第2章 日常生活に慣れよう!

第7話 朝の身支度

(白米。これは主食。みそ汁。みそを出汁に使っている。魚。捌いて火に通したもの。魚の名前は……今度、好苦に聞くか)


 この世界──日本に来てから、2度めの朝食、4度めの食事。理解度が増した分、昨日よりも数段美味しく感じる。

 とはいえ、コーサラ国のものとは、全く違う食事だ。日常と受け入れるには、まだ時間がかかりそうだ。



 日本では、食事の前後で、特定の言葉を口にするのが作法だという。食べる前は「いただきます」、食べた後は「ごちそうさま」。出来れば、手を合わせるのが望ましい、と。

 違和感でしかなかったが、流離王はとりあえず言ってみた。


「おそまつさま~」


 老女──母親から、返答が返ってきた。当然、聞き慣れない言葉だったが、何故かすんなりと受け入れられた。

 話は逸れるが、どうやら日本では、母親も父親も老人ではないという。好苦からそれを聞いた時、流離王はかなり驚いた。


(かつて、わしがおった国では、人々はそう長くは生きられなかった。長い時を経て、人類は進化したのじゃな……)


 しみじみと思いながら、食器を洗い場に置く。その後、慣れた動きで洗面所へ直行した。歯ブラシを手に取り、歯みがき粉をつける。まだ少し抵抗はあるが、いずれ慣れなければならない。意を決して、歯磨きを始めた。

 口の中に、透き通るような感覚と、少し突き刺さるような刺激を感じる。頭は嫌悪感を抱いたが、身体には妙に馴染む。これも、「湖中瑠璃」という器に染み付いている、の影響なのだろうか。

 歯を磨き終え、口をゆすぐ。勢い良く洗面台に水を吐くと、ちょうど入ってきた母親に「そっとやりなさい! 汚いでしょ!」と怒られた。訳が分からなかったし、苛立ちもしたが、とりあえず流すことにした。いちいち気にしていたら、キリがないのは、昨日でさんざん学んだ。


 さて、次は。

 2階に上り、自分の部屋に入る。


「これは、。そして──」


 復習するように呟いて、取っ手を引く。中には、多くの衣服が立て掛けられている。


「これは、


 数ある中から、流離王は1つの衣服を取った。丈が長い、薄手の服だ。名前は分からない。首を傾げて、すぐにはっと息を呑む。

 迷っている暇はない。早く「制服」を見つけなければ。急いでクローゼットを漁り、数十秒後に目的のものを見つける。着られるかどうか心配だったが、そこは「湖中瑠璃」の習慣が助けてくれた。


「よし!」


 姿見の前に立ち、問題なく制服を着れているのを確認する。昨日のうちに必要なものを詰めた鞄を取り、流離王は足早に玄関へと向かっていく。

 玄関の扉を開けようとして、あることに気づいて手を止める。


『外出する時は、その言葉を口にするのが作法です』


「行ってきます!」


 好苦の言葉を思い出して、家の中に向かってそう告げる。すると、「行ってらっしゃい~」という返答が返ってきた。

 ──やり遂げた。日本での朝の生活を、問題なくこなせた……! 達成感の後、とてつもない疲労感が押し寄せてきた。このまま部屋に戻って、休みたいくらいだ。

 しかし、好苦と約束した以上、逆戻りするわけにはいかない。1つ息を吐くと、流離王は扉を開けた。


「おはようございます」

「うむ。おはよう、好苦」


 門の外で、好苦が待っていてくれた。階段を下り、門を開けて、彼の近くまで行く。


「今朝は、問題ありませんでしたか?」

「うむ。骨が折れたが、まあ何とかなったぞ」


 流離王は、誇らしげに好苦を見上げた。


「さすが大王。たった1日で、この国の生活習慣を再現なさるとは。やはり、あなた様は素晴らしい」

「ふん。もっと褒めても良いのだぞ!」

「ただ、大変恐縮ながら、我が君に1つだけ、訂正をさせて頂きたく存じます」

「何じゃ?」


 流離王が首を傾げる。すると、好苦は彼女の黒髪を、さらりと指で梳かした。


「私めに、貴女様の髪を整えさせてください」

「────っ!」


 流離王の顔が、真っ赤に染まる。この世界での臣下は、いちいち心臓に悪い。誤魔化すように、好苦から顔を背けた。


 ◇ ◇ ◇


「では、始めさせて頂きますね」

「うむ。よろしく頼む」


 洗面所に連れられ、鏡の前に立つ。好苦が、櫛を手に流離王の後ろに立った。

 身を任せるように、スッと目を閉じる流離王。無防備な姿に、好苦はクスリと笑った。


 長い黒髪に、櫛を通される。上から下へ、やさしく梳かれる。頭に変な集合体が当たるのが違和感だったが、許容範囲だ。とりあえず、流離王はされるがままになった。


「温風が当たります。お許しください」

「温風……?」


 振り返ると、好苦は突起が何本もついた、謎の白い物体を持っていた。


「ドライヤーといいます。少し形状が特殊ですが」


 王の疑問を汲み取り、好苦が名称を答えた。


……」

「ええ。では、スイッチを入れますね」


 突起部分が頭に当てられる。その後、温かい風が、じわりと頭に染み渡った。

 ──気持ち良い。熱すぎず、かつ強すぎず、丁度良い塩梅で吹き付けてくる。


(いやはや、2500年も経つと、技術は進歩するものじゃなぁ……)


 感心しながら、うっとりと目を細める流離王。夢見心地で、人生初のドライヤーに身を任せるのだった。



 





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