第4話 わし、連れて行かれる

 入室早々、男子の顔面に拳を食らわす流離王。笑いの渦が、悲鳴の合唱へと変貌した。流離王の脳裏に、殺されゆく人々の映像が蘇る。自分を苦しめた者たちが、無惨に散っていく様相。その爽快感は格別で、溜飲が下がったのを覚えている。


「ハハハハ! 死ね、死ね!」


 2発、3発。続けざまに拳を叩き込む。今までの疲労や鬱憤が、解消されていくのが分かる。


「おい湖中! 何をしている! やめろ!」


 長髪の女が、背後から押さえ込もうとしてきた。流離王は、引き剥がそうと必死にもがくが、なかなか抜け出せない。


「ぐっ……くそぉっ!」


 女1人にすら敵わない。軟弱な肉体による弊害に、流離王は歯を食いしばった。

 そうこうしている内に、騒ぎは大きくなっていった。


「何の騒ぎですか!」

湖中瑠璃こなかるり、またお前か! 何回問題を起こせば気が済むんだ!」


 4、50歳くらいの老齢の者たちが、バタバタと複数人駆けつけてきた。年老いているとはいえ、数人相手に居間の身体では敵わない。死を覚悟して、流離王は身体の力を抜いた。


 ◇


「座れ、湖中」


 独房のような部屋に連れられ、短く命じられた。単なる老人からの命令に、流離王はとてつもない屈辱を覚える。


「……わしに申したのか」


 流離王が、凄みながら問い返す。教室に入った時から、覚えのない名で呼ばれ続けている。混乱と苛立ちで、どうにかなってしまいそうだ。

 向かいに座る老人が、盛大にため息をついた。


「今度は降霊術か? 一体、何が宿っている設定なんだ?」

「わしはわしじゃ! お前たち――」

「湖中! 座りなさい!!」


 後ろを陣取る女が怒鳴る。逆らえぬ威圧感が、本能を支配した。非常に不本意だったが、流離王はしぶしぶと腰を下ろした。


「嘘の吹聴、奇怪な踊りに、宇宙交信。奇行に飽き足らず、今度は暴力に走るとはな……」


 老人は、流離王の傍までやって来ると、バン! と机を叩いた。不意のことに、流離王の肩が跳ねた。


「指導じゃ足りないなら、今度は警察の世話になってみるか?」


 ――。またも飛び出してきた意味不明な単語。だが、自分の国で言う「軍隊」を意味するのは、何となく分かった。

 1人を多数で叩きのめす世界のことだ。きっと、課せられる罰は、想像を絶するほど重いに違いない。

 流離王の顔から、血の気が引いていく。同時に、泣き出してしまいそうになった。シャカ一族に辱められた時ですら、泣くことはなかったというのに。


(もう……限界じゃ……)


 視界が、鮮明と朧気を繰り返す。涙だけは、死んでも流したくはなかった。唇を歪ませながらも、ぐっと拳を握りしめて耐える。


(終わったと思ったのに、訳の分からぬ世界に放り込まれて。奇異と侮蔑の眼差しだけは、かつての世界と何も変わりはせぬ……)


 ぎゅっと目を瞑る。閉ざした瞼の裏に浮かぶのは、生死を共にした臣下の顔――。


(好苦……。今、この場にお前がおったなら……)


 叶いそうもない願いを思い浮かべた、その時。背後で、扉の開く音が鳴った。

 振り返ると、現れて欲しいと願った者――好苦が、救世主の如く立っていた。


「湖中さんの両親から、連絡が入りました。なので、瑠璃さんは僕がお預かりします」


 そう告げると、好苦は流離王の肩に手を置いた。


「帰ろう、。急用だって」

「きゅっ……!?」


 呼び捨て!?!?

 驚愕のあまり、変な声が出てしまう。

 固まる流離王を、好苦は手際よく立ち上がらせた。


「佐々木! ノックくらいしなさい! それに指導中――」

「失礼します」


 老人の言葉を無視し、好苦はぴしゃりと扉を閉めた。


「こ、好苦……!? な、なにゆえ此処が……」


 腕を引かれながら、流離王は問いかける。好苦は、ちらりと振り返ると、すぐに前を向き直した。一瞬見えた表情は、気まずそうだった。


「あの後、やはり貴女様が心配で、教室を覗きに伺ったのです。そうしましたら、貴女様のお姿がなかったので、その……。何か問題があったのだろうと」

「う"っ……」


 図星を突かれ、流離王は呻いた。

 すると、好苦の足が止まる。「下駄箱」と教わったものに寄りかかると、額を抑えながらため息をついた。

 ――呆れられたのだろうか。流離王は、心がズキリと痛むのを感じる。しかし、それは杞憂だった。


「っっ申し訳ありません!」


 好苦が、凄まじい勢いで土下座をした。急なことに、流離王は勢いよく肩を跳ねさせた。


「私は、何と愚かだったのでしょう……! どれほど聡明であろうと、説明もなしに全く未知の世界に溶け込むことなど、誰にも出来るはずがないというのに……!」

「や、やめろ好苦! 頭を上げ――」

「私に罰を! 幸い人はおりませぬ! 心ゆくまで私を甚振ってください!」

「……っ」


 元の世界ならば、迷わず罰を下していたというのに。土下座だって、何も珍しいことではなかったのに。


「やめんか! 恥ずかしい!!」


 顔を真っ赤にしながら、流離王は叫んだ。

 何故か……、本当に分からないが、尋常でない羞恥心と忌避感を覚えた。これは、流離王の価値観ではない。まるで、自動的に備わっていた本能に、頭を支配されているようだ。


 驚いた表情の好苦と、目が合う。

 前の世界の面影を残した、優しげな目元。

 ぶわりと体温が急上昇する。流離王は、反射的に顔を逸らした。真っ赤な顔を見られまいと、口元を腕で隠した。


「……大王?」


 好苦は、不思議そうに流離王を見上げる。

 いつまでも立とうとしない臣下に焦れ、流離王は自らしゃがみ込んだ。

 驚く好苦の胸倉を掴むと、必死の形相で叫んだ。


「悪いと思っとるなら、早くこの世界のことを教えろぉおおお!!」


 静かな空間に、流離王の怒鳴り声が響き渡る。あまりの大声に、事務員が顔を覗かせるが、湖中瑠璃の姿を見ると戻っていった。

 好苦は、少し呆気にとられたものの、すぐに柔和な笑みを浮かべて、流離王の手を取った。


「仰せのままに。私の王よ」










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