その蛟はまだ若い個体のようで、神格の上下を弁えられていないようです

 近付いて来る龍の姿が見えてくると、灯理とうりがありありと顔を引き攣らせました。

みずちかよ!? まじで蛇系統の龍じゃないか!」

 日本の蛟と中国のこうとは漢字を共有しているだけまた別の存在なのですが、灯理が言っている蛇が長い時を経て変化へんげするのは中国の蛟の方ですね。

 灯理は日本や日本に近い文化の国でしか生活した事がないですし、他言語を勉強するのも得意ではなかったので、その辺りの言葉の使い分けが出来なくても無理はありません。

「やったね、灯理! 大当たりだよ!」

 そして小娘が灯理の心情を無視して大燥ぎします。貴女、そういうところですよ。

 蛟は中国の龍と言われて思い浮かべるそのままの姿をしています。しかし龍の幼生であると言われる通り、その体は龍としてはまだ小柄です。それでも頭だけで牛と同じ程度、細長い全長は十メートル弱もあるのですが。

 成長し切った龍だと単位がキロメートルは下らないので仕方ないですが、生き物として見ると十分に巨体です。

 蛟は灯理を視界に入れると空中に躍らせていた体を地面に這わせて、さらに加速して一瞬で目の前に伏せました。

 そうして蛟の巨大な瞳で上目遣いで見られる灯理は頬を引き攣らせてその巨大な頭を見下ろします。健気なペットのようですが、蛟が通過してきた木々は薙ぎ倒され、這った地面は抉れて、その巨体に見合った力の暴走が如実に残されています。

 灯理は蛟を前にしても動けないのに対して、らんが彼の肩から顔を覗かせました。

 そしておぶさるようにしてたゆんとした胸を灯理の背中に押し付けて、右手を前に伸ばします。

「眉毛が繋がってて、ちょっとかわいいかも。アニメキャラみたい」

 嵐は灯理の肩から突き出した腕の先で人差し指を伸ばして蛟の山成やまなりに二つ繋がった眉毛の形を空中になぞります。

 この娘は本当に怖いもの知らずですね。

「嵐、危ないからそんな気軽に指差すな」

 灯理が嵐の手を包み込んで突き出る指を隠します。

 突起物を向けられると、野生動物は敵意があると怯えて襲い掛かってくる事もあります。

 幸いにもこの蛟は灯理の神威にてられて平伏しているので、灯理の体越しに指を向けてきた嵐にもその動きを目で追って様子見するだけでした。

「うんうん、三人で乗るにはちょうどいいくらいのヤツだよね。デカすぎると背中によじ登るだけで大変だもんね。ほら、灯理、とっとと使役しちゃってよ」

「ふざけんな。むしろこのダンジョンにいるんだから結女ゆめの持ち物だろうが」

 小娘と灯理がお互いに蛟の所有権を押し付け合っています。

 下らない言い争いですが、そんなものを前にしても大人しく伏せて待っているこの蛟は偉いと思います。

 心なしか、灯理に向けている眼差しが何かを期待しているように見えなくもありません。蛟から龍に至るには千年掛かりますから、その間を生き抜く為の庇護を求めているのでしょうか。

「ほら、仲間になりたそうに灯理を見ているよ! 仲間にしてあげますか?」

「うるせぇ! 肉与えた覚えも一回倒した覚えもないわ!」

「お肉! 灯理さん、今日の晩ご飯はお肉ですか! お肉を塊で食べたいです!」

「嵐はちょっと黙ってろ、そういう話じゃない」

「めぇえ」

 灯理に窘められて嵐は途端に不貞腐れました。

 今の話の流れでどうして食事についてだと思ったのでしょうか。嵐は思考が食い気に偏り過ぎていて発言が読み難いです。

「むしろこの状態ならもう何もしなくても乗れるんじゃないのかよ」

 確かに灯理の言う通り、無理に使役下に入れなくても此方の言う事を聞きそうではあります。

「そっか!」

 そして単純な小娘が灯理の発言を信じて蛟に跨ろうと背中に向かいます。

「キシャア!」

 しかし小娘が視界の後ろに回った所で蛟は素早く頭を巡らせて威嚇してきました。鋭い牙を見せ付けて、それ以上近付こうとするなら噛み裂くと主張してきます。

「なんで!?」

 小娘が威嚇された事に動揺していますが、本当にどうしてでしょうか。

 先程まではずっと大人しくしていたのに急に態度を変えた理由が分かりません。

 これには灯理も訝しげに首を軽く捻ります。

「なんだこいつ。触られるのが嫌なのか?」

「そんな猫みたいな」

 さっきからずっと体をぴったりとくっ付けたままのカップルがそんな事を言っています。

 猫以上に野生動物は誰かに触られるのを警戒すると思うのですが。

 しかし蛟は小娘が動きを止めてこれ以上近付かないと判断すると、またくるりと顔を灯理に向けて上目遣いを再開します。

「ね、ね、なんだかあかりさんには撫でて欲しそうにしてない?」

「なんでだよ。おかしいだろ」

 神御祖神かみみおやかみは嫌がって灯理はむしろ触られたいというのは理屈が合わないと灯理は嵐の意見を退けますが、蛟の視線は熱心に灯理に向けられているようにも思えます。

「グルルル」

 それどころか、蛟は催促するように喉を鳴らしました。この生き物、喉が鳴らせるような構造をしているのですね。

 灯理はますます訝しみますが、試しに手を伸ばしてみました。

 すると蛟は頭を持ち上げて二本の角の間に灯理の手を誘います。

 あっさりと灯理の掌は蛟のつるりとした鱗に触れてしまいました。

「なんだこいつ」

 灯理は本当に意味が分からないと声を低くします。

「あ、こら」

 そんな灯理の一瞬の思考の隙を突いて、嵐が灯理の腕を這って蛟にまで手を伸ばします。

 灯理の心配を他所に、嵐の手が触れても蛟は大人しく受け入れています。

「え、なんで!? わたしは!?」

 さっき威嚇されたと言うのに小娘が懲りずに蛟に向けて手を伸ばします。

 しかし蛟は小娘が一歩踏み出す前に、ギン、と眼差し強く睨み付けて無言の威嚇を放ちます。

 今は灯理と嵐が触れているので声を出したら二人の手を跳ね飛ばしてしまうから無言でいるのかもしれません。

「おかしくない!?」

「いや、まじでおかしいだろ。上下関係どうなってんだ、こいつ」

 小娘と灯理が一緒になって蛟の態度の違いに頭を捻ります。

 しかし、上下関係ですか。成程、そういう事もあるのかもしれませんね。

「え、なに、天真璽加賀美あめのましるしのかがみ、なにか分かったの?」

 ええ、これは推測ではありますが。

 例えば犬を飼っている家庭ですと、人間では父親が最上位にあって母、子供、犬と順位があるとしても、犬から見ると自分の世話をしてくれる母を最上位にして子供と犬が同列、普段目にしない父親が余所者扱いで最下位というような順位付けをする事があるそうです。

 同じように、この蛟は灯理には絶対的な上位者であり庇護を受けたい相手であり平伏しています。そして灯理に身を寄せ合っても許されていて大切に守られているのが見て取れる嵐についてもそれなりの敬意を払っているのかもしれません。

「え、ちょっと待って。それ、わたしは?」

 貴女、蛟の目の前で叱られていますし、その後に怒鳴られていますよね。それを蛟は、貴女を灯理が叱責するような順位の低い個体だと勘違いしている可能性はそれなりに大きいと思います。

 この蛟、どうにもわたしの声も聞こえていないようですし、貴女が神霊の祖となる存在であると認識出来ていないのでしょう。

「はぁ!? わたしが灯理よりも下ですって!? ちょっと灯理、今すぐその誤解解いてよ!」

 小娘が蛟に人差し指を突き付けた上でぶんぶんと振って灯理に不満をぶつけます。

 そこで自分でやらないで灯理を頼るから上だと見られないのだと気付きなさい。

「……なんかもう疲れたから、こいつは野に帰して帰ろうぜ」

 灯理はすっかり気力を失くしていてぐったりと肩を下げます。

 本当にお疲れ様です。なんならそこの小娘は此処に置き去りにして嵐と二人で帰るのをお勧めします。

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