第8話 教室にて

 髪を整えてもらうと、丁度良い時間になった。流離王と好苦は家を出て、学校へと向かった。道中では、物の名前を復習したり、新たに覚えたりなどをした。そうしているうちに、あっという間に学校に着く。好苦こと、佐々木幸樹と並んで歩く流離王を見た女子生徒たちが、驚愕と嫉妬の眼差しを向けてきた。あまりの気まずさに、流離王は今すぐにでも逃げ出したくなった。


「よろしいですか、王」


 周りの視線などおかまいなしに、好苦は流離王の手を取った。


「目立つ行動は慎みますよう。話しかけてくる下郎がおりましたら、昨日お教えしました知識をご活用ください。多少不自然でも問題ありません。何故なら湖中瑠璃は――」

「目立っとるのはお前じゃ!」


 流離王は、好苦の手を思いきり振り払った。好苦は、悲しそうな顔で流離王を見つめた。さながら捨てられた子犬のようだ。


「そんな目で見つめてもダメじゃ!」


 叫ぶ流離王に、周囲がざわつく。女子の憧れの的、佐々木幸樹と並んでおきながら、邪見に扱っているからだ。一部の女子からは、殺気が立ち上っている。絶対安全を謳う国とはいえ、さすがに身の危険を感じた。


「とにかく!」


 数歩歩くと、むすくれた表情で好苦を指さした。


「学校で、人目のつく場所で、わしに近づくでない! 自分のことくらい、自分でこなしてみせるわ!」

「王!」


 引き止めを無視し、流離王は昇降口に向かって走り出した。好苦は、しばらく切なそうな顔で昇降口を眺めた。


「良いですよ、王。そのまま1人で突っ走って――」


 誰にも見えぬよう、形の良い唇を劣情に歪めた。


 ◇ ◇ ◇


「おはよ、瑠璃ちゃん!」


 教室に入るや否や、1人の女子生徒が話しかけてきた。おでこを出し、短めの髪を2つに結った、平凡な顔の少女だ。


「おはよう」


 好苦に教わった通り、朝にふさわしい挨拶で返す。すると、女子生徒はきょとんと首をかしげた。


「およ? 今日はフツーなんだね?」


 女子生徒の反応から、湖中瑠璃の返答はいつも珍妙だったことが予測できる。一体、この小娘は何をほざいていたのだと思いつつも、流離王は口を開いた。


「うむ……。たまには、な」

「あっはは、何そのしゃべり方! 昨日の降霊術ごっこの続き?」


 ではなく、本当に湖中瑠璃の中にいるのだが。


「それでそれで? 昨日から瑠璃の中にいるのは、一体誰なのかにゃ?」


 コーサラ国の王・ヴィドゥーダバとは言えない。なんとなくだが、言ってはいけない気がした。なら、どう答えるのが適切か。流離王は、頭を働かせ、答えを導き出した。


「……。古代インドの、市民じゃ」


 知識の浅い人物像は使えない。かつ、自分の身分は明かせない。であれば、かつて自分が治めた国の、名もなき民を自称すれば良い。──さあ、どう出る。探るように、女子生徒に視線を送る。すると、女子生徒は、机を叩いて爆笑し始めた。


「あはははは! 市民!? そのしゃべり方で!? あははは、ウケる!!」

「べ、別に! 普通の喋り方じゃ!」

「はいはい、瑠璃ちゃんにとってはフツーなのね! ブフッ……あはははははは!!」


 よほどツボに入ったのか、女子生徒の笑いは止まらない。あまりの笑いっぷりに、流離王は困惑するよりなかった。


「あ、てかさー。昨日から、佐々木先輩と絡んでるよね! 何かあったの? まさか……コクった! それともコクられた!?」

「こく……?」


 聞きなれない言い回しに、流離王は首を傾げる。


(たしかに、あやつの名はだが……)


 そう思考して、はっとする。? 好苦は言っていた。「前世を覚えている人間など、滅多にいない」と。それにも関わらず、彼女は佐々木幸樹の前世を当ててのけたのだ。これは、脅威以外の何物でもない。――排除しなければ。

 流離王は、両手に拳を作り、臨戦態勢をとった。


「貴様は何者――」

「HR始めるぞ~」


 流離王が叫ぼうとしたのと同時に、教師が入室してきた。思わずそちらに目を向けると、教師と目が合った。教師は、心底蔑んだ眼差しで流離王を見た。


「お前、いい加減まともな人間になれよ」

「はぁ!?」


 些細な無礼には動じないと心に決めていても、限度はあった。流離王は、女教師に一発くれてやろうと、教卓へ行こうとした。ところが、女子生徒に後ろから掴まれ、阻止されてしまう。


「まーまーまー。瑠璃ちゃん、とりあえず席に着こ。あいつ、魔王の末裔だから」

「何……?」

「さー席着こう~」


 詳細を聞く間もなく、女子生徒に背中を押され、強制的に席に座らされる。始まりを告げる鐘の音が鳴り、HRが始まった。


「出席を取るぞ。相田栞あいだしおり

「はーい」


 1番めに、女子生徒の名が呼ばれた。彼女の名を知れたことに、流離王は安堵する。名前を分からないままにしていると、怪しまれてしまうからだ。


(今はまだ、湖中瑠璃という小娘の日頃の行いのせいなのか、何とかなっておる。じゃが、早いところ適応せねば、良き生活は送れぬことだろう……)


 机の上で、ぐっと拳を握りしめる。


(奴婢の子と蔑まれるのは御免じゃ。わしは、この世界で、確かな地位を手に入れて見せるのじゃ!)


 他の生徒にとって、何の変哲もない時間の中。流離王は、密かに野望を燃やすのだった。




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