

 自分が失敗作の代名詞みたいに言われているのに、ただそれだけ。


 そんな夫に対する不満は、何もない。

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