第35話 希望
リュウの両足は、毛足の長い絨毯に沈んだ。
高い天井。若竹色でまとめられたインテリア。そしてたった一人の主のために惜しみなく灯されるマナ灯。一度だけ、ほんの数分だけ侵入したこの部屋を、リュウはよく覚えていた。
あの時と同じ長椅子に腰かけて、美しき女王が待ち受けていた。今回の彼女は目をしっかりと見開き、転送魔術で現れたリンドウ・リュウを迎える。女官はおらず、衛兵はドアの外に下がっている。
貴人と罪人が緊張した面持ちで向き合う様子は、この部屋の優しい色合いと不釣り合いだ。
先に口を開こうとするリュウを、女王が片手で制した。
「次の公務まで時間がない。手短かに伝える。そなたは宛先不定の転送魔術を二度に渡り行使した罪で、終身の禁固刑となった。死刑を避けたのは左大臣の差配だ」
罪の重さは死刑に相当するものの、魔道士および異邦人としての価値を利用するための措置だった。
「わが力をもってしても、これ以上の減刑はできぬ。認めよ」
「はい。仰せのままに」
罪を認め、懲罰を諾として受け入れたリュウの顔は、硬かった。
反対に女王は、厳しい表情を崩してにっこりと笑った。
「ここまでが女王としての言葉よ。ここから先はわたしのお話。あなた、地下牢から脱出できたってことは、ツツおばあ様に会えたのよね?」
リュウが首肯するのを見て、キャサリンは続けた。
「よかった。私があなたに会いに行くわけにもいかないから、ツツおばあ様の寝床を替えたのよ。いつかおばあ様とあなたを会わせる必要もあったしね」
「陛下があの方を僕のもとに差し向けてくださったと?」
「びっくりしたでしょ。魔道省の再生研究室に、ツツおばあ様は自ら体を差し出されたのよ。いつの日か、かの世界へ帰るために若返って寿命を延ばしたいって」
「再生のマナと思われるものは見つかっているけれど、魔術として未完成では……」
「そうよ。でも完成を待っていたら老いて死んでしまう」
「空沼うつつ様のようなお立場の方の体を利用するなんて信じられません!」
「もちろん、素性は伏せています。身寄りのない移民の浮浪者ということになっているわ。だから牢が寝床なのよ」
「人体実験……。陛下はそれを止めなかったんですか!?」
「おばあ様が望んだのよ」
非道だと感じ、とがめる口調で詰め寄ったが、本人の申し出だと言われると返す言葉がない。
「おばあ様の言葉をお聞きになった? いつか元の世界へ戻れるって。リリジャール様が約束したって」
「ですが、師匠はもういない……」
「あれね、おばあ様は『リリジャール様が元の世界へ戻してくれる』とおっしゃるけれど、おそらく正確ではありません。『元の世界へ帰れる』ということをリリジャール様が約束したのよ。誰が実現するかについて、リリジャール様は言及していない」
キャサリンは、自分の発言をリュウが理解するのを待った。
「ほら。あなたは魔道士なのでしょう。声に出して言ってごらんなさいな」
「う、空沼うつつは元の世界へ帰れる……」
リュウの耳には、自分のかすれた声が他人のもののように聞こえた。
キャサリンは長椅子から立ち上がり、軽やかな笑みを浮かべてもう一押しする。
「続きは? あなたのことは?」
「で、でも、転送の魔術で
リュウは正面から答えなかった。怖いのだ。
「ふふっ。あなた、たぶん、自分が戻れるかどうかを言葉にして確かめたことがないんでしょう。自信がなくて」
「くっ……」
キャサリンの挑発に、リュウは歯噛みした。その指摘は事実だった。
「
「……」
リュウは自分を抱きしめるように、左手で右の上腕をつかんだ。下ろした右腕の先は、拳を強く握っている。
「さあ、言ってみて。未来のことを」
魔道士は深く息を吸い、おそるおそる声帯を震わせた。
「僕は……元の世界へ……帰れ、る」
恐怖に逆らい、蚊の鳴くような声で最後の一音まで言い切って、残った空気を肺から吐き出す。
「よくできました!」
キャサリンは、幼子にするようにリュウの頭を優しく撫でた。希望を得たというのに、みじめな気分になったリュウは足元を見つめる。
「だからわたしはあなたを支援するのよ。他の世界を知りたいの」
「ありがとうございます。しかし僕はこれからどうすればいいのか……」
キャサリンは大きなため息を吐いた。
「あなたね、帰りたいと言うけれど、いつまでに帰りたいの? 十歳だったあなたはもう十八でしょう。研究ばかりしてないでさっさと動きなさい。お金も立場もわたしが何とかします」
「このままでは一生、禁固刑で……」
「それをかき消すほどの善き行いをすればいいのよ。具体的にはわたしの計画に協力なさい。成功したら恩赦を与えますわ」
この後、リュウは脱獄囚として身を潜めながら、左大臣マーク・マロリーの不正の捜査に協力することとなる。
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