第5話 この世界は何ぞや
「お疲れ様でございます。ここが、私めの家でございます」
学校を早退し、彼らがいるのは、好苦──もとい佐々木幸樹の家の前。
周囲に広がるのは、数時間前にも見た風景。好苦の家は、流離王の家の真向かいにあった。
門を開けられ、階段を数段上る。好苦が鍵を回し、玄関の扉を開けた。
「どうぞ、お入りくださいませ。今、この家には誰もおりませぬゆえ。どうか気兼ねなさらず」
扉が開かれ、中に誘われる。嗅いだことのない匂いが、ぶわりと広がった。
おそるおそる中へ入り、慣れた様子で靴を脱ぐ。周りをきょろきょろとしつつも、好苦の後に着いて行った。
階段を上り、「コウキ」という表札の立てかけれらた扉が開けられる。中に通され、膝下くらいの台の傍に座るよう言われた。おずおずと腰を下ろし、不安げに好苦を見上げる。好苦は、王を安心させるように微笑んだ。
「そう緊張なさらないでください。様式は違えど、配下の居住なのですから」
「そう言われてもな……」
「ふふ。じきに慣れていきます。私も、怯える王の姿を、今のうちに堪能しなければ」
「好苦? ちと口が過ぎるのではないか?」
「失礼いたしました」
華麗な動作で、お辞儀をする好苦。あまりに流暢な動きに、流離王は思わず笑みをこぼした。王の緊張が解けたのを感じ取ったのか、好苦はゆるりと姿勢を戻した。
「それでは、私はお飲み物と、軽食をお持ち致します。少々お待ちくださいませ」
そう言うと、好苦は部屋を出て行った。静寂が、辺りを包み込む。流離王は、そわそわと部屋の中を見渡した。
造り自体は、流離王が目覚めた部屋とそう変わらない。しかし、得体の知れない違和感がある。その正体は分からないが、今は知らなくて良いだろう。彼女は目を瞑ることにした。
「しっかし、わしの部屋にもあったが……。この、馬鹿でかい台は何じゃ?」
目覚めた部屋にも、好苦の部屋にも、ひときわ目を引く物体があった。
腰ほどの高さの、謎の台。引き出しが何層もあり、何冊も本が立てかけられている。これはどんな物で、どんな用途があるのだろう。好奇心に駆られ、流離王は引き出しに手を伸ばした。
「いくら臣下の物とはいえ……」
ぽん、と肩に手を置かれる。流離王は、心臓が飛び出るほど驚いた。おそるおそる振り返ると、満面の笑みを浮かべた好苦が、そこに立っていた。
「勝手に見るのは感心しませんよ。王」
「……ハイ」
表情こそ笑顔だったが、とてつもない重圧感を纏う臣下。思わず、返事が敬語になる。
(怒らせると怖いのは、相変わらずじゃな……)
青い顔をしながら、流離王は元いた場所にちょこんと座るのだった。
◇
「では、早速この世界について、私めがお教え致します。分からないこと、既に知っている事柄等あれば、都度仰って頂ければと思います」
「うむ。よろしく頼む」
向かい合って座る、王と臣下。台の上には、飲み物と軽食、そして何冊かの本が載せられていた。
「今朝は、学校という場所の基本情報と、この世界の安全性をお伝えしましたね」
「うむ。学校は勉学をする場であり、厳格な身分制度はない。また暴力を良しとせず、命を脅かされる心配はない……だったか」
「仰る通りでございます」
恭しく頭を下げると、好苦は1冊の本を手に取った。
「では、大きな事柄から参ります。まず今、我々がおります国の名称は、ご存じですよね?」
「……否」
流離王が首を横に振ると、好苦は驚いたように目を見開いた。
「それは……、大変なご苦労をなさったでしょう。王は、全く未知の世界に、突然放り込まれてしまったのですね」
「うむ。お前と死したと思うたら、目覚めて、見知らぬ老女に無礼を働かれたぞ。それだけではない。お前に嘆きたいことは、山ほどある」
「それはそれは……。今すぐお話をお聞きしますが」
「良い。説明を続けよ」
「かしこまりました」
好苦は、本を机に開いてみせた。そこには、世界地図が記されていた。
「今、私たちがおりますのは、中心の島国でございます。名を、日本と言います」
「ニホン……」
両手の人差し指を立て、首を傾げる流離王。
「ええ。戦争もなければ、軍隊もない。平和の国にございます」
そう言うと、好苦は西にある大陸の出っ張りを指差した。
「ちなみに、我々がおりました国は、ここが該当します。日本では、『インド』または『天竺』とも呼ぶそうです」
「なっ……!? わしらがおったのは、こんな矮小な国だったというのか!?」
「国1つ1つで見れば、決して小さくはありません。それほど、世界は広かった……ということですね」
「……」
あまりの規模の大きさに、流離王は絶句した。
「そして──今、この世界は、我々がおりました世界の、約2500年後の世界にございます」
臣下の口から放たれた、衝撃の事実。流離王は、目をかっ開いたまま、動きを静止した。
「如何いたしましたか、王」
「う、うむ。あまりに現実味がなくてな……。固まってしまったわい」
流離王は我に返ると、腕を組んだ。
「どおりで、珍妙なもので溢れておる訳だ。何と言ったか……高速で動く箱」
「車といいます」
「3色に点滅する球形」
「信号ですね」
「覚えきれん!」
流離王が、バン! と机を叩いた。
「ご心配なく」
彼女の手に、好苦の手が重ねられた。
「この好苦が、王を支えますゆえ」
好苦が、甘く微笑んだ。流離王の心に、ぶわりと熱が広がる。抱くはずのない感情が沸き起こり、流離王は慌てて立ち上がった。
「すっ……済まぬ! 厠は何処か!」
好苦から顔を背けながら、何とかそう言った。
「部屋を出て、右へ行って頂き、左の扉を開けますと、厠がございます。ちなみに、なのですが……」
好苦は、言いにくそうにした後、ほんのりと頬を赤らめた。
「使い方は、ご存じでしょうか。それに……まことに言いにくいのですが、その……」
好苦の言わんとしていることが、分かってしまった。流離王の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
「その程度、分かっとるわい!!」
捨て台詞を吐くと、流離王は勢い良く扉を閉めて行った。
「王……」
静かになった部屋の中。新鮮な空気を味わうように、好苦は流離王との記憶を反芻する。
「嗚呼、たまらない……! 何度、爆ぜそうになったことか……!」
興奮に身を震わせる。その表情は、酷く恍惚としていた。
「無力にうち震えるいじらしさ、放っておけば破滅に突き進んでいく危うさ──。嗚呼、貴方は、あの時のまま、何も変わらないのですね……!」
はぁぁ……と、艶かしい息が漏れる。
「王……、私の傍を離れないでくださいね。今世でもまた……貴女を破滅に導いてさしあげましょう。私と共に、堕ちていきましょう──」
私は、貴方の苦しむ姿が、たまらなく好いのです──。
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