その悲惨な職場環境を聞いた神は、決意を固めて立ち上がりました

 森の中で佇むロッジに開かれたナチュラルカフェ『レモンダーリン&モンスターハニー』のウッドデッキに腰掛けた美登みとは注文したハニードリンクを前にして突っ伏していました。

 疲れ切ったその姿に、レモン色のグミみたいな質感でぷるぷる揺れる檸黄陀輪天レイオウダリンテンを抱えて向かいに座る蜜園みおんは呆れ顔でした。

 何度も『レモンダーリン&モンスターハニー』に通っている美登は第一層を抜けるのも慣れたもので、今では道も覚えて案内無しで短時間で辿り着けますので、こんなに疲れる理由がないのです。

「なにそんな疲れてんの?」

 蜜園は膝の上にる檸黄陀輪天を撫でながら美登に呆れ声を向けます。

 美登は頭を抱えていた腕の中から光の乏しい上目遣いを覗かせて蜜園を見ます。

「実は、こないだ大勢で難易度高いダンジョンにアタックしたんだけど、ちょっと死にかけて……三日間もダンジョンで遭難するの、もうやだよおぉ」

「えぐ」

 美登の声の暗さから、そのダンジョンがどれだけ危険なのかが察せられます。そんな場所で三日も遭難したというならそれこそ生きた心地がしなかったでしょう。

「なんだってそんな目に遭ったのよ」

「新人が多くて……マージン取って浅い層探索してたんだけどなぜか深層に出て来るようなヤバいモンスターが出て来て……ミノタウロスとか牛頭鬼とかああいうのなんだけど」

 美登の恐怖に共感したのか檸黄陀輪天がふるふると身震いしました。

 牛の頭をした筋骨隆々な巨大な鬼が斧だの鉄の棍棒だの持って探索者シーカーを叩き潰すのを目前にしては、新米なんて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑ったでしょう。

「それでみんなを逃がすのに頑張ったけど、気付いたら一人になってたし、道も分かんなくなったし、出入り口目指してもモンスターがいて迂回しなきゃならなかったし……」

「よく生きてるわね、あんた。えらいわよ」

 悲壮感を背負っていますけれど、今確かに目の前にいる美登には、蜜園も手放しで褒めます。わたしも称賛したいくらいです。人助けの末に窮地に陥ったという人の良さは尊いものです。

「うん……灯理とうりお兄さんに貰ったランタンで蛇さん呼んで、なんとか死なない道を案内してもらって、がんばって戦って……わたし、よくいまいきてるなぁ……」

 遭難中の恐怖がぶり返したようで美登がえぐえぐと泣き始めますと、蜜園が慌ててその頭を撫でて慰めます。

「てか新人連れてそんなとこ行くのってそもそもどうなのよ。拒否れなかったの?」

「……ギルドの新人研修で参加義務があってさ」

「くそじゃん」

 口性ない蜜園が明け透けに評価していますが、その内容については異論がありません。なんだってわざわざそんな危険な状況に新人を放り込むのでしょう。上層部は頭悪いですね。

「檸黄陀輪天のくれたエッセンスをちょっとだけ取って置いてよかった……あれがなかったら餓死してた……」

『ミトの命を救えたなら良かった』

「ダーリンもあんたを救えてよかったってさ」

 蜜園は檸黄陀輪天の声が聞こえない美登へ神の言葉を代弁しながら、掌に乗せた檸黄陀輪天を美登の方へと突き出します。

 美登もその弾力あるゼリー体に手を乗せます。神社の石を撫でてご利益を得ようとするご婦人のようですね。

「本当にありがとうございます。お陰様で生きて此処にまた来れました」

「あんた、ちょっと多めに持って帰りなさいよ。てか、ギルドに提出しない方がいいんじゃないの? ん? むしろ毎日ここに来て持って帰って出した方が安全か?」

「ううん、同じアイテムが続くと受け取ってもらえなくなるから」

「くそじゃん」

 何ですかね、その意味のないルールは。檸黄陀輪天という神のエッセンスだなんて、そこらのダンジョンで手に入るアイテムより遥かに高価でしかも目に見える絶大な効果を発揮するというのに、他の物を要求する意義がありません。値崩れでも警戒しているのでしょうか。

「意味のないルール守らせて相手を従順にするとか、昔から権力者が良くやる支配の法則よ」

 エントランスで美登の様子を見ていた神御祖神かみみおやかみが口を挟んできました。タブレットでシーカーレコード見ているだけなのですが、なんだわたしが仲介しなくてもやっぱり声聞こえているではありませんか。最初から自分で全部やってください。

「うるさいよ」

 小娘が不貞腐れて頬を膨らませています。貴女は美登の爪の垢を煎じて飲むべきではないでしょうか。少しは素直になれるかもしれませんよ。

 おや。タブレットを閉じて立ち上がっていますが、もう美登の観察はいいのですか。

「うん。やっぱりもうやることにした」

 神御祖神が静かに怒っています。いえ、美登の話を聞いて腹を立てるのも分かりますし、それ以前に調べた内容が胸糞悪いというのも良く理解します。

 神御祖神の感情的な性格を考えれば、今日まで良く我慢したと言えなくもないかもしれません。

「そう、今日は絶好の機会なのよ。美登はうちに来てるから巻き添えになる可能性ないし、灯理達も忙しくしててわたしを止めたり付いて来たり出来ないからね」

 貴女、常識と人間社会の平穏を大事にしてくれる灯理が手を出せなくなる機会を狙っていただけなのですか。どうせ後から怒られるのですからやる前に止めてもらった方が社会の受ける被害が少なくなって良いと思いますよ。

「止められたらなんも変わんないでしょうが」

「……おい、そこ。なに不穏な会話してやがる。なにやらかすつもりだ」

 カウンターとテーブルを忙しなく行ったり来たりしていた灯理が耳聡く此方の会話を聞き付けました。

 そんな彼に小娘がにっこりと胡散臭いくらいに良い笑顔を見せます。

「ううん、ちょっと必要なものがあるからちょっと帰るだけだよ。三十分くらいで戻ってこれると思うから心配しないで」

「そのいい笑顔が頗る不安だ」

 灯理は警戒を強めて神御祖神に詰め寄ろうとしましたが、客に呼び付けられて思わず振り返ってしまった瞬間に小娘はそそくさと常宿御社とこやどるみやしろへと移動して目の前から消えてしまいました。

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