「社長になり損ねた男」
「夫は今何をやっているかわかってるんですか」
「立派な企業のサラリーマンでしょ」
「オモチャを作ってるんですよ」
—————オモチャを作ると言う事もまた立派な仕事ではないか。
その理屈を論破できるもんならばしてみろと思わない訳でもないが、この人たちを見ていればそんな真っ当な理屈が通らない事などわかっている。
おそらくこの二人にとってオモチャとは木の香りがするような暖かくきれいな物であり、金属の冷たい臭いがするそれはオモチャではないのだろう。
メタルミューなどはそれこそ文明の固まりのような金属と半導体の集合体であり、オモチャとしては論外のはずだ。
「あのね、なんだか私たち誤解されてみたいだけど」
「されてませんよ、木村さんが言ってたように見栄っ張りだって」
「見栄っ張りがスーパーの半額セールに必死になって並ぶと思う?」
「思います。常務夫人になってなお節約生活をしている自分は美しいですか?って言うか未だにそんなことやってるんですか?」
「まずいの?」
庶民的と言う言葉を悪い意味で使っている話はめったにないが、彼女のやっている事は正直面白くない。
常務夫人様として、既に一億と言うお金を貯め老後資金としてもう十分なはずなのになお爪に火を点すような暮らしをされていては庶民たちからせっかくの勝ち組なのにそんな事をしなければならないのかと失望を受けるし、あるいは庶民様の食い扶持を奪っているのかとも揶揄される。
「私たちはとにかく、絶縁したつもりでいたので」
「何を言うか、私は祐介の祖父だぞ」
「祐介の祖父は平田基樹だけです。仕事ができなさそうな常務様は祖父じゃありませんから」
私の口はどんどん悪くなって行く。藤木玉枝だけでなく藤木康介にも、反撃と言う形ではあるが牙を剥く。かつてそれなりに女の子らしく過ごして来たはずなのに、それでも私の心の中の悪い私が舌を動かす。
「仕事ができないのにどうして常務になれたの!」
「私が言ったんじゃありませんけどね、関社長のお父さんですよ」
関健太郎の父親は当然ながらこの二人と年が近く、親同士そこそこ交流もあった。いや、それだけではなく企業同士のつながりもあった。
関健太郎の父親にとって藤木康介は子どもの同級生の親なだけでなく、あるいは取引相手にもなりうる存在だった。
そんな事をこの人がわからないはずもない。
「どうしてだね」
「ゴルフに行った事あるでしょ」
「それが何か」
「その時のあなたを見て、関社長のお父さんはあなたに少し失望したって言ってましたよ」
夫には全く無援かつ不得意な世界だが、接待交際と言うのはどうしても必要だ。
気取らない場だからこそ人間の本性は見えやすく、それによりこちらも態度を変えるのはそれほど不自然でもない。そんな場でこそ相手に気に入られるべく仕事と同じように気を遣わねばならないのは本末転倒かもしれないし、何も知らない私たちから非難を浴びる事を思うと本当に大変な仕事である。いっそ夫のように最初からそういう事はできないと示していれば楽かもしれないが、面倒だからの理由で作為的に逃げようとすれば卑怯者の三文字が飛んで来る。許されるのは、天然物であるからだ。
ここからは数年前、祐介が三歳になったぐらいの頃の話になる。
社長になったばかりの関健太郎さんと木村さんと、夫と四人で吞んだ時の事だ。
「しかしお前が社長とはな」
「まあね。和也こそもう店長だろ」
「長って付かないのは譲だけか」
「僕ももう係長だよ」
健太郎さんはこれから多大な責任を負わされると言うのに全く肩ひじを張らず、楽しそうにお酒を飲んでいた。これこそ友人のあるべき姿であり、夫もその時は少し笑っていた気がする。あるいは笑わせてしかるべきはずの夫の空威張りめいた言葉にも、決して嘲笑ではない笑い声が返って来た。
「しかしあんな人の息子が係長とはね」
「康介さんが何か」
「ああ、もう十五年ほど前だけどね。ゴルフ場でうちの父がキャッチモンの話をしたって」
キャッチモン。キャッチザモンスターの略称だ。
その時私は中学三年生だったが、キャッチザモンスターの人気はちっとも衰えていなかった。同級生たちは表向きにはあんなガキっぽいもんとか言っている人間はいたが、それでも女子たちの間ではキャラグッズとしてはまだまだ人気はあったし、純粋にゲームとしてもやっている男子はかなりいた。そして十幾年が経って教師として中学校に戻って来て、キャッチモンの地位がさほど変わらない事にほんの少しだけ驚きもした。
「で、どうしたんだよ」
「えっと……何ですかそれだって。キミの息子ってうちの息子の同級生だろ?って父さんは言ったんだけどさ、康介さんは二百種類以上ある内の一個もキャッチモンの名前を言えなかったんだって」
「なんか歌なかったか、キャッチモンの名前をネタにした」
「そうそれそれ。流行ってたよな、譲を気にして歌えなかったけど」
「ごめん…」
あそこまでキャッチモンを目の仇にしていた両親に囲まれていた夫は当初いじめられていたが、私が成績を上げるとだんだんとやみ、女の子とよろしくやってるんだよとはやし立てた連中もあの事故未遂をきっかけに黙りこくった。
「僕も驚いたよ。小学校時代譲があんな目に遭ってたからちょっとは反省したのかなって思ってたんだけどね、そうしたら結果がこれだよ。せめてグララットぐらいは言えるかと思ったのにって父も言ってたし」
「グララットも知らねえのかよ、俺の親父とお袋でさえも知ってたのに」
「そうなんだよ、で、譲には悪いけどさ、それがきっかけで譲のお父さんうちの担当じゃなくなったんだよね。子ども同士の事もあるからややこしかったってのもあるけどね」
食品会社である以上、キャッチザモンスターと言う子ども向けのドル箱コンテンツと関わらない訳に行かない。
実際藤木康介が常務を務めている会社の商品としてキャッチザモンスターの名前が付いたそれが売られているのを、この前見かけた。コンビニについては言うまでもない。つまり藤木康介も藤木玉枝も、キャッチザモンスターの恩恵に預かっているのは明白だ。
「それで康介さんは…」
「でも出世はしたんだろ?」
「うん、僕の高等専門学校の学費を払えるぐらいにはね」
「でもさ、もしずっと健太郎のとこと一緒ならもうちょい出世早かったんじゃねえか?」
「それはわかんないね」
健太郎さんは笑っていたけど、それでも健太郎さんから夫とその両親の事をそれとなく聞いていた身からしてみれば改めて藤木康介とその妻がどの程度の存在かわかってしまったとも言えよう。そんな人間とあまり取引はしたくないとなり、結果的に藤木康介は健太郎さんの父親の会社の担当を外されてしまったのは本当らしい—————。
「もしその事がきっかけで出世が遅れたと言うのならば、そうでなければあなたは今頃社長だったかもしれないと言う事です」
そんな訳があるかと言わんばかりに康介さんはカップを音を立てないギリギリの速さで置くが、こっちにひるむ理由は何もない。
だって、まごう事なき真実なのだから。
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