第五章 病、膏肓に入る

不意打ち

「楽しかったね」

「まさか僕まで泊めてくれるとは思いませんでしたよ」

「ビジネスホテル代どうするんです」

「そっちのおじいさんおばあさんに渡したって言っときますよ」


 お盆休みを盾に帰省した私たち。

 喧騒にまみれと言うほどでもない中途半端な都会から、はっきりとした田舎への旅行。

 今回は二日ほど滞在したがその空気はいつ吸っても新鮮であり、通勤時間のやや長くなったはずの父も生き生きとしており、母は五歳ぐらい若返ったとか言っていた。五歳若返ったとしても五十八だけど、確かに皴は増えている気がしない。私などは現在進行形で皴も白髪も増えているが、あるいはこんな暮らしをすれば化粧品に頼らずとも減るのかもしれない。もちろん田舎特有の濃密な人間関係をどうにかしないと逆に苦労も多くなるだろうが、私の両親ならば大丈夫だろう。

「しかしよそ者でさえもあんな扱いをしてくれるとはね」

「おじいちゃんおばあちゃんはママしかいなかったから、男の子が欲しいって」

「課長じゃ足りないって、まあ人間ってみんな欲張りですよね」


 そして親子三人川の字と夫婦二人、浅野さん。

 私が夫を成功させた存在として言い触らしていたおかげか父母とも受けがよく、康子さんがビジネスホテル代とか言って渡していたお金を出していたおかげか、普段夫や祐介がやるような手伝いをしていたおかげかあっという間にその懐に入り込んでいた。そのせいか他人連れの気分など全くなかった。

 そしていつものように私と浅野さんの家への最寄り駅へとたどり着き、この場で別れの挨拶をして日常に戻る。


 またいくらでもがんばれそうな気がした。




「譲」


 そんな私たちに声をかける存在と言えば、浅野さんの妻の康子さんぐらいしかいないはずだった。


 だがその声はとても二十八歳のそれじゃない。

 女性である事は間違いないのだが、アラフォー、アラフィフ、いやもっともっと重たくて太い声。

 そしてその声と共に、私たちのバカンス気分は吹っ飛んだ。

「社長夫人さん、どうしてこちらに」

 浅野さんのジョークもこの時ばかりはうまく行かず、夫もまた硬直してしまっている。

 一応社長夫人と言う単語で何人か反応する人間はいたようだが、その先に立つ存在が社長夫人と言う言葉を示すにはあまりにも不適当だった。


 服装は数年間着古したファストファッションとまでは行かないが両親が住んでいる商店街の洋品店で買ったような、質素と言うより貧相なそれ。手にはハンドバッグではなくアタッシュケースを持ち、白髪こそあるが少数。


 それに何より、その顔が社長夫人と言う単語のそれではなかった。


「まったく、どうして実の母を数年間も置き去りにするの」


 実母を名乗る女性は、口元を無理くりに歪ませながら私たちに歩み寄って来る。目一杯笑顔をとしているのだが、どっちかというととしているのが正しいのがすぐわかった。

 祐介はとっさに浅野さんにしがみつき、目に涙を溜めている。


「ねえ祐介、おばあちゃんよ。あなたのおばあちゃんよ」

「…ケチ」

 優しい祖母を気取っているのだろうが、孫の言葉は全く容赦がない。

 か細くはあるが必死に相手の存在を非難するその声は、もう一人の祖母と相対した時とは全く別のそれであるを語るのに十二分だった。だと言うのに相手はまったく怯む事なく歩みを止めず、ただ自分の孫を掌中に収めようとしている。


「何の御用ですか」

「他人は黙っててくれます?これは家族の問題なんです」

「僕は平田課長の部下です。平田さんちの帰省に付き合うほどの仲です」

「しょせんは数年間のお付き合いなんでしょう。さあ祐介、私たちの所へ来なさい」

「李徴さんの出番じゃないんですけど」

 その孫がすがりつくのに答え割り込もうとしている所に引っ込んでろと言わんばかりに迫る老女と来たら、本当に醜い。

 浅野さんの言う通り李徴のように眼光のみ徒に炯炯として、とても接客業で地位を得た人のそれとは思えない。


「せっかく有給休暇を割いて帰省したんです。邪魔しないでくれます」

「帰省!そうよ、なんで私たちの所に来ないの!あなたはもう十分に立派になったんだからその顔を見せてくれても!」

「見せたくないです」

「何よもう、ほら祐介、おばあちゃんならもう一人いるでしょ」

「やだ」

 夫から他人行儀な言い草で拒否され孫からやだと言われても全く揺るがない。

 サングラスをかけていても平気で人を焼けそうな眼光をしているのに全く気付いていないのか、それこそ曲がりもしていない腰をくねらせ優しい祖母をアピールしているのだとしたら本当に面白い。

 コントとして、だけど。


「あのね政美さん、確かに譲は平田家に婿入りしました。ですが藤木家はあなたにとって義実家です。それなりの礼と言う物があるはずです」

「お互い不干渉なのが最大の礼だと思いますが。帰ってくださいこのストーカーおばさん」

「何を言ってるんですか、先人の言葉を無視するなど」

「先人の言葉ならば私の実父母から十分聞いております」

 どんなに淡々と拒否しても近寄るのをやめない。なるべく無感情に拒否の姿勢を見せているはずなのに聞き入れないその姿勢と来たら、まさしくストーカーではないか。直接的にその単語をぶつけても、藤木玉枝と言う人間には効果がなかった。

「誘拐でもする気ですか」

「譲、あなた自分が何言ってるかわかってるの!そんな言葉使っちゃって!」

「祐介の保護者は僕と政美さんですよ。あなたじゃありません」

「なあ譲、少し話がしたいんだ」

「何を…」

 ならばとばかりに夫も立ち向かうが、玉枝は全くひるまない。

 それどころか、第二の存在に口が動かなくなってしまった。



「ありゃもしかして、藤木康介常務じゃありませんか」



 なるべくすっとぼけた調子で浅野さんは言ってのけるが、場の緊張はちっともほぐれない。

 藤木康介と言う大企業の重役様が、おそらく有給休暇とは言えこんな平日の昼間からなぜここにいるのか。それだけで重大事であり、さらに私自ら口にしたとは言え平田譲が元藤木家の人間であったと言う事も既に示されている。


「君は誰だね」

「ご紹介させていただきます、平田課長の部下の浅野って言います。祐介君のもう一人の爺さんですか」

「そうですかこれは失礼。うちの息子がたびたび世話になっております」

 

 やけに真面目くさった顔をして別企業の社員である浅野さんに浅野さんの倍以上の角度で頭を下げるその姿は、ビジネスマンのそれだった。

 こっちが家族同然の扱いで一緒に私の実家に泊まった事など知った事かいと言わんばかりであり、たとえ知っていたとしても何も変わらなかったことがすぐわかる。

 そして妻に従うかのようにこちらの出口を塞ぐように立ち、話すか殺すかの二択を迫っている。実に卑怯な夫婦だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る