その小娘は出掛けるに当たって、万全の仕度をしています

 常宿御社とこやどるみやしろ神御祖神かみみおやかみが帰還されますと、その化身が着替えを用意して待っていました。

「母君、お出掛けの衣装はこちらで如何でしょうか?」

 常宿御社が用意していたのは、巫女服をモチーフにして仕立てられたスカートやパーカーをメインとしたファッションです。これなら街中でもちょっと物珍しい衣服くらいに思われるでしょう。

「うん、ありがと」

 神御祖神は鷹揚に頷くと両腕を肩の高さまでピンと伸ばして常宿御社が着替えさせやすい体勢を取ります。この小娘ときたら自分で着替えるっていう発想はないのでしょうか。

「ちがいますー、お世話好きな常宿御社のためにやってるんですー」

「はい、母君のお召し替えをこの手で出来るのはとても喜ばしく思っております」

 いつもながら、この妹ときたらただでさえぐうたらな小娘を更に甘やかすのですから困ったものです。

 小娘が元々来ていた喫茶店の制服を常宿御社が丁寧に折り畳んでいる横で、神御祖神は白い靴の丸まった爪先をとんとんと床で叩きます。

「母君、こちらに」

「ん」

 常宿御社が神御祖神に差し出したのは大振りなイヤーカフです。それはキラキラと輝く鏡の飾りと銀の鈴をたくさん垂らしていて、耳に引っ掛けるフックの曲線は鍵を模したようにも見えます。

 神御祖神はその神器を手に取って自分で右耳に掛けます。その拍子にしゃらんと鳴るのですが、耳元で鳴ったその音を神御祖神は嫌がるでもなく瞼を閉じて耳を澄ましました。

 このイヤーカフはわたし達三種の神器の分霊を一つに合わせた、言って見れば移動用の神体であるのです。

「どう?」

 神御祖神が訊ねて来たのはそのイヤーカフが似合っているかどうかではなく、わたし達三柱が依り代を通して権能を問題なく発揮出来るかの確認です。この小娘はお洒落とか全く気にしないのです。いえ、そんなものを気にされてもそれはそれで面倒なので構わないのですけれども。

『繋がってるよー。てか、天真璽加賀美あめのましるしのかがみってばちゃんと応えてあげないと珠結大神たまむすぶおおみかみが可哀想じゃない?』

「わたくしも仔細御座いません」

「まぁ、天真璽加賀美はいいよ、依り代用意しなくても世界の何処だろうと記録出来てるもん」

 世界の何処にいても貴女を捕捉しないといけないというのはストレスなのですけれどね。おいたしないようにするお目付け役じゃないのですよ。

『うん、あれね。がんば』

 八房珠鈴やつふさのたますず、自分が巻き込まれたくないからってあっさりと丸投げしないで頂けますか。

『そんなことない、そんなことはないよー。やー、珠結大神をずっと見ていられるなんてうらやましいなー、役得じゃんかー』

 さっきから棒読みが酷いですよ。

『もう見てるだけで止めようとしなければいいんじゃない?』

 そんな事をしたら世界がどうなってしまうか分からないではありませんか!

「いや、風評被害やめい。これからわたしはどう見ても良い事をしに行くんだからね」

「苦しむ人々の救済を成されるのですものね。ご立派でしてよ」

 こらー、そこー、常宿御社、その小娘の暴走を後押ししないでもらえますか。

「もう、天真璽加賀美が口煩いのに付き合ってたら時間がどんどん過ぎちゃうじゃない。とっとと戻らないと灯理とうりにまた勉強しろって怒られるから、もう行くよ」

 言うや否や、神御祖神がとんと右足で床を叩くとそれだけで周囲の景色が一変します。神御祖神が転移して来たのは北九州市のとある豪邸の目の前です。

 閑静な住宅の一角にあるお屋敷と言った風情ですが、わたしも神御祖神もこの一帯が屋敷の主に従う配下に住居のみが囲っている閉鎖的な領地であるのを知っています。

 普通に生活していればこの一画を偶然通る事もないように緻密に通行を計算して占められているのですから、一般の人影は全く見当たりません。

 そんな人気ひとけのない道路の上で神御祖神が右手を胸の高さまで持ち上げると、何処からともなく刃が擦れる音を立てて刃金はがねが一羽停まりました。

 いえ、舞い降りてきたのは一羽だけではありません。

 神御祖神を警護するように百近い刃金が辺りの屋根や、塀や、電柱電線、植木の枝、果ては地面にまでも羽を畳んでいます。

「さて、ゴミ掃除しよっか」

 美登のような純情な人間が懸命に働いた成果を巻き上げて私腹を肥やし勢力を拡大しているのですから、神御祖神が粛清に来た目の前の豪邸に住んでいる輩は、正しくヤクザの中でも悪辣で害悪なゴミ以外の何物でもありません。

 ただ、いいですか、ゴミ掃除するのに関係ない所に被害を出してはなりませんよ。地図を書き換えないといけないような事態にしないようになさってくださいね。なに刃金を百羽単位で連れてきているのですか、戦争でも始めるつもりですか。

「なに言ってるのよ。やるからには徹底的にやるのがわたしの流儀よ。根の一本も残さず潰して滅ぼしてやるに決まってるじゃない」

 ああ、どうしてわたしには悪辣に笑うこの小娘を止められるような化身が与えられていないのでしょうか。

 わたしの嘆きなんて何一つ気にせず、神御祖神が腕を振って放った刃金が立派な豪邸の正門を打ち破ってしまいました。

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