第14話 親書





「郵便でーす。封筒が届いてますよー」


 ハーピストの加藤が、どうも彼女のトレードマークらしいフレアースカートを波打たせながら、小レッスンルームに入ってきた時、ちょうど巡理は席を外していた。給湯室へ紅茶を飲みに行っていたのだ。

 加藤はきょろきょろと室内を見回す。


「あら? バスとチェロって、今日はここで合同よね?」

「そうですよ。楽はあの裏側で寝てます」


 佐久間が手を止めて、ボゥの先で奥に片付けられたデスクの山を指す。見れば隙間からバスのネックが飛び出している。


「寝てねぇ!! 楽譜読み込んでんだ!!」


 床に直に腰を落としているらしい楽が叫ぶ。加藤はくすくすと笑い、佐久間も苦笑しながら肩をすくめた。


「封筒? 郵便なんてめずらしいね。誰宛ですか? 加藤さん」


 先日の公約どおり、黄色いヘアーバンドで髪をまとめていた澄がチェロを椅子に立て掛けながら問うと、その姿を見た加藤はひとしきり笑ってから「仁名よしなさんによ」と封筒をふってみせた。

 ミーティングを終えた後は、楽団は各パートに分かれて練習を行うことになっている。その日もいつもと変わらずパート練習が行われていた。

 加藤から澄が封筒を受け取る。たまたま澄が入り口近くで練習をしていたからだ。十朗は窓際で譜面を睨みつけていたため、「じゃあ、渡しておいてね」と加藤が言うまで、彼女が部屋に現れたことにも気付かないでいた。

 加藤が立ち去ると、澄は表の宛名書きの面にさっと目を通した。


「へえ、親書になってる」


 ベースとチェロは基本的に別室でレッスンをする。この日は、たまたま、ベースパートとチェロパートが同ラインを奏でる部分の合わせにあてていた。


「十朗君」

「え」


 名を呼ばれて始めて我に返った十朗を、澄は手招きで呼んだ。十朗はチェロとボゥをイスに立てかけ、澄のもとへと近づいた。十朗も先日の約束通りに眼鏡をかけている。黒セルの下リム。グラス幅は狭い。小洒落たデザインだ。


「なに? 俺になにか?」

「ううん。巡理さんにだって。加藤さんが今持ってきてくれた」

「え、手紙? 巡理に?」


 加藤から受け取った封筒を、澄が十朗に手渡す。

 宛名を見て、十朗が凍りつく。

 そこには、「柏木 螢」の名が記されていた。



 給湯室、と名がついているその部屋は、一種の休息スペースだった。ソファとテーブルが窓際におかれ、そこに注ぎ込む日差しは温かい。その豊かな空間を巡理が一人で占めていた。

 巡理がダージリンを注いだカップに口をつけ、一息つき、改めてソファに身を沈めたその時だった。バタン、と勢いよく扉が開き、十朗が中に飛び込んできた。そして、飛び込んできた時と同じだけの勢いと音で扉が閉められる。


「――どうしたの、慌てて。扉が壊れるわよ?」

「どういうことだ? これは」


 つかつかと巡理に歩み寄ると、十朗はバン! と音も高らかにテーブルの上に封筒を叩きつけた。表面の差出人名が見えるように。

 それをゆっくりと見てから、巡理は、ふう、と一息つき、紅茶のカップに口をつけた。


「……テーブルも、壊れてしまいそうね」

「とぼけるんじゃない。巡理。どういうことだと聞いているんだ」

「どうもこうもないわ。螢から封筒が届いた。それは見ればわかるでしょう?」

「これは……、これは、〈ドリフター〉のデータ書類じゃないか!!」


 巡理はカップの中に目をおとし、そっとテーブルの上にカップをおいた。そして、封筒に手を伸ばし、手に取った。


「あなた、親書と書いてあるのに封を切ったの?」

「そうだよ! 螢から書類が送られてくるなんて他に理由は考えられなかったからな! 宮川たちの目の前で開けるなんて愚行は犯さなかったぞ、もちろんな」

「それもわかっているのなら、もう何も言うことはないはずでしょう?」

「あるさ!」


 バン! とテーブルに十朗の両手が叩きつけられる。前かがみになり、巡理を睨みつける。

 その目を真っ向から巡理が受けとめる。


「現場に〈ドリフター〉の書類を送らせるなんて……。何を考えてるんだ。そもそも、これはお前自身が廃止したやり方だろう。こんな危険なことはないと言って。これは――」

「そうよ」


 十朗の言葉を、巡理は切り落とすように遮った。


「――これは、仁統みすみのやり方。仁統が構築した手法。私の愛する双子の妹が実施していた、第一システム期に利用されていた方式」


 淡々と答える巡理に、十朗は戦慄した。

 連絡手段に紙面の文書を用いるのは危険だと言い、巡理は書類の郵送を禁じた。出立前に全てのデータをそろえ、それを完全に記憶してから現場に出る。巡理はそれを十朗にも徹底させてきた。

 その巡理がこの旧式の方法をとった。

 ――それに、そうせざるをえない理由がないはずがない。

 ことこと、と音がなる。ポットの中の湯が再沸騰し始めた音だ。

 ふい、と巡理が十朗のほうへと向き直った。


「ねぇ、十朗。あなた、もう薄々感づいているのではないの?」

「――……。」


 巡理が、じっと十朗の目を覗き込む。奥底を覗き込むような巡理の目に、十朗はたじろいだ。

 そう。巡理の言葉どおり、十朗は薄々そのことに気付きはじめていた。


「ここに到着した初日に、私があんたにリーディングとリリースをしないでと頼んだのは、なぜ? あんたのここに対する感想を、はっきりと言葉にさせたのは、なぜだと思う? なぜあんなにも執拗に、ここの人間たち全てについての所感を語らせたのだと思う?」

「うそだろう……?」


 十朗の、懇願するような、今にも泣き出しそうな顔に、巡理は首を横にふることで希望の欠片をかき消した。


「この世界には、複数の〈ドリフター〉がいる。いえ、はっきり言うわ。ここにいる人間は、全て〈ドリフター〉なのよ」


 十朗の目を見すえる、底の見えない巡理の目。獣の眼差し。


「まさか」


 巡理の目が、深くふかく十朗の心の奥底にまでもぐりこんでくる。そして、十朗ですら視界の届かない一番底の部分に、そっと、いともたやすく手を触れさせる。ふわりとなでる。十朗の全身が不安で充満する。



「十朗。ここは、音楽を愛する〈ドリフター〉がこぞって集まった世界なのよ。特に、クラシック音楽を専門でやってきた、もしくはやりたかった、やっていたけれど諸々の事情で断念せざるを得なかった、でなければ、、そんな人間が大勢集まっている世界なの」



 巡理は、そこまでを一息に言うと、深い溜息を吐いた。

 重い沈黙が二人の間に落ちる。

 十朗は、額に手を当て、首を横に振った。


「そんな世界は……そんな世界は知らない。ありえない。今までそんなケースは存在しなかった」

「だから、これがその最初のケースになるのよ」

「お前が今回、データも出揃わないのに、この『唯一の交響楽団』へ来ることを承諾した理由は、それか? 存在する全ての人間が〈ドリフター〉なんて世界で、全ての〈ドリフター〉の正体を探りきるなんて土台無理なことだったからなのか……?」

「それも、ないわけじゃないけどね」


 巡理が立ち上がり、カップを手に取る。


「十朗。これから恐らく毎日、ここにいる〈ドリフター〉たちのデータが書かれた書類が螢から送られてくるわ。これからも別に勝手に親書を開けても、私はあなたを処罰しない。でも、他の誰にも見せてはだめよ。わかっているとは思うけど。中身を見たら、その後でちゃんと私に渡してちょうだい」


 まだ中に残っていた紅茶を流しの中に捨て去ると、巡理は備え付けのスポンジでカップを洗い出した。

 十朗は頭を抱えた。考えがまとまらない。こんなことは想定外だ。こんな世界は想定外すぎる。


「十朗」

「――……。」


 巡理に呼ばれていることはわかっていても、返事をすることすら億劫でならない。ややあって、小さく巡理が溜息を吐いた音がした。


「――十朗、よく聞いてちょうだい。あなたは、ただチェリストとしてここにいればいい。表面上はね。私はこれからここにいる人間たちと少しずつ接触していくわ。自分たちがここにきてしまった理由と、ここが本来いるべき世界ではないのだと気付けば、一人ひとりと減ってゆくはず。そうすれば、真の〈ドリフター〉が最後に残るはずよ」


 十朗は、のろのろと顔をあげた。


「真の……?」


 巡理は、ふっと笑う。


「いくら、ここにいる全ての人間が〈ドリフター〉だからといって、基盤となる世界を作った人間は、もちろんたった一人でしかないのよ。それはいつもと同じ」


 どさり、と十朗が身体をソファに投げ出す。


「こんな仕事は、これまでなかった……」

「そうよ。これは大仕事なの」


 洗ったカップを水切りの上におくと、タオルで手をぬぐい、巡理は扉へと歩いていく。

 その背中を目で追いながら、力ない声で十朗は問いかけた。


「――巡理。お前は、こんな仕事を一人でやりとげるつもりなのか?」


 巡理は扉のノブに手をかけた。そして、ぽつりと小さくつぶやいた。


「これはね、私にしかできない仕事なのよ。他の誰にも、任せられないの」

「――俺であっても、か」

「ええ。だめよ」


 明確な切り捨ては、二人の間に沈黙を落とす。ややあって、十朗は頭を抱えながら、ふっと小さく笑った。


「――じゃあ、黒マントが俺たちの思ってるとおりのヤツだったとしても、まだまだこの仕事は終わらないってことか」

「そうね。〈ドリフター〉が一人いなくなるだけのことね」


 混乱の最中、その一言が、虚しい安堵を十朗に与えた。





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