第2話 わし、いきなり命の危機

「全く、何がどうなっておる! 訳が分からん!」


 晴れやかな空の下。1人の少女が、ふんわりとした黒髪を揺らして歩く。彼女は流離王。コーサラ国の王──だったが、今は若い女の姿になっている。


「畜生め、あの老人ども……。覚えておれ。とやらから戻ってきたら、処罰してやるぞ」


 目覚めてからというもの、衝撃と混乱が、怒涛の如く押し寄せてきた。

 無礼な老人たちに、両親を自称され。

「朝食だ」と、見たことのない形状の食事を出され。

 魔法の類としか思えない器具が、当たり前のように置かれ。

 白い粉で歯を磨かされ、奇妙な黒い衣服に着替えさせられ(起きた時点で着ていた服もだいぶ変だったが)、神業の如き上質な入れ物を背負わされ。

 あれよあれよという間に、外へ追いやられてしまった。挙げ句の果てに、「さっさと学校行ってこい!」という捨て台詞と共に、戸を絞められてしまったのだった。


「まぁ、食事は物凄く美味だったから、情状酌量を考えてやらんこともないが……。それにしても、わしを乱暴に追い出すなど、無礼極まりない! 許せぬ!」


 憤慨しながら、をずんずんと行く。第六感が道を理解しているのは、この上なく気味が悪い。だが、無心に歩くという行為は、いささか気分を和らげてくれた。


「しっかし、何じゃこの世界は。まっこと、未知のもので溢れかえっておる。これが異界というやつか?」


 辺りを見渡しながら、流離王は呟く。


 頑丈そうな造りをした、見たことのない建造物群。

 灰色の硬い道。

 不規則にそびえ立つ謎の柱。

 はるか高いところに張り巡らされた、柱から伸びた黒い線。

 特定の場所にまとめられた、臭いニオイのする白い物体――。


 全て初めて見るものだったが、何故か抵抗感がなかった。まるで、昔から慣れ親しんできたかのような――そんな、不思議な感覚だった。


「ええい、ままよ。とにかく、ガッコウとやらに行ってやるぞ!」


 力強く意気込み、拳を振り上げる流離王。その横を、疾風が通り抜けた。おそるおそる振り返ると、板に数字(だと何故か分かった)が書かれた謎の物体が、常識を超えるスピードで走り去っていった。

 ――あれにぶつかったら、溜まったものではない。今は運よく当たらなかったが、あのような危険物が突発的に現れたら、対処の仕様がない。


(もしや……。ガッコウへ行くとう行為は、命懸けの修行なのではないか……?)


 白い頬に、冷や汗が伝う。しかし、そこは数々の修羅場をくぐり抜けてきた大王。易々と折れるわけにはいかない。


 覚悟を決めると、流離王は歩みを進めていった――。



「ぜぇ、ぜぇ……。なんとか、たどり着いてやったぞ……」


 門の前で、息を切らせる流離王。頭上にある表札には、「白樺高等学校」と書かれている。その向こうには、四角形の巨大な建造物が、そびえ立っていた。


 道中、流離王は散々な目に遭った。

 高速で走る謎の箱はそこら中にいるし、謎の物体はチカチカと点滅しているし……犬には吠えられるし。道行く人は皆、変な格好をしているし、色々な音がうるさいし。

 ただ歩いただけなのに、ものすごい疲れたのだった。


「はぁ……。とりあえず、中に入れば良いんだな?」


 その質問に答えられることはなく。流離王は、人の流れに着いて行くことにした。

 歩きながら、きょろきょろと辺りを見渡す。歩く者は皆、不気味なほどに同じ服装だ。男は人体の作りに従ったものを、女は腰から下を覆う布から足が出るものを身に着けている。それ以外に、違いはなかった。


(服装の統一。なるほど、ガッコウとは、軍隊のことじゃったか。だとしたら、道中の過酷さは頷けるが……ちと過激すぎんか?)


 これからのことを考えると、不安しかない。慣れない空間というのも相まって、足取りはかなり重くなった。


「うっ!?」


 ふいに、何かにぶつかって後ろに倒れ込む。固い地面に尻餅をつき、鈍い痛みに顔を歪ませた。


「おい! どこ見て歩ってんだ! ぶち殺すぞ!」


 頭上から、怒号が降ってくる。見上げると、体格の良い男が、鬼の形相で流離王を見下ろしていた。


「うわ……不良に目つけられちゃってるよ……」

「あの子かわいそー……」


 周囲の人々が、ヒソヒソと話しているのが分かる。

 傲慢に振る舞う屈強な男と、面と向かって物を言えない弱者。未知のもので溢れかえる世界でも、人間という生き物の性質だけは変わらない。

 失望しながら、流離王はゆっくりと立ち上がる。青い瞳で、眼前の男を睨みあげた。


「おい、小僧。無礼であるぞ。身の程をわきまえよ」

「あ"ぁん!?」


 男にとっては、今の流離王は華奢な少女でしかない。格下に反抗的な態度を取られた男は、さらに逆上した。男は、流離王の胸倉を掴んだ。


「てめぇこそ何様だ! ぶつかったのはソッチだろうが!」


 喚き散らす男の口から、唾が飛んでくる。不快感を覚えながらも、流離王は金的を狙おうとした。しかし、その行動を読んでいた男は、彼女の足を踏みつけた。


「う"ぐっ!」

「女の狙いなんぞバレバレなんだよ! 舐めてんじゃねーぞゴラァ!」


 男の拳が迫ってくる。避けられないと悟り、流離王は目を閉じた。

 元の身体であれば、この程度の男をあしらうことは造作もない。しかし、少女の身体になったせいで、思うように動くことができなかった。


(嗚呼……、此処が地獄か? 話に聞いていたものと大きく違うが……。しかし、こんな無茶苦茶な世界に振り回されるくらいなら、いっそ無間地獄に堕ちた方が良かった……)


 拳が目前に迫った、その時だった。


「良くないなぁ。女の子相手に、そんな乱暴は」


 よく通る声が、耳に届いた。おそるおそる目を開けると、端正な顔立ちの男が、殴りかかろうとした腕を掴んでいた。


「っちくしょう!」


 男は腕を振り払うと、逃げるように去っていく。端正な男は、蔑んだ目でその様を一瞥すると、流離王に向き直る。そして、恭しく頭を下げた。


「またお会いできたこと、大変嬉しく思います。大王よ」

「……! お前、好苦か!」


 世界を越えた、王と臣下の再会であった。










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